なぜ100日間も祈るのか?【冬の峰】大晦日の神事とは
—— 知っているようで、知らないことって、意外とありますよね。
12月31日の大晦日。年が変わり新しい1年を迎えるころ、山形県の羽黒山(はぐろさん)の山頂では松例祭(しょうれいさい)と呼ばれる祭事が執り行われます。

羽黒山は、山岳信仰の聖地と呼ばれる出羽三山(でわさんざん)のひとつです。主峰の月山(がっさん)と奥の院である湯殿山(ゆどのさん)が冬季閉山となるため、ふもとの門前町と近い羽黒山は、年間を通して多くの参拝者で賑わいます。
羽黒山の山頂で執り行われる「松例祭」とは一体なんなのか? 地元に住む人たちにとっては、知っているようで、意外と知らないお祭り。それは、出羽三山の裾野が広がる庄内地方の人たちの暮らしに関わるものでした。
格式高い修験「冬の峰」
羽黒山では、古来より私たちに厳しさや豊かさをもたらす「自然」に畏敬の念を払い、季節の移ろいに沿って行われる修験「四季の峰」が存在していました。修験は羽黒修験道とも呼ばれ、現在も修験が盛んに行われています。
四季の峰の中でも、「冬の峰」はもっとも格式の高い修験とされています。
夏の峰の修験に挑むのは一般参詣者、秋の峰は山伏たち、そして冬の峰では、山伏の最高位である「松聖」に選ばれた2名が修行に挑むためです。

松聖に選ばれた2名は修行の間は五穀を断ち、一俵の種籾に稲倉神(ウカノミタマ=穀物の神)の魂を移します。稲を主とする五穀に、穀霊の発現を待つための物忌みの行です。
大晦日の松例祭とは、新たな年の五穀豊穣と、天下泰平を祈る冬の峰の結願の日です。人々の平穏な暮らしを願い、安寧を祈願するために旧年の災いの元を燃やし尽くします。

明治新政府が1868(明治元)年に発令した神仏分離令。「神仏習合の修験道の山」から「神社」になった出羽三山では、第3代宮司の物集高見(もずめたかみ)氏によって、冬の峰を「松例祭」と改め、神社の特殊神事として再興しました。
山伏の最高位「松聖」
松聖を勤めることは最高の名誉とされ、修験者の最高位となります。そのため、明治時代までは松聖の役に就ける者は今よりも厳格な条件のもとに選ばれていました。
・336坊の妻帯修験の家に生まれる
・太業といって、生まれるとすぐに承認の手続きをとる
・数えの15歳で秋の峰に入り修験者になる
・羽黒山上の本社の堂番を勤める
・阿闍梨講に勤仕して、阿闍梨、権少僧都の位が許される
以上を満たした者の中で、太業(たいぎょう=重要な役目)に加わった年数の一番長い人が位上(いじょう)松聖、次の人が先途(せんど)松聖に任じられました。このように、松聖になれる人は数々の行を経験した人に限られ、農耕地帯の人々にとって冬の峰はいかに重要な行事であるかが伺えます。
▶修行の始まりは9月24日
大晦日の松例祭から遡って100日前に行われる幣立祭(へいたてさい)で、松聖の2名は任命を受けます。
・自宅に祭壇を構える
・田小屋に模った興屋聖(こうやひじり=手の平よりも大きめの手作りの社)に五穀を納める
・99日間ひたすら穀霊の憑依を祈り籠りの行を行う
▶自宅では普段どおりの生活を送るけど
・朝晩2回の祝詞を唱える
・2,448段の石段を毎日登り神社に参拝する
・雨が降っても、嵐が来ても、台風が来ても…。
▶制限のある生活
・魚や肉など卵も食べられないので、家族は別途で食事を提供する
・願い事を切らないよう刃物はご法度で、髪や爪も切ることが出来ない
・なので爪はやすりなどで削る
▶昇山
50日目の11月13日に、松聖は羽黒山の山頂付近にある「斎館」での「籠り行」に切り替わります。


