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恋愛の選好とは何か

副題:すべての人に唯一性がある世界で、それでも誰を選ぶのか

八方美人は、相手ごとに形を変える山。
博愛主義は、中心を保ったまま他者を見る円。
恋愛選好は、その中心がある一人の未来によって静かに傾く螺旋である。


はじめに


誰と一緒にいても楽しい

誰と話しても、それなりに嬉しい

相手の中にある面白さや、不器用さや、可愛げを見つけることはできる

だからこそ、わからなくなる

恋愛において、人を選ぶとは何なのか

この人といると楽しい

それだけでは選べない

なぜなら、だいたい誰といても楽しいからだ

この人の未来が少しでも良くなればいい

それも、まだ決定打にはならない

なぜなら、その願いは責任からでも生まれるからだ

教える立場なら、相手の成長を願う

友人なら、相手の幸福を願う

家族なら、相手の安全を願う

人間として、目の前の誰かの未来が少しでも良くなればいいと願うこともある

では、恋愛の選好とは何なのか

条件ではない

楽しさでもない

善意でもない

責任でもない

では、何がその人を選んだ理由になるのか

たぶん鍵になるのは、唯一性である

けれど、ここでまた問題が起きる

人は誰でも唯一である

誰にも、その人だけの人生がある

その人だけの声があり、傷があり、癖があり、時間がある

ならば、唯一性だけでは選べない

すべての人が唯一である世界で、それでも誰を選ぶのか

恋愛の選好とは、この問いの前に立つことなのだと思う


第一章

八方美人とは、相手ごとに形を変えること


私は、自分のことを八方美人だと思っていた時期がある

会社での自分

恋人の前での自分

家族の前での自分

友人の前での自分

それぞれの場面で、私は少しずつ違う顔をしていた

相手に合わせることはできた

場の空気を読むこともできた

嫌われないように振る舞うこともできた

けれど、あるとき思った

本当の私はどこにいるのだろう

相手ごとに自分を変えすぎると、人間関係は一時的にはうまくいく

けれど、三人以上が同じ場所に現れたとき、矛盾が出てくる

あの人の前での自分

この人の前での自分

別の誰かの前での自分

それぞれに合わせた自分が、同じ空間に並んだ瞬間、どれが本当なのかわからなくなる

八方美人とは、相手に向けた最適化である

その人に好かれるために、その人に合わせる

場合によっては、言いたくもないことを言う

場合によっては、誰かの悪口に合わせる

場合によっては、沈黙すればよかった場面で、場を壊さないために言葉を足す

それは器用さでもある

けれど、同時に自分の中心を失うことでもある

八方美人は、他者ごとに局所的な山を作る

ある人に向けて高くなる

別の人に向けて別の形に尖る

そのたびに稜線が増え、形は複雑になり、自分でも自分の輪郭がわからなくなる

山は高い

けれど、不安定である

誰かに合わせるたびに形を変えるからだ


第二章

博愛主義とは、中心を持った円である


八方美人が苦しくなったとき、私は考えた

誰の前でも仮面を付け替えなくていい自分になれないだろうか

そこで出てきたのが、博愛主義だった

ただし、ここでいう博愛主義は、すべての人に同じ距離で近づくことではない

すべての人を好きになることでもない

すべての人を受け入れることでもない

博愛主義とは、誰も悪者にしないまま、自分の中心から他者を見ることだと思う

人によって態度を変えすぎない

嘘をつかない

悪口に乗らない

必要なら何も言わない

近づきすぎると壊れる相手とは距離をとる

それは冷たさではない

中心を守るための距離である

八方美人が相手ごとに形を変える山だとすれば、博愛主義は中心を持った円である

円は、すべての方向へ開かれている

けれど、中心を失わない

誰かが近づいても、誰かが離れても、中心が消えるわけではない

ここが大事だ

博愛主義とは、他者に合わせて自分を消すことではない

自分の中心を保ったまま、他者の存在を否定しないこと

だから、博愛主義は八方美人よりも静かである

