東印度演義 第四回
女王特許状を老商に授け 倫敦の冒険者初めて帆を張る
前回、ハーグの談判の卓上にロンドンからの報せが届き、賢相オルデンバルネフェルトが「急がねばならぬな」と呟いたところで筆を置いた。こんどは、その報せの中身を語る番である。舞台は海峡を渡って、テムズのほとりへ移る。
ロンドンという町は、アムステルダムとは商いの育ちが違う。低地の国の商人が鰊と穀物で身代を築いたとすれば、テムズの商人の身代には、いくらか火薬の匂いが染みている。スペインとの長い戦のあいだ、この国の船乗りたちは女王の黙許のもと、私掠——つまりお墨付きの海賊働き——で肥えてきた。ドレークがスペインの銀船団を襲って持ち帰った富に、女王みずから出資者として名を連ねていたことは、公然の秘密である。
町を歩けば、その気風は嫌でも知れる。テムズの河岸には帆柱が林立し、船具屋と両替屋と居酒屋が軒を連ね、居酒屋の壁には無敵艦隊を破った海戦の粗末な版画が貼られている。桟橋の男たちの自慢話は、十年経ってもあの夏の海の話である。武勇なら売るほどある。足りないのは、武勇を銭に替える算段のほうであった。
そしてそのドレークは、二十年も前に、じつは香料の島に足跡を残していた。世界周航の途次、一五七九年、丁子の島テルナテに寄港し、スルタンと誼を通じ、丁子を積んで帰ったのである。ゴールデン・ハインド号の船倉から揚がった丁子の香りを、ロンドンの年寄りたちはまだ覚えていた。覚えてはいたが、後が続かなかった。派手な一撃は得意でも、地道な商いの道をこつこつと通わせることにかけて、この国はオランダに一歩も二歩も遅れを取っていたのである。
その尻に、火が点いた。
一五九九年、ファン・ネックの船団が胡椒を満載して帰り着いたという報せは、海峡を越えてただちにロンドンに届いた。届いたのは報せばかりではない。値も届いた。オランダ人が香料の海で胡椒を買い占めるや、ロンドンの市場の胡椒は、目方同じでみるみる倍を超える値に跳ね上がったのである。
値上がりの理屈など、市中の者は知らない。知らないが、財布のほうが先に知る。香辛料商の店先では、いつもの目方を頼んだ女房が、告げられた値に目を剥いた。
「先週の倍ではないか。胡椒の木が枯れたとでも言うのかえ」
「枯れちゃおりませんや、奥様」と、商人は秤を撫でた。「木は達者で、実もたわわで。ただその実を、海の向こうでオランダ人が根こそぎ買っちまう。あっしらの仕入れは隊商づたいの遠回り、値で敵うわけがねえ。……文句なら、アムステルダムへどうぞ」
台所の胡椒入れから、話は市の寄合へ、寄合から桟橋へと上っていく。ロンドンの誇り高い商人たちにとって、これは値の問題であると同時に、面目の問題であった。無敵艦隊を破ったのはどこの国か。海の武勇でオランダ人に引けを取った覚えは、この国の船乗りには一度もないのである。それがどうだ。肝心の商いでは、鰊臭い低地の連中に、東方の海をそっくり先回りされているではないか。
ことに青くなったのが、レヴァント会社の面々であった。この会社は地中海の商いを特許された古株で、アレッポの隊商路づたいに東方の香料を仕入れてきた。ところがオランダ船が喜望峰回りで産地から直に運んでくるとなれば、幾人もの手を経る隊商の香料は、値で太刀打ちできる道理がない。座して待てば、身代ごと干上がる。ならば答えはひとつしかなかった。——われらも、海を回るのだ。
一五九九年九月二十四日、ロンドンの鋳物師会館に、市の名だたる商人たちが寄り合った。レヴァント会社の重鎮、モスクワ会社の古株、私掠で財を成した船主、市参事会員——顔ぶれの真ん中に、四十がらみの恰幅のよい男が座っている。トマス・スマイス。レヴァント会社を切り回してきた、市きっての商いの目利きである。祖父の代からの商人の家に生まれ、地中海の商いもモスクワの商いも、帳面の上で知り尽くしている。声を荒らげたことがなく、そのくせこの男が算盤を置いた話は必ずまとまる、というのがロンドンの市の定評であった。
