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日本のスポーツの「第3の選択肢」についての考えを知ってもらいたい。

「結局、君は何がしたいんだ?」
「エリートを創りたいの? それとも軟式を広げたいの?」
「高校野球のハードルなんて低い、誰でも入部届を出せば入れるんだから。エンジョイしたいなら軟式に行けばいい」

SNSやnoteで日本のスポーツ環境、特に野球界のバグについて発信していると、ときどきこうしたリアルなコメントをいただきます。

一見すると、どれも現場を知る大人の、もっともらしい意見に聞こえるかもしれません。

しかし、既存の「硬式 vs 軟式」「ガチ(エリート) vs エンジョイ(草野球)」という狭い二者択一の枠組みで考えている限り、僕が本当にやろうとしていることは、いつまで経っても「矛盾した、よくわからない話」に見え続けてしまうでしょう。

だからここで、僕が人生をかけて、どのような未来をこの手で創ろうとしているのか。その明確な設計図を書き残しておきたいと思います。

1. 「生存者バイアス」という盲目と、高いハードルの正体

「高校野球のハードルは低い。誰でも入れる」と主張する人々が見落としている決定的な視点があります。それは「生存者バイアス」です。

確かに、入部届を出してグラウンドに足を踏み入れるだけなら、物理的なハードルは低い。しかし、本当に高いのはその先にそびえ立つ、構造的・精神的なハードルです。

  • 週6〜7日、朝から晩まで、私生活のすべてを野球部というハコに捧げる覚悟があるか。

  • もし「下手くそ」なら、3年間ずっとグラウンドの端でボール拾いをし、スタンドでメガホンを叩くだけの存在になる屈辱に耐えられるか。

  • 「全員が甲子園を目指す」という、単一の宗教的な熱量を強制される環境に、自分のすべてを適応させられるか。

  • 上記のような環境ではない弱小チームに身を置いても勝利を体験できない。

この極端なシステムに適応できず、打席に立つことすら諦めてグラウンドを去っていった無数の人たち、そもそもエントリーすらできなかった人たちの姿は、生き残った「生存者」の視界には映りません。

そして決まって「エンジョイしたいなら軟式に行けよ」と言われます。
なぜ、純粋に野球を楽しむために、ボールの硬さ(道具の規格)まで制限されなければならないのか?

硬式ボールがバットの芯に当たった瞬間の、あの最高の感触は、プロや甲子園を目指す「選ばれたエリート」だけの特権なのでしょうか。

僕たちは、道具の規格(硬式・軟式)の話をしているのではありません。
「野球が好きだ」という純粋な衝動を持った人間が、何歳からでも、どんなレベルからでも、何の摩擦もなく主役として打席に立てる。そんな当たり前の『インフラ(仕組み)』が、この国に存在しないこと。その構造的なバグを指摘しているのです。

2. 和歌山の球場で流した涙、ドイツで見た「風」

僕がここまでこの問題にこだわるのには、明確な個人的動機がある。
2014年、僕の高校野球は、最後の夏の大会が始まるずっと前、3年の春に一度死んだ。

「これからはメンバーのサポートに回ってもらうか、受験勉強をするか、決めてくれ」

監督から宣告された事実上の戦力外通告。当時17歳の僕は、物分かりよく淡々と「受験勉強」を選んだ。そうするしかなかったから。下手で戦力にならない選手が選手として生き残れる道や、野球を続けさせる場所なんて、あのハコの中には最初から用意されていなかったのです。

6月、ベンチ外の選手のために用意された、和歌山の高校での引退試合。
ヒットも打てず、3ヶ月の運動不足で足が攣りながら、なんとか親友と二遊間でゲッツーを取って、僕の選手としての野球は終わりました。

グラウンドの端には、観戦に来ていた母親の姿がありました。

最後までユニフォームを着て戦う晴れ姿を見せられなかったことが悔しくて、申し訳なくて、涙が止まらなかった。母親は「全然ええんやで、お疲れ様」と笑ってくれたのです。

プロへ進んだエース・上茶谷大河のような才能ある選手を受け入れる「ハコ」はあっても、僕のように「ただ野球を続けたいだけの凡人」を受け入れるハコが、あのときの日本にはどこにもなかったのだ。

だから、僕の野球はあの日一度、死んだ。

しかし大学時代、留学先のドイツで、僕は自分の常識を根底から覆す「第3の選択肢」に出会うことになります。

ドイツのグラウンドには、プロを目指す若者も、週末にビールを飲みながら楽しむおじさんも、同じ硬式球を使って、それぞれのレベルのカテゴリーで、誰もが「自分のリーグの主役」としてバットを振る美しい日常がありました。

そこには、プロを目指さないからといって居場所を奪われる理不尽もなければ、道具を制限される門番も存在しなかった。ただ純粋に、ライフスタイルの一部としてスポーツが呼吸していたのです。

あの幸せな光景を、どうしてもこの日本に再現したいと感じました。それが僕の原動力です。あの日、和歌山の球場で流した「もう居場所がない」という涙を、次の世代の子供たちには、絶対に流させたくありません。

