閑話休題でネットワークサービスに依存してきた自分の黒歴史と世界の潮流をざつ年表で振り返ってみるぞ (パソコン通信? その3)
先日パソコン通信の2回目の記事を投稿したのですよ。
1回目とあわせてモブキャラである私の記事にしては出だしから多くの方に読んで頂けた様な雰囲気があります。雰囲気かよ!
今では技術的な部分だけでなく文化的な側面でもインターネットに吸収/同一化されてしまった感がありつつも、それだけパソコン通信という個別の世界が多くの皆様に愛されていた証明の様な気がしないでもないわけです。
で、今回は3回目ということで前回の次回予告にもあった初チャットでのびっくりエンカウントを書こうと思っていたのですが・・・腰を据えて記事を書けていない弊害か、大切な時系列が丸々っと抜けていたことに今更ながら気がついたので今回はその補足ができればなと。
ちなみに怪我厄介事その他現在進行系で日常がズタボロですので今回も大切な内容がずっぽ抜けているかも知れません。
なので今回は私個人の体験を盛り込む形で当時から現在に至るネットワーク(コミュニケーション)に関する技術がどの様に始まっていったかを雑な時系列で表したいと思います。
別枠で通信サービスのあれこれの記事を書いていたりするのでパソコン通信からかなり外れますが・・・その辺のネットワークに関連する事柄も一緒に取り扱っていきたいと思います。
まぁそのサービスを使ってパソコン通信をしたりもするので全くの無関係というわけでは無いのですけどね・・・闇鍋万歳!
=== フォーマットとしてはこんな感じ ===
〇〇年"頃"
世界と日本の主観いっぱいな目立った出来事ネットワーク(コミュニケーション)に関わる当時の背景
個人的な立ち位置と関連記事
移動体通信等の関連した背景
### 各種用語のWikipedia先生へのリンク ###
上記項目をベースとして超大雑把に当時を振り返っています。基本嘘は(嘘を嘘と案件除いて)書かないようにしていますので、年代等が違うと思ったものは別ソースを採用したものかも知れません。その辺は緩く捉えて頂ければと思います。その割に背伸びしたメッキが外れて大嘘書いてたらごめんなさい
ただ・・・日々の余力と文章センスがないので、とても読み難い記載内容である点は先にお詫びしたく・・・あと感情が迷子のまま1ヶ月程隙間時間に熟成秘蔵のタレみたくあれこれ書き足し続けた挙句に大リストラしたので・・・母屋が乗っ取られたというか、方向性が迷走した上にパソコン通信の項目もほんの僅かです。 m(_ _)m
=== noteの仕様的に一方通行な目次 ===
[世界の潮流とぐらぼま的ネット環境体感記憶]
(他記事の投稿と合わせてたまに追記するつもりです)
ざつな旅のはじまりじゃよ!(゚∀゚)ノシ
1928年頃(昭和3年) -日本でのFAX実用化-
蒸気船ウィリー公開
(ミッキー/ミニーマウスのデビュー作)
大相撲ラジオ実況 / ラジオ体操の放送開始
キリンレモン販売開始日本でもファクシミリ(FAX)が実用化されました。遠隔地同士で絵や文字を送り合えるなんて正にニューメディア!(当時)
現代のオタクが当時その場に居たとすれば、洒落っ気を出して原稿にのらくろとか描いて送ってみたいですよね・・・って、のらくろまだ連載されてないぞ!
1956年頃(昭和33年) -国内でのテレックスサービス-
日本の国際連合への加盟
日ソ共同宣言と日本 - ソビエト連邦の国交回復国内国外両方向けのテレックスサービスが開始されました。テレックスとはテレタイプ端末を使用した通信サービスで・・・と書きつつも、当時のドラマや映画等で使われている位しか見たことがない代物だったりします。
とはいえ2000年代前半までサービスが継続されていたのですけど(;´Д`)
国内網(加入電信網) 2002年終了
国際網(国際テレックス網) 2005年終了
「もはや戦後ではない」という有名な言葉が広まった年。コンピューターの歴史的には世界初のハードディスクドライブ(HDD)がお目見えしています。昨今はSSDにその立場を譲りつつもその存在感はまだまだ大きく。カセットテープもそうですがほんと息の長いストレージですよね。若い方だと想像しにくいでしょうけど、HDDが未搭載なパソコン(例えば1990〜頃)はストレージが4GB位の現代のスマホみたいなもので・・・ネットワークを楽しむにも不便さがつきまとったわけです。
1958年頃(昭和33年) -防空システムSAGE-
世界初の原子力潜水艦ノーチラスが潜航状態で
こちらも世界初の北極点通過
東京タワー竣工
チキンラーメン発売
アメリカでSAGE(Semi-Automatic Ground Environment)が防空システムとして導入されました。大規模ネットワークとしてはARPANETがインターネットの原型としても有名なのですが、このSAGEも各施設をモデムで繋ぎホストコンピューターで処理をする点でパソコン通信の親玉というかインターネットに繋がる技術なのかなぁと。
余談としてこのSAGEと連動したF-106デルタダートという要撃機はセンチュリーシリーズの一翼を担う機体なのですが(以下早口を省略)
1960年頃(昭和35年) -教育用コンピューターPLATO-
国内でカラーテレビの放映開始アメリカで教育用コンピューターPLATOの歩みが始まります。軍事分野程ではないものの、限られた範囲の人々しか触れられないシステムでしたが、先進的且つ実用的に使われていた点は時代感覚がバグる感じの違和感というか凄さがあります。ここで取り上げるからにはネットワーク的な要素も追加されていきました・・・なんとネットワーク対戦ゲームも実装しとるで!(これも勉強のうち?)
