私がアルパカになったきっかけ 前編 (大学2年のころ)
トイレに籠城したOLのお姉さん
大学2年のとき、実家の近くにあるコンビニでバイトをしていた。
駅前の一番明るい角、オレンジと緑の看板が目印。言わずと知れた、あの最大手チェーンだ。
シフトは夕方4時から深夜0時ごろまで。週4日。
時給は、まあ、お察しの金額だったけど、22時をすぎるとちょっとだけ増えた。
最初から「コンビニで働きたい!」という熱い志があったわけじゃない。
とにかくお金がほしかった。それだけ。
元彼の誘いで稼ぎがいいホストクラブに惹かれたこともあった…
けど、なんやかんやで私は、アルバイト用の制服を着て、レジに立ち続けた。結局1年近く。
大学1年のころは、サークルで飲み代を奢ってもらえる側だった。
でも2年になって、後輩もできて、「そろそろ奢る側にならなきゃ」って、謎のプレッシャーにかられるようになった。
ある日、財布の中身が心もとないまま、駅前をトボトボ歩いていたら、あの店先に「スタッフ募集」の貼り紙が出ていた。
特に深く考えることもなく、そのままレジに行って「バイト募集してますか?」って聞いた。
あれがコンビニバイトのはじまりだった。
平日は、大学の授業を終えたらコンビニへ直行。
バイトが終わると家に帰って、風呂に入って眠る。
バイト代は、教科書代と、サークルの友達との飲み会とカラオケに溶けていった。
大学1年のころに同棲していた彼氏と別れてからは、恋人はしばらくいなかった。
気づけば、恋愛よりもレジのピッの音のほうが身近だった。
私がシフトに入るころには、ちょうどパートの主婦さんたちが「おつかれさま」と帰っていって、そこからは学生ばかりの時間帯だった。
あとは、不定期にいたりいなかったりする店長。
無口で真面目なおじさんだ。
笑いもしないけど、怒りもしない。
で「店長、パートさんとデキてるらしい」って噂も、ささやかれていた。
それもまたコンビニあるある、かもしれない。

学生バイト仲間とは、最低限の世間話をする程度の距離感だった。
学校も違えば、年もバラバラ。
バイトが終わったあと一緒にご飯……なんてことも特になかった。
深夜帯はお客さんが減ってくるので、交代でバックヤードに引っ込んで、廃棄の惣菜を食べながら時間をやり過ごしていた。
コンビニバイトって、意外と静かな夜の顔もある。
印象に残っているお客さんは何人かいるけれど、強く記憶に残ってるのは、
いつも出勤前にスポーツ新聞を買いに来る、ゲイバーのママのおじさん。
おネエ言葉で軽快にしゃべりながら、私に「ねぇ、うちの店おいでよ」なんて言ってくる。
ママの話は、また別のところでたっぷり書きたい。
私がバイトに入る日、ほぼ毎晩のように来ていた女性がいた。
20代後半くらいだろうか。
黒髪をすっきり束ねた日もあれば、ほどいたままの夜もある。
ヒールにスーツ姿で、仕事を終えて疲れた様子でいつも肩を少しだけ落としながら、店に入ってくる。
時間は、だいたい22時。
手に取るのは、コンビニのお弁当と、ビールかチューハイ。
「おつかれさまです」も「いらっしゃいませ」も交わさないで、
レジに並んで、会計をすませて、サッと帰っていく。
そんなふうに、彼女は「静かにやってくる常連さん」だった。
それ以上でも、それ以下でもない。……その時までは。
その日はいつも通り、彼女が入ってきた。
だけど、レジには来ず、そのままトイレへ向かった。
まっすぐ、急ぐような足取りで。
少し気にはなったけれど、コンビニのトイレってそういうこともある。
しばらくして気づいたら、もう出て行ったかな?と思った。
それから30分が経ち、さらに1時間。

