第一三共の本決算で見るべき3つのポイント——決算延期が映したADCビジネスの「新たな論点」
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※2026/5/11には決算振り返りの記事を公開したので、そちらもぜひご参照ください。
第一三共(4568)は4月24日、2026年3月期の決算発表日程を延期すると発表した。
理由は、オンコロジー製品群および開発品の供給計画を見直しており、それに伴う製造委託先との契約に関する損失補償引当金の見積もりに時間を要しているためだ。
少し難しく聞こえるが、要するにこういうことだ。
がん領域の主力製品や開発品について、今後どれくらい作るべきかを見直している。その結果、すでに結んでいる製造委託契約に対して、どれくらいの補償費用が発生するかを精査している、という話である。
一見すると、単なる会計処理上の問題に見える。
しかし、今回の延期は、第一三共の成長戦略そのものに関わる重要な論点を映し出している。なぜなら同社は今、エンハーツで成功したADCビジネスを、複数の製品へ一気に広げようとしているからだ。
売上収益は過去最高水準が見込まれている。それにもかかわらず、記事執筆時点で株価は年初来で大きく下落している。
「売上が伸びているのに、なぜ株価は下がるのか」
この問いを解く鍵は、単なる業績の良し悪しではない。
市場が見ているのは、第一三共の成長エンジンであるADCビジネスの裏側にある、次の成長柱の不確実性と、製造・在庫・供給計画リスクである。
第一三共を理解する鍵は「ADC」
第一三共の成長を牽引しているのは、世界市場で大きく伸びているフラッグシップ製品、エンハーツだ。
エンハーツの2025年度第3四半期累計売上は5,068億円、前年比+25.3%と、今なお高い成長を続けている。
エンハーツは、ADCと呼ばれるタイプのがん治療薬である。
ADCとは「抗体薬物複合体」のことだ。
初心者向けに言えば、がん細胞を見つける「抗体」に、強力な抗がん剤を結合させた薬である。抗体ががん細胞を探し、そこへ薬物を届ける。いわば、標的を探すミサイルに、強力な弾頭を載せたような仕組みだ。
第一三共の強みは、エンハーツという単一製品だけではない。
同社は、エンハーツで培った技術をもとに、DXd-ADCプラットフォームと呼ばれる技術基盤を展開している。これは、がん細胞を狙う抗体に、DXdという薬物を組み合わせることで、複数のADCを生み出していく仕組みである。
つまり第一三共は、単に「エンハーツが売れている会社」ではない。
エンハーツの成功を起点に、複数のADCを次々に展開しようとしている会社である。
ここに、第一三共の魅力がある。
しかし同時に、ここに今回の記事で見るべきリスクもある。
なぜ株価が下がっているのか——3つの真因
第一三共の株価下落は、「売上が伸びていないから」ではない。
むしろ売上は伸びている。
MFN政策や米国薬価引き下げ、関税といったマクロリスクも無視はできないが、これらは第一三共だけの問題ではなく、製薬大手全体に共通する外部環境リスクである。
今回の記事でより重視すべきなのは、第一三共固有の論点、つまりADCポートフォリオ拡大に伴うリスクである。
第一三共はエンハーツで大きな成功を収めた。しかし市場は今、次の問いを投げかけている。
エンハーツの次に、何が成長を支えるのか。
この問いに対する不安が、株価下落の背景にある。

① エンハーツ一強から、"次の柱"を問われる段階に入った
エンハーツは、第一三共にとって非常に大きな成功例である。
乳がん、胃がん、肺がんなど、複数のがん種で適応拡大が進んでおり、今後も成長余地は残されている。
しかし、株式市場が見ているのは「今の売上」だけではない。
むしろ問われているのは、この高い成長率を今後も維持できるのか、という点だ。
エンハーツはすでに大型薬として市場に浸透しつつある。もちろん、まだ成長の余地はある。ただし、初期のような爆発的な成長フェーズから、より細かい適応拡大を積み上げていくフェーズへ移りつつある。