日本では国鉄のオンライン座席予約システムであるマルス(MARS)が稼働を開始しました。
1965年頃(昭和40年) -オンラインシステムや電子メール-
国産旅客機YS-11の運用開始三井銀行の普通預金オンラインシステムが稼働を開始。直接は関わらないものの、前年のマルスもそうですが、間接的にネットワークの恩恵を受ける世の中になっていきます・・・・・物知りそうに書いてますが当然ながら生まれてすらないので事実をもとに妄想しているだけで正しい空気感はわかりませぬ。
そうそう、この頃から電子メールが使われ始めたそうです。用途というか環境はメインフレームのタイムシェアリングシステム上で利用者同士のやり取りに使われたとか。
メインフレーム? タイムシェアリング?
わからないことを即調べられる魔法の板ってほんと便利ですよね・・・(しみじみ')
あ、調べ始めると本記事に帰ってきて頂けない気がするので雑に説明すると下記の様な感じです。
メインフレーム = サーバーの超すごいヤツ・・・マザーコンピューター様々!
タイムシェアリング = 貴重なコンピューター資源をみんなで(時間毎に)分け合おう!
1969年頃(昭和44年) -アーパネット誕生-
アポロ11号の月面着陸世界初のパケット交換運用ネットワークとなるARPANETによってInternetの原型的な形が生み出されていきました。その成立には様々なエピソードがありますけど諸説拗れる気がするのでその辺は今回触れずにいきます。
一昨日はインターネット誕生日・・・ARPANETでの最初のノード間接続の日
— ぐらぼま (いも) (@Guraboma) October 31, 2023
遥か昔に軍事前提の出自と学んだけど大学等の関係から少し疑問符もあり、この辺当時の資料を漁ってみたい
今ではお馴染みパケット交換方式が主流になる迄に長い年月がかかったけどほんと技術の進歩って積み重ねだよね(゚∀゚)
一昨日はインターネット誕生日・・・
ARPANETでの最初のノード間接続の日遥か昔に
軍事前提の出自と学んだけど大学等の関係から
少し疑問符もあり、この辺当時の資料を漁ってみたい
今ではお馴染みパケット交換方式が主流になる迄に
長い年月がかかったけどほんと技術の進歩って
積み重ねだよね(゚∀゚)おいらはその頃前世真っ最中で、恐らく一目惚れしたエルフさんとイチャイチャしながら山奥の村でスローライフを送っていた様な気がします。 妄想は自由ですよ
1973年頃(昭和48年) -電子掲示板の誕生-
第1次石油ショック (オイルショック)
オセロ発売大ヒット!パソコン通信の掲示板的な部分の始祖とでも言うのでしょうか?
公共の場所でネットワークに接続された端末同士で一般人が交流できるコミュニティメモリが誕生しています。
後述のキャプテンシステムにも交流の場が備えられていた様ですが、あまり発展しなかったらしく。子供心に一方通行なメディアという印象が強かったのですが、実際もそのイメージを超えられなかった気もします。
そう考えると考え方が違うとはいえ10年以上も前に一般人が電子的に交流できる場を作ったのは驚きです。
あ、キャプテンシステムを下げる意図はないのは念の為。コミュニティメモリが革新的過ぎた気もします。実物見たこと無いですけど
またテレタイプでのやり取りその他があまりにも10年後の世界とも違いすぎて、現代どころか1985年頃の人間の視点でも実際に利用者が扱う姿はかなり異質に見えたのではないかなーと妄想してしまいますね。
1977年頃(昭和52年) -公開鍵暗号の発展-
日本初の静止気象衛星ひまわりの打ち上げ
悪の大組織ダッカー全滅公開鍵暗号のひとつであるRSA暗号方式の発表がなされた年です。正直私も理解はしていない(笑)のですが。 昔の聞きかじりで初期のネットワークは繋がることが最優先の善性に偏った仕組みだったとか。まぁ身分のはっきりしない不特定多数が繋げられる環境でもなかったですしね。そんな状況を一つ一つ痛みを伴って改善して現代のインターネットの秘匿性があるのだと思います。公開鍵暗号はそれらを支える技術のひとつですね。
1978年頃(昭和53年) -電子掲示板の一般化-
暴れん坊将軍放送開始
超高層ビルサンシャイン60開館
宇宙人の侵略(スペースインベーダー事件)アメリカでCBBS (Computerized Bulletin Board System) が誕生しています。これは一般に開放されたオンラインの電子掲示板(BBS)で、パソコン通信の始祖的なもののひとつだった様です。後で言うピポパポピポパポピポッのダイヤルアップ接続が可能になったことがとても大きいですね。
1979年頃(昭和54年) -USENETの稼働-
SONY ウォークマン発売USENET(分散型の掲示板システム)が稼働を始めています。後々のインターネットコミュニティの基礎がこの辺で組み立てられている感じ。同一視してよいのかは悩ましいですがネットニュースを配信するサービスといった方が伝わるかも知れません。
よくある質問集として記載されるFAQ(frequently asked questions)もUSENETが大元だとか。
