東印度演義 第七回
巨船サンタ・カタリナ一朝にして奪われ 戦利の是非法廷を揺るがす
前回の末尾に、虫食いの船と軽い船倉を抱えたヘームスケルクの艦隊が、シンガポールの水道でマカオ発の絹満載の巨船の噂を掴んだ、と記した。時に一六〇三年の二月である。本回は、その巨船が一朝にして奪われる話であり、また、奪ったあとの話である。一朝の獲物は金貨の山となって故国へ運ばれるが、山と一緒に、厄介な問いがひとつ、船倉の底に紛れて運ばれてくる。——海は、誰のものか。
まずは、奪う側の男の来歴から語らねばなるまい。
ヤコブ・ファン・ヘームスケルク。アムステルダムの生まれ、この年三十五。名家の子ながら、その名を故国に知らしめたのは、南の海ではない。北の、氷の海である。
七年前の一五九六年、彼は北回りの航路——ロシアの北の氷海を抜けて唐土へ達しようという、壮図とも無謀ともつかぬ探検——に船長として加わった。航海士は当代随一の名人ウィレム・バレンツ。船は新地島の北で氷に噛まれ、夏の終わりだというのに身動きを失った。退路はない。一行十七名は流木と船板で小屋を組み、太陽の昇らぬ極北の冬を、まるまる越すことになった。
白熊が戸板を叩き、葡萄酒は樽の中で凍り、靴下は三枚重ねても足の指が石になった。眠り込めば二度と覚めぬ寒さが、夜ごと床板を這い上がってくる。男たちは狐を罠にかけて食い、熊の脂で灯りをともし、聖書を回し読みして、春を待った。翌年の六月、彼らはついに船を捨て、二艘の端舟で氷の海に漕ぎ出した。漕ぎ渡ることふた月余り。その途上、名人バレンツは海図を膝に置いたまま息を引き取り、帰り着いた者は十二名であった。
ここに、後々まで語られる一事がある。ヘームスケルクは、この地獄の漕ぎ旅に、会社の帳簿と売り物の羅紗の反物を積んで帰ったのである。命さえ重荷という氷の上で、荷を捨てなかった。アムステルダムの商人たちはこの話に膝を打った——「あれは、荷を捨てぬ男だ」。商人の国で、これに勝る賛辞はない。
荷を捨てぬ男は、一六〇一年、旧会社の艦隊を率いて、今度は南回りで東方へ出た。だが着いてみれば、南の海は氷の海より始末が悪かった。バンテンの胡椒は先着の同胞と競り合って値が倍し、香料の島々はなお遠く、船底は南海の虫に食われて、叩けば粉の落ちる音がする。そのうえ留守の本国では連合会社が成り、艦隊ごと新会社に引き継がれたはいいが、あらためての訓令は一年半の海の彼方である。船倉は軽く、面目はさらに軽かった。
その耳に、二つの報せが相前後して届く。
一つは、血の報せである。一六〇一年、同胞ファン・ネック麾下の船がマカオに寄った折、様子見に上陸した端舟の乗員がことごとく捕えられた。ポルトガルの官憲は裁きらしい裁きも経ぬまま、彼らを海賊として絞首したという。マレー半島東岸パタニの港で、唐船の老商人がこの話をもたらした。
「紅毛の旦那がた、マカオの噂は聞いたかね。桟橋にな、木の枠がずらりと組まれてな。吊るされたのは、あんたがたと同じ言葉を話す衆だったよ」
艦隊は静まり返った。絞られた十七人ほどの中には、顔見知りの水夫の名もあった。裁判なくして縄、通告なくして死。商いに来た者への、これがマカオの返答であった。
いま一つは、金の報せである。マカオからは年に一度か二度、唐土の生糸と磁器を満載した大船がマラッカへ下る。その年の船が、間もなく海峡に入る——報せの出どころは、ジョホールの王家であった。
読者諸賢、ここで地図を思い浮かべられたい。マレー半島が南へ細く垂れ、その先端の小島々のあいだを、東西の海を結ぶ細い水道が縫っている。東の唐土から西のマラッカへ、船という船は、この針の穴を通らねばならぬ。そして針の穴の内懐、ジョホール川の河口に、ひとつの王家が府を構えていた。
時は少し遡る——九十余年前の一五一一年、ポルトガルは大砲をもってマラッカの王城を奪った。スルタンの一族は半島の南へ落ち延び、ジョホールの河口に再起の府を開く。以来九十年、旧王家とマラッカのポルトガルは、殺し合っては和し、和してはまた殺し合ってきた。加うるに北からはアチェが牙を研ぐ。二方に敵を持つ河口の王庭に、見慣れぬ紅毛の帆が現れたのは、まさにこの頃である。
