ゲイだった僕が、バイになった話 中編(高校2年のころ)
【前編のあらすじ】
放送部の居心地のよさに惹かれて、部室に通うようになった「私」。そこで出会ったのが、ちょっとツンとした印象の同級生・ユキだった。最初は話しかけづらかったけれど、レベッカの音楽をきっかけに距離が縮まり、帰り道を一緒に歩く関係に。
そして、風邪で寝込んだ日の午後、制服姿のユキが突然お見舞いに来た。「ねえ、今も熱あるの?」ユキがそう言いながら、自分の前髪をかき上げて、私のおでこにおでこをぴたりとくっつけてきた。
ユキの顔が近すぎて、私はなぜか目を閉じてしまった。
すると、ふいに――唇に、なにかが触れた。
「ごめん」と「でもね、私は諦めないから」
驚いて目を開けると、ユキの唇が、私の唇に重なっていた。
私は動けなかった。ただ、固まってしまった。
ほんの数秒――けれど、その時間はすごく長く感じられた。
やがて、ユキの顔がそっと離れていった。
私が「風邪、うつるぞ」と言うと、
ユキは今度こそ私の目を見て、「うつってもいいもん」と言ってきた。
そして――またキスをした。
今度は深く、熱く。唇だけじゃなく、舌も、気持ちも、全部が入り混じるようなキスだった。
私は舌の動かし方もよくわからないまま、一生懸命、応えた。
頭が熱でボーッとしていたのか、それともキスのせいだったのか。
どちらかわからないけれど、とにかく熱くて、息がうまくできなかった。
唇のまわりがぐちゃぐちゃになっていたけど、
そのときの私は、そんなことどうでもよくなっていた。
唇が離れて、ふたりとも少し息をついた。
静かな空気のなかで、ユキは私の目をまっすぐ見つめて、言った。
「ひなたのことが好き。付き合ってほしい」
私は、なにも返せなかった。
ほんの少しだけ目をそらして、ほんの少しだけ間をあけて、それから小さな声で言った。
「……ごめん」
その瞬間、ユキの顔から血の気が引いた気がした。
「そうだよね、私もごめん」
そう言って早口に言い残し、立ち上がってカバンを掴み、ドアへと向かっていく。
私は咄嗟にユキのカバンの取っ手を掴んだ。
出ていこうとするユキと、それを止めたい私。
ちょっとした引っ張り合いみたいな状態になって、二人とも言葉をなくしていた。
「待って、少しだけ話をさせて」
やっとそう言って、ユキを椅子に座らせた。
私はまだカバンを握ったままで、まるで人質でも取ってるみたいだった。
このまま、なにごともなかったふりをすることもできたかもしれない。
でも、ユキは本気で気持ちを伝えてくれた。
だから、私もちゃんと、本当のことを話そうと思った。
信じてもらえないかもしれないけど、と前置きして、私はゆっくりと言葉を紡いだ。
自分はゲイであること。
小学校の時、それでいじめられていたこと。
中学のときに、同級生の彼氏がいたこと。
そして、今も陸上部のBくんのことが好きなこと。
これまで、女性を恋愛対象として見たことがなかったこと。
何よりも……ユキのことは大事な友だちだと思っていること。
だから、これからもできれば、今までどおり仲良くしていたいということ。
距離ができるのは、ほんとうに、ほんとうに、イヤなんだということ。
正直、怖かった。
バカにされるかもしれないし、気持ち悪がられるかもしれないし、どこかに言いふらされるかもしれない。
でも、ユキはちゃんと、最後まで黙って話を聞いてくれた。
「だから放課後、いつも窓から陸上部のほう見てたんだね」
……見られてたのか。
私はBくんを見ていたけど、ユキは、その私を見ていてくれた。
「わかった。ひなたの気持ちは、わかった……でもね、私は諦めないから」
そう言って、ユキは私のほっぺに、ちゅっとキスをした。
そして私の手から器用にカバンを奪い返して、スッと立ち上がり、部屋を出ていった。
玄関の方から、母の声が聞こえた。
「あら、もう帰るの?」
その言い方が、やけにのんきで、泣きたくなった。

