はじめてのホストクラブで水割りを浴びた夜 後編 (大学2年のころ)
大学2年の春。中学時代の元彼・アキラと再会した私は、彼がホストとして働いていることを知る。
かつての真面目な少年とはまるで別人のような姿に驚きつつも、彼の誘いでホストクラブの初入店へ。源氏名は“ツバキ”。慣れないスーツに身を包み、アキラ(=源氏名トウマ)の隣で初めての接客に臨むことに。
緊張の中、最初の客から受け取ったチップの一万円札に、胸がざわつく。
だが次のテーブルで、状況は一変する。酔った女性客たちの前で、私は透明人間のように扱われ、戸惑いながらもホストの“見えないルール”を学び始める。
やがて「くわえてみて」と行きすぎた悪ノリと嘲笑がエスカレートし、水割りが顔に浴びせられた瞬間、アキラが客の頭に氷をぶちまける。
トウマは店の奥へと連れ去られ、
そして――その奥で、さらなる暴力が始まろうとしていた。
(前編から読む方はこちら ↓)
ハイヒールのかかとが後頭部に突き刺さる
私は、トウマが連れて行かれたバックヤードに向かった。
なにかしなきゃ、って思ったわけじゃない。
でも、じっと座ってることはできなかった。
奥の壁にもたれかかるようにして、トウマが立たされていた。
両肩を、ホストの誰かが押さえつけている。
そして、そこに、店長が現れた。
何も言わず、ただ手にしていたマルボロの箱を、
トウマの口の中に、ぐいっと突っ込んだ。
次の瞬間、
腹に、キレのあるボディーブローが連続で打ち込まれた。
1発、2発、3、4、5。
トウマの体が、衝撃で少しずつ折れ曲がっていく。
でも、声は出ない。
いや、正確には、声を出せないようにされていた。
口に詰められたマルボロは、サルグツワ代わりだった。
フロアには、変わらず音楽が流れていた。
「お客様のところへ連れて行け」
店長がそれだけ言うと、ホストたちはトウマの両肩を抱え、
またあのキラキラした照明のフロアへ連れ戻した。
トウマは、フリフリの目の前に引きずり出された。
そして、その場で土下座させられた。
「おい、謝れ!」
どなり声が飛ぶ。
でも、トウマは、何も言わなかった。
言いたくなかったのか。
腹を殴られすぎて、声が出なかったのか。
そのときの私には、わからなかった。
その沈黙に業を煮やしたフリフリが、
席を立ち、手にしていた新しいアイスペールを、
トウマの頭上にぶちまけた。
ガラガラと氷が降り注ぎ、髪の毛が冷たい音を立てた。
そして、ヒールのかかとが、彼の後頭部に振り下ろされた。
「このクソゲイが! 二度と顔見せないで!
気持ち悪いから、このゴミ、どこかに捨ててきてよ!」
ゴツン、という鈍い音が、床に響いた。
その音で、私の中の何かがちいさく割れた。
私は、思わず立ち上がった。
ーーだけど、何もできなかった。
ふたたびホストたちが、トウマの脇をかかえ、
店の外へと連れて行った。
さすがに、すぐ外には置けないと思ったのか、
もう少し歩いて、歌舞伎町の裏手、
昼間でも薄暗いような路地に入っていった。
そして、その路地裏のアスファルトの上に、
彼はぽつんと、放り出された。

私は、その背中を見ながら、
「なんでここに来たんだろう」と思っていた。
“トウマに誘われたから”じゃ、もう済まないところまで来ていた。
「ごめん」とは簡単に言えなかった
何も言わずに、肩を貸した。
靖国通りまで出て、ようやくタクシーを拾った。

彼はお腹を押さえて、ずっと小さくうずくまっていた。
私は、彼の背中をそっとさすっていた。
なにか言葉をかける代わりに、手のひらを動かしていた。
運転手は「ここで吐かないでよ」と、何度か言った。
そのたびに私は「大丈夫です」とだけ返して、
また手を戻した。
車内での会話は、それだけだった。
タクシー代は、あのときチップでもらった1万円で払った。
アキラの部屋に着いて、電気をつけてから、
私は、あらためてその傷を見た。
後頭部からは、すこし血がにじんでいた。
お腹には、紫色のアザが浮かび上がっていた。
あのとき――
フリフリがハイヒールで踏みつけた瞬間が、
頭の中でスローモーションでよみがえった。

