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東印度演義 第五回

ランカスター、アチェの王庭に礼を尽くし 胡椒満載バンテンに商館を置く


前回、女王の特許状を懐にしたランカスターの五隻が、エセックスの乱に騒然たる都を後に、海峡を抜けたところまでを語った。針路は南、喜望峰。旗艦レッド・ドラゴンの船倉には女王の親書と樽詰めの銀貨、そして総司令の私物のような顔をして、壜詰めの檸檬の搾り汁が積まれている。

海は、新参の会社に手加減をしなかった。カナリアを過ぎ、赤道の無風帯に捕まり、船は炎天の下で漂った。六年前にオランダの四隻を苛んだのと寸分違わぬ、あの海である。そして例のごとく、病が来た。

読者諸賢は、第二回の壊血病の惨状を覚えておられよう。歯茎が腐り、古傷が開き、骸が次々と舷を滑ってゆく、あの船乗りの宿痾である。ヘクター号で、アセンション号で、スーザン号で、病人は日を追って増えていった。ところが、である。四隻のうち旗艦レッド・ドラゴンだけは、目立って病人が少ない。

種を明かせば、あの壜である。ランカスターは毎朝、乗員全員を甲板に整列させ、朝飯より先に、匙に三杯の檸檬の搾り汁を一人一人に飲ませていた。初めのうち、水夫どもはこの酸っぱい儀式を有難がらなかった。薬にしては不味く、酒にしては情けない。陰では「爺様の酢」と呼んで舌を出す者もいた。だが月日が経ち、僚船から病人と死人の報せばかりが届くようになると、誰も文句を言わなくなった。それどころか、匙の順番を待つ列が、朝ごとに神妙になっていった。

なぜ檸檬が壊血病に効くのか。ランカスター自身、理屈は知らない。この時代、誰も知らない。彼が知っていたのは、十年前の航海で檸檬を口にできた者が生き残った、というただ一事である。理屈は分からずとも、事実を拾って離さぬ——それは奇しくも、リンスホーテンが帳面でやったことと同じであった。学問とは、案外そういうところから始まるものらしい。もっともこの国の海軍が檸檬汁を船の掟として定めるのは、これより二百年ちかくも後のことになるのだが——先読みはこの一言で止めておく。

僚船では、水葬の聖句が日課のようになった。ヘクター号の若い牧師は、同じ頁ばかり開くので聖書の綴じ目が緩んだ、とこぼしたという。帆布に包んだ骸に砲弾を括り、板を傾け、水音を聞く。初めのうちは全員が帽子を取って見送ったが、しまいには、持ち場を離れられる者だけが舷に並ぶようになった。悲しみが薄れたのではない。悲しみに割ける力が、もう残っていなかったのである。

一六〇一年九月、船団は喜望峰の手前、卓状の山を望む湾に入った。このときの光景を、航海の記録者は淡々と、それだけにかえって恐ろしく書き残している。曰く、ヘクター、アセンション、スーザンの三隻は、帆を操る手がもはや足りず、旗艦の乗員が端舟で乗り移って、他人の船の帆を畳んでやらねば、錨も下ろせなかった、と。ここまでの死者、旗艦を除く三隻で百を超えた。旗艦は、ほんの数名である。匙三杯の差、と言ってしまえばそれまでだが、その匙を毎朝欠かさず配り続けた強情こそが、この総司令の身上であった。

湾の岸には、牛を追う土地の民がいた。言葉は通じない。身振りも通じない。困じ果てた末に、ランカスターが取った手立てがふるっている。総司令みずから岸に立ち、牛の鳴き真似をしたのである。モウ、と鳴けば牛を指し、メエ、と鳴けば羊を指す。土地の男たちは大笑いし、それから商いが始まった。古釘や鉄の輪と引き換えに、牛が千頭、羊が万といった勢いで手に入った。焚火に肉の脂が滴り、病人たちは見る間に血色を取り戻していった。万国に通じる言葉というものがもしあるなら、それは牛の言葉であったか、と記録者は生真面目に誌している。