これは、エンハーツが弱くなったという意味ではない。
むしろ、大型薬として成功したからこそ、次の段階に入ったということだ。
市場は今、エンハーツそのものを疑っているというより、**「エンハーツの次に何が来るのか」**を見始めている。
ここで重要になるのが、ダトロウェイやHER3-DXdなど、次のADC候補である。
② ダトロウェイなど"第2の柱"候補に不確実性が出ている
エンハーツに続く第2の柱として期待されているのが、TROP2を標的とするADC、ダトロウェイである。
ダトロウェイは、第一三共とアストラゼネカが共同開発している次世代ADCだ。TROP2という標的は、肺がんや乳がんなど複数のがんで注目されており、成功すれば大きな市場が見込める。
しかし、開発は一直線には進んでいない。
一部の試験では、無増悪生存期間、つまり病気が悪化するまでの期間では一定の成果を示した。一方で、全生存期間、つまり患者さんがどれだけ長く生きられるかという指標では、十分な有意差を示せない場面があった。
製薬業界では、無増悪生存期間も重要な指標である。しかし、投資家がより強く重視するのは、最終的に患者さんの生存期間をどれだけ延ばせるかという点だ。
そのため、全生存期間で明確な結果が出ないと、市場の期待は下がりやすい。
さらに、Merckと共同開発しているHER3-DXd(パトリツマブ デルクステカン)についても、米国申請の取り下げという材料があった。
この取り下げの経緯は二段階にわたる。まず2024年6月、FDAからの審査完了報告通知(CRL)を受領した。これは製造委託先の製造施設に関する査察上の問題によるもので、当時は有効性・安全性に関する懸念ではなかった。その後、EGFR変異肺がんの2次治療を対象とした第3相試験(HERTHENA-Lung02)において、副次評価項目である全生存期間で統計的な有意差が示されなかったことを受け、2025年5月に承認申請を自主的に取り下げた。
これは「ADCがダメになった」という話ではない。
むしろ、ADCは今後もがん治療の重要な技術であり続けるだろう。
問題は、エンハーツの成功があまりにも大きかったため、市場が次のADCにも同じような成功を期待しすぎていたことにある。
エンハーツは、極めて優れた薬だった。
しかし、エンハーツが成功したからといって、すべてのDXd-ADCが同じように成功するわけではない。
標的が変われば、がん種も変わる。患者集団も変わる。競合薬も変わる。臨床試験で求められるハードルも変わる。
つまり、第一三共のADCプラットフォームは強力だが、それぞれの製品には個別の開発リスクがある。
市場は今、その現実を織り込み始めている。
③ ADC特有の"先に作るリスク"が、損失として表面化した
今回の決算延期を理解するうえで、最も重要なのはここだ。

ADCは、承認されてから作ればよい、という単純な製品ではない。
製造には非常に長い時間がかかる。抗体を作り、薬物と結合させ、品質を確認し、最終製品として供給できる状態にするまで、複数の工程を高い精度で管理する必要がある。
ADC製造の複雑性について以下の記事のADC製造の部分をご参照ください。
そのため、承認が近いと見込まれる段階では、企業は発売に備えて先に製造を進める。
承認されれば、すぐに市場へ供給できる。
しかし、承認が遅れたり、適応が狭まったり、申請を取り下げたりすれば、先に作った在庫や製造委託契約が損失に変わる。
ここに、ADCビジネス特有の難しさがある。
実際、第一三共の2025年度第3四半期決算では、一過性の費用として198億円が計上された。その内訳は、CMOへの損失補償126億円と、ダトロウェイ/HER3-DXdの棚卸資産評価損47億円が中心だ。
重要なのは、ADCの開発・承認・供給計画の見直しが、会計上の損失として表面化し始めていることである。
