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『ユダの秘密 「裏切り者」とその「福音書」をめぐる真実』ジェイムズ・ロビンソン(教文館)



ユダの秘密
『ユダの秘密』

 ロドルフ・カッセル編『原典 ユダの福音書』は映画版『ダ・ヴィンチコード』が公開される一ヶ月前、2006年のイースターに、クロスビーの『ユダの福音書を追え』とともに発売され、ベストセラーとなった。版元のナショナル・ジオグラフィック協会は『ユダの福音書』発見から出版までを描いた番組を製作して系列のTVチャンネルで放映し、メディア・ミックスをしかけた。
 アメリカではイースターの時期にもっともキリスト教への関心が高まるといわれているが、2006年のイースターは大量に流される『ダ・ヴィンチコード』のCMと『ユダの福音書』の報道で、キリスト・フィーバーだったわけである。

 本書はこのブームに水を浴びせるように出た告発本で、『ユダの福音書』は一般のキリスト教徒には無関係だし、発見から出版にいたる経緯は『ユダの福音書を追え』に描かれているようなきれい事ではなく、一部の学者による資料の独占がおこなわれたとしている。
 著者のジェイムズ・ロビンソンは父親と兄弟が神学者という神学者一家に生れ、自身も神学の研究者として出発するが、途中で聖書文献学に転じる。クレアモント大学で長らく教鞭をとり、多くの弟子を育てる一方、ユネスコのナグ・ハマディ文書国際委員会の常任事務局長をつとめ、1975年には国際コプト学協会を設立し、本書の時点では名誉会長の職にあった。また、国際Q資料プロジェクトにもとりくんでいた。
 ロビンソンがナグ・ハマディ文書国際委員会の常任事務局長として、きわめて有能だったことはクロスビーの本に書かれている(p182~186)。独仏の学者の足の引っぱりあいでまったく進んでいなかった写本の補修・校訂作業を一気に進め、ユネスコが払ってくれない必要経費を自分で集めてきたのだ。

 アメリカ人気質そのままに、何事にも前向きで人のいいロビンソンだが、ナグ・ハマディ文書の発見情況を調査する段になると、人のよさが裏目に出る。ロビンソンは現地のエジプト人たちに謝礼を払って話を聞いたが、エジプト人たちは謝礼欲しさに話をどんどん盛っていき、一大冒険活劇になってしまったのだ。
 エジプト人たちに振りまわされるロビンソンを冷やかに見ていたのが、コプト学のもう一人の大物であるロドルフ・カッセルだった。クロスビーによれば、カッセルはロビンソンに、情報は小出しにした方がいいと忠告したという。

 ロビンソンがすみやかな公開に固執するきっかけは死海文書の問題があった。
 死海文書は1947年に発見され、特定の宗派に偏らない国際委員会によって出版が進められることになる。1950年に第一冊が刊行されるが、その後刊行が間遠になり、1970年代にはまったく刊行されなくなってしまう。
 しかも、箝口令までしかれていたので、キリスト教を揺るがす文書が見つかったのではないかとか、バチカンが刊行を妨害しているのではないかといった憶測が生れ、陰謀論やトンデモ説の温床になる。『ダ・ヴィンチコード』や『エヴァンゲリオン』の元ネタを提供してくれたので、ポップカルチャーにとっては悪いことではなかったが、聖書文学協会は死海文書のような長期独占が二度と起らないように、決議を採択している。

 ナグ・ハマディ文書はエジプト当局によって押収され、カイロのコプト博物館に収蔵されたが、第一写本だけは国外に持ちだされてしまう。1952年にスイスのユング研究所に売却され、この写本はユング写本と呼ばれることになる。ユング写本の校訂をまかされたのが、スイス人のロドルフ・カッセルだった。
 ロビンソンはカッセルが意図的に出版を遅らせたとか、コプト博物館への返却を妨害したと書いているが、真偽の程はわからない。ただ、ユング写本の出版が遅れたのは事実だし、完了した翌年、国際コプト学協会は資料の長期独占をしないようにという決議をおこなっている。