英気を養った船団は岬を回り、マダガスカル島の北東、アントンヒルの湾に錨を下ろした。そう、あの湾である。オランダの水夫が七十余りの仲間を葬り、「オランダ人の墓場」と呼んだ、あの入江である。岸に上がった英人たちは、そこに一つの石碑を見つけた。オランダ語の銘で、亡くなった者たちの名が刻まれている。そしてイングランドの船団もまた、この湾で幾人かを土に降ろすことになった。悪い水にあたったか、赤痢めいた病がはやり、アセンション号の航海長や、説教の途中で倒れた牧師までが、オランダ語の石碑の隣に葬られたのである。国こそ違え、同じ海に呼ばれ、同じ入江に眠る。墓標の言葉が二つに増えただけであった。

ニコバルの島々で水を取り、一六〇二年六月、船団はついにスマトラ島の北端、アチェの沖に帆を進めた。湾内には、すでに紅毛の商船の姿もある。オランダは先年この宮廷と誼を通じ、あの幽囚のフレデリックも、とうに解かれて故国へ帰った後であった。ハウトマンを呑んだ宮廷は、ハウトマンの同胞とは既に手打ちを済ませている。さて、では遅れて来たイングランドを、老王はどう迎えるか。


ところ変わって——アチェ、老王アラウッディンの王庭である。

イングランドの大船四隻の来航は、ただちに王庭に伝わった。老王は使いの者から来意を聞くと、まず問うたという。その者どもは、何を携えて参ったか、と。答えて曰く、彼らの女王よりの親書を携え、それを大王の御手に直に捧げたいと申しております、と。

老王は象を出した。

数日ののち、浜に迎えの列が立った。飾り立てた象が六頭、楽人が並び、先頭の大象の背には金の盤が据えられている。女王の親書はその金盤に恭しく載せられ、象の背に揺られて王庭へと運ばれた。ランカスター以下の使節は、その後に従って進む。ハウトマンが値切り声とともに乗り込んだ同じ町を、イングランドの親書は、象の背で楽の音とともに進んだのである。入りようが違えば、出ようも違う。それはこの後の成り行きが示すとおりである。

謁見の間は、噂に聞くイスタンブールやペルシアの宮廷にも劣らぬ、と記録者が興奮の筆で誌すほどの威容であった。柱は彫り物に覆われ、廷臣たちは金糸の布をまとい、王の御前には金の器に檳榔が盛られている。老王アラウッディンは玉座の上から、海の彼方の客人たちを、値踏みとも歓迎ともつかぬ静かな目で眺めた。学問を好み、諸国の話を好み、そして侮られることを何よりも憎む——デイヴィスの見立てどおりの王である。

親書は、訳官の手で読み上げられた。「わが親愛なる兄弟なるアチェの大王へ」——遠い海の果ての女王が、王を兄弟と呼び、対等の礼をもって通商を請う。老王は幾度か頷きながら聞き、読み終わると、ランカスターを近くへ召した。

「そなたの女王は、婿を取らず、独りで国を統べておられると聞く。まことか」

「まことにございます。即位このかた四十余年、独り身のままに」

「ほう」老王は目を細めた。「して、御齢は」

「六十九におなりでございます」  

「わしは七十を超えた」老王は静かに笑ったという。「海のこちらとあちらに、老いた独り者が二人。しかも二人ながら、同じ海賊に永年手を焼いておるわけじゃ。……これは兄弟と呼び合うほかあるまいよ」

同じ海賊とは、言うまでもなくポルトガルのことである。アチェは半世紀にわたり、マラッカのポルトガルと戦い続けてきた。敵の敵の、そのまた女王からの、礼を尽くした親書である。座の空気は、初めから暖かかった。

やがて条々の談判となり、王は判を下した。イングランドの商人はアチェにおいて自由に商うことを得、関の税を免ぜられ、争いあるときは王の裁きを受くべし——ひらたく言えば、通商の条約である。異国の商人と紙の約定を交わすことを、この宮廷は少しも珍しがらなかった。約定と裁きで異国の商人を束ねる術を、この港は百年も前から知っていたのである。文明とはどちらの岸にあったのか、しばしば分からなくなる話である。