その場では、怖くて、びっくりして、何も考えられなかったのに、
こうしてアキラの体を目の前にすると、急に怒りが湧いてきた。
なんで。
なんでアキラが、あんなやつに踏まれなきゃいけないんだよ。
「仕事、なくなっちゃったな」
アキラが、ぽつりと呟いた。
私は、なんて言えばいいのかわからなかった。
“ごめん”って言おうとしたけど、
それすら、うすっぺらく聞こえそうで、何も言えなかった。
私のせいで、って思うのも、勝手すぎる気がして。
でも、何も言わないのも、逃げてるみたいで。
「気にすんな。カッとなった俺が悪いんだし」
アキラは、笑った。
その笑顔があまりにふつうで、
かえって、胸がぎゅうっとなった。
彼がどれだけ努力して、
どれだけ苦労して、
どれだけ飲み込んできたのか。
私は、そのほとんどを知らなかったんだと、
そのとき、はじめて気づいた。
玄関を開けたら、目の前に店長がいた
翌日、私は店に荷物を取りに行った。
できれば行きたくなかった。
でも、アキラがあんなふうに体を張ってくれたのに、
何もできないままでいるのはイヤだった。
せめて、自分の手で荷物ぐらい取り返したかった。
ロッカーには、アキラと私の私物がそのままだった。
もしかしたら、ボコられるかもしれない。
昨日みたいに、誰かに何かをされたら――
そんな想像が、頭の中をぐるぐると巡っていた。
それでも、行くことにした。
歌舞伎町のアーチをくぐって、
あの地下の雑居ビルへ。

玄関のドアを開けた瞬間だった。
すぐそこに、店長がいた。
目が合った。
心臓が、バクンと音を立てた。
たぶん、震えてたと思う。
自分の足が、自分の足じゃないみたいに感じた。
「昨日は……すみませんでした。荷物を取りに来ました」
しぼり出すように言った。
すると店長は、あの日とはまるで別人のような、
妙に優しい声でこう言った。
「キミ、トウマの友達だったね。
昨日は散々だったけど、もしキミが大丈夫なら、うちの店に来ないか?」
え、何を言ってるんだろう。
私は、一瞬、理解が追いつかなかった。
あんなことが、あったばかりなのに。
「慣れるまでは少し大変かもしれないけど、
キミならうちで十分稼げるよ。よかったら考えてみてほしい」
あまりに普通の口調で、
まるで昨日の出来事は、
ちょっとした“トラブル”程度の話だったみたいに。
私はただ「……は、はい」と答えた。
Yesと言いたかったわけじゃない。
ただ、とにかく、その場をやり過ごしたかっただけだった。
バックヤードに入り、アキラのロッカーを開けて、
二人分の荷物をまとめてバッグに詰めた。
「失礼しました」とだけ言って、
深く頭を下げて、足早に店を出た。
ドアが閉まったあと、呼吸が一気に荒くなった。
自分の心臓が、どこか別の場所で鳴っているような気がした。
そして私は、そのまままっすぐ、
アキラの部屋へ向かった。

「怒り」や「理不尽」が巡っていくこと
結局、ホストクラブに行ったのは、あの2回だけだった。
1回目は、氷水を浴びせられた日。
2回目は、荷物を取りに行った日。
それだけだった。
あれからずいぶん年月が経って、思い返してみれば
はじめてのお客さんだった看護師の女性は、昼間は“白衣の天使”なのかもしれない。
けれど、病院という現場で浴びる理不尽や怒りや無力感を、
自分の中だけでは抱えきれなかったのだと思う。
吐き出す場所が必要だった。
それが、たまたまホストクラブだった、というだけ。
太ったフリフリやガリガリの黒ワンピも、きっと同じだったのだと思う。
誰かから受け取った怒りや不条理を、
まるでババ抜きのジョーカーみたいに、
自分の中に持っておけなくて、
次の誰かに押しつけていく。

そうして、ぐるぐると回っていく。
じゃあ、その“ジョーカー”を受け取ったホストたちは、
その怒りや哀しみを、どこに置いてきたんだろう。
アキラが背負ったものは、どこへ行ったんだろう。
......それを知るのは数年後、もう少しあとのことだった。
(その時代、コンビニで働いていたときの話です ↓)
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