冬の風物詩「松の勧進」
11月中旬になると、鶴岡の冬の風物詩「松の勧進」が始まります。これは松例祭にかかる費用を勧進するために行われているもので、山伏たちは手向地区を出発して鶴岡を中心にして庄内一円を巡ります。
お札に対しての対価は決まっていません。お米などを渡すこともありますが、現在では現金が主流です。12月初旬になると鶴岡の市街地でも山伏が鳴らす法螺貝が聞こえ始めて、市役所や一般企業、市内の神社仏閣や一般家庭を訪問しお札を付与します。
1⃣2⃣月1⃣日
— 大寶館【公式】 (@taihoukan) December 1, 2024
羽黒山 松の勧進が
鶴岡の城下に降臨⛩️
庄内の師走の風物詩です❄️#出羽三山 #松の勧進 #大寶館 pic.twitter.com/68XeofnySV
松の勧進の意味は知らなくても、ほら貝の音が聞こえて、山伏が闊歩しているのを見ると、「冬がやってきたなぁ」という気持ちになるのは、この土地ならではだと思います。こうして、満願の100日目にあたる大晦日の夜。100日間の修行の末に、松聖の験力が試されます。
「蜂子皇子」が託した祈りの意味
そもそも、冬の峰はどうやって始まったのか?それは、出羽三山を開山したと伝えられる蜂子皇子の話に遡ります。
今から1400年前も前のこと。第32代崇峻天皇の第三皇子として生まれた蜂子皇子はクーデターにより都を脱出し、遠く離れた東北の鶴岡の地にたどり着きました。
羽黒山で修業を重ねていた蜂子皇子は、疫病に苦しむ民を救うため100日間もの間、山にこもって祈り続けました。そして、山の神のお告げによって元凶となっていた悪鬼を火で焼き尽くして、民を救ったと言われます。これが「冬の峰」の始まりとも言われています。

現在、松例祭は100日以上も前から多くの人たちが動く規模の大きな祭事です。松例祭の前日から様々な行事が執り行われ、祭りの本番では集落の若者たちが「位上」と「先途」の組に分かれて、松聖の験力腕試しを競い合います。
継承が途絶える危機
松例祭には出羽三山神社の関係者、そして門前町の手向(とうげ)地区の人たちなど多くの人たちが関わっています。役目の多くを担うのは、手向地区の若者集と呼ばれる人たちです。

松例祭が1400年も受け継がれてきた中で、祭りの存続が危ぶまれたことがありました。
▮太平洋戦争
ひとつは、太平洋戦争です。多くの若者が戦争に招集されて、祭事に従事する人がいなくなりました。戦況が悪化する中で執り行われたご神事は、今とは違う形で催行されたと言います。
▮コロナウィルスの流行
もうひとつは、世界中でパンデミックを起こしたたコロナウィルスの存在です。2020年から2022年までの3年間は松例祭の一般観覧も制限されました。さらに、若者衆は会社勤めの人も多く、2020年には感染状況を鑑みた若者衆の80名全員が辞退を申し出る事態となりました。
本来であれば大勢の観衆の前で多くの若者衆が駈ける勇壮な行事も、この期間は山伏2名が報道陣の前を駆けました。「疫病を焼く」という冬の峰の目的は果たしているものの、多くの人たちで賑わう「祭り」としての姿はありませんでした。そんな中で集まったのは、かつて若者を経験した地区の人たちです。

与えられたそれぞれの役目を全うし、神事を絶やさないよう務めました。戦時中もそうであったように、伝統は形を変えて、受け継がれていきます。
【松例祭に行ってみた】へ続く
日本でも有数の穀倉地である庄内平野。私たちの暮らしを豊かにしてくれる稲作の恵み。新たな年もまた稲作が順調に育つように、そして平和な日々が続くようにと祈りが込められた神事「松例祭」。

地元の鶴岡に暮らしていても、知っているようで、知らないこと。この記事を作成するにあたって、私自身、学ぶことが多くありました。これからも、地元に伝わる大切な行事が継承されていくように願います。
2023年の大晦日、4年ぶりに観覧の制限がなく松例祭が執り行われました。10年以上ぶりに見学した松例祭の様子を以下の記事でお伝えします【続く】
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記事を作成するにあたり参考にさせていただきました。
・松例祭(出羽三山神社)
・松例祭保存会
・「出羽三山―黎明の光を浴びて」刊行(荘内日報社)
・倉稲魂命(Wikipedia)
・祈りの山の守(も)り人たち(NHK BS)_リンクなし
