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エレナ婦人の教え 第三話「源三 語らない姿」第4章~第9章

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第一話「ふしぎな出逢い」はこちら
第二話「見えてきた日常」第12章~はこちら

第三話「源三 語らない姿」第1章~第3章はこちら


第4章 源三 語らない姿

浜辺に着いた。
 
美しい砂浜を期待していたが、その予想は見事に裏切られた。グレーがかった砂浜――お世辞にもきれいとはいえない。
 
あたりを見渡してみたが、源三さんらしき人は見当たらない。僕は、すれ違う人に片っ端から尋ねた。
 
「源三さんか。んなら、あそこにいるよ」
 顔見知りというしわがれたおじいさんが答えてくれた。
 
その指差した方向に歩いていくと、網の手入れをする源三らしき人物が観えた。そこで挨拶を兼ね、軽く礼をしながらその方向へと近づいていった。
 
その男は、黙々と網を片づけていた。
 
「あの、源三さんですか? 今日泊まらせてもらいたいんですが」
返事はなかった。耳でも遠いのか、こちらをふり向く様子はない。
 
「聴こえてるんですか? 僕はおたくに泊まりたいんですよ」
もう一度、耳が遠い人に話すようなひと際大きな声で言ってみた。
 
源三はこちらをふり向きジロリとにらんだ。年輪を感じさせるシワは目立っていたが、眼光鋭いその視線は、見る者をドキリとさせた。
 
「あぁ、聴こえてるよ。あんたは何モンだい。自分の名前から言うのがスジってもんだろうが」
 
何サマと思ってるんだ。こっちは客なんだぞ。思わずムカっとした。だけど怖くてそんなこと言えるはずもない。
 
源三の鋭い視線に僕は冷や汗が吹き出るのを感じながら、絞り出すように声を出した。
 
「す、すみません、ヒロっていう者です。静岡からやってきました。何泊か泊めてもらえませんか?」
 
「何日でも好きなように泊まっていきな。泊まり賃は、3千円だ」
 ぶっきら棒なその返事に、これからのことが思いやられた。
  

第5章 はじめてのくらし

11月ともなると、南国の屋久島も肌寒くなる。
 
昨日は早く寝床に就いた。慣れない板の間にざこ寝したせいか、背中が痛かった。おかげで5時には目が覚めてしまった。
 
周りにほかの宿泊客は見当たらない。すでに寝床は片づけられている。窓から外を覗くと、まきを割り、飯ごうでご飯を炊きはじめているのが観えた。
 
ここでは自活――何でも自分でやらないといけない。これまでの至れり尽くせりの生活とは180度違う。戸惑いを覚えつつ、僕は仲間に加わった。
 
慣れない手つきでアジをさばいた。すると“徳島出身”という若者が話しかけてきた。名前は涼太。二ヶ月前から住み着いているという。
 
涼太は、同年代の仲間がきたと喜び、勝手のわからない僕に、なにかと親切にしてくれた。見知らぬ土地で気の合う仲間ほど心強いものはない。よき相談相手、理解者として助けてくれた。
 
1週間が過ぎ、ようやくここでの生活にも慣れてきた。その日は早めに朝食を切り上げ、朝から海に向かうことにした。漁から帰る源三を迎えるためだ。
 
浜辺に出ると、ちょうど源三が着いたところだった。船の水槽にはアジやヒラメ、鯛まで入れられていた。源三は、太いロープで船を岸にぐるぐるとくくりつけると、納屋(なや)の床に座り、網の修理をしはじめた。
 
