『地獄まで愛して』第2話|清算したはずの女が突然現れたならー幸せな家庭のメッキが剥がれ始めた日
こんにちは!ぱるるです。 『地獄まで愛して』第2話をお届けします。
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あの夜から6年。 帰宅した俊介を待っていたのは、招かれざる客でした。
美しい妻が連れてきた「新しいお友達」。自分の息子と瓜二つの子供。そして、向かいのビルの同じ階に引っ越してきたという、あまりにも出来すぎた偶然。
俊介の耳の奥で鳴り止まない電子音は、崩壊へのカウントダウンなのか。幸せな家庭に土足で入りこんできた、清算したはずの過去。
「沙耶さん? ええ、すごい素敵な方よ。NYに住んでらしたから、とっても洗練されてるの。でもね、彼女が私と夫を見つめる時のあの冷たい眼差し……時々ゾクッとするの。まるで、私の『幸せな家庭』を壊そうと、何か恐ろしい事をたくらんでるみたいで」 ――山内麗華
女の直感は、恐ろしいですね…..。
俊介を追い詰める、戦慄の第2話。さっそく見ていきましょう。
第2話:過去の女がやってきた
あの夜から、六年。
都心の一等地にそびえ立つ高級マンションの前に、黒塗りの高級車が静かに滑り込んだ。運転手がうやうやしくドアを開けると、仕立ての良いスーツに身を包んだスラッとした長身の男、山内俊介が降り立った。その胸元には、重厚な純銀の都議バッジが街灯を跳ね返し、暗闇の中で鈍く光っていた。
「お疲れ様でした」
「うん、ありがとう。また明日」
短く挨拶を交わし、俊介は重厚なエントランスへと足を踏み入れた。かつてのどこか危うい色気は、今や「若手政治家のホープ」という、華々しさと重々しさを備え持つ仮面の下に深く静かに押し殺されている。しかし、その隙のない佇まいの端々からは、かつての刺すような危うさが、時折、冷徹な色気となって見え隠れしていた。
「ただいま」 玄関の扉を閉め、いつものように壁に右手を添えて靴を脱ごうとした時、俊介の動きがふと止まった。 耳の奥で、かすかに電子音が脈打つ。(ピッ……ピッ……ピッ……) 頭を振ると、音は消えた。
「疲れてるのかな……」 小さく呟いて、視線を落とすと、隅に並べられた、見慣れない女物のスニーカー、そして、それに寄り添うような小さな子供靴に気がついた。リビングからは、妻・麗華の弾んだ笑い声が聞こえてくる。
「おかえりなさい! よかった、今日は早かったのね!」
リビングのドアが開くと、麗華の弾むような声が廊下に響いた。大きく膨らんだお腹を慈しむように両手で支え、ゆっくりとした足取りでこちらへ歩いてくる。 妊娠七ヶ月。屈託のない笑顔を浮かべて近づいてくる彼女は、まるで全身から幸福な光を放っているかのようだった。
「今日ね、公園で新しいお友達ができたの! あなたにもぜひ会ってほしくて。陽(よう)と同い年で、お誕生日も一日しか違わないのよ。しかも、来月から同じ幼稚園なんですって! すっごく素敵な方なの、さあ、早く来て!」
急き立てる麗華に背中を押され、リビングへ足を踏み入れると、視界に飛び込んできたのは、ソファに深く腰を下ろした一人の女だった。床では小さな男児がレゴを積み上げ、女はその頭を優しく撫でている。
――そして、女がゆっくりと顔を上げた。
「お邪魔してます。すみません、今日奥様にお会いしたばかりなのに、図々しく親子でお邪魔しちゃって」
俊介の全身から、血の気が引いた。そこにいたのは、六年前、あの夜に清算したはずの女――沙耶だった。
悪びれる様子もなく、沙耶は優雅に会釈した。俊介は呼吸の仕方を忘れたように立ち尽くす。頭のてっぺんから足の指先まで、一瞬にして体温が抜けていく。背後では、何も知らない麗華が「そんな、全然気にしないで」と明るい声を上げている。今、俊介の視界の中心にいるのは、六年前、すべてを終わらせて別れたはずの女。なぜ、彼女が自分の自宅のリビングで、何食わぬ顔、いや、余裕の笑すら浮かべて座っているんだ?