パソコン通信方面の話題はアメリカでコンピュサーブ(CompuServe)が一般向けのサービスを開始したことが大きいですね。後年子供ながらに「なんだか凄いネットワーク網」的なイメージで海を越えた先の憧れでした。
移動体通信話として世界初の自動車電話サービスがなんと日本で始まっています。西部警察で石原裕次郎さんが使っていたあれですよ。
ちなみに転生後に難破船の船長(ATM)にクラスチェンジする前の幼児はバトルフィーバーJで鉄山将軍の活躍を観ていた辺りです。
1980年頃(昭和55年) -FAXの普及-
天然痘の根絶宣言
TOTO ウォシュレット発売(初の製品ではない)A4の白黒原稿を1分で送信でき、解像度も上がったG3規格が勧告されました。ここからFAXの爆発的な普及が始まります。
1981年頃(昭和56年) -N-1ネットワークの正式運用-
スペースシャトル(コロンビア)宇宙空間への初飛行1974年の共同研究に端を発したN-1ネットワークの正式運用が開始されています。日本発の全国規模でのネットワークと言われています。
1982年頃(昭和57年) -SMTPの標準化-
ホテルニュージャパン火災
五百円硬貨(旧500円玉)の発行パソコン詳しいんだぞおじさんにはお馴染みメール転送プロトコルのSMTP(Simple Mail Transfer Protocol)が標準化されてます。
ナイトライダーが本国アメリカで放映されていた時代。
マイケルの指示でK.I.T.T.がネットワークを通じて医療データベースの管轄コンピューターにアクセスする様な描写があったと思います。
無機質な反応のコンピューターにぼやくK.I.T.T.にマイケルが「お前のようにはいかないさ(゚∀゚)」的な反応をするワンシーンだったと思うのですが、権限と能力があればネットワークを通じて情報を得ることが出来るという流れが当たり前の様に作中に盛り込まれていました。
1983年頃(昭和58年) -DNSの誕生(らしい)-
ファミリーコンピュータ発売
(セガと任天堂の出会い頭の交通事故)
使いやすいインターネットサービスには欠かせない名前解決を司るDNS(Domain Name System)が誕生したと言われる年です。
コンピューター同士が相互接続すると何が出来るか?的なイメージは前述のナイトライダーのワンシーンやウォーゲーム等の映画やドラマの描写を理解できる下地がそれなりにあった時代だと思います。
じゃぁ実際にやってみよう!と体感できる機会はそうないのですけどね(笑)
このブルーサンダーやウォーゲームでは実際に「ネットワークは世界を変える(危機に晒す)だけの力」として表現されていました。
日本のドラマだと西部警察のマシンX搭載コンピューターがオンラインシステム対応でしたね!
私個人としてはミームいろいろ夢の旅の視聴でお子様なりにネットワーク時代の到来を予感していましたねq(゚∀゚)p ウミハー オカアサンー
1984年頃(昭和59年) -JUNETの立ち上げ-
ロサンゼルスオリンピック(夏季オリンピック)
西部警察署 大門巡査部長殉職
陸上自衛隊幕僚監部付実験航空隊首都防衛移動要塞T-1号災害地域へ派遣日本の学術組織を結んだJUNETの立ち上げです。後々これが日本のインターネットの起源となっていったそうです。立ち上げ時のグレーな話のアレコレは技術優先というか、黎明期の霧の中を度胸で突き進む感があって面白いですね。
翌年で触れるキャプテンシステムが正式にサービスを開始した年でもあります。ビデオテックス、ニューメディア・・・うっ、頭が(゚д゚)
陸上自衛隊幕僚監部付実験航空隊首都防衛移動要塞T-1号に関する投稿
1985年頃(昭和60年) -電電公社の民営化-
日本航空123便墜落事故日本電信電話公社(電電公社)が民営化されて皆さんご存知の日本電信電話株式会社(NTT)となります。
ここから通信周りは大きく変化していった記憶です。
パソコン通信もそれまで実験的な動きが多かったものが恐らく初めての商業ベースホストとしてASCII-NETのテスト運用が始まりました。
インターネット的な話では世界初の正式なドメインと言われるsymbolics.comが登録されています。
そういえば街中に設置されたキャプテンシステム(CAPTAIN System)用端末でオンラインネットワークを初体験したのもこの頃ですね。あまり使う人がいなかったのか、たいていは並ばず触れた記憶があります。たぶんオホーツクに消ゆも遊んだかなぁ?
参考までにこの頃の携帯電話はショルダーホン(自動車電話100型)だった模様。後述の災害時のネットワーク利用の走りというか、同年の日航機墜落事故でサービスイン前に投入された足跡も。
1986年頃(昭和61年) -JUNET世界と繋がる-
スペースシャトル(チャレンジャー)爆発事故前述のJUNETが正式に海外のネットワーク網と接続されました。インターネットの漠然としたイメージともいえる「世界と繋がる」がこの時点で実現していたわけですね。
その頃私はファミリーコンピュータの周辺機器ディスクシステムで間接的にネットワークの恩恵に触れていましたねぇ。(書き換え端末のディスクライター越しですが)
本日の発掘品はファミコングランプリ F1レースですφ(゚∀゚)φ ゴーゴー!
