師匠の引退を見届けるまでの日々(占い師になったきっかけ 最終回)
いっしょに過ごす時間が長くなるほど、
言葉じゃなくて、湯気の立ち方とか、ドアの閉め方とか、
そんなもので心が通じるようになっていく。
教えてもらったことはたくさんあるけれど、
暮らしのなかで染みついたもののほうが、ずっと深く刻まれた。
これは、「私が占い師になった話」というよりも、
ひとりの人間から、命の火を受け取った話。
これで最後になりますが……これまでのあらすじを振り返らせてください。
「占いなんて、興味ないです」
そんな新人くんの言葉から始まった、小さな物語。
最初は、ただの研修用に作った占いプログラムだった。
それが社内で話題になり、思いがけず社長室に呼ばれ、
やがて「あなた、占い師になるわよ」と言われる日がやってくる。
反発と戸惑いのなか、私は三軒目の占い館でエミさんという女性に出会った。
彼女のやさしさとユーモアに触れながら、週末だけのアシスタントから、やがて師弟のような関係へと変わっていく。
占いに半信半疑だった私が、「この人みたいになりたい」と願うようになるまで、そう時間はかからなかった。
しかし、運命は急カーブを描く。
ある日、店の前でエミさんが交通事故に遭い、私は彼女の身体を支えながら暮らし始めることになる。
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花に囲まれた部屋と、穏やかに流れる日々
エミさんが退院して、私は自然とエミさんの家に住むようになった。
車椅子を押して一緒に店に向かい、昼休みにはふたりで街をぶらぶら散歩して、夜は買い物をして帰宅する。

そんな日々が続いて、私はそれまで住んでいたワンルームの部屋を手放した。
店には、エミさんの復帰を喜んだお客様たちがたくさん訪れてくれた。
お菓子やお花、退院祝いの品が毎日のように届いて、鑑定の部屋は、まるで花屋さんみたいになっていた。
家では、エミさんがごはんを作ってくれた。
その間に、私は掃除をしたり洗濯をしたり。
京都出身のエミさんの料理は、薄味のだしがきいた品が多くて、からだにも優しくて、どれも好きだった。
ある日、エミさんがお風呂で転んだ。
幸い、大事には至らなかったけれど、それをきっかけに私が入浴を手伝うようになった。
最初は私は服を着て手伝っていたけど、服が濡れるのが面倒で、途中からは私も一緒にお風呂に入るようになった。
母よりも年上の女性と風呂に入っても、性的な感情が湧くことはなかった。
でも、当時の私はまだ20代。とくに理由もなく下半身が大きく反応してしまうことは、正直あった。
そんなとき、エミさんは笑って「元気なのね」と、からかうように言った。
それは妙に自然で、気まずさもなく、ふたりの間に流れる空気がやわらかくなる瞬間でもあった。
穏やかな日常ではあったけれど、まったくケンカをしなかったわけではない。
怒鳴り合いをしたことが一度だけあった。なにかの拍子に「まだ青二才のくせに!!」と怒鳴られ、「うるせー、このクソババア!」と応戦した。
……それを言ってしまった自分に対してすごい嫌な気分になった。
きっと、エミさんも一緒だったのだろう。
そのあとは、また穏やかな日々が戻ってきた。
季節のめぐりに寄り添って生きること
エミさんは、丁寧に日常を暮らす人だった。
占い師というと「自分の生活は乱雑で、他人にだけ立派なことを言う人」という印象を持たれがちだけど、エミさんはちがった。
早寝早起きをして、掃除も手を抜かず、料理も旬の素材を使った優しい味のものが多かった。
季節や暦に寄り添うように暮らしていて、五節句や二十四節気、七十二候に合わせて玄関や店に飾る花を選んだりした。
「運気ってね、季節とおんなじなのよ。めぐり(巡り)ときざし(兆し)を感じることが大切なの」
そうやって、春の訪れを待つように、人生の流れにも耳をすますことを教えてくれた。
エミさんから学んだ占いは、ただの技術や知識ではなく、人生の巡りや暮らし方そのものだったのかもしれない。
彼女と共に季節の円環を何周かできたことに、今はものすごい幸運と感謝を感じている。
ずっとあとになって気づいたことがある。
エミさんは、誰のことも悪く言わなかった。