王弟ラジャ・ボンスは、若いが目の利く男であった。謁見の席、通詞を介して紅毛の提督に問う。
「そのほうらは、ポルトガルと同じ神を拝みながら、ポルトガルと戦うそうな」
「同じ神を拝む者同士の争いほど、深いものはございませぬ」
王弟は声を立てて笑い、やがて笑いを収めて言った。
「よろしい。ならば教えて進ぜよう。マカオの大船が、月の変わらぬうちにこの水道へ入る。積み荷は絹と磁器。……ただし紅毛の衆、ひとつ忘れるな。この海峡の潮と浅瀬を知るのはわれらであり、われらの祖は、あの城の主であった」
一六〇三年二月二十四日の夜、ヘームスケルクは白獅子号とアルクマール号の二隻を、ジョホール川の河口に錨させた。旗艦の船室では、上席商務員たちとの評定が夜半に及んだ。
「提督。恐れながら、われらは商いの艦隊にございます。本国の訓令には、葡船を襲えとは一行も書かれておりませぬ」
「書かれておらぬな」とヘームスケルクは頷いた。「では訊くが、マカオで絞られた者どもの詫びは、誰が取るのだ。本国に伺いを立てるか。返事が来るのは、早くて一年半の後だぞ」
ここで思い出していただきたい。前回、ハーグで発布された特許状には、確かにこう記されていた——喜望峰以東において、条約を結び、城を築き、そして「戦をなすことを得」と。国家の牙は、貸し与えられている。だがその牙を、いつ、どの喉に立てるかを決めるのは、一年半の彼方に座る十七人会ではない。目の前の海に浮かぶ、船倉の軽い提督その人である。現地の決断は常に本国より先を走る——この物語の底を流れつづける通奏低音が、ここでも低く鳴っている。
「マカオの詫び。ジョホールの誼。特許状の一条。理屈は三つ揃うた」提督は卓を叩いて立ち上がった。「わしは氷の海でも荷を捨てなんだ男だ。南の海で、理を捨てるつもりはない。——あとは、船が来ればよい」
夜が明けた。二月二十五日の払暁である。
檣頭の見張りの声が、朝靄を裂いて降ってきた。水道の東、靄の奥に、山が動いている。——山ではない。帆である。千四百トンをゆうに超える巨船が、幾層もの帆を朝日に染めながら、ゆっくりと針の穴へ入ってくる。サンタ・カタリナ号。マカオを発してマラッカへ下る、その年の宝船であった。船倉には生糸と絹織物と箱詰めの磁器と麝香、船上には水夫と兵と商人とその妻子、都合七百を超える人間を乗せている。
対するオランダの二隻は、合わせても巨船の目方の半分に足りぬ。だが海戦は、目方では決まらぬのである。
戦端を開くまえに、ヘームスケルクは総員を甲板に集めた。手には一枚の紙——マカオで絞られた者たちの名を書き連ねた紙である。提督は名を三つ四つ読み上げ、それから紙を畳んで懐に収めた。
「あの船の腹には、絹が詰まっておる。だがわしらが取り立てるのは絹ではない。貸しの分だ。……手向かわぬ者に刃を向けた者は、鞭打ちのうえ分け前なしと心得よ。わしらは吊るす側の真似はせぬ。よいか、絹に穴を開けるな、人に恥をかかすな。それがわしらの商いの流儀ぞ」
水夫たちは低く唸って応えた。氷の海の生き残りが言うのである。重みが違った。
ヘームスケルクはまず風上を取った。巨船は積み荷で腹が深く沈み、下段の砲門は波を被って開けられない。オランダの二隻は軽快に風上を保って回り込み、舷側の斉射を、船体ではなく帆桁と索具に浴びせた。狙いは沈めることではない。歩けなくすることである。船倉の絹に穴を開けては、元も子もない。
巨船の砲も吼えはした。だが高い船腹の砲は俯角が取れず、砲丸はオランダ船の頭上を鳴って飛ぶばかり。あちらが一発を装填するあいだに、こちらは三発を返す。——十余年前、大西洋の島影でイングランドの捕虜が語ったあの理屈は、東の海でもそのまま通った。昼を過ぎるころには巨船の中檣の帆桁が折れて落ち、夕刻、艫の一角から火の手が上がった。消し止める人手はある。だが戦いながらでは、足りぬ。