通常、製薬業界では「パイプラインが多いほど安心」と考えられやすい。複数の候補があれば、ひとつが失敗しても別の候補が成功する可能性があるからだ。
しかしADCの場合、話は少し複雑になる。
複数のADC候補を同時に開発し、同時に承認に備えるということは、その分だけ、承認前の製造投資、在庫リスク、製造委託契約リスクも増えるということだ。
今回、第一三共が決算発表を延期した理由も、この文脈で理解できる。
同社は、オンコロジー製品群および開発品の供給計画を見直しており、それに伴う製造委託先との契約に関する損失補償引当金の見積もりに追加検討が必要だと説明している。
承認前から製造準備を進めるADCビジネスでは、将来の需要を見込んで製造枠を先に確保している点にある。供給計画を見直せば、その製造枠を減らす・遅らせる・変更する必要が出てくる。その結果、製造委託先に対する補償費用が発生する可能性があり、今回その金額を精査しているのである。
販売はパートナー、製造は第一三共——ADC戦略の強みとリスク
この問題をさらに深く見るうえで重要なのが、第一三共の提携構造である。

エンハーツとダトロウェイはアストラゼネカと、HER3-DXd(パトリツマブ デルクステカン)・I-DXd・R-DXdの3製品はMerckと提携している。いずれの提携においても、ADCの製造および供給は第一三共が単独で担うことが契約上明記されている点が重要だ。
この提携によって、第一三共は世界販売網、開発資金、商業化ノウハウを補完できる。特にアストラゼネカやMerckのようなグローバル大手と組むことで、第一三共単独では到達しにくい市場にも一気に展開できる。
その意味で、これらの提携は第一三共のADC戦略にとって大きな武器である。
一方で、リスクの分担には注意が必要だ。
アストラゼネカやMerckが販売・商業化をリードする一方で、第一三共はADC製造の中核を担っている。これは、技術優位と品質管理を自社で握り続けるための戦略的な選択でもある。
実際、第一三共はこれらの提携によって巨額の契約一時金を受け取っており、先行投資を支える財務的な余力も確保している。
ただし、契約一時金は将来価値への前払いであり、承認遅延や供給計画変更による損失をすべて補填する「保険」ではない。
在庫評価損、原材料損失、工場稼働コスト、製造委託先への補償費用といった製造側のリスクは、第一三共に残りやすい。
ここが、第一三共の強みであり、同時に弱点でもある。
製造を握るからこそ、品質を管理できる。
製造を握るからこそ、他社が簡単に真似できない参入障壁を作れる。
しかし、製造を握るからこそ、承認遅延や供給計画変更のコストも自社に跳ね返りやすい。
販売力は外部パートナー、技術と製造の心臓部は第一三共。
この構造がうまく機能すれば、第一三共はADC市場拡大の大きな受益者であり続ける。
だが、その構造が大きくなるほど、在庫、製造枠、供給契約、開発優先順位の管理は一段と難しくなる。
今回の決算延期は、そのリスクが会計上も無視できない段階に入ったことを示している。
それでも第一三共はADCに賭ける——ヘルスケア事業譲渡の意味
ここまで読むと、第一三共はADC戦略を見直すのではないか、と思うかもしれない。
しかし、実際には逆である。
第一三共はむしろ、ADCへの集中をさらに強めている。
その象徴が、第一三共ヘルスケアの譲渡だ。
第一三共ヘルスケアは、「ルル」や「ロキソニンS」など、一般用医薬品を展開する安定した事業である。一般消費者にもなじみがあり、景気に左右されにくいキャッシュカウでもある。
その事業を2,465億円でサントリーホールディングスに段階的に譲渡するということは、第一三共が「総合製薬企業」から、より明確にがん領域・ADC中心のバイオファーマへ移行していることを意味する。
これは、株価を下げた要因というより、経営の方向性を明確にした出来事だ。
安定したOTC事業を持ち続けるよりも、資金と経営資源をADC、がん領域、グローバル開発に集中する。