誰かに好かれるために騒がない

誰かに嫌われないために自分を曲げすぎない

言葉で場を埋めすぎない

沈黙を拒絶ではなく、配慮として扱う

この沈黙が、博愛主義の中心を守る


第三章

けれど、円だけでは恋愛にならない


博愛主義になると、人間関係は少し楽になる

誰かに好かれるために仮面を変えなくていい

誰かを悪者にしなくてもいい

誰に対しても、ある程度フラットでいられる

けれど、恋愛では別の問題が起きる

誰といても楽しい

誰の未来も良くなればいいと思う

誰にも、その人だけの唯一性があると思う

そうなると、誰を選べばいいのかわからなくなる

八方美人は、相手に合わせすぎて選べなくなる

博愛主義は、誰も悪者にしないから選べなくなる

これは似ているようで違う

八方美人の選べなさは、中心の喪失から来る

博愛主義の選べなさは、中心があるからこそ、全員を否定できないところから来る

つまり、博愛主義者の恋愛の難しさは、優柔不断ではない

誰も悪者にしないまま、それでも誰かを選ばなければならないという難しさである

ここで、恋愛はただの好意ではなくなる

ただ楽しい人を選ぶのではない

ただ未来を良くしたい人を選ぶのでもない

ただ唯一性のある人を選ぶのでもない

なぜなら、それらは多くの人に向けて発生するからだ

恋愛には、博愛の中に生まれる方向性が必要になる

円の中心が、どの相手によって静かに傾くのか

そこに選好がある


第四章

未来を願うことと、未来に巻き込まれることは違う


その人の未来が少しでも良くなればいい

これは愛に近い

けれど、それだけでは恋愛とは限らない

その願いは、責任でも生まれる

仕事で教える相手なら、成長してほしいと思う

友人なら、幸せになってほしいと思う

家族なら、安全に生きてほしいと思う

弱っている人を見れば、少しでも楽になってほしいと思う

つまり、誰かの未来を良くしたいという願いは、恋愛よりも広い

それは責任かもしれない

善意かもしれない

親愛かもしれない

博愛かもしれない

では、恋はどこから始まるのか

たぶん、相手の未来に自分の未来が巻き込まれたときである

その人の未来が良くなればいい

ここまでは愛である

その未来が、自分とは別の場所で良くなっても嬉しい

ここまでは成熟した愛である

でも、それでもなお、その未来を近くで見たいと思ってしまう

その未来の景色に、自分も少しだけいたいと思ってしまう

その人がどう生きるかが、自分がどう生きるかに影響してしまう

ここから恋が始まる

責任は、相手の未来を支える

愛は、相手の未来を願う

恋は、相手の未来に自分の未来が巻き込まれる

この違いは大きい

恋とは、相手の未来を所有することではない

相手の未来を支配することでもない

その人がその人として良くなっていく過程に、自分の人生の向きまで少し変えられてしまうこと

それが、責任や善意とは違うところだと思う


第五章

すべての人には唯一性がある


では、唯一性が恋愛の決定打なのか

たぶん、半分は正しい

けれど、そのままでは足りない

なぜなら、人は誰でも唯一だからだ

誰も完全には代替できない

同じ顔の人はいない

同じ声の人はいない

同じ過去を持つ人はいない

同じ傷を抱え、同じ沈黙を持ち、同じ速度で世界を見る人はいない

一人一人が、それぞれの唯一性を持っている

だから、唯一性があるから好き、では全員が対象になってしまう

ここで必要なのは、相手単体の唯一性ではない

関係的唯一性である

関係的唯一性とは、その人と自分のあいだにだけ発生する変化のことだ

その人と話すと、自分の言葉の選び方が変わる

その人の前では、少し丁寧になる

その人の沈黙だけは、ただの沈黙ではなく余白になる

その人の未来だけは、自分の未来と別件にできない

その人が笑っていることが、自分の外側の出来事として処理できなくなる

その人がどう生きるかが、自分の生き方に薄く関与してくる

ここに、関係的唯一性がある

誰にも唯一性はある

けれど、その人の唯一性だけが、自分の未来の形を変えてしまう

これが恋愛の選好に近い


第六章  