席上、東インドへの直航の企てが諮られた。異論が、なかったわけではない。白髪の古株が杖で床を突いて言った。
「お若い方々は忘れておいでか。十年前、ランカスターの船団がどうなったかを。三隻で出て、まともに帰った船は一隻もない。人は十人に一人しか戻らなんだ。東インドとは、そういう海ですぞ」
「忘れてはおりませぬ」と、若手が返す。「だが御老体、十年前には、リンスホーテンの書がなかった。海図がなかった。オランダ人が現に儲けて帰ったという証しもなかった。同じ海でも、もはや同じ賭けではござらぬ」
「それに」と、別の声が続けた。「行かねばどうなります。胡椒の値はオランダ人の言い値、レヴァントの商いは干上がる。座して損するも賭け、立って損するも賭けなら、立つほうの賭けに乗り申す」
上座のスマイスは、双方に言わせるだけ言わせてから、短く締めた。「恐れは、帳面に載りませぬ。載るのは損と得だけでござる。——では、帳面を回そう」
かくてその場で出資の帳面が回された。帳面の締めに記された金高が、三万百三十三ポンド六シリング八ペンス。端のシリングとペンスまできっちり帳面に載るところが、いかにも商人の寄合らしい。百人余りの出資者が名を連ね、決議はその日のうちに成った。曰く、東インドへの航海を企て、女王陛下に独占の特許を請願す、と。
読者諸賢、ここでひとつ勘定を覚えておかれたい。三万ポンド。大金には違いないが、国を挙げた大事業と呼ぶには、いかにもつつましい。同じころハーグで束ねられようとしていた資本に比べれば、これは巨鯨の傍らの小舟である。のちに大陸を統べることになる会社の産声とは、かくも小さなものであった——本回でお許しいただく先読みは、この一言だけである。
さて、寄合には商人のほかに、二人の変わり種が出入りしていた。
一人は牧師である。名をリチャード・ハクルート。説教壇に立つかたわら、世界中の航海記を集めては編み、英語で刊行し続けてきた地理学の大家である。オランダにプランシウスあれば、イングランドにハクルートあり。海の彼方を志す者は、まずこの牧師の書斎の戸を叩くのが習いであった。商人たちの諮問に、ハクルートは地図と書物の山で答えた。その山の中には、前年ロンドンで英訳なったばかりの一冊——リンスホーテンの『東方案内記』が、ちゃんと積まれていたのである。エンクハイゼンの書記が持ち帰った鍵は、刷られた数だけあると前に言った。その一本は、とうにテムズを渡っていた。
いま一人は、潮に灼けた航海士である。名をジョン・デイヴィス。北の海の探検で名を馳せたこの国屈指の水先案内人だが、この男、なんと先年まで、オランダの船に乗っていた。ゼーラントの会社に破格の給金で雇われ、水先案内としてアチェまで行って——あの九月一日の海の上に、居合わせたのである。
「ハウトマン殿が斃れるのを、この目で見申した」と、デイヴィスは商人たちに語った。「委細を申せば、あれは負けるべくして負けた商いにござる。値を嘲り、作法を踏みにじり、疑心に火を点けた。斃れた総司令の弟御は、いまも王庭に囚われの身と聞き申す。……よろしいか、方々。海の道は開いており申す。胡椒は現にござる。オランダ人は互いに食い合うており申す。何ひとつ、手遅れではござらぬ。ただし——礼を欠いた者から順に、あの海は呑み込み申すぞ」
敵方の船で香料の海を見てきた男の言葉ほど、重い手土産はない。寄合は湧き、請願の書面は女王の御前へと上がっていった。