— ぐらぼま (いも) (@Guraboma) November 9, 2024
逸品なゲームシステムと遊び心が満載のラジコンレースゲームでした( ˘ω˘)#夢が広がるディスクシステム #ターボエンジン #レトロゲーム #任天堂 pic.twitter.com/Xr7s467NRd
本日の発掘品はファミコングランプリ
F1レースですφ(゚∀゚)φ ゴーゴー!
逸品なゲームシステムと遊び心が満載の
ラジコンレースゲームでした( ˘ω˘)
#夢が広がるディスクシステム #ターボエンジン
#レトロゲーム #任天堂同じ流れでソフトベンダーTAKERUにもお世話になっていくわけです。
1987年頃(昭和62年) -Nifty-ServeとPC-VAN-
F1イギリスGP 中嶋悟4位入賞前年の電波法の改正で国内で携帯電話がサービスインしました。ん、少し前にショルダーホンがあったじゃんって?
あれは車載・携帯兼用型自動車電話なんですよ(;´Д`) 3kg アルゾ
ネットワーク周りですとパソコン通信サービスとして国内でNifty-Serveが開局。ちなみにライバル?のPC-VANは一足早い前年の1986年でした。
私は小学校の卒業が視野に入った頃ですが、お受験等とは無縁でサブカルざんまいな生活をしておりました。
1988年頃(昭和63年) -ISDNとディスクマガジン-
青函トンネルが開通
新しい単位として「東京ドーム」が制定INSネット(ISDN)のサービスが開始されました。回線品質云々にまだ無縁な時期ですので「何だか凄い未来が来る為の下準備」的なふんわりした印象を持っていましたね。テレビ電話来るで!ミタイナ
下準備といえばTCP/IPの接続実験として初めて太平洋をIPパケットが(アメリカ-日本間で)横断しました。浅い知識ですがその当時はIP-over-X.25というワンクッションを挟む形でパケットを送ったようです。
一括りに通信といっても様々な方式があり、現在では当たり前なTCP/IPも多くのプロトコルのひとつだったわけですね。
そういえばファミコンで株式投資が出来るファミコントレードが販売されたのもこの頃です。
パソコン通信に(間接的に)関わる内容としてディスクマガジンの存在がありますね。この年はMSXユーザー向けのディスクステーションやX68000ユーザー向けの電脳倶楽部が発行を開始しています。
ディスクマガジンはパソコン通信が困難な環境や容量(回線占有や電話代)の問題を肩代わりしてくれた側面があります。乱暴な言い方をすれば物理(郵便)的な解決ですね。現在であればソフトやデータが数分程度で手に入るわけですが、当時は到着迄数日かかる物理媒体の方が優れていた部分も大きかったわけです。
私も個人発行のディスクマガジンを定期購読してましたねぇ(゚∀゚)
1989年頃(昭和64年/平成元年) -HTML生まれた-
グリコ・森永事件
消費税(3%)の導入
六四天安門事件
ベルリンの壁崩壊インターネット老人会(以前)であれば多くの方が手打ちしたと思われるHTML(HyperText Markup Language)が産声を上げています。
その頃学ラン小僧へとクラスチェンジした私は借り物のモデムを愛機PC-8801FE(中古)へ繋いで体当たりパソ通初体験のイベントをこなしていました。同時に生まれて初めて同性にナンパされ(通信途絶)
一般人レベルだとネットに繋いで何が出来るの?という答えを漠然とでも返せない人が多かった手探りの時代でしたねぇ。 一般人としては早い方とはいえ、お子様がその入口に自力で立てたくらいですからわかる人の視点だとそれほど早くもない感じです。
あとこの年は富士通のFMTOWNSが発売されました。タウンズにはCDROMドライブが標準搭載されており、ディスクマガジンや雑誌付録等でのデータの配布容量の選択肢が大幅に増えました。タウンズに限りませんがストレージの進化は間接的にパソコン通信のダウンロードによる回線占有問題の軽減にも影響を与えていったかと。
1990年頃(平成2年) -archieと検索エンジンの発展-
バブル崩壊(失われた30年へ)
湾岸戦争皆さんが親の顔より眺めている検索エンジンの始祖っぽいものとしてarchieが誕生しています。「調べごと? ググればいいじゃん!」・・・的に調べたい情報を検索エンジンに打ち込むというのは当たり前の様で当たり前な技術ではなかったわけですよね。
個人的にデータベース全体を対象にした文字列検索という機能は様々なサービスに触れた後だと正に革命だと思うわけですよ。例えば情報が存在しても、見つからなければ結果は存在しないと同じになってしまうので。
この頃は今のようなWeb(World Wide Web)ではなくFTP(File Transfer Protocol)が主役だったそうでFTPを使った経験があると尚更情報をインデックス化してくれる機能がないと詰んでしまうなぁとその使い難さにガクブルしてしまうのです。
あとこの年に限ったことではないですが、富士通ハビタットの様なパソコン通信ともインターネットともまた違った交流の形も誕生しています。
1991年頃(平成3年) -webサイトできました-
ソビエト連邦(ソ連)の崩壊世界初のwebサイトが誕生しています。
背伸びしてGopherの話もしようかと思いましたが収拾がつかなくなるので止めときます。
新たな愛機X68000 ACE(中古)とこれまた自前の2400bpsモデムで日常的にパソコン通信を使うようになりました。
掲示板での情報交換やメールでのやりとり等、規模の話を除けば現在のインターネットとあまり変わらない使い方をしていた覚えがありますねぇ。 大きな違いは動画や音楽をリアルタイムで視聴出来る様な環境では無かったことですか。娯楽としてテレビやラジオが強かったわけですよ。
あとこの頃ネットゲームデビューした覚えがあります。とはいえ昨今のリアルタイムなやつではなく、メールゲーム形式の文通的なやりとりで進行するゲームなんですけどね(;´Д`)
ひとつはプレイバイメール(PBM)と呼ばれる実際に手紙を送り合うアナログ全開な仕組み。有名どころだと蓬萊学園の冒険!がありますね。
<TRPGをお手紙で!的な?>
もう一つはパソコン通信等を介してデータを送り合うデジタルなんだけど大会運営はアナログな仕組み。これまた有名どころだとマッチメーカー(MM)とかかな?