 クロスビーの本では、『ユダの福音書』を含む写本を最終的に購入したフリーダ・チャコスは、古文書を扱ったことのない古美術商とだけあって、それ以前の活動にはふれていない。チャコスは写本の素性を知らずに購入した善意の第三者であり、エジプトから違法に持ちだされたことを知ると、エジプト政府に返還を約束した恩人というわけだ。
 ところが、アメリカでは『ユダの福音書』騒動でチャコスの名前が出ると、さまざまなメディアが彼女の前歴を報道した。中でも熱心だったのがロサンゼルス・タイムスで、同紙の地元のゲッティ美術館は、チャコスから購入した美術品がイタリアから密輸出されたものだったので、返還に追いこまれていた。
 チャコスはイタリアで執行猶予つきの有罪判決を受けるが、執行猶予をもらうために、当局に情報提供をおこなっていた。ニューヨーク・タイムスは彼女を「古美術界のユダ」と評している。
 チャコスが『ユダの福音書』の返還をエジプト政府に約束したのも、有罪判決をまぬがれるためだった。有罪判決が出てしまうと、二度とエジプトに入国できなくなり、商売にさしつかえるのだ。
 返還を約束した以上、チャコスは写本の転売で儲けることができなくなった。そこで彼女は写本の内容で儲けることにした。本書によれば、ナショナル・ジオグラフィック協会はチャコスの財団に百万ドル近い金額を支払ったという。

 ロビンソンは本書を書いたのは資料はすみやかに公開すべきという信念からで、私怨からではないと繰りかえし書いているが、それを信じる人はいないだろう。
 クロスビーの本には、2004年の国際コプト学協会大会で、カッセルが『ユダの福音書』を含む写本を発見したと報告した時のロビンソンの反応が描かれている(p308~317)。その場にいあわせたロビンソンの友人は「見ていられなかった」と語ったという。

 ロビンソンがカッセルの報告に激怒したのは、それまでに二度、『ユダの福音書』とニアミスしていたからだ。
 一度目は1983年5月。ロビンソンはジュネーブでコプト語の写本を売りたがっているエジプト人がいるという連絡を受ける。彼は5万ドルを出してくれる大学を見つけ、ローマに留学していた弟子のスティーヴン・エンメルをジュネーブに向わせる。
 エンメルが写本を調べることが許されたのは30分だけだった。エンメルは写本には少なくとも三つの文書が含まれており、最初の二つはナグ・ハマディ文書に含まれている文書の異本だと見てとった。三番目の文書はイエスと弟子たちの問答のようだったが、古代写本では文末に書かれることの多い表題を確認することは許されなかった。ユダの名前はわかったが、ユダ・トマス(『トマスによる福音書』の著者とされ、グノーシス文書に頻出する)だろうと推測した。
 この時、エンメルが表題を確認できていれば、すべては変っていたかもしれない。
 二度目は2000年9月。弟子のチャールズ・ヘドリックが、チャコスから写本を買取る契約をしていたブルース・フェリーニから200枚近い写真をみせられ、写本の鑑定を依頼されたのだ。ヘドリックは『ユダの福音書』の存在を学会誌に報告する。
 ちなみに、カッセルに協力して『原典 ユダの福音書』を出版したマーヴィン・マイヤーもロビンソンの弟子だそうである。
 『ユダの福音書』はロビンソンの鼻先にあらわれては姿を消す。ロビンソンはユダに翻弄されているかのようだ。

 『ユダの福音書』出版までの「殺菌消毒」前のストーリーも興味深いが、学術的な部分も興味深い。
 本書は『ユダの福音書』ブームの便乗出版ともいえるので、あわただしく出されたらしく、荒っぽいというか、類書にないような割り切った説明をおこなっている。

 初期のキリスト教会はユダヤ人教会と異邦人教会の二つにわかれていたとされるが、イエスの直弟子たちが天に召された後、口伝えで伝えられていたイエスの伝承を集めて、ユダヤ人教会では語録福音書Qが、異邦人教会では物語福音書『マルコ伝』が作られたというのだ(Qについては本欄で取りあげた『失われた福音書』参照)。
 その後、語録福音書と物語福音書の融合がはかられたが、ユダヤ人教会の視点でまとめたのが『マタイ伝』、異邦人教会の視点でまとめたのが『ルカ伝』と『使徒行伝』だとする。特に『ルカ伝』と『使徒行伝』は異邦人キリスト教徒の理想を描いたもので、『使徒行伝』の最初に出てくる財産を共有した共同体は実際には存在していなかったと断言する。
 わかりやすいが、こんなに単純化していいのかと、素人ながらはらはらする。いろいろな意味で、ロビンソンという人はおもしろい学者さんである。

(初出:note 2025-06-03)


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