恋愛選好にはいくつもの発生経路がある



ここまで、八方美人と博愛主義の違いを見てきた。

八方美人は、相手ごとに形を変えすぎる。

博愛主義は、自分の中心を保ったまま他者を否定しない。

そして恋愛選好とは、その博愛の中に生じる傾きである。

そう考えると、構造はとても綺麗に見える。

八方美人から、博愛主義へ。

博愛主義から、恋愛選好へ。

相手ごとに形を変える山から、中心を持った円へ。

そして、その円の中心が、ある一人の未来によって静かに傾く。

けれど、現実の恋愛はそこまで綺麗ではない。

人は、必ずしも博愛主義を経由してから誰かを選ぶわけではない。

むしろ、多くの場合、人はもっと未整理な場所から誰かを選んでいる。

利害から選ぶこともある。

唯一性から選ぶこともある。

寂しさや欠如から選ぶこともある。

相手から求められたから、応じるように選んでしまうこともある。

だから、恋愛選好をひとつの美しい傾きとしてだけ考えると、少し現実から離れてしまう。

恋愛選好には、いくつもの発生経路がある。

ここを見ておかないと、人は自分の選択を誤読する。

利害を愛だと思う。

傷を唯一性だと思う。

欠如を運命だと思う。

相手の期待に応じているだけなのに、自分が選んだのだと思う。

そして、その誤読が人を傷つける。

まず、利害関係のみの選好がある。

条件が合う。

生活が安定する。

社会的に見栄えがいい。

収入や地位がある。

一緒にいると都合がいい。

結婚相手として合理的である。

孤独を埋められる。

こういう理由で誰かを選ぶことがある。

これは悪ではない。

人間関係に利害が混じることは自然である。

生活を共にするなら、条件や現実性を無視することはできない。

愛だけでは生活はできない。

けれど、利害だけで選ぶと、相手は交換可能になりやすい。

もっと条件のいい人が現れたらどうなるのか。

相手が病んだらどうなるのか。

稼げなくなったらどうなるのか。

見た目が変わったらどうなるのか。

自分の生活設計と合わなくなったらどうなるのか。

そのとき、関係の根拠が崩れてしまうなら、それは相手を選んでいたというより、条件を選んでいたのかもしれない。

利害による選好は、安定して見える。

けれど、その安定は相手そのものではなく、条件の上に乗っている。

だから、利害だけでは恋愛の選好としては足りない。

次に、唯一性のみの選好がある。

その人は特別だった。

他の誰かではなかった。

自分の人生を変えた。

その人と出会う前の自分には戻れない。

その人だけが、自分の中に代替不能な痕跡を残した。

こういう感覚から誰かを選ぶことがある。

これはとても強い。

条件よりも深い。

好意よりも長く残る。

けれど、唯一性だけで誰かを選ぶこともまた危うい。

なぜなら、唯一性は必ずしも幸福とは限らないからだ。

強く傷つけた人も、人生に痕跡を残す。

大きな欠落を残した人も、忘れられない人になる。

自分を壊した人も、その後の自分を変えてしまうことがある。

その人が唯一だったことと、その人と共に生きてよいことは、同じではない。

忘れられない人が、近づいてよい人とは限らない。

人生を変えた人が、現在の自分に必要な人とは限らない。

傷の深さを、運命の深さと読み違えてはいけない。

痕跡の強さを、関係の正しさと読み違えてはいけない。

唯一性は、その人が自分の人生に残した変化を示す。

しかし、それは現在の関係適性を保証しない。

だから、唯一性のみの選好は危うい。

その人が特別だったからといって、もう一度近づく必要はない。

その人が消えないからといって、今も選ぶべき相手とは限らない。

唯一性は、関係を深くすることがある。

けれど、唯一性は、関係を正当化する免許ではない。

さらに、欠如による選好がある。

寂しい。

見つけてほしい。

認めてほしい。

必要とされたい。

誰かの特別になりたい。

自分の空白を埋めたい。

この状態で誰かを選ぶことがある。

これは、恋愛にとても似ている。

むしろ、本人にとっては恋愛そのものに感じられることもある。

けれど、欠如による選好では、相手そのものよりも、自分の空白が中心になっている。

