仕事の効率化のためだけにAIを使うことは自らの価値を減らすこと
BASE株式会社執行役員の柳川です。金融事業の事業責任者をしています。
私はエンジニア→PdM→事業責任者というキャリアを歩んできました。
現在は事業戦略、プロダクト戦略、組織戦略全ての責任を持ちながら、事業責任者を務めさせていただいています。
その企画書、AIの臭いがしますよ
昨年から変わらずですが、SNSを開けば「AIですごいのが出た!」「エンジニア以外もClaude Codeを使えないと時代遅れ!」といった驚きの声溢れています。
確かに、技術の進歩は素晴らしい。私もAIは大好きですし、毎日使っています。 確実に世の中を変えることだけは確か。しかし、タイムラインを流れる「1時間かかっていた仕事が10分になりました!」という歓喜の声を見るたびに、「なんか雑だなー」と言う感想を持ちます。
「早くなった」のは素晴らしい。でも、その分「薄まって」いませんか?
今日は、AI時代に私たちが直面している「緩やかな自滅」と、そこから抜け出すための「仕事の密度」の話をします。
「綺麗な紛い物」が量産される地獄
私が今、最も危機感を抱いているのは、「一見すると完成度が高いが、中身が空っぽなアウトプット」の大量発生です。
以前の「ダメな企画書」や「ダメな記事」は、もっと分かりやすかった。 誤字脱字がある、論理が飛躍している、そもそも日本語がおかしい。これらは一目で「未熟だ」と判断できました。
というかそもそも企画書を書くためのハードルが高いので、企画書が大量に生まれるということはありませんでした。
しかし、AIが普及した現在は違います。 流暢な日本語、整然とした箇条書き、もっともらしい「まとめ」。 パッと見は、80点くらいのクオリティに見えるのです。
けれど、読み進めていくと違和感に気づく。 「で、これは誰の言葉なんだ?」「どこに意志があるんだ?」「結局どうしたいの?」
文章量は多いのに、読み終わった後に何も心に残らない。 カロリーだけ高くて栄養が全くないジャンクフードのような、「情報の残骸」。 私はこれを、「AIによって化粧された、密度の低い企画」と呼んでいます。
カロリーに失礼か。
仕事の企画だろうと、noteの記事だろうと、読み手は「人間」です。 人間は、文章の裏にある「熱量」や「葛藤」を敏感に嗅ぎ取ります。 「AIに丸投げして作ったな」という事実は、無臭のようでいて、実は強烈な「手抜きの臭い」として相手に伝わっているのです。
創作活動だろうが、仕事だろうが、企画だろうが、なんだろうが、「面白い」というのは大事な指標です。
時短が生む「思考の退化」と「他者へのコスト転嫁」
「AIを使えば、1時間かかっていた作業が10分で終わる」 これは事実ですし、素晴らしいことです。私もBiz系タスクにおけるAIの恩恵は日々受けています。確実に使うべきです。
しかし、ここで多くの人が致命的な勘違いをしています。 「1時間かかっていた仕事が10分で終わった! やった、50分浮いた!」と喜んで、思考を停止してしまうことです。
企画職やマーケターにおいて、この態度は「緩やかな自滅」を意味します。
なぜなら、あなたが省略した「50分」の中にこそ、本来の価値の源泉があったからです。 悩む、迷う、書いては消す、違和感に向き合う。 その泥臭いプロセスを経て出力されたからこそ、言葉に重みが乗り、他人を説得できるのです。
プロセスをすっ飛ばして出力だけを手に入れる行為は、「思考の筋トレ」をサボって、ドーピングで筋肉がついたように見せかけているのと同じです。 そんな見せかけの筋肉は、いざという時の「重い決断」や「修羅場」では何の役にも立ちません。
さらに悪いことに、AIで量産された「密度の低い企画書」は、読み手(上司やクライアント)の時間を奪います。
「なんか違うんだけど、どこが違うか言語化するのに時間がかかる」 「綺麗に書かれているからこそ、本質的な欠陥を見抜くのにエネルギーがいる」
作り手が楽をした分、読み手がその「手抜き」を埋めるために脳のリソースを使わされる。 これは、プロフェッショナルとして最も恥ずべき「コストの転嫁」ではないでしょうか。
「書く」のではなく「壁打ち」に命を燃やせ
では、私たちはAIとどう付き合うべきか。 答えはシンプルです。
浮いた50分を、サボるためではなく「より深く悩むため」に使うのです。
特に企画などのクリエイティブな仕事には、本来時間をかけられれば、かけられるほどいいはずです。しかしリソースの制限や期限があるから泣く泣く1時間で済ませていたのではないですか?じゃあ浮いた時間は何に使うの?考えるの使いましょうよ!
AIのパワーじゃは「代筆」だけではなく、「壁打ち」のためにもあります。 私が提唱したいワークフローはこうです。
徹底的な壁打ち(9割): いきなり「企画書を書いて」と頼まない。 「自分は何を成し遂げたいのか」「誰のどんな感情を動かしたいのか」「この企画の『敵』は何か」 これらが言語化できるまで、AIと対話し、問い詰め、自分の脳みそから汗が出るまで考え抜く。
執筆・整形(1割): 思考のマグマが固まって、言いたいことが溢れて止まらなくなってから、初めて「それを綺麗に整えて」とAIにオーダーする。
この順序であれば、AIはあなたの思考を薄める毒ではなく、あなたの熱量を増幅させる「最強の武器」になります。
執筆・整形作業なんて逆に人間がやるべきではないです。今の環境で、人間がやったら逆に手抜きですよ。
「効率化」とは、手抜きをすることではありません。 「どうでもいい作業」を圧縮し、「本質的な思考」に使える時間を最大化することです。 そこを履き違えている人は、遅かれ早かれ「AI以下の人材」として淘汰されていくでしょう。

「効率化」とは、自分を「交換可能な部品」にする作業だ
少し厳しい話をします。
もし、私の目の前に「AIですべてを効率化し、御社の仕事を今の10倍の速さで回せます」という完璧な効率化人間が現れたら、私はその人を採用するでしょうか?