祝いの宴が張られた。象の踊り、闘鶏、川に放たれた水牛の相撲。杯を重ねた老王は、ふと所望した。そなたたちの国の、神を讃える歌を聞かせてくれぬか、と。ランカスターは商務員たちと顔を見合わせ、それから一同、居住まいを正して詩篇を歌った。武骨な船乗りと商人の、揃わぬながらに朗々たる合唱である。歌い終わると老王は長いこと黙っていて、それから言ったという。「良い歌じゃ。海を渡ってきた歌は、海の音がする」

されど、商いの実りのほうは、宴ほどには甘くなかった。この年のアチェは胡椒の作柄が悪く、おまけにグジャラートの商人が先に買い付けを進めていて、値は高く、量は乏しい。船倉四杯分には、遠く足りぬ。ランカスターは焦らなかった。焦る代わりに、王庭の噂話に耳を澄ませた。噂話の中に、彼の求める報せがあったのである。曰く——インドの海岸から、ポルトガルの大船が一隻、マラッカへ向かっておる、と。

ここで思い起こされるのは、この船団が携える三点の書付である。女王の親書、会社の特許状、そして——スペインおよびポルトガルの船を拿捕して苦しからずとする、私掠の免状。イングランドはいまだ両国と戦のさなかにあり、敵の船は海の上では正当の獲物であった。しかも王庭の意向はと言えば、憎きポルトガルの荷が誰かに奪われて、悲しむ道理が一つもない。誰も口には出さぬ。出さぬが、止めもせぬ。老王の沈黙は、海の男には十分すぎる返答であった。

一六〇二年十月、マラッカ海峡。待ち伏せたレッド・ドラゴン以下の砲門の前に、九百トンはあろうかというポルトガルの大船が現れた。逃げるには重すぎ、戦うには備えが足りぬ。数斉射の砲戦ののち、大船は旗を降ろした。船倉を検めた英人たちは、目を見張った。米が山と、そして——布である。インドの海岸で織られた更紗、白木綿、色木綿が、梱にして九百を超えて積まれていた。荷を移すだけで、三隻がかりの六日仕事であったという。

拿捕のあと、ランカスターは珍しく長い訓示を垂れた。曰く、船内の私物に手をつけた者は縛り首、婦女子に無礼を働いた者も縛り首、と。捕えた乗員には糧と水を与え、荷を検め終えると、船ごと放してやった。ポルトガルの船長が別れ際、通詞を介して問うたという。貴殿らは海賊か、商人か、と。ランカスターの答えがふるっている。

「女王陛下の商人である。ただし、陛下はポルトガル王と戦のさなかであらせられる。……戦が済めば、次は買わせていただこう」

礼を尽くす海賊、という珍妙な生き物が、ここに出来上がった。特許状と親書と私掠免状——この三枚の紙こそ、生まれたばかりのこの会社の、生まれつきの顔なのであった。

ここで思い合わされるのは、ロンドンの寄合の隅の、あの男である。足で東方を測ったラルフ・フィッチ。香料もよいが、いずれあの布が物を言いますぞ——話半分に聞き流されたあの予言が、思わぬ形で船倉に転がり込んできたのである。東方の海では、インドの布は銀貨に劣らぬ通り物である。胡椒を買うにも、この布で払えば銀は減らない。予言者の面目、まずは緒戦で立ったと言うべきであろう。

アチェへの暇乞いの謁見で、老王は名残を惜しみ、女王への返書と贈物を託した。返書には紅玉の指輪が添えられていた。海の果ての「妹」への、老いた「兄」からの贈物である。別れ際、王はもう一度あの歌を、と所望し、船乗りたちは再び詩篇を歌った。歌のあとで老王が漏らした一言を、記録者は書き留めている。

「そなたらの女王に伝えよ。この老いぼれは、良き兄弟を得たと喜んでおった、と」


ところ変わって——ジャワ西端、バンテンの湾である。

一六〇二年も暮れの十二月、ランカスターの船団はバンテンに入った。スーザン号は先にスマトラ西岸の胡椒港へ分派してあるから、湾に並んだのは三隻である。

この物語には三たび目の登場となるバンテンだが、宮廷の景色は少し変わっている。玉座の上の王は、まだあどけない少年である。先王が身罷り、政は引き続き摂政の手にあった。ハウトマンの砲声も、ファン・ネックの詫びも、この宮廷は全部覚えている。覚えたうえで、新しい客を秤にかけるのである。

