東印度演義 第六回
オルデンバルネフェルト諸邦を糾合し 十七人会連合会社を建つ
前回、ランカスターの留守のあいだに低地の国で巨鯨が産声を上げていたことに触れた。今回は時計の針を少し戻し、その巨鯨がいかにして生まれたかを、産みの苦しみから語らねばならぬ。資本金六百五十万ギルダー、六つの部屋、十七人の頭。数字を並べるのは容易いが、どの数字ひとつを取っても、その裏に談判と喧嘩と妥協の冬が丸ごと一つ埋まっている。生まれの次第を端折るわけには参らぬのである。
時は少し遡る——一六〇二年の年明け、ハーグである。
冬のハーグは灰色の町である。運河は凍てつき、議事堂の暖炉は朝から焚かれ、諸都市から出てきた重役たちは、雪道に難儀しながら宿と議場を往復していた。長逗留の宿賃を数えて渋い顔をする者、国元からの矢の催促に胃を痛める者。誰もが早く決めて帰りたい。帰りたいが、譲れない。談判というものの一番苦しい頃合いである。
第三回で見たとおり、賢相オルデンバルネフェルトの合同の献策は、理屈の上では誰も破れなかった。破れなかったが、頷きもしなかった。談判は部屋割りの比率で年を越し、卓の上では連日、同じ喧嘩が蒸し返されていた。
「アムステルダムが身代の半分を出す。ならば半分の口を持つが道理」
「その道理が通るなら、合同とは名ばかり、ゼーラントはアムステルダムの帳場の小僧になり下がるわ」
「小僧が嫌なら、出資を増やされよ」
「増やせるものなら苦労はせぬ。身代の大小で口の大小を決めるなら、いっそ合同などせず、今までどおり殴り合うほうがましじゃ」
「お待ちを」と、隅からロッテルダムの重役が手を挙げる。「大部屋二つの喧嘩に、小部屋の身にもなっていただきたい。鰯が鯨と同じ網に入って、無事で済んだ例がござるか。合同、結構。だが呑まれる合同なら、うちは網の外で泳がせてもらう」
「泳いだ先で、ポルトガルに食われるだけぞ」
「鯨に呑まれるも、鮫に食われるも、鰯にとっては同じことでござるよ」
殴り合うほうがまし——この捨て台詞が出るたびに、卓の隅の書記が青くなり、上座の賢相が指の先で書類を揃え直す。それが冬のあいだの、ハーグの日課であった。
読者諸賢、ここで揉め事の姿を整理しておこう。合同に加わるべき部屋は六つ。アムステルダム、ゼーラント(ミデルブルフ)、そしてロッテルダム、デルフト、ホールン、エンクハイゼンの小部屋が四つである。出資の割り前は、おのずと身代に従う。アムステルダムが全体のおよそ半分、ゼーラントが四分の一、残る四部屋が十六分の一ずつ。ここまでは、算盤の問題だから揉めようがない。揉めるのは、その先である。会社の舵を握る重役会の席を、どう割るか。出資に比例させればアムステルダムが過半を握り、他の五部屋は永遠の脇役となる。比例させなければ、半分の銀を出す者が半分の口を持てぬという、これまた呑めぬ話になる。銀の理屈と、面目の理屈。この二つは水と油であって、混ぜよと言うだけでは決して混ざらぬのである。
膠着を破ったのは、賢相の一手であった。ある日の卓で、オルデンバルネフェルトは一枚の紙を回した。紙にはただ、席の割り振りが書いてある。
重役会の席は、十七。アムステルダムに八つ。ゼーラントに四つ。小部屋四つに一つずつ。
「勘定が合いませぬな」と、ゼーラントの重役が眉を寄せた。「八と四と四で、十六。残る一席は」
「十七人目は」と、賢相は事もなげに言った。「ゼーラントと小部屋とが、代わる代わる出す。——アムステルダムからは、出さぬ。未来永劫、出さぬ」
座が、しんとなった。皆が頭の中で算盤を弾いたのである。十七人のうち、アムステルダムは八人。過半には、一人足りない。半分の銀を出す者に、半分に一つ欠ける口。つまりアムステルダムは、この会社の何事をも、単独では決められないのである。
「アムステルダムが、それで呑みますかな」と、誰かが半信半疑で問うた。