どちらも手作り感満載で現在のネットゲームしか知らない方ですとイメージすること自体難しいかも知れませんね。
当時を振り返った(想像した)方にやりたいことと技術の進歩が釣り合ってなかったんだねと思われそうですが、今振り返ってみても不満より先ずは面白かったなぁという感想が出てくる程魅力的な遊びでした。
1992年頃(平成4年) -通信カラオケと日本最初のホームページ-
PKO協力法 - 自衛隊初の海外派遣通信カラオケが初登場。一番槍はタイトーのX2000でカラオケ機材とそのメディアが店舗スペースに占める割合を考えると前述のTAKERU同様に四次元ポケットの様な存在感があったのかも知れませぬ。ちなみに私は飲み会のカラオケ滅びろ民です。
そういえばこの年は日本最初のホームページが公開されてますねー
個人的なネットワーク話として、当時(ローカル)ネットワーク越しでのロボット対戦ゲーム「バトルテック(Battletech)」が日本上陸しています。
当時実物を拝めた方はいち早く「ネットワーク越しに相手と競う」脳汁噴出体験を味わえたのではないでしょうか。
1993年頃(平成5年) -NCSA Mosaicリリースにポケベルの普及-
55年体制の崩壊(非自民党連立政権の誕生)
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)発足
SHARPから液晶ペンコム『ザウルス』発売NCSA Mosaicがリリースされました。これは現代では標準的な文字と画像を同時に扱える初のブラウザです。
この頃はポケットベルの爆発的な普及がありました。日本でポケベル(無線呼び出し)のサービスが開始されたのは1968年頃迄遡ります。
対する携帯電話は第2世代(2G)に入った時期ですね。
この年から発売されたザウルス(Zaurus)はPDAとしては大成功した商品で電子手帳に続く形で多くのビジネスマンが愛用したのだと思います。私自身は高嶺の花すぎて遠巻きに眺めた程度なのですが、新時代の情報ツールらしくパソコン通信も可能なことから他のPDA共々パソコン通信の友としてガジェットオタクモバイラー達に愛されておりました。
私個人としてはこれくらいの時期にHDD(中古)を手に入れましたね。お世話になったパソコン通信ホストのシスオペ(Sysop)さんが骨を折ってくれて良い中古を見定めてくれたりと。今だとフリマアプリでやんややんやと話題になりますが、当時のパソコン通信の「売ります・買います」コーナーは基本的には何の保証もない個人の眼力頼りな世界でしたので、当時学生で社会経験に乏しい学ラン小僧にとって大人の眼力はとても有難かったわけです。失敗すると経済的にも精神的にも立ち直れないしな!(TдT)
パソコン通信がとても快適になったよ!
1994年頃(平成6年) -インターネット一般普及前夜-
F1サンマリノGP アイルトン・セナ事故死海の向こうで流行っているインターネットなるものが日本でもパソコン通信の後継として普及しそう的な話が聞こえてきた頃。
既に一部のパソコン通信サービスで行われていたホスト間同期の凄いやつっぽい? ベッコアメというスーパーつおいホストに繋げてこれからはより広いお庭で遊べるぞ的な?
学術系の繋がりに属してなかったのでそんな浅い理解でござりました。
そして個人的裏事情として愛機X68000でこの先の大海原に船出するのは無理じゃないかと現実的な問題を見て見ぬふり出来ない時期になってきました。
1995年頃(平成7年) -PHSサービス開始に災害とネットワーク-
地下鉄サリン事件
阪神・淡路大震災
Windows95発売個人的にはその歴史をいろいろと語りたいPHS(personal handy-phone system)がサービスインしました。
そして阪神・淡路大震災が発生し、一般層でもネットワーク越しに音声以外での安否確認が行われています。
パソコン通信も大活躍です!
そして常時接続の走りともいえるテレホーダイが始まりました。個人的にはパソコン通信全盛期にサービス開始した印象でしたが、振り返ってみると日本でのインターネットの一般利用と合わせた感じの時期でしたね。
1996年頃(平成8年) -Yahoo! JAPANサービス開始とカッコー!-
腸管出血性大腸菌O157による食中毒の猛威世間の大きな流れだとYahoo! JAPANのサービス開始!
