【見捨てられ不安】いつかフラれるという確信が自ら【フラれる現実】を作る自作自演の悲劇。
「いつかフラれるかも」
付き合い始めなのに、いつかフラれるのが怖くてたまらない。そんな「見捨てられ不安」に苦しむ。
この記事では、その不安の正体、そしてなぜ自ら関係を壊してしまうのかという残酷な真実を解剖します。
付き合い始めの最も幸せな時期にすら、心のどこかで「終わりの予感」を握りしめている。
そんな自分を「感受性が豊か」だとか「傷つきやすい繊細な人間」だなんて思っていたり…
そんな人が抱えている「見捨てられ不安」の正体。
それは愛ゆえの怯えなどではなく、自分の「無価値さ」を証明するために相手を巻き込む、極めて独善的な自爆テロです。
愛ではなく「在庫確認」を繰り返す依存の心理
「いつフラれるか不安だけど、私はそこまで思い込んでない。」
そう思ってこの文章を読んでいますか?
彼と繋いでいる手の温もりを感じるのではなくて、「離れていこうとしていないか」を確認するために、何度も指を絡め直している。
彼の写真を撮るも、それが「今、この瞬間」を楽しむためではなく、フラれた後に見返す「思い出の墓標」として、美しく切り取ろうと必死になっていたり…
それは愛ではないです。
あなたは相手の心を見ているのではなく、「まだ私は捨てられるほど価値が下がっていないか」という在庫確認を繰り返しているだけです。
相手の愛情表現は、あなたにとって、自分の不安を一時的に麻痺させるための「領収書」に過ぎない。
相手を「神」に祭り上げ、「奴隷」として縛る傲慢さ
見捨てられたくないと怯えるときに、
あなたは相手を「自分の幸不幸を決定できる神」として崇めます。
一見、謙虚で健気な態度に見えるでしょう。
しかし、その実態は残酷ですよ。
神として祭り上げると同時に、あなたは相手に「私の不安を1回残らず消し去り、24時間私を安心させ続ける義務がある奴隷」としての役割を強いてるんです。
相手が人間として疲弊し、一人の時間を欲しがれば、「やっぱり私を愛していないんだ」と罪悪感を植え付ける。
あなたが恐れているのは「別れ」ではなくて、
「自分の期待通りに動かない相手」という、コントロール不能な現実なんです。
自作自演の幕引き。予言を的中させる快楽
見捨てられ不安が強い人ほど、無意識のうちに相手を「試す」という名の拷問にかけてるんですよね…
わざと冷たくして、
深夜に泣き喚いて、
相手に無理難題を突きつける。
相手がその重圧に耐えかねて去っていったとき、あなたは悲劇のヒロインの顔をしながら、腹の底では安堵という名の「快楽」を感じているはずです。
「ほら、やっぱり見捨てられた。私の予想は正しかった」
あなたは、愛されることよりも、自分の「私は価値がない」という予言が的中することに執着している。
自分の正しさを証明するために、目の前の関係を自らの手で解体しているのです。
見捨てられ不安から抜け出し、対等なパートナーシップを築くために
あなたが本当に恐れているのは、相手がいなくなることではない。
「自分一人では、自分を1ミリも愛せない自分」と向き合うことです。
相手という布を被せて隠していた「空っぽの自分」。
それと二人きりになるのが怖い。
だから、相手という薬を必死に打ち込んでいる。
この自作自演の悲劇を終わりにしたいなら、まずはそのペンを折ることです。
「いつか見捨てられる」という台本を捨てて、自分の人生の責任を、自分で負う覚悟を決める。
誰かに頼る前に、まずは自分が自分の一番の理解者として、その醜い怯えを飼い慣らす。
その、あまりにも孤独で、恐ろしい一歩を踏み出した時に、初めてあなたの隣にいる人は「薬」ではなく、「対等なパートナー」になれるのでしょう。
アルマ
👩【私さえ我慢すれば】という快楽|悲劇のヒロインを演じることで、あなたは誰を裁いているのか👇️
👩【いい子役】を降りられないまま、心で何度も【全員いなくなれ】と叫んでいる👇️
👩【助けてあげたい】という病。あなたが彼を無能にした。私がいなきゃダメという男は、私が作った【最高傑作】👇️