「呑ませる」賢相は書類を揃えた。「半分の身代に八つの席、これは紛れもなく筆頭の座である。筆頭でありながら、独裁ではない。……よろしいか、諸君。わしが作りたいのは、アムステルダムの会社ではない。ネーデルラント連邦の会社である。この一席の欠けこそが、その証文よ」
一人足りない過半。たったそれだけの細工が、積年の水と油を混ぜてみせた。ゼーラントは面目が立ち、アムステルダムは実を取り、小部屋は潰されずに済む。散会ののち、ゼーラントの重役はミデルブルフへの帰りの馬車で、随行の書記にこう漏らしたという。「負けたのう。……気持ちよく負けた。ああいう負かされ方なら、腹も立たぬわ」学者なら精緻な理屈を百枚も費やすところを、当代の賢相は、十七という半端な数ひとつで片づけたのである。政治とは、畢竟、数の割り算の芸であるらしい。
席割りが決まっても、まだ条々が残っていた。まず、年限である。永代の特許を望む声に、賢相は首を振った。二十一年。まずはそれだけの試しとし、二十一年ののちに改めて議会が検分する、と。不服の声には、例の調子でこう返したという。「二十一年経ってなお不満なら、そのとき特許状を返しに来られよ。誰も引き止めはせぬ」——返しに来る者など出るはずがないことを、百も承知の物言いである。
次に、戦の条項である。会社に交戦の権を持たせるという件で、敬虔な重役の一人が腰を上げた。われらは商人にて、人を殺めるための銀を出した覚えはない、商いの寄合が戦をするなど、神の御心に適いましょうか、と。答えたのは賢相ではない。この日の議場に姿を見せていた、若き総督マウリッツであった。
「では伺うが、貴殿の商いの船は、いま誰の海を通って帰ってこられる。スペインの艦隊がわが海の口を塞げば、貴殿の胡椒は一粒も陸に上がらぬ。この国そのものが、戦をしながら商い、商いながら戦をして、ようやく立っておるのだ。会社だけがその外におれると思うなら、それこそ神をも恐れぬ算盤でござろうよ」
剣の側からの一言に、議場は静まった。戦のさなかに生まれる会社は、戦を身の内に呑んで生まれるほかない。それがこの国の、動かしがたい生まれつきなのであった。
かくて一六〇二年三月二十日、連邦議会は特許状を発した。世に言う連合東インド会社——束ねる部屋は六つ、束ねる重役は十七人、ゆえに人呼んで「十七人会」である。
特許状の条々は、ロンドンのそれと似て、まるで違った。似ているのは独占の骨組みである。喜望峰の東、マゼラン海峡の西、そのあいだの海のすべてにおいて、向こう二十一年、東方との商いはこの会社のみに許される。違うのは、その先だ。曰く——会社は連邦議会の名において、東方の君侯と条約を結ぶことを得。砦を築き、守兵を置き、司法を行うことを得。そして、スペインおよびポルトガルの敵に対し、戦をなすことを得——。
条約、築城、養兵、裁判、戦争。これらは古来、国家の専有物である。それを一枚の特許状が、まとめて商人の寄合に貸し与えた。ロンドンの会社が女王から授かったのは商いの独占であったが、ハーグの会社が議会から授かったのは、国家の牙そのものであった。国家のごとき会社。この八文字を、まずはとくと胸に刻んでおいていただくほかない。
もっとも、綻びの種も、同じ紙に蒔かれていた。この会社は、ポルトガルの「鎖された海」を破るために生まれた。生まれながら、その特許状は、喜望峰の東の海を同胞にすら鎖している。鎖を破る者が、新しい鎖を鍛える。第四回でロンドンについて述べたのと、寸分違わぬ皮肉である。海は神が万人に開いたものだ、と談判の卓で言い放ったのは、どこの部屋の重役であったか。その言葉が本物の学問の衣をまとって世に出る日は、実はもう、それほど遠くない。
調印の席には六つの部屋の代表が居並び、羊皮紙の下端に、六つの都市の印章が順に捺されていった。誰の手柄かと問えば、銀を出したのは商人たちである。だが銀と銀とを喧嘩させずに一つの樽に納めた腕は、間違いなく、あの疲れを知らぬ書類の人のものであった。