答えは、「採用します。ただし、正社員ではなく、業務委託として」です。なぜなら、その人が提供しているのは「機能」だからです。
機能であれば、早くて安くて正確な方がいい。そして、より高性能なAIやツールが出てくれば、即座にそちらに乗り換えますし、早くするコツだけ残してもらえたらそれでいい。これが、私が「単純な効率化は、自らの価値をなくしていく行為だ」と危惧する理由です。
多くの人が、「仕事を早く終わらせるスキル」を身につけることが「成長」だと信じています。しかし、それは「自分を『交換可能な部品』として磨き上げている」ことに他なりません。
これらのことは過去から一貫して考えていたことですが、生成AIの進化を見るにつけ、「AIと真正面から戦うの意味わからんだろ。」と言う気持ちになっています。
資本主義の「わかりやすい罠」に絡め取られるな
もちろん、これはあなた一人の責任ではありません。
世の中のビジネスのルール(ナラティブ)が、「効率=善」「速さ=正義」とあまりにも強く刷り込んできます。
会社では「生産性を上げろ」と言われます。
だから、あなたは必死にAIを使い、ツールを駆使し、タイムパフォーマンスを追求する。
ビジネスの文脈では、あなたは決してサボっていません。むしろ誰よりも真面目です。
しかし、「人間としての成長」はどうでしょうか?
効率化の名の元に、「悩む時間」や「深く考えるプロセス」をショートカットしている時、あなたは「思考すること」をサボっています。
「深く考える力」は、一朝一夕では身につきません。
面倒な壁打ちを繰り返し、答えのない問いに悩み、泥臭く脳みそに汗をかいた経験の総量だけが、あなたを「代えの効かない人材」にします。
ビジネスのわかりやすい指標(数字・時間)に流されて、自分の「思考の筋肉」を衰えさせてはいけません。
AIに「作業」を渡すのはいい。でも、「思考」まで明け渡してしまったら、その瞬間にあなたは「人間」から「部品」に降格するのです。
いいですか。「構造」を作れる人間になりましょう。
「交換可能な部品になって、資本家に奪われるな!」と思います。資本家に奪われないためには、奪われない力を身につけるしかない。
人間はもっと進化できる(あるいは、進化しなければならない)
これからの時代、AIが進化するスピードに合わせて、人間も進化しなければなりません。 「AIすごい!楽ちん!」とはしゃぐのは、もう終わりにしましょう。
AIで仕事が楽になっているとすれば、それはあなたの仕事が不要になる未来を予測しています。
今の枠組みの中で楽をしようとするのではなく、「AIを使ってもなお、人間にしか出せない価値(=偏愛、責任、意志)」をどう乗せるか。 そこに時間を投資するほうが健全だと思うのです。
もしあなたが、 「最近、自分の企画がつまらない気がする」「アウトプット量は増えたけど意味のあるものは作れてないかも」 「AIに頼りすぎて、セルフレビューの目が曇っているかもしれない」 と不安に思うなら、それは健全な証拠です。
この話につながる話として、私は「トレーニングにAI」を活用するという概念を考えてきました。
「note添削Gem」然り、「問いのブラッシュアップGem」然り、これらを作っていたのは伏線なわけです。
これら「トレーニングAI」は、あなたに代わって「いい感じの記事」を書くツールではありません。 あなたの書いた原稿に対して、 「ここ、論理が飛躍してますよ」 「日記になってますよ。読者へのメリットは何?」 と、心を鬼にしてツッコミを入れるための「思考の矯正ギプス」です。
自分の思考の「甘さ」を突きつけられるのは、痛いし、辛いです。 でも、その痛みを避けて通っていては、いつまで経っても「AIに使われる側」からは抜け出せません。
楽をするためではなく、自分の思考を研ぎ澄ますために。 ぜひ、ボコボコにされに来てください。
人間は、もっと面白くなれるはずです。
編集後記
「トレーニングAIエバンジェリスト」を目指していますので、登壇依頼やお仕事依頼お待ちしております。
ちなみに僕は驚き屋はそんなに嫌いじゃないです。驚くだけじゃなくてちゃんと触っていれば。
一番嫌いなのは、対してAI触ってないくせに、「来年には、全てがAIに飲み込まれるよ。人間に残った仕事は謝ることだけだね。」とか「今の段階で苦労してプロンプトエンジニアリングとか、Agent teams触っても、1年もすればもっと丸っと上手くやるソリューションが生まれるでしょ。」とか言ってる冷笑系です。
手も動かさないし、頭も動かさない人は、飲み込まれるんじゃないですかね。そりゃ。
今工夫しながら使い、頭動かしてる経験は絶対に生きますよ。人間としての基礎体力みたいなものが伸びる経験だよ。
「企画書なんかそもそも書かないで作っちゃえばいいじゃん!」という人もいると思う。多分そうだと思うし、この文章はそれを否定していない。
結局のところ自分の思考リソースを何に使うのかを考えましょうという話でしかないのです。「企画をまとめるために、考えを進めるために作ってみちゃおう!」みたいなことはあると思いますよ。
とにかく思想がこもってないものは意味ないんでちゃんと意識して考えろ、考える訓練をしろというだけなのです。つまんない話だけどね!
ちなみにですよ!ちなみに!このnote書いている間も「僕はゴミを量産しているだけなのでは」と思っています。本気で!超怖いですよ。ブーメランのように帰ってくるのだ。