船長セバスティアン・セランは、甲板に犇めく七百の顔を見渡した。兵の顔より、商人と女子供の顔のほうが多かった。マカオで財を成し、ゴアへ帰る家族連れが何組も乗っていたのである。
日の沈むまえに、旗が降りた。軍使の端舟が波を渡る。条件は簡明であった。船と積み荷は渡す。ひきかえに、乗る者すべての命と身の回りの品、そしてマラッカまでの身柄の安全。
ヘームスケルクは受けた。受けたのみならず、律義に守った。七百余人は殺されもせず、身ぐるみ剥がれもせず、数日をかけて残らずマラッカへ送り届けられた。提督は船長セランを自室の食卓に招き、手ずから葡萄酒を注いだという。
「貴殿は、海賊にしては礼儀正しい」とセランが言えば、
「海賊ではないからでござる」とヘームスケルクは答えた。「これは盗みではない。戦利である。その違いは、いずれ故国の法廷が明らかにいたそう」
「法廷とは」セランは杯を置き、苦く笑った。「奪った者の国の、法廷か」
この皮肉に、その場で答えられる者はいなかった。
積み替えは幾日もかかった。生糸の梱が千二百。緞子、綸子、繻子の反物が山をなし、箱詰めの磁器はおよそ六十トン——皿と碗に数えて数十万個である。ほかに麝香、砂糖、香木。麝香の匂いが甲板に満ちて、水夫たちは咳き込みながら笑った。巨船そのものは長の航海に堪えぬと見きわめられ、荷は艦隊の諸船に分け積みされた。船倉の軽さを嘆いていた艦隊が、一朝にして、胡椒航海の幾年分を呑み込んだのである。
ところ変わって——と言いたいところだが、その前に、岸辺をひとつ描いておかねばならぬ。
ジョホール川の河口の高みに、王弟ラジャ・ボンスは立っていた。水道に立ちのぼる砲煙を、若い王弟は身じろぎもせず眺めている。傍らの老臣が囁いた。
「紅毛に、恩を売りましたな」
「恩ではない。貸しだ」と王弟は言った。「九十年前、わが祖はあの海峡の城を追われた。ポルトガルを噛む牙なら、犬の牙でも借りる。……だが爺、忘れるな。犬は肥えれば狼になる。紅毛が狼に化ける日のことも、いまから算えておくのだ」
砲煙の行方に胸を騒がせるのは、欧羅巴の者だけではない。この海には海の数だけ帳簿があり、ジョホールの帳簿にもまた、この日の貸しが一行、書き込まれたのである。
ところ変わって——一六〇四年の夏、アムステルダム。
戦利の報せは、荷より先に町へ着いていた。埠頭には見物の黒山が築かれ、荷揚げされる梱と木箱の列に、ため息とも唸りともつかぬ声が湧く。六年前、ファン・ネックの帰帆に町中の鐘が鳴ったが、この夏の鐘は、それより長く鳴ったと言われる。
競売の触れは欧州じゅうに回った。パリから、ロンドンから、ハンブルクから買い手が集まり、仏蘭西王アンリ四世の名代までが札を入れたと伝えられる。
競り市は幾日も続いた。競り人が台に上がり、生糸の梱を一つ叩けば、広間の四方から声が飛ぶ。朝に叩かれた梱の値が、夕には自慢話の種になり、翌朝にはもう嘘くさい昔話に聞こえるほど、次の値が高かった。宿という宿は買い手で埋まり、両替商の秤は夜まで鳴りやまず、居酒屋では毛織物しか扱ったことのない男までが、緞子と繻子の見分け方を講釈していた。
人混みの中には、リスボンへ送る手紙を懐で温めている男もいた。ポルトガルの息のかかった商人である。その手紙にはこうあったと伝えられる——「彼らは一朝で奪い、ひと市で売り尽くします。われらが一年かけて運ぶものを、であります。恐るべきは砲にあらず、この売り捌きの速さにございます」。
競り落とされた総額は、諸掛かりを別にして、およそ三百五十万ギルダー。設立されたばかりの連合会社の資本金が六百五十万である。一朝の獲物が、万人から掻き集めた元手の半ばを超えたのだ。あの女中ネールチェンが署名した給金二年分が、百ギルダーであった。その三万五千倍が、たった一隻から転がり出た勘定になる。