もう一人、寄合の隅で意見を徴された男がいたことを、書き落とすわけにはいくまい。ラルフ・フィッチ。若き日に陸路で東方を目指し、アレッポからバグダッド、ホルムズで捕らわれてゴアの牢に繋がれ、脱してなおインドの奥へ、ベンガルへ、ビルマへ、マラッカへと歩き通し、九年ののちにひょっこり帰ってきた——足で東方を測った男である。香料の話を問われたフィッチは、しかし妙なことを熱心に語った。曰く、インドという国では、木に綿が生り、それを織った布の美しさ、安さといったら、この国の毛織物など商いにならぬ。香料もよいが、方々、いずれあの布が物を言いますぞ、と。商人たちは胡椒の算段に忙しく、この予言を話半分に聞き流した。話半分に聞き流された予言ほど、後で高くつくものはないのである。
ところ変わって——ホワイトホール、女王の宮廷である。
ところが、である。請願は、するりとは通らなかった。
折しも宮廷は、スペインとの和議の探り合いの最中にあった。長い戦に国庫は痩せ、和平を望む声は重臣たちの間に根強い。国務卿ロバート・セシルら和平派の見るところ、東インドへの航海独占などという代物は、ポルトガルの——すなわちスペイン王の——縄張りへの殴り込みに他ならず、和議の席に火薬樽を持ち込むようなものであった。
枢密院の卓では、おおよそこんな理屈が行き交ったという。和議が成れば、戦費は要らず、通商は開け、国庫は息を吹き返す。その大魚を前に、胡椒ごときの小魚で釣り糸を絡ませてなるものか、と和平派が言えば、主戦の気風を残す側からは、スペインの和議とやらに誠のあった例がいつあったか、商人を待たせて敵に時をくれてやるだけよ、と返される。国の舵取りの卓で、商いはいつも、大義と大義の間に挟まれて順番を待たされるのである。
枢密院の返答は、商人たちの耳に、おおよそ次のように届いた。曰く、企ての儀、時節柄しばらく差し控えられたし、と。
商人たちは歯噛みして待った。目をつけた船は係留されたまま銭を食い、出資の約束は日ごとに緩み、そのあいだにも海峡の向こうからは、オランダの船団がまた出た、また帰った、また儲けたという報せばかりが届く。一年が、過ぎた。
だが天下の風向きというものは、商人の帳簿より気まぐれである。一六〇〇年、ブローニュで開かれた和議の談判は、双方の面子の張り合いの末、夏を待たずに物別れとなった。和議が流れれば、遠慮の理由も流れる。それどころか、敵の富の源を叩く企てなら、むしろ結構——ハーグの賢相が商人たちに説いたのと寸分違わぬ理屈が、こんどはロンドンの宮廷で囁かれ始めたのである。洋の東西、いや海峡の南北を問わず、算盤と剣は、こうして同じ紙の上で出会うものらしい。
かくて一六〇〇年も暮れの暮れ、十二月三十一日。世紀の掉尾を飾るその日に、女王エリザベスは特許状に璽を捺した。
ホワイトホールの冬の午後は早くも暮れかけ、燭台の火のもと、商人たちは長い前置きの朗読を、身じろぎもせずに聞いたという。思えばこの十六世紀という百年は、頭からしまいまで、イベリアの世紀であった。世紀の初めに香料の道を鎖したのはポルトガルであり、世紀のなかばに世界の銀を呑んだのはスペインである。その百年の、まさに最後の日に、鎖の外の島国で一枚の羊皮紙に蝋が垂らされた。狙って選んだ日付ではあるまい。あるまいが、後から振り返れば、出来過ぎるほど出来た日付なのであった。
御年六十七。即位して四十二年。無敵艦隊を退け、幾多の陰謀を潜り抜けてきた老女王の、これは最晩年の署名のひとつである。特許状を捧げ持って伺候した商人たちに、女王はこう言ったと——言ったことにして、この講釈は進めたい。史書は女王の言葉までは残していないが、この女王なら言いかねぬ、という言葉である。
「スペインの王は、ローマの御坊様に地球を二つに割ってもらい、その半分をわがものと称しておる。大層な元手をかけたものよ。……私はの、羊皮紙一枚と蝋一垂らしで、その半分の先を、そなたたちに売る。どちらの商いが利口か、いずれ海が答えを出すであろうよ」
それから老女王は、ふと遠い目をして付け加えたという。
