「どうしてそんなことを…」と師匠に言われた日(占い師になったきっかけ6)
ふつうの帰り道が、ある日突然、人生の分かれ道になることがある。
今日と同じように過ごした昨日が、もう戻ってこない日だってある。
でもその変化の先に、誰かとつながる“道”ができるのなら、 あの日の出来事にも、ちゃんと意味があったのだろう。
これまでのあらすじを振り返らせてください。
会社の後輩に誘われて訪れた「占いの街」で、ひとりの占い師エミさんと出会う。
彼女のやさしくもしなやかな鑑定に心を打たれ、「こんなふうに人に寄り添える占いがしたい」と、弟子入りを決意。
会社員として働くかたわら、週末アシスタントとして占いの世界へ一歩を踏み出した。
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真っ白になっていたエミさんの右手
いつものように、お店を閉める準備をしていた。 掃除をして、看板を片づけて、シャッターを下ろして。
「おつかれさまでした」 そう言って、エミさんと反対方向に歩き出した。
その30秒後——。
「ドンッ」という音と、きしむようなブレーキ音。 振り返った瞬間、見たくないものが視界に入ってきた。
斜めに止まった青い軽自動車と、その向こう側で倒れているエミさん。
鼓動の音すら聞こえなくなるほどの静寂と、 それを引き裂くようなクラクション。
気づいたら、走っていた。
エミさんは歩道に仰向けになり、痛みで呼吸もままならない。
私は咄嗟に持っていたカバンを枕がわりに敷いて、 震える手でスマホを取り出し、救急車を呼んだ。
あとからわかったことだけど、運転手は対向車の大きさに気を取られて、歩道に大きくはみ出してしまったらしい。
車のドアが開く音も、サイレンの音も、 遠くの国で起きていることみたいにぼんやり聞こえていた。
でも、手だけは離さなかった。 血の気が無くなって真っ白になったエミさんの手を、ずっと握っていた。
占いは「心の痛み」に寄り添えるけれど
あの日ほど、自分の無力さに打ちのめされた日はない。
占いでは、人の心の痛みを抱きしめることはできる。 でも、目の前で苦しむ人の身体の痛みには、なにもできないんだと知った。
エミさんは、そのまま入院することになった。

「私は大丈夫だから」と痛々しい笑顔を見せてくれたけれど、 検査の結果、脊椎を損傷していて、手術が必要だとわかった。
私は翌日、会社を休んで店へ向かった。
連絡のつくお客さまには事情を説明し、 連絡つかずに来店してしまったお客様には、お詫びをしながらお茶を淹れた。
「せっかく来てくださったので、 よければ少しお話でも……」
雑談のつもりが、気づけばエミさんの話になっていて、お客様も私も涙を流していた。
エミさんから「店を閉める」と言われた日
それからの私は、会社員と占い師の“二足のわらじ生活”。
週末だけだけど、店を開けて、朝から晩までフルで私が鑑定をするようになった。
たまたま、今でいうインフルエンサーのような人が来てくれて、 ネットで紹介してくれたおかげで、予約がぽつぽつ埋まるようになった。
週に何度かは、仕事を早めに切り上げて病院にも通った。 エミさんは、いつも笑顔で私を迎えてくれた。 でも、ある日、ぽつりと言った。
「ごめんね、お店を閉めようと思うの」
聞けば、手術は成功したものの、 退院しても車椅子生活になるという。
「ずっと前から余生は潮の香りがする場所にある老人ホームで過ごそうって決めていたの。そろそろその時期なんじゃないかって」
笑っていたけど、目は少しだけ遠くを見ていた。
そのとき、私は自分でもびっくりするようなことを口にしていた。
「海の近くの老人ホームは、もう少し後にしませんか? 俺、会社を辞めて、エミさんのサポートをするので、 もう少しお店を続けませんか?」
「なに馬鹿なこと言ってるのよ」
そう言われたけれど、不思議と、 それが自分の中で一番しっくりくる選択だった。
あのお店で、私は誰かの話を聞く喜びを知った。 エミさんと一緒にいることで、 言葉の奥にある気持ちを感じる力が、少しずつ育っていった。
会社を辞めることよりも、それを手放すことのほうが怖かった。
新入社員研修から生まれた「自分の道」
会社に退職届を出したことを、エミさんには事後報告で伝えた。
「どうしてそんなことを……」
そう言って泣いたエミさんを、 私ははじめて見た。
2ヶ月後の退職日。 送別会と称して、新入社員研修時代の新人メンバーが集まってくれた。
タカコとケンボーが幹事になって、みんなを集めてくれたとのこと。
研修を初めた頃は「辞める新人をできるだけ少なくしなければ」なんて思ってたけど、 一番最初に辞めるのが私になるなんて。
そうだ、占いを始めたきっかけも、 あの新入社員研修だった。
彼らと作った占いプログラムが、 いつのまにか”自分の道”になっていることが、なんだか誇らしかった。
会社も仕事も好きだったし、自分を育ててもらった恩もあったので、辞めることに申し訳なさを感じていた。
でも”自分の道”を歩んだ先にある未来に不安はなかった。
普段、鑑定の場で運命について説明することはよくあったけれど、まさに運命ってこうやって紡がれていくのだなと肌で感じた。
一緒に暮らす、という選択
エミさんが退院してから、 私はエミさんの家で暮らすようになった。
朝は車椅子を押してお店へ行き、 昼は一緒に街を歩き、夜は買い物をして家に帰る。

ごくふつうの、でも特別な日々。
しばらくして、私が住んでいたワンルームマンションは解約した。
私はエミさんの正式な弟子として迎えられていたわけじゃない。 押しかけ女房のようにいつの間にか隣にいただけだ。でも確かに、あの家には“師弟”のような時間が流れていた。
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