食事編①「なんでも不適切保育って言わないで!」当たり前を見直すきっかけ
完食指導が当たり前の中で受けた衝撃
ある時経験のある入職者の方から
「ごはんは減らしていい!!好きなものだけ食べればいい!!!」
とご飯を一口食べて終わりでもそのままごちそうさま、という指導を受けた頃。
その考えに腑に落ちず、もやもやした期間がありました。
結果的に今も、その価値観になったわけではありません。
ただ、
「なるべく食べさせよう」
「好き嫌いは頑張って克服させよう」
「残すことは悪いことだ」など
私たちが受けてきた教育を疑いもせずに、子どもたちにしていたことへの気づきは、当時の私たちには必要な意識改革でした。
かつての自分もされるのが嫌だったのに、むしろ
されたからこそ子どもに対してはそういうことをしていいものだ、という価値観にもつながっていたのかもしれません。
今の保育で課題になっていることは、食事以外のどの側面においてもこういった連鎖も大きいと思います。
当たり前を見直すきっかけがあった時、怒ったり焦ったり悲しんだりする必要はなく、(私は動揺しました。なんとか自分を律して学ぶことで、納得し落ち着いていきました)
目の前の子の姿を見直し、保育指針を見つめ、考えることが大切だと思っています。
①自分ごとに置き換える
あなたはこちらの栄養満点で美味しい料理を、目の前に置かれて「いただきまーす!」となんの躊躇いもなく食べることができますか?

すぐに食べることができる人もいれば、ちょっと戸惑うひともいるかもしれませんし、「なにこれ?」と絶対に食べたくない人もいるでしょう。
それは、これがなんの料理なのか、何でできているのか、どんな味がするのか予想がつかないからです。何か把握していないものを口に運ばないのは、生き物の防衛本能として、当たり前とも言えます。
子どもたちも同じです。
メニューを知らされなければ料理名も分からない、料理名を言われても知らないこともある、大人よりもずっと生きてきた経験が足りないことで、何が入っていてどんな味なのか予想がつきにくいことから、「食べたくない」になる子もいるのです。
いい匂いだからまあ食べてみるか、好きなウィンナーが入ってるから食べてみよう、なんかお星様になっててかわいいから食べてみようかな、など、自分の経験と感覚を元にした興味と防衛反応によって食べる食べないか決めているのです。
それは、悪いことでもなんでもありません。
それを踏まえると、メニューや食材を知ってから食べることは、食育以前に子どもの権利とも言えるかもしれませんね。
ちなみにさきほどの写真の料理は、
エグシスープという、
西アフリカ(特にナイジェリアやガーナ)で広く愛されている、実在する代表的な家庭料理です。
ここであー!と分かる人もいれば、「なにそれ?」となる人もいる。これも子どもと同じですね。
メロンの種の油分とタンパク質が豊富に含まれており、ほうれん草や豆などが入ったとても旨みのある美味しい料理だそうです。
子どもたちは、日本の食卓に出てくる料理や、食材をまだ全ては知りません。
生きてきた経験値が大人よりも少ないので、出てきた料理の味や食感を想定することも難しい。
なので、保育園生活では、メニューや食材を理解した上で、食事を始めることはとても重要です。
その上、私たちが意識していないような食感、匂い、味、見た目、それらの組み合わせ。
全てを私たちよりしっかり感じます。
抵抗があるのは当たり前なのです。
身体的な食欲に加えて、食事の時間は子どもたちの心に『不安』『意欲』を繰り返していきます。
「食への意欲」を生むには
・身体的な「空腹」
・美味しかった経験
・美味しさを共有した感覚と
・美味しさや楽しさと食事が結びつく感覚
・様々な感覚を言語化され認識できる安心感
・食材や調理法への知識による安心感や好感の積み重ね
「食への不安」を生むのは
・味、食感、見た目、熱さ、匂い、触り心地などで不快感
・五感で感じていることを意識的に認識できない漠然的な不安感や不快感
・未知への恐怖
・強制される経験、食に対する意識よりも他の「怒られないか」などに神経回路が使われていく経験
②食事はその子のためのもの
人権も保育指針も守った上で限られた人数で保育する難しさは、今でも感じていますし、当時もいつも迷い悩んでいました。
しかし、権利を守りながら養護の上での教育をすることを諦めたくありませんでした。
何をすることをやめて、何を見直すか、考え直していきました。
無理に食べさせない、けど色々なものを食べようとする姿に向かうアプローチは何なのかに近づけたと思っています。
強制、誘導、で主体性を取り上げず、
放任をして教育を放棄することでもない。
今日の栄養 < 生涯の主体的で健康な食事
と認識を変えて考えなくてはいけない事柄でした。
(※栄養を軽く考えているわけではなく、一生涯の食事に影響する事柄を総合的な健康ととらえます
こうして考えると、
🔵「完食させる」のは
「食への意欲」よりも「食への不安」を高め、抵抗感を強める
=【好き嫌いを助長する】ことにも繋がりうる
🔵「食への自己認知」「食への知識と興味」「自分や身体のつくりへの興味」「食と体のつながり」が包括的に散りばめられることが自分ごとの食事へと繋がる。
結果的に【好き嫌いが減る】ことにつながる場面をたくさん見てきました。
たくさんの内発的な動機づけ
興味づけ
経験のフィードバックによる自己認知
を食事の中で経験していくことで
【人生においての食事の捉え方】が決まっていくのです。
⬇️
外発的動機づけ、強制、やみくもで一方的な食の操作はその真逆であるということになります。
「無理に食べさせなくていいんだ」のその先には
食の意欲につながる多様な引き出しが必要です。
お皿に乗っているだけで食欲がなくなる子もいるからです。
スモールステップの作り方についての
具体的な実践もぜひご覧ください⬇️
完食指導を手放した具体的な実践については⬇️
主体的な食事への変革期に起きる混乱について⬇️
主体的な食事に関係するマネジメントについて⬇️
『主体的な食事始めてみたあとに起きること』について近日公開予定です!
ぜひ、フォローしてお待ちください🌼
保育では、子どもたちの食事に対しては
知識、対話、自己決定、寄り添い、見守り
で主体的に食事とからだとこころを結びつけていく力を育んでいきます。
0歳からの6年間で、保育園で食事(午後おやつを含む)をする回数は、単純計算で
\ 3000回!!! /
午前おやつも含めるともっと多いです。
その回の繰り返しの中で、
楽しい経験と自己認知のサポートをされ、主体的に食事をすることで
『一生の8万回〜10万回の食事』の満足度や楽しさ、健康に影響していくんですね。
そう考えるとより一層、日々忙しい毎日の中で特に忙しい時間帯ではありますが、こう思うと見直しながら最善の保育に努めたいですね!
生きる力の土台について、食事以外の場面についてはこちらをぜひご覧ください⬇️
