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エレナ婦人の教え 第三話「源三 語らない姿」第1章~第3章

【創作大賞】応募作品「エレナ婦人の教え」はじめから読みたい方は以下
第一話「ふしぎな出逢い」(あらすじ含む)はこちら
第二話「見えてきた日常」第12章~はこちら


(エレナ婦人の教え 第三話 源三語らない姿では新キャラ源三が登場。展開も新たとなるので章の通し番号をリセット。第1章~としました。)


第1章 新たなる旅立ち

退職まであと2週間と迫った。その日も僕は、ふだん通り職場へと向かった。
 
無言で黙々と仕事をした。ただ、ぼんやりと辞めた後のことを考えていたせいか、ささいなミスをした。頼まれていた資料の文字を一つ、打ち間違ったのだ。
 
すると例の上司から呼ばれた。
 
「何度言ったらわかるんだ。一体どこに目を付けているんだ! ちゃんとチェックしろと言っただろうが! オマエみたいな社員はおらん。サラリーマン失格や! そんなんじゃどこに行っても務まらんよ」
 
「すみません。疲れていて……」
 
それ迄、一週間罵倒され続け、疲れ果てていた。ちゃんと見ていたつもりだった。なのに見落としていた。僕の弱い部分をえぐるかのように、今日の責めは執拗だった。
 
「疲れのせいにするんか。オマエがどうなろうとオレの知ったこっちゃない。結果さえ出してくれりゃいいんだ。チッ! 一生わからんだろうよ、ことの重大さが。こんなんじゃ話にもならんよ」
 
上司は捨てゼリフを吐き、手にした資料を突き返した。するとタバコを吸いにそのまま席を立った。
 
なんでここまで言われなきゃいけないんだ。そんなにひどいことをしたというのか。
 
頭がジンジンした。なんとかこの場をしのぎ、割り切ろうとした。だがそれは無理な注文だった。一週間上司に付きっきりで修正してきた。なのに、毎回グチャグチャに赤を入れられた。
 
放り投げられたその書類を見たとき、はらわたが煮えくり返った。直しても直してもまっ赤に修正される。最後には修正された赤い文字が涙でにじんだ。
 
――なぜ、反論しない? なぜ言えないんだ。
 
いつもこうだ。少しだけ主張して、すぐ黙り込む。さもいけないことをしているかのように――。なぜなんだ!
 
パソコンを打つ手を止め、遠くを見た。
 
すると幼い頃の光景が浮かんできた。
少しでも成績がよくないと、父は僕を責め続けた。
 
「やればできるだろう……。なんでできないんか!」
 
いつもこうだった。
 
父は母を使いとしてよこし、応接間に呼ぶ。僕を待ち受けているのは、苦みをつぶしたような顔で机に向かい、書きものをしている父――。ソファに座るよううながされると、父は椅子ごとくるりとふり向き、話が始まる。それはまるで検事の尋問だった。
 
はじめのうちは、子ども心に思い付くばかりの“できない理由”を並べた。なんとかその場をしのごうとしたのだ。だがそのうち言うことがなくなると、ツバを飲み込み黙り込んだ。幼い頃の父との光景と、いまの上司との光景がダブって見えた。
 
僕はどうすればいいんだ!
 
オフィスの窓から外を見た。するとふっくらした雲が観え、ふとエレナさんを思い出した。
 
<勇気を出すのよ。もう大丈夫。あなたには力が備わっているわ。口を開く、想いを口に出す。いまのあなたなら言えるわ。これまでたくさんの試練を乗り越えてきたじゃない。>
 