調印の日、退出しかけた重役の一人が、ふと賢相に問うたという。
「閣下。二十一年ののち、この会社が化け物になっておったら、誰が手綱を引きますのか」
「二十一年ののち」賢相は書類から目を上げずに答えた。「わしはもうこの世におらぬよ。手綱は、そのときの生きておる者の仕事じゃ」
ところ変わって——アムステルダム、運河沿いの一軒の商家である。
特許状には、もうひとつ、当時の誰もが見慣れぬ条文が忍ばせてあった。曰く——この会社への出資は、連邦の住民たる者、何人にも開かれる、と。
何人にも、である。大商人にも、小商人にも、職人にも、寡婦にも、奉公人にも。会社を建てるのに、身分ある者の寄合で株を回すのではなく、道行く万人の財布に戸を開く。ヴェネツィアにもジェノヴァにも、船と航海に銀を出し合う仕組みは昔からあった。だがそれは、互いに顔と身代を知り尽くした商人同士の、いわば内輪の割り勘である。見ず知らずの女中の銀と市長の銀とを、同じ帳面の同じ枡目に並べるなどという芸当は、低地の国の外では、ほとんど正気を疑われる発想であった。だがこの国では、これが理に適っていた。何しろこの会社の身の上は、独立戦争のさなかの連邦そのものと同じで、万人の敵意ではなく万人の懐を頼りに立つほかないのである。
出資の受付は各部屋ごとに行われ、アムステルダムでは、重役の一人の屋敷が帳場に充てられた。締切の日が近づくと、運河沿いのその家の前には、朝から行列ができた。毛織物商人の番頭が主人の名代で並び、船大工が並び、パン屋の女房が並ぶ。帳面には名前と金高が書き込まれ、金高の隣に、めいめいの手で署名がなされる。字の書けぬ者は、印を捺した。行列の中には、亡夫の残した銀を胸に抱えた寡婦もいた。倅を先年の航海で亡くしたという年寄りが、それでも並んでいるのを見て、隣の男が思わず訳を問うと、年寄りはこともなげに答えたという。倅の乗った海だ、わしの銀も乗せてやりたいのよ、と。銀に添えられた思惑は人の数だけあり、帳面はその全部を、同じ黒い文字で呑み込んでいった。
締切の日の夕刻、帳場を預かる屋敷の女中が、おずおずと主人の前に進み出た。歳のころ三十あまり、名をネールチェンという。前掛けの下から布の包みを出し、卓の上でほどくと、こつこつと貯めた銀貨が百ギルダー、几帳面に積んであった。
「あの、旦那様。……あたくしも、書いていただけますでしょうか。その、帳面に」
主人は女中の顔と銀貨とを見比べ、それから帳面を開いて、笑いもからかいもせずに問うたという。
「ネールチェン、これはお前の給金の何年分だ」
「二年分でございます」
「東の海は遠いぞ。船は沈むし、帰りは十年先やもしれん」
「へえ。……でも旦那様も、お書きになりました」
主人は頷いて、羽根ペンを女中に渡した。帳面のその頁には、市の大立者の名の並びに続けて、女中ネールチェンの、覚えたての署名が残ることになった。この帳面を繰る者は誰であれ、大商人の流麗な署名の間に挟まれた、この覚束ない筆跡の前で、きっと一度は手を止めるに違いない。会社とは何か、という問いへの答えの半分は、存外この一行に書いてあるのかもしれぬのである。
締切までに六つの部屋へ寄せられた出資、締めておよそ六百五十万ギルダー。数字だけでは実感が湧くまいが、大砲を据えた東方向けの大船を、艤装から糧食まで丸ごと、六十隻あまりも仕立てられる勘定である。ロンドンの会社の初回出資の、ざっと二十倍。一航海ごとに銀を集めては解散する当座の寄合と、十年分の身代を初めから腹に抱えた会社と。同じ商売敵でも、体の造りからして別の生き物であった。出資者の数は千数百を数え、その中には、右のような小口の名が幾つも混じっていた。巨鯨は、大商人の銀だけでできていたのではない。女中の二年分の給金も、その骨の一片なのであった。