それが第一三共の選択である。
この判断は、リスクを伴う。
ADCへの集中度が高まれば、エンハーツ、ダトロウェイ、HER3-DXdなどの開発・承認・供給計画の成否が、会社全体の評価により大きく影響するようになる。
一方で、成功すればリターンも大きい。
ADCの製造は難しく、誰でも簡単に真似できるものではない。抗体、リンカー、薬物、結合技術、品質管理、供給体制まで含めた一連の能力は、強力な参入障壁になり得る。
つまり、第一三共はADCに集中することでリスクを取っている。
しかし同時に、そのリスクを取るからこそ、他社が簡単に追いつけない競争優位を築こうとしている。
本決算で確認すべき3つのポイント
今回の本決算で見るべきなのは、売上高だけではない。第一三共のADC戦略が、どこまで現実的に進んでいるのかだ。
確認すべきポイントは3つある。
① エンハーツの2026年度ガイダンス
エンハーツは、今も第一三共の成長を支える中心製品だ。既存適応でどこまで伸びるのか、新たな適応拡大がどれくらい成長に貢献するのか。会社側の見通しが市場期待を上回るかどうかが焦点になる。
② ダトロウェイ/HER3-DXdなど次のADCの進捗
市場が見ているのは、「エンハーツの次」である。ダトロウェイやHER3-DXdについて、どの適応を優先するのか、承認取得の見通しはどうか、売上ポテンシャルをどう説明するのか。ここが曖昧だと、ADCポートフォリオ全体の期待値は下がりやすい。
③ 在庫損・CMO補償コスト・供給計画見直しの規模
今回の決算延期の核心は、供給計画の見直しである。在庫損やCMO補償コストがどの程度発生するのか。それが一過性なのか、今後も繰り返し得る構造的リスクなのか。ここが、ADC事業の利益率を見るうえで重要になる。
つまり今回の本決算では、売上の伸びだけでなく、ADCを広げるための管理力が問われる。
まとめ——第一三共の本当の論点は「ADCを広げる力」
第一三共は、エンハーツでADCの勝ち筋を見つけた会社である。
ただし、市場が今見ているのは「エンハーツが成長しているか」だけではない。その成功を、ダトロウェイやHER3-DXdなど次のADCへ広げられるのか。そして、複数のADCを同時に展開する中で、製造・在庫・供給計画のリスクを管理できるのか。
今回の決算延期は、その問いを浮き彫りにした出来事だった。
だからこそ、本決算で見るべきなのは売上高だけではない。エンハーツの成長余地、次のADC候補の進捗、そしてADC製造リスクの管理力である。
第一三共の2030年シナリオが現実的な成長戦略なのかどうか。その答えは、今回の決算説明の中にある。
あわせて読みたい:製薬企業の分析
今回の第一三共の記事では、ADC戦略の成長期待と、先行製造・在庫評価損という構造的リスクを整理しています。
第一三共の主力製品についてもっと詳しく知りたい方は、ぜひこれらの記事もご参照ください。
また、他の製薬企業エーザイ、中外製薬、塩野義の分析もぜひご参考ください。
参考資料
第一三共 2025年度第3四半期決算短信・決算説明資料
第一三共 2025年度第3四半期決算補足資料
第一三共 2025年度通期業績予想修正
第一三共 2026年3月期決算発表日程変更に関するお知らせ(2026年4月24日)
第一三共プレスリリース「第一三共ヘルスケア株式譲渡に関するお知らせ」(2026年4月15日)
第一三共プレスリリース「パトリツマブ デルクステカン 米国承認申請の自主的取り下げについて」(2025年5月30日)
第一三共プレスリリース「DXd-ADC 3製品に関するMerck & Co., Inc.とのグローバル開発及び販売提携のお知らせ」(2023年10月)
第一三共および提携各社によるADC開発関連リリース
各種報道資料、IR資料、決算説明資料
なお、「新薬はどう生まれ、どう承認され、どう売られるのか」を体系的に解説する業界解説シリーズを現在連載中。合わせてご確認ください。