相手を見ているようで、本当は自分の寂しさを見ている。

相手を求めているようで、本当は自分の欠如を埋める役割を求めている。

このとき、相手は一人の人間ではなく、自分を救うための場所になってしまう。

ここに危うさがある。

八方美人のまま恋愛選好を行うときも、この欠如による選好に近づきやすい。

相手ごとに求められる顔をする。

相手ごとに優しい言葉を返す。

相手ごとに特別な距離を作る。

相手の寂しさに反応する。

相手の期待に応える。

相手が喜ぶから、もう少し踏み込む。

その場その場では、嘘をついているつもりはない。

傷つけたくない。

嫌われたくない。

場を壊したくない。

相手の期待に応えたい。

そういう柔らかい動機から始まる。

けれど恋愛領域では、曖昧な優しさは期待になる。

期待は、やがて権利意識になる。

権利意識は、裏切られた感覚になる。

だから、八方美人のまま誰かを選ぼうとすると、人を傷つけやすい。

本人は誰も選んでいないつもりでも、複数の相手に「選ばれるかもしれない未来」を渡してしまうからである。

そして最後に誰か一人を選んだとき、残された相手はこう感じる。

あの優しさは何だったのか。

あの言葉は何だったのか。

あの距離は何だったのか。

自分だけに向けられていたわけではなかったのか。

本人にとっては調整だった。

けれど、相手にとっては期待だった。

このズレが痛みになる。

欠如による選好は、誰かを選んでいるようでいて、実際には自分の空白の処理を相手に預けていることがある。

だから危うい。

では、博愛を経由した恋愛選好とは何か。

それは、利害を無視することではない。

唯一性を否定することでもない。

欠如を持たないことでもない。

人間は、利害なしには生活できない。

唯一性なしには、深い関係になりにくい。

欠如なしには、誰かを求めることもない。

だから、利害も、唯一性も、欠如も、それ自体が悪いわけではない。

問題は、それらのどれか一つだけを、恋愛の決定打にしてしまうことだ。

利害だけなら、相手は交換可能になる。

唯一性だけなら、傷や痕跡を運命と誤読する。

欠如だけなら、相手を空白の埋め合わせにしてしまう。

博愛だけなら、誰も否定できず、誰も選べなくなる。

だから必要なのは、統合である。

恋愛選好とは、利害を無視せず、唯一性を誤読せず、欠如を相手に背負わせず、それでも自分の未来が誰によって傾くのかを見分けることである。

誰かを選ぶとは、他の人の価値を下げることではない。

誰かを選ぶとは、条件の一番よい相手を採用することでもない。

忘れられない人に戻ることでもない。

寂しさを埋めてくれる人を探すことでもない。

自分の中心を保ったまま、誰の未来が自分の未来を変えてしまうのかを見ること。

そこに、恋愛選好の成熟した形がある。

だから、誰かを選びたいと思ったとき、大切なのは、まず自分の選び方を見ることなのだと思う。

私はこの人を、条件で選んでいるのか。

私はこの人を、痕跡の強さで選んでいるのか。

私はこの人を、寂しさを埋めるために選んでいるのか。

それとも、誰も否定しないまま、それでも自分の未来がこの人によって少し変わってしまうから選んでいるのか。

この問いを通らない選好は、どこかで誤作動する。

恋愛選好とは、誰を選ぶかの前に、自分が何によって選ばされているのかを見分ける作業でもある。


第7章

恋愛とは、博愛の否定ではなく、博愛の中に生じる傾きである


恋愛は、博愛の失敗ではない

誰か一人を選ぶことは、他の人の価値を否定することではない

ここを間違えると、悪者を作らない人間は恋愛で動けなくなる

あの人も悪くない

この人にも魅力がある

あの人にも事情がある

この人の弱さにも背景がある

誰にも唯一性がある

なら、誰か一人を選ぶことは、他の誰かを不当に低く見ることなのではないか

そう考えてしまう

けれど、本当は違う

恋愛の選好とは、他者の価値を順位づけることではない

自分の未来が、どの関係によって変わってしまうのかを見つめることだ

あの人は悪くない

けれど、自分の未来を変える相手ではない