ただし、この特許状、出資者に対しては存外に手厳しい。曰く、出資金の精算は十年目まで行わない。つまり一度帳面に載せた銀は、十年間、引き出せないのである。行列に並んだ小口の出資者たちが後からこれを知って、少なからず騒いだ。銀が要り用になったらどうしてくれる、と。
会社の返答が、また事もなげであった。——引き出すことは相成らぬ。されど、帳面のその名義を、他人に売ることは勝手である、と。
名義を、売る。つまり出資の紙切れそのものに値が付き、その値は会社の先行きの評判次第で上がりもすれば下がりもする。かくてアムステルダムの取引所では、胡椒や鰊と並んで、この「会社の名義」なる奇妙な品が売り買いされ始めた。品物はどこにもない。あるのは帳面の上の一行と、買い手の思惑だけである。現に、締切から幾らも経たぬうちに、最初の売り買いが成った。銀の入り用ができた小口の出資者が名義を手放すと、買い手は帳面の額面に幾らか色を付けて引き取ったのである。会社はまだ一粒の胡椒も運んでいない。運んでいないのに、名義の値だけが、先に動き始めた。値を動かしたのは荷ではなく、明日への思惑である。この紙切れの売り買いから、後の世に株式の取引と呼ばれる仕組みが育ってゆくことになる——本回の先読みは、この一言である。低地の商人たちは、香料の道を開いたついでに、うっかりもうひとつ、途方もないものを発明してしまったのであった。
もっとも、この新しい仕組み、万人に開いたのは懐の口だけで、物を言う口までは開いていない。会社の舵を握るのはあくまで十七人会と各部屋の重役たちであり、小口の出資者には、配当を待つほかの権利が、ほとんど何もないのである。懐は万人のもの、口は重役のもの。うまく行っているあいだは誰も気に留めぬこの片務が、いつか帳簿の曇る日にどう響くか——それはまだ、誰の思惑にも上っていなかった。
ところ変わって——同じ年の初夏、テセル島の錨地である。
読者諸賢は、この錨地を覚えておられよう。七年前、二百四十九人を乗せた四隻が、歓呼の声も薄いままに出ていった、あの北の錨地である。
一六〇二年六月、同じ海面に、こんどは十五隻が並んだ。連合東インド会社の、記念すべき第一次船団である。率いるはヴィブラント・ファン・ワルウェイク——ファン・ネックの下で香料諸島に初めて帆を現した、あの副将である。
七年前と見比べれば、何もかもが違っていた。四隻が十五隻に。寄せ集めの与太者どもは、給金と年季を紙に定めた乗員に。船倉には商品と銀のほかに、砦を築くための煉瓦と石灰、据え付けの大砲、そして兵隊が積まれている。おまけに各船には印刷された訓令の綴りが配られ、航路も、寄港地も、商いの値の目安も、あらかじめ紙で示されていた。ハウトマンの船団が手探りで書いた地獄の道中記が、七年のちには、こうして活字の手引きに化けているのである。桟橋は見物の人垣で埋まり、こんどこそ歓呼は惜しみなく上がった。人垣の中には、帳面に名を載せたばかりの出資者たちも大勢混じっている。あの帆の一枚一枚に、自分の銀が張ってある——そう思って見上げる船団は、他人の船とはまるで違う顔をしているものである。東方への船出は、無謀な賭けから、国を挙げた、そして万人が懐で加担する事業へと化けたのであった。
出立に先んじて、ワルウェイクら指揮官たちは誓約の署名をした。連邦議会に忠誠を、会社に勤勉を、という二重の誓いである。国家に仕えるのか、会社に仕えるのか。二枚重ねの忠義は今のところ一枚に見えるが、重ねた紙はいつか、ずれる。
人垣の中には、めっきり白いものの増えた黒衣の姿もあった。プランシウスである。牧師は相変わらず、出立前の航海士たちを捕まえては、南の星の測り方を説いて回っていた。その傍らには、あの獄窓の星測り、フレデリック・デ・ハウトマンの姿もあったという。
「師よ。宿題を、お返しに上がりました」
牢から持ち帰った星の勘定を差し出す弟子に、老牧師は目を細めた。
