自分をおもてなししているか
副題:未来の自分が呼吸しやすいように
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『身につける物は未来の自分を先に住まわせる』
いきなりだが、
あなたは、お客さんが家に遊びにくるとしたら
どんな準備をするだろうか?
もしその相手が好意を抱いている異性だったなら、出来る限りのことはするかもしれない。
たとえば、
普段買わない焼菓子を用意したり、
部屋の掃除をしたり、
そこまでではなくても、
ちょこっとした一部分だけでも整えるのではなかろうか?
そのとき人は、普段出さない丁寧さを出す。
電話越しの相手に、声のトーンを変えて
お辞儀までしてる人みたいになる。
では、自分のことは、「おもてなし」をしているだろうか。
もちろん予算には限りがある。
アレもコレもと
なんでも買っていてはただの浪費になってしまう。
全部を完璧にする必要はない。
ワンポイントだけでも「自分へのおもてなし」を導入してみたらどうだろうか。
たとえば、
お気に入りの紅茶を用意する。
好きな色の小物を揃える。
自分の気分が上がるもの。
心休まるもの。
それらを普段過ごす場所にチョイ足ししてみる。
本来なら自分の身体を、いちばんおもてなししなければならないと考えている。
だけど、人は自身のことはどこか後回しにしがちになる。
夜更かししたり、ジャンクフードを食べたり
部屋の中が散らかっていたり
それも悪くはない。
ただし、それは娯楽や一時的な処置としてなのか
習慣的な日常になってしまっているのかが、大きな違いになってくる。
日常が乱れている時は、だらしないの一言で片付けてしまうのではなくて、
心や身体が消耗しているサインとして捉えると良さそうだ。
今日も自分の身体にお疲れ様と労う。
自分の居住空間を整えることは将来の自分に対するおもてなしの様な気がしている。
掃除に限らず、洗濯物を畳むことや、食器を洗うのも次の自分へのおもてなしなのだろう。
もっと簡単に言うと丁寧に生きる。
それこそ自分へのおもてなしなのだろう。
でも、丁寧さは「上品さ」じゃない。
「自分を雑に扱わない」ための手順だ。
回復しやすい状態を、先に作っておくことだ。
疲れているときほど、部屋は荒れる。食事は乱れる。睡眠は削れる。
それで回復が遅れて、また余裕が減っていく。
だから丁寧に生きるとは、
未来の自分が呼吸しやすいように、先に環境を整えること。
掃除をする。
湯船に浸かる。
すこし健康を意識して食べる。
あるていど、まとまった時間眠る。
それだけでも人の心は変わる。
人の身体は成長もするし老化もする。
それはあなたの意思とは関係なく行われる。
自分の身体の大部分は、あなたの意思とは関係なく動いているのだ。
それでも戸籍上は産まれてきた時の身体が、あなたとして登録されている。
つまり“私”は固定された物体じゃなく、更新され続けるプロセスだ。
そもそも細胞は、常に生成と消滅を繰り返している。
それが、生きているということなのだから。
一年もすれば、かなり別の身体になっているとも言われている。
5分前と今とでは、考えていることが違う人もいる。
意識とは、少し先の未来を予想して動いているとも言われている。
「未来の自分」は、今の自分の延長というより
ほとんど他人に近い。
しかし、人に限らず生き物は
自己の一貫性を信じて生きている。
肉食動物が狩りをするのも
人が貯蓄するのも
将来に対する「恐れ」からきている。
だからこそ、他人を迎えるときみたいに準備しておく。
未来の自分が帰ってきたとき、少しでも呼吸がしやすいように。
丁寧に生きるとは、
未来の他人である自分を、ちゃんと迎えることなのかもしれない。
そしてたぶん、その“他人”は
明日も、自分の家に泊まりにくる。
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