ランカスターはアチェでしたのと同じことをした。すなわち、伺候し、親書の写しと贈物を捧げ、値を言われれば笑って聞いた。摂政は若い王の傍らでそれを検分し、商いを許した。バンテンの胡椒は、アチェと違って豊作である。倉から倉へ、俵は滝のように船へ流れ込んだ。支払いは銀貨、そして例の更紗である。インドの布はジャワの市場で飛ぶように捌け、フィッチの予言は帳簿の上で二度目の証明を得た。三隻の船倉は、ひと月あまりで胡椒に埋まった。

積み込みの間、桟橋は昼夜の別なく賑わった。支那人町の仲買が秤を担いで走り、荷役の掛け声が湾を渡り、夜は夜で、荷を狙う小盗人と、それを見張る商務員の攻防が続く。摂政の役人は関の帳場に座って、出入りする俵の数を悠然と数えていた。誰が買おうと、俵一つごとに宮廷の実入りは同じである。買い手が殺到する港の売り手ほど、機嫌のよいものはこの世にない。

湾には、オランダの船も錨を下ろしていた。両国の水夫は同じ酒場で飲み、同じ市場で買い、互いの船を横目で測り合った。ある晩、オランダの上級商務員がレッド・ドラゴンに酒を持って訪れ、ランカスターと差しで飲んだという。別れ際、オランダ人は笑って言った。

「海は広うござるな、総司令どの」

「広い」とランカスターは頷いた。「今のところは」

双方とも笑った。笑いながら、双方とも、笑っていなかった。この短い酬酢に、後の百年が畳み込まれていたことを、二人がどこまで察していたか。

さて、船倉が満ちれば帰るばかりだが、ランカスターはここで、会社の身代に関わる手を二つ打った。

一つ。商館である。買い残した商品と売り残した更紗を土台に、バンテンの町なかに家を借り、商館長ウィリアム・スターキー以下、商務員と手代あわせて十人余りを残した。船が去った後も年中商いを続け、次の船団が来れば直ちに積み込めるだけの胡椒を、あらかじめ倉に蓄えておく。イングランドがアジアの土の上に構えた、これが最初の商館である。桟橋の倉ひとつ、店の間ひとつの、まことにささやかな始まりであった。

出立の前夜、ランカスターは居残る者たちを旗艦に集め、訓示とも遺言ともつかぬことを言い置いた。

「よいか。次の船が来るのは、早くて二年の後だ。それまで、諸君に指図する者は誰もおらぬ。……だからこそ、言い置く。宮廷には礼を欠くな。オランダ人とは争うな。土地の悶着には、どちらの側にも立つな。帳面は毎日つけよ。帳面と礼儀、この二つさえ守れば、たいていの災いは向こうから避けて通る」

十人余りは神妙に頷いた。異国の港にぽつりと残される十人である。次の帆が水平線に立つ日まで、頼れるものは帳面と礼儀のほかにない。思えばこの心細い留守居こそ、後にアジアの各地に無数に生まれる商館という生き物の、最初の一匹なのであった。

二つ。物見である。手持ちの小さな快速船に商品を分け与え、さらに東へ——香料諸島の方角へと差し向けた。丁子と肉荳蔻の産地と直に糸をつなぐ、その下見である。バンダの長老たちの島、オランダの商務員が既に帳場を開いた島々へ、こんどはイングランドの帆が近づいてゆく。同じ泉に、二本目の管が伸び始めたのであった。

一六〇三年二月、船団はバンテンを発った。帰りの海も、ただでは通してくれなかった。喜望峰の南で船団は激浪に巻かれた。南の高緯度の海の嵐は、北の海のそれとは桁が違う。山と見紛う波が艫から追い上げ、船は波の背に担ぎ上げられては谷底へ滑り落ちる。その責め苦が幾日も続いた末に、あろうことか旗艦レッド・ドラゴンの舵が、根元から砕けたのである。舵のない六百トンは、ただの漂う樽である。帆を減らし、錨綱を流して船首を波に立てようと足掻きながら、船は木の葉のように揉まれ続けた。水夫たちは物も食わずに排水に立ち働き、それでも船倉の水嵩は膝から腿へと上がってきた。

