【エッセイ】あの10円が教えてくれたこと。母の肩たたき。
私がはじめて手にしたお金、それは記憶の中を辿るとお年玉だ。でも、何かの対価としてもらったお金は別にある。
それは、母の肩たたきだ。
幼稚園だっただろうか、あるいは小学校低学年だったかもしれない。
まだまだ小さいとは言え、お金というものを認識し始めた年頃だった。
当時は今から25年ほど前で、その時からすでにガチャガチャが流行っていた。額で言えば今より安く、100円でできるものが多かったが、それでも子どもにとっては高い。
2つ年下の弟は私と違い遠慮なく「ガチャ!ガチャ!」と親に、時には一緒に暮らしていた祖母にせがんでいた。
生粋の長男気質だった私は、その弟のせがみに便乗して、でもどこか遠慮しながらガチャガチャをやらせてもらっていた。
そんな頃だ。母の肩たたきが始まったのは。
当時は子育てが落ち着いた母が、共働きのために仕事を始めた頃。
朝は早くから新聞配達。昼間はパート。
その合間の時間や帰ってきたら家事がある。
寒くて暗い日も早くから車のエンジンがかかる音。
そんなだから、きっと身体中バキバキに疲れていたのだろう。ガチャガチャをせがまれるのもあったかもしれない。
「2人とも、肩たたきしたら10円あげるよ」
そう母が言った。
日頃から肩痛い腰痛いと言っていたものだから、子どもなりに心配もする。
当時はお金が欲しいとか、ガチャガチャのためにとか、そういう気持ちの前に大変そうだから肩をたたいて良くなってほしい。そういう思いの方があった。
「そこ違う。もっとこっち。」
注文の多いお客さんだったが、終わった後には
「ありがとう、はい10円ね」
と手渡してくれた。
これは私にとって初めて価値との交換でお金を得た瞬間だった。だからといって何かお金を稼ぐことの面白さに目覚めるとかではなく、
肩たたきも、その後年齢が上がるにつれ、あまりしなくなった。「めんどくせえ」と思うようになったし、「10円なんていらん」とも思っていた。
初めての肩たたき、初めて価値との交換で得た10円。その記憶は頭の引き出しの奥底にしまわれることになった。あの時までは。
時はたち、私も結婚した。
妻は肩こりがひどく、天気が悪いと「痛い痛い」と騒ぎ出す。
「しょうがないなぁ」
ちょっと面倒くさそうに私は妻の肩たたきをする。弱すぎず強すぎず、筋肉を痛めないように「たたき&指圧」の合わせ技で。
「え、上手だね」
妻が驚く。今では辛い日の寝る前に肩を押してあげるのがルーティン化している。
「何でそんなに上手なの?なんかやってた?」
この時だ。母の肩たたきを思い出したのは。
妻の問いに当時の記憶が蘇る。
あの時得たお金は10円だ。駄菓子屋の10円ガムしか買えない。
でも、それ以上に実は私が価値をもらっていたことに気づく。人に感謝される「肩たたきができるやつ」になっていたのだ。
時にお金は額面以上の価値を持つ。
それがいつどう役立つかわからないし、役立たないものもあるかもしれない。
でも額面や数字だけでは測れないものがあったりする。そういう目に見えない価値も、感じられる自分でいたい。
母の肩たたきは、そんなことを教えてくれたのかもしれない。
この記事は
レンタル無職ズボラさんの「#はじめてのお金」に合わせて執筆させていただきました。
改めてお金や、お金で見えない価値の両方について考えるきっかけになりました。素敵な企画にも感謝!
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