なぜ人事の提案は経営にひっくり返されるのか
人事が時間をかけてまとめた提案を経営に持っていくと、「いや、それ本当にやるべき?」と根本からひっくり返される——そんな経験はないでしょうか。この"ちゃぶ台返し"が起きるのは、あなたの提案が甘いからではなく、経営と人事が"決めたい対象"を取り違えているだけなのです。 放置すれば議論は堂々巡りを続け、施策は形骸化し、意思決定はいつまでも属人化したままになります。今回は、なぜこの断絶が起こるのか、その構造と、明日から人事・経営の両者が共通言語を持てるようになるアプローチを紐解いていきます。
起案者と経営者は"決めたい対象"が違う

ちゃぶ台返しが起こるのは、起案者と経営者が見ている"決めるべきもの"がそもそも違うからです。
人事側の起案者が求めているのは、たいてい「この案でいきましょう」という承認です。もし承認が出ないなら、「では次は何を持ってくればいいか」という具体的な指示がほしい。つまり起案者にとっての決定対象は、あくまで「案そのものの是非」なのです。
一方で経営者や役員は、実は案そのものにそれほど強いこだわりを持っていません。彼らが本当に知りたいのは、「経営として得たい変化を、この案で確実に担保できるのか」という"決め方"のほうです。条件さえ満たされていれば、案がAでもBでも構わない。だからこそ提案を聞いた瞬間、「そもそもこの案でいいんだっけ?」「もっと違う方向はないの?」という、起案者からすれば話を広げているようにしか見えない一言が飛び出してきます。
これは、卓球のつもりで球を出しているのに、相手はサッカーボールを蹴り返してきているような状態に近いのではないでしょうか。同じ"競技"をしているつもりが、種目そのものが噛み合っていないのです。整理すると、人事が欲しいのは"案への承認"、経営が欲しいのは"変化の担保"——ここにすれ違いの正体があります。
明日からできる具体的な一歩は、案を持っていく前に「今回、経営に何を決めてほしいのか」を一度立ち止まって書き出してみることです。承認してほしいのか、方向性を一緒に決めたいのか。それだけでも、ちゃぶ台返しの頻度は変わってくるはずです。
「マネジメント研修やって」というオーダーの正体

人事の施策が難しいのは、発注する経営者自身も"何を解決したいのか"を明確に言語化できていないことが多いからです。
たとえば、従業員300名規模の企業で、経営者から「うちはマネジメント力に課題があるから、研修を考えてくれ」と依頼が降りてきたとします。人事は素直に研修会社を調べ、3社ほど比較検討して「この会社が良いと思います」と提案を持っていく。すると経営者は「うーん、それ研修なのかな……」と急に首をかしげる。人事からすれば「やれと言ったのはそちらではないか」と言いたくなる場面です。
ここで起きているのは、発注した経営者自身も、施策名でしか自分の違和感を表現できていなかったということです。何かがうまく回っていない感覚はある。けれどそれが研修で解けるのか、評価制度の話なのか、組織設計の話なのか、本人の中でも整理がついていません。「マネジメントの課題といえば研修だろう」というイメージだけで、施策名にラベリングして依頼を降ろしてしまう。だからこそ、人事が"研修案"という具体を持ってきた瞬間、本人の中に残っていた違和感とぶつかり、ちゃぶ台返しが発生するのです。
人事がここで一歩先に進むためにできることは、「施策名のオーダー」をそのまま真に受けないという姿勢を持つことです。依頼が来てすぐ研修会社を調べに行くのではなく、まず「研修で解決される、あの課題のことですね」と一度言葉にして経営者に返してみる。相手がうなずきながらも目が泳ぐようであれば、そこにまだ言語化されていない違和感が残っている証拠です。具体に入る前に、その違和感を一緒に掘り下げるフェーズに戻る。これだけでも、後工程のちゃぶ台返しは大きく減らせるはずです。
共通言語をつくる二つの軸──「ゴール」と「論点」