「あ……っ!」
その瞬間、刺すような鋭い白光が視界を貫き、目の前が真っ白に染まった。あまりの眩しさに俊介はのけぞり、思わず目を押さえる。
「あなた? どうしたの、大丈夫?」
麗華の声が遠くで響く。俊介は激しい眩暈に耐え、崩れ落ちそうな表情を必死に繋ぎ止めた。ダイニングテーブルに左手を突き、どうにか体を支えながら裏返った声で言葉を絞り出す。
「あ……いや、なんでもない。ちょっと疲れてるだけだ。……初めまして。あ、いや……いらっしゃい。ゆっくりしていってください」自分でも、滑稽なほど呂律が回っていないのが分かった。
麗華はくすくすと笑い声を上げた。 「ふふ、沙耶さんが美人だからって、そんなに緊張しちゃって。もう、妬いちゃうわ。……なんて、冗談よ。大丈夫、彼女とってもフレンドリーな方だから。ね、沙耶さん?」
沙耶は、微笑みを崩さずに頷く。「お疲れのところ、すみません。議員さんって伺って……すごいわ。そんな立派なお仕事されてるなんて、尊敬しちゃいます。お会いできて光栄です」
微笑を浮かべながらも、その瞳の奥には、俊介を突き放すような冷ややかさが宿っていた。それとは対照的に、麗華はいたずらな笑みを浮かべ、何も知らぬまま無邪気に言葉を捲し立てる。
「全然、全然。主人の父も議員で、ただの議員家系なだけなのよ。主人はただ、お義父さんの言うことに『はいはい』って頷いていればいいんだもの。ね、あなた?」 顔を引きつらせながらも、俊介は必死に微笑を繕った。
「麗華さん、そんな謙遜されないで。俊介さん、なんかすみません。お気を遣わせちゃって」
麗華はますます饒舌になる。 「謙遜じゃないわ。それよりあなた、沙耶さんのご主人、本当にすごいのよ! 日本人だけどロンドン生まれのニューヨーク育ち。今も向こうでアートディーラーっていうお仕事をされているんですって。美術関係のお仕事だなんて、素敵よね。でもね、ご本人が日本語でとても苦労されたから、子供には絶対に日本語を身につけさせたいって、わざわざ帰国して日本の幼稚園に入れることにしたんですって。すごいインターナショナルよね」
「あ、ああ……」
「今のお仕事が片付いたら、旦那様もこちらに来て、東京でギャラリーを開く予定なんですって。本当に素敵よね。恥ずかしい話、うちは夫婦揃って英語がさっぱりダメで。ハワイに行くのでさえ、ちょっと緊張しちゃうくらいなんですもの。ねえ、沙耶さんに英語、ぜひ教えていただきたいわ。……ねえ、あなた、聞いてるの?」
沙耶は「やめてよ」と言いたげに困った顔をしてみせた。「やだ、本当に凄くないのよ。ただニューヨークに住んでいたというだけなんですもの。勝手にハードルを上げられたら、私こそ逃げ出したくなっちゃうわ」 彼女は軽やかに笑い、場を和ませた。
「でも、本当に今日沙耶さんと会えたのはラッキーだったわ」 麗華は無邪気に続ける。「あそこの公園の人たちって、なんていうか、こういったら、失礼かもしれないけど、少しお育ちが違う感じでしょう? なかなか馴染めずにいたんだけど、涼くんは陽のお友達にぴったり!なんだか雰囲気が凄く似てるのよね。ほら、見て。……まるで兄弟、ううん、双子みたいじゃない? ねえ、あなた、聞いてる? そう思わない?」
テーブルを支える俊介の手のひらが、じっとりと汗ばんでいく。額にも脂汗が滲み、肌にまとわりついた。 陽と涼。同い年で、驚くほど似通った骨格。 「……そうか? 似てるかな」 乾ききった喉を震わせ、俊介はようやくそれだけを返した。
「あ、ごめんなさい。すっかり長居しちゃって。さあ、涼、帰ろう」 沙耶が促すと、麗華が名残惜しそうに立ち上がった。
「今度はぜひ、お夕飯もご一緒しましょうね」
そこで麗華は、「あ!」と声を弾ませて俊介を振り返った。