「ケイセルの帳面の、続きだな」
「はい。前の半分は波の上で、後の半分は……牢の窓の下で」
「星は、どこから測っても星だ」牧師は綴りを受け取って、しばらく頁を繰った。「よう戻った。……兄御は気の毒であったな」
「兄は兄の測り方で、海を測ったのだと思うております」
アチェの牢から持ち帰った星の勘定は、いまや天球儀の南天に刻まれ、名もなかった星々は、くじゃくやとびうおの姿を得て、新しい船団の航海士たちの手元に配られている。兄の山気が開けた海を、弟の根気が測った星が照らす。ハウトマンの家の帳尻は、こういう形で合ったのであった。
船出に先立つこと数月、十七人会は初めての寄合を開いていた。以後この十七人は、年に幾度か、アムステルダムとミデルブルフとで交互に卓を囲み、船団の数を決め、積荷を割り振り、東方への訓令を起草し、帰り荷の競売の日取りを差配する。六つの部屋は各々の帳面を持ち、艤装も出資も部屋ごとに行うが、大本の舵はこの十七人の卓の上にある。名は残らずとも、この卓こそが、以後二百年の巨鯨の頭脳である。ついでに言えば、この頭脳と東方の手足とのあいだは、便りの往復に早くて一年半かかる。頭の考えが指の先に届くころには、指の先はもう別の物を掴んでいる——第三回で述べたあの不便が、これほどの巨体にもそっくり付いて回るのであった。
十七人会が船団に持たせた訓令には、商いの指図に混じって、剣呑な一条が載っていた。曰く——ポルトガルおよびスペインの船、砦に対しては、機を見てこれを害し、もって連邦の敵の力を殺ぐべし、と。商いの船団に、初めから戦の役目が書き込まれている。特許状の牙は、飾りではなかったのである。
そして——実を言えば、その牙が最初に閃くのに、この十五隻の到着を待つ必要すらなかった。
東方の海には、合同前の会社が送り出した艦隊が、まだそのまま浮かんでいる。新会社はそれらを居抜きで引き継いだ。船も、商館も、そして船乗りたちの貸し借りも恨みも、まとめてそっくり、である。
そのひとつ、ヤコブ・ファン・ヘームスケルクの艦隊は、このとき香料の海を巡り終えて、マラッカ海峡の東の出口、シンガポールの水道のあたりを遊弋していた。ヘームスケルク——ファン・ネックの下でバンダに初めて達した、あの男である。もとは北回りの東方航路を探って氷の海に閉じ込められ、雪と白熊の中で一冬を生き延びて帰ってきたという、氷も熱帯も知り尽くした歴戦の指揮官であった。もっともこのときの艦隊の内実は、聞こえほど景気のよいものではない。長の航海で船底は虫に食われ、商いの品は残り少なく、このまま帰れば帳尻の怪しい航海である。そこへ、である。彼の耳に、ジョホールの人々からひとつの噂が届いた。曰く——マカオを出たポルトガルの巨船が、絹と陶磁を満載して、近くこの水道を通る、と。
虫の食った船と、軽い船倉と、新会社の旗と、戦をなすことを得の一条と。役者と道具は、揃ってしまった。
折しも生まれたばかりの特許状は、海を渡ってヘームスケルクの手元にまで届いてはいない。届いていないが、彼の携えた旧会社の訓令にも、敵を害して苦しからずの一条は、ちゃんと書き込まれている。紙が届こうが届くまいが、海の上の男たちは、いつでも本国より半年先を生きているのである。
一六〇三年二月の朝、その水道で轟く数十発の砲声が、単に一隻の船の運命ばかりでなく、「海とは誰のものか」という問いそのものを、欧州の法廷と書斎に叩き込むことになる。積荷の目もくらむ豪華さと、それを裁く法廷の騒ぎと、騒ぎの中から立ち上がる一人の若き法学者と。さて、巨船サンタ・カタリナの船倉には何が眠っていたのか。次回「巨船サンタ・カタリナ一朝にして奪われ 戦利の是非法廷を揺るがす」を待たれよ。
(第六回 了)

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