あの人にも魅力はある

けれど、自分の重心が動く相手ではない

あの人といても楽しい

けれど、いない時間にも続く相手ではない

この判断でいい

博愛主義は、すべての人を同じように恋愛対象にすることではない

すべての人を悪者にしないまま、自分の中心を保つこと

そして恋愛とは、その中心がある一人の未来によって静かに傾いてしまうこと

山は、他者に合わせて形を変えすぎる

円は、中心を保ったまま他者を見る

恋は、その円の中心が、誰かの未来によって少しだけ傾くこと

その傾きは、崩壊ではない

それは方向である


第八章

好きとは、未来が少し変わってしまうこと


好きとは、相手を高く評価することではない

相手を独占したいと思うことでもない

相手がいないと壊れることでもない

好きとは、その人の存在によって、自分の未来の形が少し変わってしまうことだと思う

その人と出会う前なら、考えなかったことを考える

その人と話す前なら、選ばなかった言葉を選ぶ

その人がいなければ、見なかった未来を見る

その人の存在が、自分の生き方の向きを少し変える

それは劇的な変化ではないかもしれない

人生を全部変えるほどではないかもしれない

けれど、確かに傾きが変わる

この人がいる世界と、この人がいない世界では、自分の未来の形が少し違う

そう感じるとき、人はもう選び始めている

誰といても楽しい人間にとって、恋は熱ではなく余韻に出る

一緒にいる時間の楽しさではなく、いない時間にも続くかどうか

その人の言葉が、あとから戻ってくるかどうか

その人の未来が、ふとした瞬間に気になるかどうか

その人との関係だけは、雑に扱いたくないと思うかどうか

そこに恋愛の輪郭がある


第九章

山でも円でもなく、螺旋として選ぶ


八方美人は山である

相手ごとに形を変え、尖り、隆起し、矛盾を抱える

博愛主義は円である

中心を持ち、他者を否定せず、距離と沈黙によって関係を保つ

では、恋愛は何か

恋愛は螺旋かもしれない

山のように相手へ向かう力を持ちながら、円のように中心を失わない

誰か一人へ傾きながら、それ以外の人を悪者にしない

近づきながら、所有しない

未来を共に見たいと願いながら、相手の未来を支配しない

それは、山と円のあいだを降りていくような形である

尖りを削り、中心へ降りていき、そこからもう一度、誰かの方へ静かに向きを持つ

それが、悪者を作らない人間の恋愛なのだと思う

恋愛とは、博愛の中に生じる偏りである

ただし、その偏りは差別ではない

それは、自分の未来が反応してしまう方向である

すべての人に唯一性がある

そのうえで、なお、自分の未来を巻き込んでしまう唯一性を持つ人がいる

その人の方へ、静かに身体が向く

それが選好である


結語


恋愛の選好とは、関係的唯一性を選ぶことである

恋愛の選好とは、条件で人を選ぶことではない

楽しさの強さで選ぶことでもない

嫉妬の量で選ぶことでもない

未来を良くしたいという願いだけでも、まだ足りない

人は誰でも唯一である

だから、唯一性だけでも選べない

大切なのは、その唯一性が自分の未来を変えてしまうかどうかである

誰の未来も、少しでも良くなればいい

でも、その人の未来だけは、自分の未来と別件にできない

誰にも、その人だけの唯一性がある

でも、その人の唯一性だけは、自分の生き方の中に入り込んでくる

誰といても楽しい

でも、その人といると、自分の世界の重心が少し変わる

八方美人は、他者に合わせて自分の形を失う

博愛主義は、中心を保ったまま他者を否定しない

恋愛は、その中心が誰かの未来によって静かに傾くこと

恋愛とは、誰かの唯一性を認めることではない

その唯一性によって、自分の未来の形が変わってしまう相手を選ぶことである

そして、悪者を作らない人間にとっての恋愛とは、誰かを否定して一人を選ぶことではない

すべての人に唯一性があると知ったうえで、なお、自分の未来を巻き込んでしまう唯一性を持つ人の方へ、静かに身体を向けることなのだと思う


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