「ねえ、もう一つ、すごい偶然があるのよ。沙耶さんのマンション、うちの真向かいのあの棟なんですって!しかも、同じ十五階!」 俊介の額から、一筋の汗が顎に向かって流れ落ちた。 麗華が窓の外、道路を挟んでそびえ立つビルを指差す。
「1503号室。本当に奇跡みたいな偶然よね」 重ねるように、沙耶が俊介の目を見て微笑んだ。
「そうなの。1503号室。……本当に偶然。今度はぜひ、私のお部屋にも遊びにいらして」
「是非伺うわ! バイバイ、涼くん」 手を振り合う子供たち。俊介は、机にもたれたまま、沙耶が座っていたソファーを血の気の引いた表情で、いつまでも見つめていた。
その夜、寝室を支配する沈黙は、俊介の身体をじりじりと圧迫した。 彼は麗華から逃れるようにダブルベッドの端へと身を寄せ、背を向けた。自分を保護する唯一の防壁として毛布を強く握りしめ、闇の中でただ小さく固まっていた。
「沙耶さんって、本当に素敵よね……」 麗華がベッドサイドでハンドクリームを塗りながら、独り言のように呟く。「あなたはどう思った?」
「……別に。普通だろ。どっちかと言えば、地味な人じゃないか」
「もう、あなたって本当に分かってないわね〜。 あれがニューヨークスタイルなのよ。日本人みたいに、チャラチャラと無駄に、着飾らないの。ほんと、素敵だったわ。でも、涼くん、さすがに良いスニーカー履いてわ。陽にも買ってあげなくちゃ」
麗華はクスクスと笑い、ハンドクリームを腕まで丹念に塗り込みながら言葉を続けた。「でもね、沙耶さん、日本で長く付き合っていた人がいたんですって。五年間も。それなのに、散々嘘をつかれて二股をかけられていたことが分かって、最後はポイ捨てされたらしいわよ。……しっかし、ひどい男よね。女の一番大切な時期を奪っておいて。絶対いつかバチが当たるわよ。ふふっ、もう当たってるかもしれないけれど。ふふっ。 でも沙耶さん、そんな奴に人生を踏みにじられてたまるかって、単身でニューヨークに渡ったんですって。そこで今の素敵な旦那様と出会ったんだから、人生って分からないわね。親の決めた通りに歩んできただけの私と違って、自分で運命を切り拓いていて素敵だわ。……なんだか、引け目を感じちゃう」
俊介は暗闇の中、目を見開いたまま一点を見つめ、石のように固まっていた。ハンドクリームを塗り終えた麗華は、サイドテーブルから携帯を手に取ると、今日公園で撮った四人の写真を満足げに眺めた。聖母のような、愛情深い笑みを湛えた二人の母親の間で、双子のように似通った二人の男の子が、おどけた表情で写っている。
麗華の指が、そっと愛おしそうに携帯の画面をなぞる。「本当に、二人……双子みたいだわ」
次の瞬間、麗華の表情から全ての温度が消え失せた。視線は手元の携帯から、隣で背を向け、眠ったふりを続ける俊介の「後頭部」へとゆっくり移動する。暗闇の中、獲物を品定めするような冷徹な眼差しで、彼女は夫の頭から、布団の下で微かに盛り上がっている細く骨ばった腰のラインまでを、無言のまま舐めるように一瞥した。
数秒後、また何事もなかったかのように一瞬にして麗華の顔に聖母の微笑が浮かび上がる。最後にもう一度だけ写真を満足そうに眺め、携帯を置くと、迷いのない動作でサイドランプのスイッチを切った。
部屋が深い闇に沈み、再びあの電子音が俊介の耳の奥で鳴り出した。ピッ……ピッ……ピッ……。 その音に共鳴するかのように、麗華の穏やかな寝息が重なり始めた。俊介は身じろぎ一つせず、ベッドの端で、出口のない虚空をただじっと見つめ続けていた。
ーーつづく
日曜20時、前作「脳内上映会」の長編完結編を公開予定。
「地獄まで愛して」第3話は、月曜の夜に公開します!