ランカスターは僚船ヘクターに小舟で書付を送った。曰く——本船に構わず先へ進み、積荷を故国へ届けられたし。わしはこの船と荷を救うべく力を尽くす。わが命はいま、風と海の思し召しのままにある——。

これを知った乗員たちが総司令の部屋に詰めかけ、船を捨てましょうぞ、ヘクターに移りましょうぞ、と口々に迫った。老船長は首を縦に振らなかった。

「積荷は出資者の身代、船は会社の身代。預かった身代を海に置いて、わしだけ陸に上がる法があるか。……舵を作れ。帆桁を削って、舵を作るのだ」

ヘクター号もまた、命令の書付を受け取っておきながら、旗艦の見える海面を離れなかった。命令違反である。美しい命令違反である。数日の死闘の末、帆桁を削った仮の舵がどうにか据わり、二隻は寄り添うようにして北へ向かった。据えたばかりの仮舵が波に叩かれて外れ、船匠たちがまた海に吊り下がって据え直す——それを幾度も繰り返しながらの、這うような北上であった。

一六〇三年九月十一日、イングランド南岸ダウンズの錨地に、船団は帰り着いた。出航から二年半。持ち帰った胡椒はおよそ五百トン、乗員の死者はおよそ四人に一人——この時代の勘定では、堂々たる成功である。

だが読者諸賢、ここで日付を思い出されたい。一六〇三年の九月である。特許状に璽を捺したあの老女王は、この年の三月、七十歳を目前に世を去っていた。ドレークの丁子の香りの続きを待ちわびた女王は、自分の判で送り出した船の帰りを、ついに見ることがなかったのである。アチェの老王が「妹」に贈った紅玉の指輪も、宛先の指には、ついに嵌まらなかった。桟橋のロンドンは代替わりの都、しかも折悪しく疫病が猛威をふるい、市中では戸口に十字の印された家が日ごとに増え、鐘は祝いよりも弔いに忙しかった。二年半ぶりの故国が凱旋の船乗りたちに見せた顔は、喪服の顔であった。

新王ジェームズは、それでもこの航海の功を嘉し、ランカスターに騎士の位を授けた。乞食同然で帰った十年前の男が、サーの称号を胸に帰ってきたわけである。総裁スマイスも——この人はエセックスの乱の巻き添えで一時は塔に繋がれる憂き目を見たが、疑い晴れて市に戻っていた——精算の帳面を前に、まずは胸を撫で下ろした。四隻で出て四隻とも帰り、荷は満杯。第一航海としては、これ以上を望むほうが罰当たりというものである。

もっとも、帳場のほうには早くも渋い顔があった。五百トンの胡椒が一時に市場へ雪崩れ込めば、値がどうなるかは、第三回で見たとおりの理屈である。売り値は伸び悩み、精算は長引き、儲けは紙の上でこそ立派だが、銀に化けるのはずいぶん先の話となった。窮した重役会の思案がまた振るっていて、なんと水夫たちへの給金の一部を、銀の代わりに胡椒の現物で払ったのである。命がけで地球を半周して運んだ荷を、賃金として担いで帰る水夫たち。ダウンズからロンドンへの道筋の宿場では、しばらくのあいだ、勘定を胡椒で払う日灼けした男たちの姿が見られたという。行けば地獄、帰れば値崩れ。この商いの業の深さだけは、海峡のこちらもあちらも、まったく同じであった。

そして——その海峡のあちらである。ランカスターがアチェの王庭で詩篇を歌っていたころ、ハーグではついに、あの談判に決着がついていた。賢相の献じた合同の策が実を結び、乱立の諸会社は一つに束ねられて、資本金六百五十万ギルダーという、途方もない巨人が産声を上げていたのである。ロンドンの三万ポンドが小舟なら、これはまさしく巨鯨であった。しかもこの巨鯨、ただ大きいだけの鯨ではない。条約を結ぶ牙、砦を築く鰭、兵を養う胃の腑まで具えて生まれてくるのだという。さて、賢相はいかにして強欲な商人たちを一つ屋根の下に押し込め、その会社にいかなる牙を持たせたのか。次回「オルデンバルネフェルト諸邦を糾合し 十七人会連合会社を建つ」を待たれよ。

(第五回 了)


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井ノ上裕之 感じるままに。