ちゃぶ台返しを構造的に防ぐカギは、組織の中に"ゴール"と"論点"という二つの共通言語を持つことです。
一つ目は「ゴール」。これは施策を実行すること自体ではなく、誰の・何が・どうなればいいのかという"状態の変化"を具体的に語り合うことです。事業計画は本来ストーリーであり、「このタイミングでこういう素養を持った人材が何人加わってくれれば、ここまで案件を受けられるようになる」というシナリオが背骨になっています。そのストーリーが組織内で共有されていれば、人事施策は自然と「このストーリーのどこに帰っていくのか」で語れるようになるのです。
二つ目は「論点」。これは、案を見たときに何を担保していれば意思決定できるのかという"決め方の軸"のことです。経営者が起案を見て「この案は何を担保している案なのか」と問えるかどうか。起案者が「この案はここまでの論点を押さえています」と答えられるかどうか。論点が揃わないまま案だけが行き交うから、議論はその場の意見に左右され、迷走していきます。
会議に持ち込む前に、次の5つを自問してみてください。
この提案で、誰の・何が・どう変わることを狙っているか(ゴール)
経営が意思決定するために、何を担保できていれば十分か(論点)
代替案と比べて、この案を選んだ決め手は何か
この案が外れた場合、次にどの論点から検討し直すか
この提案を一言で言うと、経営に何を決めてほしいのか
たった5つの問いに答えを用意しておくだけで、提案者と経営者が見ている地図は一気に揃います。それだけで、議論の質は別物になっていくはずです。
経営の話は、あなたの日常にも起きている
"決めたい対象"のすれ違いは、経営会議だけでなく、上司と部下の間でも毎日起きています。
「部下に仕事を渡したはずなのに、思っていたのと違う成果物が返ってきて、結局自分でやり直す」——多くの経営者・マネージャーが抱える"自分でやったほうが早い"という感覚の正体も、実は同じ構造にあります。上司は「この状態になっていればいい」というゴールのつもりで指示を出している。ところが部下は「この作業をやればいい」というタスクとして受け取っている。決めたい対象がゴールなのかタスクなのか、最初にすり合わせがないまま仕事が渡されているのです。
私がこれまで組織のコンサルティングやコーチングの現場で見てきた中でも、この構造のズレは役職が上がるほど見えにくくなっていきます。「ミドルマネジメントが弱いから組織がガタついている」「現場の主体性が足りないから施策が浸透しない」——こうした語りは一見正しく聞こえます。しかし現実には、ミドルだけが急にサボり始めることも、現場だけが突然主体性を失うこともありません。マネージャーの役割自体が曖昧なまま期待だけが積み上がっている、プレイヤー業務が過剰で部下を見る時間が物理的に確保されていない、上層部の方針が抽象的なまま現場に渡されて翻訳しきれていない——こうした構造が連鎖した結果として、「マネジメントが弱い」という現象が立ち上がってくるのです。
だからこそ、経営者・人事に必要なのは犯人を探すことではなく、構造を探すことです。関係者にインタビューしながらこの構造を一枚絵にして経営と共有できれば、「ここに手を入れれば、このオセロがひっくり返る」と話せるようになります。これこそが、ちゃぶ台返しにも"自分でやったほうが早い"にも振り回されない組織の土台をつくる作業に他なりません。
結論
経営者の"ちゃぶ台返し"も、部下の"自分でやったほうが早い"も、根っこの構造は共通しています。起案者と経営者、あるいは上司と部下が、"決めたい対象"を取り違えたまま話を進めてしまう——そこに原因があるのです。施策名やタスク名で降りてくるオーダーを真に受けず、ゴール(何が変化すればいいか)と論点(何を担保すれば意思決定できるか)を組織の共通言語にしていく。そのうえで、犯人ではなく構造を探す姿勢を、経営と人事、そして上司と部下の間で共有していく。これができている組織とできていない組織の差は、半年・一年単位で如実に表れてきます。
あなたの組織では、提案する側とされる側が「同じ対象」を議論できているでしょうか。最後に見直した起案書に、"ゴール"と"論点"の一行はあったでしょうか。もし少しでも違和感が残るなら、まずは次の提案から、フォーマットの一行を変えてみても良いかもしれません。
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