実感は薄いけどなんとかインターネットの全体像は理解しだした時期。
既に観測範囲ではインターネットの海に船出した冒険家は多くいました。その動きにおいていかれるなと設定やらなんやら四苦八苦しつつもインターネットの海へ漕ぎ出したわけです。
ネットサーフィンに電子メール。ホームページの作成と運営etcetc…個人的にも目まぐるしいネットワークコミュニケーションの転換点でした。
インスタントメッセンジャーとしてICQがリリースされたのもこの年でしたね。 (゚∀゚) カッコー
そして待望且つその後の人生に大きく関わってくる電脳戦機バーチャロンと出会ってしまうのもこの頃でした。
え、ネットワーク関係ないって?
いやいやいや、パーチャロンは地球 - 月面間で自機を遠隔操作するという設定がありましてこれは未来のネットワークゲームの姿を云々。
1997年頃(平成9年)
消費税5%に引き上げ個人の話としてはディアブロ(Diablo)とテレホーダイの悪魔合体で寝食忘れて迷宮探索に明け暮れましたね、。回線品質の問題でアイテムロストのかなしみを体験。
返す刀で翌年にかけてウルティマオンライン(Ultima Online)初回限定版を購入し、ブリタニアへの冒険旅行をはじめ・・・たと思ったら早々に挫折しました(゚д゚) ゴジツ カタルヨ
<非オンラインからの進化>
1998年頃(平成10年)
郵便番号の7桁化
Windows98発売以前からではあったものの、テレホーダイに登録できる番号のうち1つはインターネットサービスプロバイダー(ISP)でもう一つは馴染みの草の根BBSという状態が固定化。
要はインターネットとパソコン通信が両立された状態で、この接続比率が年々インターネット優位になっていったわけです。とはいえ単純にパソコン通信の価値が暴落した等ではなく、接続回線を皆で共有している為に無駄に繋げっぱなしにしないという背景もありました。
とはいえ人との繋がりで価値が蓄積されるネット環境において使う人が減ればそれだけサービスとしての魅力が下がるのはパソコン通信だろうがインターネットだろうが変わらないお話です。
その補填というか、両方のサービスが分断ではなく相互接続的に繋がる動きも出た頃ではあったかと。
インターネットからのパソコン通信環境へのアクセスや、パソコン通信でのインターネット情報の閲覧等。
1999年頃(平成11年)
世紀末ブーム(ノストラダムスの大予言)
SonyからペットロボットAIBO発売恐怖の大王とはインターネットのことだったんだ!(な、なんだってー!?)
そういえば2000年問題対策の求人もありましたねぇ・・・
通信関連での大きな動きとして携帯電話とPHS番号の桁数が10桁から11桁へと移行しました。あと携帯でのネットワーク話には欠かせないiモード(i-mode)のサービスが開始されています。
パソコン通信は徐々に接続時間が少なくなっていました。ファイルのダウンロードをするならインターネット経由の方が回線占有の迷惑がかからなかったりと前述の棲み分けも影響していますね。あと忘れがちですが一昔前と比べてモデムが高速化したことも大きいかと。
文字ベースのパソコン通信では能力過剰で、画像ベースのインターネットだと能力不足的な立ち位置な感じ。
アナログモデムでの通信速度も初期に比べたら恐ろしく速くなってはいるのですけどね。
300bps〜9600bps → 144〜28800bps
棲み分け的にインターネットが街中の「公共スペース」とすればパソコン通信は地元の「寄合所」といった空気感でしょうか。
ある意味でこの頃が回線の空き状況的にパソコン通信の一番快適な時期だったかもしれません。同時に仲間達が巣立った後のシャッター街の様相も目立ってきて・・・
個々人で体感した時期は分かれるかと思いますが、アクセス数が少なくなりすぎると余剰回線(アクセスポイント)が廃止になったりと当然の縮小劇が始まるわけです。
元々1回線の草の根BBSであればそうならない様に見えるのですが、その場合シスオペさんのモチベーションが下がってホスト自体が廃止になったりと繁盛し過ぎも大変だけど、寂れると悲しみに包まれるお話が待っているわけです。(固定電話回線の維持費は高額でしたので)
2000年頃(平成12年)
2000円札の発行
Windows2000発売約束されし勝利の検索エンジン、日本向けGoogle検索(ベータ版)が登場しました。当時はそのシンプルさと検索精度にしびれましたね。
GooとGoogleの区別がついていなかったり、ゴーグルと呼ばれたりと振り返れば生暖かい目で観察する空気感が懐かしいです。
そして当時の最新OSは名前がまんまなWindows2000で公私ともにお世話になりました。この頃までは小規模なネットワークを組む際にNetBEUIも使っていましたね。
私個人は駆け出しエンジニアだったあたり。東京での研修時代にホテルの公衆電話や電話ボックスから地元の草の根BBSに繋いでたりしてましたね。
電話代・・・うっ、また頭が(゚д゚)
2001年頃(平成13年)
アメリカ同時多発テロ事件(9.11)PC-VANがパソコン通信のサービスを終了。
インターネットに一部機能を移していたもののそれも2003年に廃止となり17年に及ぶ歴史に幕を下ろしました。
そして皆さん大好きWikipediaが産声を上げています。
移動体通信話としては携帯電話が3世代目の(3G)へ突入しました。 (FOMAが先陣で世界初)
当時の私は高層階の最先端オフィスでISDN高速128K専用線で快適なインターネッツを堪能・・・堪能?