なかでも人々の目を奪ったのは、磁器であった。それまで唐土の焼き物といえば、王侯の飾り棚か教会の宝物庫にしかない稀品である。それが数十万個、いちどきに市へ溢れた。牧師の家の食卓に、船大工の女房の棚に、雪のように白い胎に藍で山水を描いた皿が載る。本回の先読みはこの一言である——後の世、オランダの家々を飾るこの手の染付は「クラーク磁器」と呼ばれることになる。クラークとは、ポルトガルの大船のことである。皿の名の中に、奪われた船が住みついたのだ。
だが、鐘の音に沸く町の片隅で、静かに席を立つ者たちがいた。
メノー派の商人たちである。再洗礼の流れを汲むこの人々は、剣を執らぬことを信仰の柱とする。彼らもまた連合会社に金を出していた。胡椒と絹の、商いのための会社と信じたからである。その会社がいま、砲煙の代金を配ろうとしている。
大株主のひとりピーテル・レインチェンスは、屋敷を訪れた重役の使いに、静かに首を振った。
「持ち分は、すべて手放します」
「レインチェンス殿。此度の配当は、けた違いですぞ」
「けた違いの配当に、血が混じっております。わたしの神は、それを利と呼ぶことをお許しにならぬ」
彼は同志と語らい、剣を持たぬ東方商いの会社を仏蘭西王の旗の下に建てようとまで動いたが、事はついに成らなかった。世はもはや、剣を持たぬ商いを許す潮合いではなくなりつつあったのである。信心が席を立ち、その空いた席に、新たな買い手が座った。名義は取引所で手から手へ渡り、値は釣り上がった。懐は万人のもの、口は重役のもの——前回の捨て台詞は、早くもこういう形で肉をまとい始めていた。
そして、いま一つの騒ぎが、法廷で起こる。奪った側が、奪った物の正当な持ち主となるためには、裁きの印が要るのである。
同じ一六〇四年の九月、アムステルダムの海事法院。審理の眼目はただ一つ——サンタ・カタリナ号とその積み荷は正当なる戦利、すなわち「良き捕獲」か、それとも公海の盗品か。
会社側の弁論は、三段に組み立てられていた。
第一に、報復である。マカオで絞首された者たちの名が、一人ずつ読み上げられた。難を逃れて小舟で沖の僚船に泳ぎ着いたという水夫が証言台に立ち、桟橋に組まれた木枠の数を、指を折って数えてみせた。
「裁きは、あったのか」と判事が問うた。
「桟橋に、机が一つ出ておりました」と水夫は答えた。「坊さまが一人、帳面をつける役人が一人。呼ばれて、名を言うて、それで仕舞いで」
「弁明の場は」
「縄の下で祈る間だけは、くれたようで」
傍聴席は水を打ったようになった。裁きの形をした裁きでないもの——それがどれほど深く人の胸に灼きつくか、この日の廷内は知った。そして人というものは、受けた仕打ちの形を、いつか自分が振るう側に回ったときにも、よく覚えているものである。
第二に、同盟の防衛である。ジョホールは条約を交わした盟友であり、ポルトガルは現にその喉元へ兵船を差し向けていた。盟友の門前で盟友の敵を討つのは、戦の理に適う、と。
第三に——ここが肝である——そもそもポルトガルには、あの海からオランダ船を締め出す権利など、初めからありはしない、という反駁である。弁士はローマ教皇の裁定書の写しを掲げ、百年余り前、教皇が地球に線を引いて、東の海をそっくりポルトガル王へ「与えた」条りを、わざとらしいほど荘重に読み上げた。廷内のそこかしこから失笑が漏れた。
「諸君。海が、贈り物にできる品でありましょうや。畑ならば柵も回せよう。だが潮に、誰が柵を回すのか。風に、誰が錠を下ろすのか。神が万人のために流しておられる水路を、一国の蔵に仕舞い込めるものか」
——海は神のもの。胡椒を運ぶ水夫たちの、あの古い言い草である。酒場で、埠頭で、談判の卓で幾度も交わされてきたあの応酬が、ここに初めて、法服をまとって公けの場に立ったのだ。
裁判長が一度だけ、弁士に問うた。
「では問うが、汝らの会社が特許状に謳う独占は、柵ではないのか」
「あれは海の柵にあらず、身内の列の順でございます」弁士は澄まして答えた。「海は万人に開かれ、列は国ごとに組む。——さよう心得ますれば」