ユキが帰ったあと、私はベッドに寝転んで、またジャンプを開いた。
でも、読んでた漫画のページは、なにひとつ頭に入ってこなかった。
代わりに、さっきのキスの感触がずっと唇に残っていた。
あれが、人生で初めての女の子とのキスだった。
「女の子の唇って、やわらかいんだな」
なんて思いながら、布団に顔をうずめてみた。
気づけば、下半身が――固くなっていた。
身体って正直だな、と思った。
でもそれが、なにを意味しているのか、あのときはまだ、わからなかった。
いつの間にか「指定席」を手放していた
ユキにカミングアウトしてから、何かが劇的に変わった、というわけではなかった。
「付き合ってほしい」と言われたあとも、もう一度同じ気持ちを伝えられることはなかったし、
ゲイであることについてなにか突っ込まれたり、茶化されたりすることもなかった。
それはそれでホッとしたけど、ちょっと肩すかしを食らったような気もしていた。
「予想外のトラブルが起きたらどうしよう」なんて、ビビっていた。
でも、何も起きなかったわけじゃなかった。
ある日、私がかじりかけたチョココロネに、ユキが何気なく「ひとくちちょーだい」とかぶりついてきた。
お互いのお弁当のおかずを、直箸で交換するようになっていた。
些細なことだけど、前とまったく同じってわけでもなかった。
帰り道だってそう。
いつの間にか、ユキは私のすぐ隣を歩くようになっていた。
肩が当たるくらいの距離で。
ある日、手と手がぶつかって、「あっ」と思ったときには、ユキが私の手を握ってきた。
それ以来、なにげなく手をつなぐのが、ふたりの“ふつう”になっていった。
ユキの手は白くて、細くて、そしていつも少し冷たかった。
でも、その冷たさが、なんだか心地よかった。

そんなある日、放送部の後輩にこう言われた。
「ひなた先輩、最近“指定席”に座らないんですね」
……指定席?
はじめは意味がわからなかった。
でも話を聞くうちに、窓際の席のことを言ってるんだと気づいた。
たしかに、私はずっと放送室の窓際の席に座っていた。
Bくんがグラウンドで走る姿を見られる、あの“特等席”。
放課後、一番乗りで放送室に入って、まっすぐそこに向かっていた。
でも、いつの間にか、そこに座らなくなっていた。
窓の外を見なくなっていた。
席にこだわりがなくなっていて、気づけばユキの隣に自然と座っていた。
後輩の何気ないひと言で、自分の変化を突きつけられた。
「俺、ユキのこと、好きになってるかもしれない」
そう思った。
というか、たぶん、ずっと前から気づいてたんだろう。
気づかないふりをしていただけで。
でも、またぐるぐると考え込んでしまう。
私は、女の子を好きになれるようになったの?
ゲイっていう“症状”が治ったってこと?
それとも、ユキだったから特別だっただけ?
考えれば考えるほど、わからなくなる。
でも、ひとつだけ、はっきりしていたのは――
「私はユキのことが、好きだ」
ってことだった。
今すぐにでも気持ちを伝えたい。
でも、一度振ったくせに今さら「好きです」なんて言ったら、
都合がよすぎると思われるんじゃないか……とか。
あれこれ頭のなかで反芻しているうちに、
幾日も何も言えずに、手をつないだまま、駅まで歩いていた。
くちびるに、もう一度触れたいと思っていた
駅前にはマックもロッテリアもあったけど、
ユキは、決まってモスバーガーを選んだ。
その日も、放課後の帰り道、ふたりでいつものモスに寄った。
夕方の店内は、制服姿の学生でにぎわっていて、ポテトの香ばしい匂いが漂っていた。
でも、家に帰れば夕ごはんが待ってるから、誘惑には勝った。
私がコーラ、ユキがココア。
飲み物だけをトレーで運び、カウンター席で横並びに腰をおろした。
「ユキって、いつもココアだよな」
そう言うと、ユキはさらっと返してきた。

「モスのココアって、マグカップで出てくるでしょ。口当たりがいいから好き。紙コップのは、なんか違うんだよね」
その言葉に、私はつい横を向いてユキの唇に視線をやってしまった。
ココアの口当たりが好きだと言った、その唇。
半年前。
風邪で寝込んでいた私の部屋に、制服のまま現れて、
あのやわらかい唇で、そっとふれてきたユキのことを思い出した。
あれ以来、キスはしていない。
でも、もう一度、触れたいと思っていた。
ただそれだけのことが、こんなにも身体を熱くさせるなんて、不思議だった。
放送部の後輩に言われたひと言で、ユキへの気持ちに気づいてから、一ヶ月。
どうやって伝えよう。どうすれば許してもらえるだろう。
一度振っているくせに、とか。ゲイだって言ってたじゃん、とか。
何度も心のなかで「どう伝えようか」練習した。
でも結局、口から出てきた言葉は、これだけだった。
「……俺、ユキのことが好きになった。だから……付き合ってほしい」
ユキは、すぐには何も言わなかった。
ただ、壁の方を向いたまま、マグカップを両手で包み込んでいた。
そのまま、ゆっくりと涙がこぼれてきた。
「……遅いよ。どれだけ待たせるのよ」
泣きながら笑って、そして、ちょっと怒っていた。
ユキが泣くのを見るのは、たぶん初めてだった。
好きな人の涙って、こんなにも愛おしいものなんだなと思った。
ぎゅっと抱きしめたかったけど、ここはモスだった。
だから私は、そっとユキの背中に手を添えることしかできなかった。
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