「ドレークがテルナテから持ち帰った丁子の香りを、余はまだ覚えておる。二十年も前になるかの。……あの香りの続きを、ずいぶん待たされたものじゃ」
女王は特許状のほかに、東方の王たちに宛てた親書にも署名した。宛名の一通は、スマトラの北端、アチェの大王へ。文面は「わが親愛なる兄弟」に始まる、王から王への、礼を尽くした挨拶である。砲でも銀でもなく、まず書状——ハウトマンの轍を踏まぬための知恵が、ここに一枚仕込まれた。女王は署名を終えて、筆を置いて言ったとか。「余の筆は余の艦隊より安くつくが、しばしば艦隊よりよく働くのじゃ」
商人たちが退出の礼を取ったとき、燭台の火影の中の女王は、白粉の下の老いを隠しようもなかったという。四十二年の治世は、女王からも国からも、若さを使い果たしていた。それでもこの日の署名の手だけは、震えなかったと伝えられる。老いた勝負師は、最後の張り札の置きどころを、間違えなかったのである。
特許状の文言は、こうである。会社の名は「東インドに商うロンドン商人の総裁と会社」。喜望峰の東からマゼラン海峡に至る海のすべてにおいて、向こう十五年、東インドとの商いを独占する。社員二百十八名。総裁一名にトマス・スマイス、これを補ける重役二十四名。出資は一航海ごとに募り、一航海ごとに精算する——つまり身代は都度の寄せ集めで、まだ恒久の資本というものを持たない。
条項にはもうひとつ、世間の眉をひそめさせたものがあった。航海ごとに、まとまった額の銀貨を国外へ持ち出すことを許す、という一条である。国の銀を異国に流すとは何事か、富とは銀のことではないか、と難ずる声に、商人たちはこう答えた。銀は種でござる、播けば胡椒が実り、胡椒を欧州に転売すれば、播いた銀の倍が戻り申す、と。銀は種か、それとも血か。この言い争いに、その日けりがついたわけではない。ただ特許状の判のほうが、議論より先に捺されただけである。
ここにも、商いの皮肉がひとつ転がっている。この者たちは、ポルトガルの独占を憎んで海に乗り出した。その者たちが女王に願ったのは、おのれたちの独占である。海の自由とは、つまるところ「われらが商う自由」のことであって、他人の商う自由まで含むとは、誰も思っていない。むろん、当人たちは大真面目である。独占への義憤と独占への渇望が、同じ胸に同居してひとつも悶着を起こさぬのが、商人という生き物なのであった。
ともあれ、判は捺された。ロンドン東インド会社の誕生である。低地の国では賢相がなお諸会社の尻を叩いている最中であるから、束ねる資本の大きさでは遠く及ばぬものの、判の早さでは、ロンドンがハーグに先んじたことになる。
ところ変わって——テムズ下流、ウリッジの艤装場である。
特許状の墨も乾かぬうちに、総裁スマイスと重役会は初航海の支度にかかった。何しろ出資は一航海限り、しくじれば次はない。船選びから人選びまで、帳面と睨めっこの日々である。
旗艦には、六百トンの大船が買い上げられた。前の持ち主はカンバーランド伯、前の名を「マリス・スカージ」——「悪意の鞭」という、いかにも私掠船らしい剣呑な名である。会社はこれを「レッド・ドラゴン」と改めた。海賊の鞭が商いの竜に生まれ変わる。この改名ひとつに、イングランドの海の来歴が透けて見えるようではないか。これにヘクター号、アセンション号、スーザン号の三隻と、糧食運びの小船が加わり、乗り組む者おおよそ四百八十。
艤装場は冬のさなかも槌の音が絶えなかった。塩漬け牛肉の樽、堅麺麭の袋、火薬と弾丸、交易品の梱が、日々腹の中へ呑み込まれてゆく。乗員集めの顔ぶれは、六年前のテセルの錨地とさして変わらない。腕自慢の私掠あがり、借金持ち、陸に居場所のない男たち。地球の裏まで行く船に喜んで乗るのは、どこの国でも、失うもののない者と、失うものを数えない者なのである。