3. 創りたいのは「鋭利なピラミッド」ではなく「雄大な一つの山」

「じゃあ、ただのゆるいエンジョイサークルを作りたいのか?」
「現在の高校野球や甲子園(全国大会)はなくなったほうがいいのか」

そうではない。それこそが、既存の二項対立の罠です。

僕たちが創りたいのは、登る者を冷酷に切り落とし、こぼれ落ちた人を自己責任として使い捨てる「鋭利なピラミッド」ではありません。

頂上はどこよりも高くプロまで突き抜けているけれど、裾野はどこまでも広く地平線まで広がっていて、誰もがどこからでも登り始められる「雄大な一つの山(多世代・多階層型クラブ)」です。

この山には、以下のような美しい「世代間の循環」が流れています。

  1. プロを目指すトップチーム(頂上):
    科学的データに基づいた最先端のトレーニング環境で、都市対抗野球での日本一やプロ輩出を本気で目指す。このトップチームの存在が、クラブ全体の社会的信用となり、最先端の施設や資金を地域に呼び込む。

  2. 憧れの縦のつながり(中腹):
    トップチームの選手や、中高生、大学生が、自分の練習の合間にジュニア(U12・U15)の指導にアシスタントコーチとして関わる。子供たちにとって、テレビのプロ選手よりも、同じクラブのグラウンドでとんでもない打球を飛ばす「ちょっと上手なお兄ちゃん」は、何よりリアルで強烈な憧れになる。

  3. 生涯スポーツの裾野(平野):
    かつてクラブで育ったOBやOGが、社会人になって「今週末はちょっとあの遊び場に戻ろう」とグラウンドに帰ってくる。大人になっても、初心者であっても、お囃子の太鼓を叩くように、自分のライフステージに合わせた「その時の役割」を持ち寄りながら、一生野球を楽しみ続ける。

「ガチでプロを目指す挑戦」もできるし、もしそこに届かなくても、あるいは引退した後も、同じクラブの別のカテゴリーで、一生「遊び」としての野球を続けられるセーフティネット。この両端を一本の線でつなぐことこそが、総合型スポーツクラブの真骨頂です。

4. 感情を動かすために、感情に頼らないシステムを

「言うのは簡単だけど、そんな多世代のクラブ、ただでさえ大変な草野球や地域クラブの運営でどうやって回すんだよ。誰がその面倒な事務作業をやるんだ?」

現場の痛みを最もよく知るリアリスト(例えば、冒頭のコメントをくれたような方たち)は、きっとこう問い詰めるでしょう。
まさに、その「大変さ」こそが、これまで日本で多世代型クラブが普及しなかった最大の原因です。

誰もが、役員の押し付け合い、グラウンドの手配、お金の未回収、泥臭い連絡網に疲れ果て、善意(自己犠牲)に依存した運営に限界を迎えていました。

だからこそ、僕がやります。

野球への熱い想いを語る人はたくさんいる。けれど、想いだけでこのバグは解決できない。

あの日、選手としての居場所を失った僕は、大人になって「システムを創るエンジニア」という武器を手に入れた。感情を健全に動かし続けるためには、感情に頼らない、冷徹なまでに合理的なシステムが必要不可欠だ。

僕たちは、出欠確認、自動決済、スケジュール管理、グラウンド手配といったクラブ運営における「面倒な事務コスト」をテクノロジーで極限まで自動化する運営プラットフォーム、『COMPASS』を開発しています。

管理者の負担をゼロに近づけることで、指導者は選手と向き合う時間に100%没頭でき、プレイヤーはただ純粋にボールを追いかけることだけにエネルギーを注げるようになります。

5. グラウンドは、僕たちの「最高の遊び場」だ

野球をしているからといって、誰もが一生野球に携わっていくわけではなく、プロのトップオブトップを除けば、僕たちは人生のほとんどを「一般人」として過ごします。

野球は、スポーツは、人生のすべてではありません。
人生を豊かにするための、最高の「遊び」の1ピースなのです。

日本のスポーツは、あまりにも長く「教育」や「犠牲」という重い看板を背負いすぎました。だからこそ、大人も子供もどこか息苦しく、楽しむことよりも実績を出すことに縛られてしまっています。

学校という古い「賃貸アパート」での暮らしを一度解約し、地域という新しいキャンバスに、もう一度スマートで、温かくて、誰も犠牲にならない美しいコミュニティを描き直すこと。

それは、決して「負担の押し付け合い」のような苦しい作業ではありません。

大人も子供も、もう一度グラウンドを「自分たちの手で、最高の遊び場を」創り直す、極めてクリエイティブで、ワクワクする挑戦です。

僕はタイムマシンを作って、過去の自分をマウンドに立たせることはできません。でも、いまこの瞬間も、日本のどこかで「二択」を迫られてスポーツを諦めようとしている誰かに、「第3の選択肢」を手渡すことはできます。

スポーツの「運営」を「価値」へ。
僕は、日本のスポーツの未来を、システムと情熱で塗り替えていく。

僕は日本のスポーツに「第3の選択肢」を実装する

現在、僕はこの「第3の選択肢」を日本中に実装するために、スポーツクラブ運営プラットフォーム『COMPASS』の開発と、多世代型クラブの立ち上げを同時に進めています。

  • あの日、「ベンチ外」の悔しさを抱えたことがある元球児の方

  • 部活地域移行の波の中で、持続可能なクラブの形を模索している指導者の方

  • このビジョンに共感し、一緒に「日本のスポーツの未来」を創ってくれるエンジニアやビジネスサイドの仲間

ぜひ、コメントやメッセージをいただけると嬉しいです。一緒に、次の世代の「最高の遊び場」を創りましょう!

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