IMAP方式でのネットスケープメールの初期立ち上げに20分以上かかる地獄が(゚д゚)
この頃巷では「ADSL」という環境次第で不安定ながらもメタル回線の限界を超えた速度が出せる接続形態が普及しつつあるという話がちらほら聞こえだしました。
(テストは1999年頃からで、その翌年から本格的に提供開始。)
そのADSLに少し遅れて現在主流の光回線も家庭用がサービスを開始しています。そういえばブロードバンド元年とか囁かれていましたね。
あとこの頃はまだGoogleは技術者寄りの人間しかあまり使ってなかった気がします。だいたいはYahooとかのディレクトリ検索型で。
とはいえ当時のYahooは検索エンジンにGoogleを採用していたりと使っていることを意識せずという感じでしょうか。あくまで現在の圧倒的なシェアと比較してのマイナーな立ち位置というお話。
2002年頃(平成14年)
雪印牛肉偽装事件国内で公衆無線LANの商用サービスが始まりました。WIFIスポットやフリースポットとも呼ばれてますね。
2003年頃(平成15年)
SARS(重症急性呼吸器症候群)の封じ込め先日荼毘に付したP2Pネットワークを活用した電話アプリSkypeがリリースされました。
2004年頃(平成16年)
新紙幣の発行日本でソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が普及するきっかけになったmixiやFacebookがサービスを開始しています。
あと個人的に愛用しているMozilla Firefoxがリリースされました・・・Firefox OS、うっまたまた頭が(゚д゚)
2005年頃(平成17年)
JR福知山線脱線事故移動体通信的な話題は話し放題(音声定額)サービスが徐々に提供され出したことですね。ウィルコム(Willcom)・・・PHS・・・うっ、またまたまた頭が(゚д゚)
この頃はもう流石にダイヤルアップを主軸としたパソコン通信はほぼほぼ使って(残って)なかった気がします。地元の草の根BBSもインターネットでの活動に軸足を移していたりと。器は変われど中身(繋がり)は変わらずというやつでしょうか。
2006年頃(平成18年)
冥王星が惑星から準惑星に再分類NIFTY-Serveもパソコン通信のサービスを終了。
PC-VAN同様に一部機能をインターネットに移したものの2007年にその幕を下ろしました。
SNSではアメリカで青い鳥(Twitter)が羽ばたき始め、移動体通信話では今では当たり前となった携帯キャリアの乗り換えを支えるMNP(Mobile Number Portability)が開始。
個人的な通信話としてはFonルーターの購入がありますね。Fonは大雑把に説明すると自宅回線をホットスポット(フリーWifi)化すると、出先で同じ会員のアクセスポイントに繋げさせてもらえるという相互扶助的なサービスです。
当時は今以上にモバイル回線の維持費が高額だったので飛びついた方は多かったのではないでしょうか?
とはいえあまり使った記憶もなく・・・規約的な問題で控えたのかな?
ただ購入理由の大半は「なんだか面白そうなことやってるぜ!」的な技術的興味だったことは覚えています。
そういえば2000年頃からインターネットの普及に伴ってアーケードゲーム(ゲームセンター)もネットワーク対応筐体が増えてきました。
特に2006年に稼動を開始した機動戦士ガンダム 戦場の絆は子供の頃に読んだ漫画に出てくる様な未来の筐体でしたね。
2007年頃(平成19年)
サブプライム住宅ローン危機
iPhone発売(日本は翌年)YouTubeが日本語でのサービスを開始!(本国は2005年)
当時は鳴り物入りでの登場という印象はなく、サービスの選択肢が増えたなぁ位の印象だった覚えがあります。単純に興味が薄かったのか、忙しすぎてそれどころではなかったのか記憶も曖昧(;´Д`)
実はニコニコ動画は日本語対応がYouTubeより一足早くこの前年だったりします・・・やはり当時盛り上がった記憶が揮発している気がする。
2008年頃(平成20年)
リーマン・ショック
秋葉原通り魔事件Android Market(後のGooglePlay)がオープンしました。ソフトウェアをカタログショッピング的にポチポチっとインストール出来るのって当たり前ではないのですよねぇ。(パソコンだと窓の杜等のソフトウェアライブラリすら存在しない的なお話)
個人的な秋葉原通り魔事件の投稿
2010年頃(平成22年)
小惑星探査機「はやぶさ」の帰還インターネットの利用がパソコンよりモバイル端末の方が多くなった節目の年だそうです。当時は私個人の端末ですとHYBRID W-ZERO3 / WS027SH(Windows Mobile6.5)やIS01(Android1.6)が発売された頃ですね・・・個人的にはまだまだパソコンでの利用が圧倒的だと思っていたので意外でした。
本日の発掘品はHTC HEROです
— ぐらぼま (いも) (@Guraboma) February 10, 2024
2010年頃の海外モデルです
たしかFlashに対応したのが売りだった様な気がしますが、個人的には手元にある「コロコロ」が大切ですよね(笑)
このトラックボール、ちゃんとクリックもできますよ(゚∀゚)
・・・たったの14年前なんですよね(;´Д`) シンカ ハヤスギ pic.twitter.com/IyheavgCAq
本日の発掘品はHTC HEROです2010年頃の海外モデルです
たしかFlashに対応したのが売りだった様な気がしますが、
個人的には手元にある「コロコロ」が大切ですよね(笑)
このトラックボール、ちゃんとクリックもできますよ(゚∀゚)
・・・たったの14年前なんですよね(;´Д`) シンカ ハヤスギ
世間一般での動きとしてはXperiaをはじめとして多種多様なAndroid端末が文字通り爆発的に増えていった印象があります。
2011 年頃(平成23年)
東日本大震災IANA (Internet Assigned Numbers Authority) 管理のIPv4アドレスが枯渇しました。以後はRIR(Regional Internet Registry)が各地域で管理しているものでやりくりしていた様子。メーカー在庫がはけてしまい、各商社の倉庫で凌いでいたイメージ?