彼女がくれたことばを思い出し、迷いを断ち切るかのように言った。
 
「ちょっと待ってください」
 
周りはシーンと静まり返った。
 
「ミスは認めますし、直します。ですがいくらミスとはいえ、そこまで言われるのは心外です。私もひとかどの人間です。人格を否定するような言い方は、受け入れられません」
 
「うるさい。オマエの話など聞かん」
 
上司は、こちらのことばをさえぎった。
 
僕は息を吐き、呼吸を整えた。そして相手の目を見据え、諭(さと)すようにいった。
 
「思いどおりにならず、お怒りになるのはわかります。ですが私も精一杯やっています。これ以上お求めなら、代えてください」
 
「バカ言え、あと2週間しかいないクセに」
 
そう言った直後、上司は、しまった――という顔をした。しかし遅かった。傍観者に観えていた周りの目が味方に変わっている。
 
退職のことまで口をすべらせたのだ。相手がそうくるならこっちにも考えがある。
 
「そうまでおっしゃるのなら、トップの方までお話しに行かねばなりません」
 
「ちょ、ちょっと待て、オレが悪かった。言い過ぎた」
 
上司の声は急にトーンダウンした。口調も少し震えている。周りの目も心なしか優しくなっている。僕は胸がすぅっとした。
 
これまで僕は、負け犬だった。それが今日という日、ようやくまともになれたのだ。相手と対等になったのだ。
 
思えばそれは父に対する想いだった。幼い頃、父に対じしたときと同じ状況で、はじめて自分を出せたのだ。
 
新たなる旅立ちだ。さわやかな気持ちを胸に、僕は職場を後にした。

第2章 船出

遂にその日がやってきた。退職の日だ。送別会の席上、同僚は祝福の言葉を口々にした。その一方で上司は気まずいのか、背中を丸め小さくなって座っていた。
 
一人ひとり、ていねいに挨拶をした。上司の前にきたとき、許せている自分がそこにいた。こちらから先に右手を差し出すと少しはにかんだ様子を見せ、向こうも僕の手を握り返した。
 
「お世話になりました。おかげで成長できました。厳しく、つらいと感じたこともたしかにあります。でもこうして自分の足で歩くきっかけを作ってくださったと、いまでは感謝しています」
 
お礼のことばを言いながら周りを見ると、視線がこちらを向いた。その眼差しはいままでとは明らかに違う。やさしさにあふれるものだった。
 
激励のことばを一人ひとりからかけてもらううち、涙で声がかすんだ。誰にでもやさしさはある。ただ言わないだけなんだ……。
 
帰り際、手にした花束を胸に、これまでをふり返った。その思い出はほろ苦かった。けれど、決して嫌なものではなかった。
 
翌朝、エレナ邸を訪ねた。屋久島までの船旅をするためだ。静岡から四国、九州の南を抜け、屋久島まで10日間――。その旅にそなえ、エレナさんの旧来の知人トレーナーがつきっきりでコーチしてくれた。おかげで船の腕もみるみる上がった。
 
「気をつけて行ってきてね」
 
カレンがぽつりといった。彼女ともしばらく逢えない。別れをお互い意識してか、それ以上ことばが出なかった。
 
「何かあったらいつでも連絡してちょうだい」
 
そう言ってエレナさんは包み袋を渡してくれた。
中には僕への手紙と、とっておきのプレゼントが入れられていた。
 

第3章 屋久島へ

幸い海はしけなかった。
 
10日間の船旅で覚えた、慣れた手さばきで舵を取り、屋久島に着いた。船を泊めたのは、たまたま空いていた岸部――。陸に上がると、小腹が空いたので腹ごしらえをすることにした。港沿いの通りを歩いているうち町の食堂を見つけ、中に入った。
 
「ガラガラ」
 
傾きかけたガラス戸を開け、漁師とその家族とおぼしき人たちの中に混じって座った。
 
「焼き魚定食をください」
 
周りがうるさく、自分の声はかき消された。そのためもう一度大きな声で言わなければならなかった。
 
荒々しくぶっきら棒に飛び交うそのやりとりに、少々面食らった。これまで接していた人たちとは明らかに違う。
 
合い席に通された。よそ者扱いされるんじゃないかと思いながら座った。
そのせいだろうか、うまいはずの魚の味がまったくと言っていいほど感じられない。
 
ただ、その飾らず、ざっくばらんに接してくれるところに、逆に親近感を覚えた。そこで思い切って尋ねてみた。
 
「あのぉ、このへんで安く泊まれる宿とかないですか?」
 
入口近くのヒゲをたくわえた男に尋ねた。
 
「んだなぁ……、なら源(げん)かな。ここから歩いて10分たらずだ」
 
店を出て、その男の言うとおりに山道を歩くと、しだいに無垢(むく)の屋久杉で造った無骨(ぶこつ)な家が観えてきた。
 
窓と扉は開いている。泊まり客もいるようだ。
中へと入り、客の一人にオーナーはどこにいるかと尋ねた。すると……
 
「源三さん? ならたぶん浜辺にいるよ」
 
泊まり客の愛想のない返事が、これからのことを予感させた。

第4章 源三 語らない姿 へつづく
 

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