でも、なんとなく気になって確認に行くと、「使用中」の表示のままだった。
あれ? まだ中にいる?
さすがに不安になって、ドアをノックしてみた。
「大丈夫ですか?」
「……あ、すみません」
かすかな声が返ってきた。
生きてる。よかった。
それだけで、正直ほっとした。
しばらくして、扉が開いた。
彼女はふらりと出てきて、「すみません、ちょっと寝ちゃってて……」と笑った。
笑ったけれど、顔は真っ青だった。
店員としてはNGだと思いながらも、つい「ここ、入っててください」とバックヤードに通した。
カップ麺とかお菓子の段ボールが積んである横で、スタッフ用の簡易イスに座ってもらった。
しばらく休んでから、彼女は「今日は買い物しないで帰ります」と言って出ていった。
その背中は、少しだけ、よろけていた。
翌日、店長から呼ばれた。
「バックヤードにお客さんを入れるのは、いかんよ」
叱るというより、たしなめるような口調だった。
「もし倒れられたら、ちゃんと救急車を呼ぶこと。
体調が悪そうでも、絶対に裏には通さない。
万が一があったら、それはお客さんを守ることにならないから」
店長の言うことはもっともだった。
あのとき、ただ“顔色が悪い”だけじゃなく、何かあったら……と考えると、少し背筋が冷えた。
「すみません。次からは、そうします」
そう言って頭を下げながら、
でも私の中には、あのときの「すみません、ちょっと寝ちゃってて……」の疲れた横顔が、ずっと残っていた。
くるくる天然パーマでつけられた「あだ名」
次の日も、彼女はやってきた。
いつもと変わらず、22時ごろ。
スーツ姿で、ヒールの音をカツンと響かせながら、まっすぐレジへ。
手に持っていたのは、お弁当と缶チューハイ。
そしてもうひとつ、ちょっと高そうな小さな手提げに入ったチョコ菓子。
「昨日はホントすみませんでした」
そう言って、そのチョコ菓子を差し出してきた。
昨日のお詫びだという。
たぶん、トイレで眠ってしまったことを、ちゃんと覚えていたんだと思う。
「このコンビニ、出禁になったらすごい困るんです」
と、半分冗談みたいに笑いながら言っていたけど、その声の奥に、ちょっとした本音も混ざっていた。
「大丈夫ですよ。また来てください」
そう答えた。
店長から注意された話は、なんとなく言わなかった。
言ったら、もう来てくれなくなるかもしれない気がして。
それを境に、彼女との間に、ぽつりぽつりと会話が生まれるようになった。
「サオリさん、おつかれさまでした」
「もじゃくんも、がんばってね!」
そんなふうに、レジのあいさつが、ちょっとだけあたたかくなる。
それだけで、コンビニの空気が少しやわらぐのが分かった。
サオリさん、という名前は、出しにきた宅急便の伝票で知った。
「もじゃくん」というあだ名は、彼女が勝手につけた。
最初は制服についている名札の名前で呼んでくれていたのだけれど。
私の、くるっくるの天然パーマを見て、思いついたらしい。
たしかに、モジャモジャだった。異議はない。
ある日の会話の流れで「商社に勤めてるのよ」とぽろっと言った。
学生の私でも名前を知ってるような、あの有名な会社。
たぶん、すごくデキる人なんだと思う。
ヒールでサバサバ歩く姿とか、淡々とした口調とか、そういうところがそれっぽかった。
「このコンビニに来ると、元気出るんですよ」
あるとき、そんなことを言ってくれた。
元気の出る理由が、おにぎりでも缶チューハイでもなくて、
私だったらいいな、と少しだけ思った。

ほんのちょっと、誰かの気持ちのよりどころになれている気がして、
なんだか、うれしかった。
サオリさんは、いかにも「バリキャリ」って言葉が似合う人だった。
ハイヒールでカツカツ歩いて、スーツを着こなして、いつも背筋がまっすぐ。
「残業だるいー」と苦笑いしながらも、きっと誰よりも仕事ができるタイプなんだろうなって思ってた。
ある日、レジに並んだサオリさんの買い物かごを見て、
「……あれ?」ってなった。
お弁当、缶チューハイ、そして、男性用のブリーフ。
レジ袋に詰めながら、「あ、彼氏と住んでるのかな」と思った。
ちょっとだけ、胸がチクッとした…
(つづきの「中編」はこちら ↓ )
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