個人的な話としてはTwitterをスタートしました。記憶は朧気なんですが、音信不通気味なので生存報告しなさいと言われアカウントを作ったような?
そしたらまさかの東日本大震災(3.11)ですよ・・・前述の阪神・淡路大震災の項目でネットワーク経由の安否確認に触れましたが、回線交換式の電話以外の連絡手段が一般化していたことはとても大きな動きだったと思います。
個人的な東日本大震災の投稿
通信回線の輻輳縁和というか、安否確認の選択肢が増えたことはネットワークが起こしたひとつの革命かなと。
まぁデマや詐欺ビジネス、行き過ぎた承認欲求という新たなトラブルも背負い込んでしまったわけですが(TдT)
連絡用に立ててみた。
— ぐらぼま (いも) (@Guraboma) March 13, 2011
2014年頃(平成26年)
消費税8%に引き上げ2019年頃(令和元年)
消費税10%に引き上げ
新型コロナウイルス感染症の世界的流行個人のインターネット利用率が89.8%に達しました。ヤフコメの賑わい()や情報の拡散ぶりを考えると頻度や利用時間の格差を除けば多くの方がインターネットに触れる機会を持っている様になった気がします。
=== あとがき ===
雑な個人年表ですが少しは年代と空気感がわかりやすくなりましたでしょうか?
いや、冒頭でお話した通り感情が迷子のまま細切れに秘伝のタレを継ぎ足し続けた為に何味か分からなくなった謎の闇鍋料理と化してしまってますが(;´Д`) パソツウ ドコイッタ?
まぁ隙間時間に頑張って書いたのは確かなのでまだ道半ばなものの本人的には満足です。
かかった労力の70%程が画面が割れて操作も閲覧も怪しいスマホ1台での作業という点がモブキャラらしいですね。
作業? いや苦行
壊れたままのPC含めて早く環境をどうにかしないと・・・orz
まぁ書いていた私自身「あれ、こんな時期にこれあったっけ?」と記憶が整理できて面白かったので皆様も個々人でやってみると楽しいかも知れません。
同時に「これは違うぞ! こんにわかもんがぁ!!」的なご意見が飛び出してくるかも知れませんが、それなら尚更「ワシが考えた正しいネット年表」として公開して頂けると知見が積み増しされるので貴重なことだと思います。但し物言いがついても当方責任は持ちません
勿論誤情報に対しての御指摘は有り難くm(_ _)m
個人的な雑感ですがパソコン通信は1988〜1997年頃が活発だったんじゃないかなぁと思います。
この約9年間もパソコン通信自体の仕組みが云々というよりは交流の為の機能を求められて主役の座に収まり、そしてバトンタッチ出来るサービス(インターネット)が出張るまでの空白期間にスポッとハマったというか。
なので通信の自由化や何か新しい動きから普及が早まり、インターネットの上陸が遅れたならパソコン通信というカテゴリはもう少し長い寿命があった様な気がします。
得られる情報が華々しくグラフィカルな点と接する人の規模を無視すれば当時も今もやってることはあまり変わりませんしね(笑)
乱暴な言い方をすればリアルタイムで動画を観ることができないミニインターネット?だったのかも知れません・・・でも実際もう少し長生きしてたらさらなる進化を遂げた可能性もありますね。
当時私は未成年でしたし判断能力や知見も浅かった事を考えれば、それなりの見識を持って使っていた方の視点だとまた違った推察がなされるかと思いますが。
さて、日々に追われつつ足元だけを見て前に進めば既に8月末となっていたので、今回はここ迄の実装として残りは追加DLC的にちまちまと書き加えていこうかなと思っています。
次回は無事なら前回の予告通り初チャットでの未知との遭遇について触れたいと思いますので宜しければまた。 m(_ _)m
当初は2000文字位の緩い個人年表だったのですが、あれこれ追加していくうちに30,000文字突破且つ整合性確認が必要な内容になってしまいました・・・要件定義が大失敗だよ!
投稿にあたって雑に15000文字削りました
正直推敲しきれてないので今後の追記時に嘘を書いてないか等も改めて確認しようと思います。とはいえ感情が迷子のままにいろいろ盛り込みすぎて空中分解気気味な内容ですが、書いててやはり楽しくはありましたね(゚∀゚)ノシ
今回の記事はJPNICのインターネット歴史年表と総務省の
各ページを参考に時系列を整理させて頂きました。
記載しきれていない識者の皆様方の蓄積にも感謝を。<前のお話>
<闇鍋たーのしー>
他のマガジンに放り込む場所がない記事のごった煮です(゚∀゚)