たまに占い師仲間とごはんに行くと、必ずと言っていいほど「お客様の愚痴」が話題にのぼる。
だけど、エミさんからそんな言葉を聞いたことが一度もなかった。
占い師に限らず、どんな接客業であってもお客様にイラッとする瞬間だってあるはずなのに。
それを仕事の日はもちろん、オフの日にも口にしないって、簡単そうで、実はとても難しい。
たぶん「お客様の悪口は言わない」と決めていたわけではなく、そもそもそう思うことがなかったのだろう……穏やかで寛容な人だったから。
本当に愛に満ちた人だった。
これを書きながら、またエミさんに会いたいと思ってしまう。
うなずくことしか出来なかった
5年の月日が流れるうちに、エミさんは少しずつ衰えていった。
鑑定の途中で言葉に詰まることが増え、星の名前を思い出せなくなることもあった。
新規のお客様は受けず、だんだんと予約の枠が空くようになり、その分を私が担当するようになった。
そんなある日、ふたりで2泊3日の島根旅行に出かけた。
夕暮れの宍道湖で、車椅子に座ったエミさんがぽつりと言った。
「もう、引退しようと思うの」
その言葉に、私は何も返せなかった。
「うん」とうなずくのが精いっぱいで、涙がぽろぽろこぼれた。
横を見たら、エミさんも泣いていた。

新しい生活の始まりと一箱の段ボール
引退の日、小さなお店にはたくさんの人が集まった。
みんな、エミさんと写真を撮りたがって、私は撮影係としてあちこち動きまわった。
あとでその写真をアルバムにして、エミさんに渡した。
「あなたがいてくれて、本当によかった」
そんな言葉を、あとから何度ももらった。
そのまま一緒に暮らすつもりだった私に、エミさんは言った。
「私がいたら、あなた彼氏も彼女もできないでしょ」
そう言って、海の見える老人ホームに入居することになった。
私たちが暮らしていた家は手放し、店は私が引き継いだ。
そして、近くに単身用の小さな部屋を借りて、新たな生活が始まった。
家を出る日に、「これ、あなたに預けるわ」と渡された段ボール。
中には、びっしり文字の詰まったノートや本が入っていた。
受け取ったバトンを次に託すまで
エミさんが引退して、店を離れたお客様もいれば、戻ってきてくれた人もいた。「やっぱりこの店の空気が好きで」と言ってくれた言葉が、胸に残っている。
若造だった私に、「あなたの話し方、エミさんにそっくりね」と言ってくれた人もいた。なんだか照れくさくて、でもうれしかった。
エミさんに初めて会ってから、もう二十年以上が経った。
でも、いまだに「自分らしい占いのスタイルが確立できた」とは言えない。
むしろ、変なクセがついてしまったときに「エミさんなら、こうはしないよな」と初心に戻ることのほうが多い。
引退した後のエミさんから、何度も言われた言葉がある。
「私を継いでくれる人を、残せたことが嬉しい」
私のことを弟子として見てくれていたこと、誇りに思ってくれていたこと。
それを知って、胸が熱くなった。
弟子入りを志願した人はそれまで何人もいたのに、誰にも受け入れなかったエミさんが、なぜか私を選んでくれた。
最初に会ったあの日、占いの星だけじゃなく、「この子なら」という直感があったと、あとで聞いた。
「あと…今は上手く言えないんだけど、あなたに占い師になることを話した一番の理由があるの。もしそのタイミングが来たら話すわね」
2回目に会った時にそう言っていた”一番の理由”は、私ならエミさんの紡いだものを引き継いでくれると直感したからなのだそうだ。
私はまだ、自分が誰かを育てる側に立てるとは思っていない。
でも、エミさんから受け取ったものを、私で終わらせてしまうのはもったいないと思う。
十年後、二十年後。いつかその日がきたら。
エミさんから受け継いだ火を、そっと次の誰かに手渡せたらいいな。
エミさんが赤裸々な日常を書いた日記を段ボールに入れて私に託してくれたように、私が歩んできた日々もこのnoteに綴って残していこうと思う。
(おわり)
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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