そして肝心の総司令には、五十に手の届く年恰好の、寡黙な船乗りが選ばれた。ジェームズ・ランカスター。若き日には無敵艦隊との海戦を戦い、その後、イングランド人として初めて喜望峰回りで東インドに達した男である。初めて、とは言った。だが誉れの初航海ではない。十年前のその航海は、嵐と壊血病と反乱に祟られ、船を失い、部下のほとんどを海と異国の土に置いて、当人は乞食同然で帰り着いたのである。地獄の道の先達、と言うべきであろう。水先案内の長には、あのジョン・デイヴィスが座った。ハウトマンの死に様を見届けた男が、こんどはイングランドの船の舳先に立つ。
出航を前に、ランカスターは自分の旗艦にだけ、妙な荷を積み込ませた。壜詰めの檸檬の搾り汁である。何に使うのかと問う者に、老船長は多くを語らなかった。「十年前に、海が教えてくれたものだ」とだけ言ったという。この壜が何を救うことになるかは、次回の航海の段で見ていただこう。
積荷はといえば、毛織物と鉄と錫——またしても毛織物である。ただし今度は、樽詰めの銀貨が加わっていた。それも、スペインの八レアル銀貨である。東方の市場で顔の通る貨幣といえば、敵の王の顔を刻んだこの銀貨をおいて他にないのだから、仕方がない。スペインと戦う国の船が、スペイン王の顔で商いをする。海の上では、旗と財布は別々の主に仕えるものなのである。
出航の前夜、レッド・ドラゴンの艫で、ランカスターとデイヴィスが並んで立った。
「アチェの王庭のことを、聞かせてもらおう」と、総司令が言った。
「学問好きの、誇り高い老王にござる」デイヴィスは南の夜空を思い出すように答えた。「阿拉比亜の書を好み、諸国の話を好み、そして——侮られることを、何よりも憎み申す。ハウトマン殿は値の話から入って、しくじられた」
「では、何から入る」
「挨拶からにござろう。王から王への」
ランカスターは頷いて、船倉に納めた女王の親書のほうへ、ちらりと目をやったという。
一六〇一年二月十三日、船団はウリッジの錨地を離れた。都は折しも、エセックス伯の乱の直後で騒然としており、桟橋の見送りもどこか落ち着かない。つい五日前、女王の寵臣であった伯爵が手勢を率いて市中を駆け、あえなく捕らえられたばかりである。斜陽の英雄が都で刑場に引かれてゆくのと入れ違いに、無名の船乗り四百八十人が海へ出てゆく——時代の変わり目とは、こういう擦れ違いの中にあるのかもしれぬ。
レッド・ドラゴンの舳先には、赤く塗られた竜の像が波を睨んでいた。もとは「悪意の鞭」の舳先で銀船団を睨んだ竜である。おまけに海峡の風は意地悪く、船団はひと月あまりも南岸の港々で風待ちを食う仕儀となった。四月、ようやく風が立ち、四隻と小船一隻は英仏海峡を後にした。針路は南、喜望峰。その先は——アチェである。
アチェ。読者諸賢はお忘れではあるまい。ハウトマンが斃れ、フレデリックが繋がれた、あの老王の宮廷である。デイヴィスは無論、忘れていない。あの九月一日の海の上で、同輩たちが乱刃に沈むのを見た男である。忘れていないからこそ、行くのである。船倉には女王の親書、舳先には礼を尽くす覚悟、そして艫には、しくじった航海の生き証人。同じ宮廷に、こんどは何もかも逆さの支度で乗り込むのだ。礼を欠いた者を呑んだ海が、礼を尽くす者に何を差し出すか。それを試すのが、この航海の眼目であった。
もっとも、海のほうは、支度の善し悪しなど斟酌してくれない。喜望峰までの水の上には、六年前にオランダ人を苛んだのと寸分違わぬ無風帯が、同じ顔をして待っている。檸檬の壜が物を言うのは、まずそこである。
さて、ランカスターの四隻はいかにして魔の海を渡り、ハウトマンを討った老王の庭で、いかなる商いを演じるのか。そして特許状に璽を捺した老女王は——。次回「ランカスター、アチェの王庭に礼を尽くし 胡椒満載バンテンに商館を置く」を待たれよ。
(第四回 了)

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