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母のこと

母は95歳で亡くなった。 早くに夫と死に別れ、子供たちが社会に巣立っていってからは、鎌倉の家で、ずっと一人で暮らしていた。さすがに90歳を過ぎてからは、一人暮らしが心もとなくなって、長野県の姉の家の近くに移り住んだが、それまでは一人暮らしだった。 ときどき私は、東京から母の様子を見に行ったが、母はその度に、「大丈夫よ」と言って、私が心配しないで済むように心を配ってくれていた。

今でも思い出す光景がある。 ある日、私が母を訪ねて帰ろうとした時のことだ。母はそういうときには、家の前の路上で私を見送るのが常だった。その時も、母は門の前に立って私を見送ってくれた。

母の家から最寄り駅に行くには、家の前からまっすぐ延びる道を四、五百メートル進んで、八百屋さんの角を左折する。左折するときに、振り返ってみると、まだ母は立ち続けていた。私に向かってずっと手を振り続けていた。

あの時、母は何を考えていたのかと、今になってふと思うことがある。 愛情の深い人だったから、そういう時でも、私のことを考えていたに違いない。中年過ぎても独り身の息子がこれからどう生きていくのか、自分が死んでひとりぼっちになったとき孤独に耐えられるのか、病気になったとき助けてくれる人はいるのか、……等々、自分のことよりも息子のことを考え続けていたに違いない。

自分に残された命の短かさを自覚しながら、息子の未来を案じつつ、あの時の母はずっと手を振っていたのだろうと思う。

八百屋の角のあたりから見る母は、豆粒のように小さかった。

母と私の関係は、彼女が生きていた頃は必ずしも円満なものではなかった。 私は母の愛情の深さを時には鬱陶しく感じることがあった。今となって思えばかわいそうな事をしたなと思うけれども、結構母に対してきつく当たったこともあった。余計なおせっかいをあまり言うなと怒ったこともあった。 そういう時の母は、悲しそうな顔をして、黙って私の不満を聞いているだけだった。

母はとても愛情深く、聡明で、そして思いやりのある人だった。 困った人がいると黙って見ていられないような人でもあった。母が亡くなって、葬儀を終えて出棺の時に、近所の人がたくさん見送りに来て下さった。その中に、幼い子供たちが多いのに驚いた。近所の子供たちは、学校や幼稚園が終わって家に帰ってくると、母が住んでいた家の庭先に集まってよく遊んでいたらしい。母も子供たちが集うのを喜んで、ニコニコして遊んでいる姿を眺めたり、用意していたお菓子やジュースを彼らに振る舞ったりしていたそうだ。

父と母の関係がどういうものだったかについては、薄々感じるところもあるけれども、やはり息子といえども、両親 の関係性の深いところはわからない。 ただ、男というのは身勝手なものだから、女性が深い愛情を注いでくれると、かえってそれを厄介なものだと思って忌避することもある。

父も母の愛情深さや思い遣りに対して、息子の私が感じたのとは違う意味で鬱陶しさを感じることもあったのかもしれないなどと、二人が亡くなって何十年も経った今では思うこともある。

最近は、母のことをよく思い出す。
あの頃、なんでもっと素直に母の愛情を受け入れることができなかったのだろうと、今になって後悔する。
自分も老境に入って、あの頃の母と同じように、ひたひたと迫り来る死の影に対して、得も言われぬ不気味さを感じることがある。母はそう遠くない将来にやってくる死に対して、一人で向き合っていたのだろう。息子の私は、そういう母の恐怖を感じ取ることも、支えてやることもできなかった。

ああ、かわいそうなことをしたなと、後悔することばかりだ。


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