廷内がどっと沸き、裁判長は苦い顔で槌を鳴らした。理屈の縫い目がどこにあるか、その場の誰もが薄々気づいていた。気づいていて、誰も縫い目をほどこうとはしなかった。ほどけば、こぼれるのは他人の金ではないからである。
九月九日、法院は裁決を下した。曰く——サンタ・カタリナ号とその積み荷は、正当なる戦利である。
乗組員には規定の分け前が配られ、末端の水夫でも年給の数年分を懐にした。荷を捨てぬ男ヘームスケルクの名は、氷の海に続いて南の海でも語り草となり、酒場では新地島の白熊と巨船の白帆が、一つの歌に詠み込まれて唄われた。
これにて一件落着——とは、ならなかった。
数日ののち、東インド館の一室。十七人会に列なる重役の幾人かが、勝訴の杯を前に、浮かぬ顔を突き合わせていた。
「法院は身内の法院だ。アムステルダムの裁きは、リスボンを黙らせぬ。パリもロンドンも、表では祝いを言い、内心では囁いておるぞ——オランダ人は商人の皮を被った海賊よ、とな」
「捨て置けばよかろう。荷は売れた。金は入った」
「今年の荷はな。だがわれらは来年も、再来年も、同じ海で同じことをする。特許は二十一年、航海のたびに欧州じゅうの札所で盗品の競売と後ろ指を差されては、買い手がやがて痩せる。それに、レインチェンスのような者は、この国の内にもまだ幾らもおるのだ」
「では、どうせよと」
年嵩の重役は、杯を置いて言った。
「剣は船を奪える。金は数えられる。だが、奪ったものを保つのは理屈だ。欧州の学者どもが黙る理屈——ラテン語で書かれた、堂々たる理屈が要る。法廷の判決は国の内で効く。理屈は、国境の外で効くのだ」
「して、誰に書かせる」
「ハーグに、化け物がいるそうな」
化け物、とは穏やかでない。だが当人の来歴を聞けば、誰しも得心がいく。
名をホイフ・デ・フロート。ラテン風に名乗って、フーゴー・グロティウス。デルフトの名家に生まれ、十一歳でライデンの大学に入り、十五歳で法学博士の帽子を受け、使節に随行して謁見した仏蘭西王アンリ四世をして「これぞオランダの奇蹟」と嘆ぜしめた早熟の才である。この年、ようやく二十一歳。ハーグで弁護士の看板を掲げ、暇には詩をラテン語で綴っていた。
秋の夕、その若者の机に、会社の使いが書類の山を積み上げた。ヘームスケルクの航海日誌の写し。マカオの生き残りの証言録。特許状の写し。教皇裁定書の抜き書き。ジョホール王弟の書簡の訳文。海事法院の裁決文。
「会社は貴君に、此度の捕獲の正しさを、欧州に向けて論証していただきたい。判決文の焼き直しでは困る。百年先にも通る理屈を、と重役がたの仰せです」
「百年先」若者は書類の山を眺め、それから使いを見た。「会社は、百年つづくおつもりか」
「さて。手前は使いですので」
使いが帰ったあと、若者は蝋燭を近づけ、書類を一枚、また一枚と繰った。氷の海から帳簿を担いで帰った提督。絞首台の並ぶマカオの桟橋。九十年の恨みを算える河口の王家。地球に線を引いた教皇。血の混じった配当を拒んで席を立った商人。そして、盗みか戦利かを問うた——奪われた側の船長の、あの苦い笑い。
夜半、彼は新しい紙を引き寄せ、いちばん上に、問いを一行だけ書きつけた。
——海は、果たして誰かの所有となりうるか。
書いてしまえば、あとは論理が論理を呼ぶ。潮は流れて一処に留まらず、風は国境を知らず、魚は柵を跳び越える。ならば、と若い羽根ペンは走り出し、朝の光が窓に差すまで止まらなかった。
かくて、剣が奪ったものを、筆が守る番となった。されど筆というものは、雇い主の思惑どおりには走らぬものである。一件の捕獲の弁護として始まった書き物は、若者の紙の上で、やがて海そのものの論へと育ってゆく。その書が『自由海論』と題されて世に出るとき、鎖された海に、何が起こるのか。そしてこの理屈は、めぐりめぐって誰の身を利し、誰の身を刺すのか。次回「若き法学者『自由海論』を草し 閉ざされし海に檄を飛ばす」を待たれよ。
(第七回 了)

いいなと思ったら応援しよう!
感じるままに。