「源三さん、おはようございます」
 「おう、アンタか。屋久島でのくらしには、ちったぁ慣れたか」
 
「えぇ、何とか……。ただ、いままでと勝手が違うので、すごく戸惑っています」
 「そりゃ当たり前だ。都会モンにはつらいだろうが、それも一時の辛抱だ」
 
これまで、困ったときにはエレナさんがそばにいてくれた。だがここにはいない。源三に代わりを期待するのも無理な注文だ。
 
仕方なく話題を変えることにした。
 
「いつも何時ごろ漁に出るんですか?」
 「明朝2時頃、まだ魚たちが寝てる頃だ。その時間は動きが鈍い」
 
「ずいぶんと早いんですね」
 「あぁ、ものごとにはな、時ってもんがあんだよ」
 
そう言った瞬間、源三の目の奥が光った。生きざまだろうか、何気ないことばにも有無を言わせない迫力があった。

第6章 源三の素顔

「タイミングってことですか」
思わず聴き返した。
 
「そんなしゃれた話じゃない。網の張り時、引き時……。この仕事だって辞め時ってもんがあんだよ」
 「どういうことですか。それはどうやってわかるんですか」
 
矢継ぎ早に質問を投げかけた。すると源三は、こちらが興味本位で聴いているのを見逃さなかった。一瞬のスキをモリで刺すように、鋭い視線でこちらを見つめた。
 
「ヒロさんよ。いま教えたところでわかんねえだろう。あんたは頭でっかちだ。頭と理屈だけじゃ、人は動かねぇよ。
ここじゃ経験と勘だけがものをいう。知ったかぶりしたって務まらねぇ。シケがきたら、ジタバタしたってムダなんだ。浜でじっとしとかにゃあなんねぇ。どんだけ海に出たくたって、出られねぇときは出られねぇ。それは肌で感じるもんだ」
 
ドスのきいたその声に、圧倒された。そういえば昨日、涼太が言っていた。
 
「源三さんは、息子さんを海で失くしたんだ。まだ5歳のときだよ。奥さんが止めるのもきかず、シケの海に連れて行った。だけど大シケで波に飲まれ、船もろとも流された。

源三さん、そのときのことを悔やんでいるんだ。シケの海を観たいとせがんだ息子さんのために海に出た。だけどそれがアダとなったんだ。だからせめてもの想いでときどき荒れた海にあえて出るんだ。罪滅ぼしのつもりでね。
 
一人でシケの海に出てはね、息子さんとのことを思い出し、記憶を振り払っているんだ」
 
ほんとうは源三さん本人に聴きたかった。しかしその話に触れるには、時期が早かった。
 
熱い吐息で語る源三、彼のことばが耳にこだましていた。
――からだで覚えていくしかないな。
 
そう悟った。

第7章 ゆきえの存在

屋久島の生活も半月が過ぎた。ようやくここでの暮らしにも慣れた頃、気になっていたことを思い出した。源三を手伝う女性のことだ。
 
源三は50代だが、彼女はどう見ても30代前半――。源三より一回り以上、下に観える。和服が似合い、わた雪のように色が白い。ふくよかな体つきで、名前をゆきえといった。
 
ゆきえは、岩手生まれ。厳しい冬を大家族のもとで暮らしてきた。味噌に漬け込む、にしん作りや田吾汁、天然のブリや取れたて野菜をふんだんに使った鍋料理が得意だ。涼太の話によれば、5年前ここにきて住み着いたらしい。源三を支える内縁の妻、といった感じか。
 
5年前まで、源三は息子さんのことでひどく荒れていたそうだ。それが、ゆきえがきてから落ち着いた。東北の厳しい冬と大家族の中で鍛えられたせいか、繊細でよく気がつく。ここぞというときは、源三の後ろ盾をする芯の強い女性だった。
 
すっと伸びた首が美しい。髪をきれいにたばねると、うなじの美しさがひと際目立った。
 
僕は彼女に、胸につかえていた疑問をぶつけた。

第8章 出逢い

「ゆきえさん、ちょっといいですか。お聴きしたいことがあるんですけど……」
「えっ、どんなことかしら?」
 
「どうしてここに住もうと思ったんですか?」
「そうね、あん人の温もりを感じたからよ。岩手の冬はね、すごく厳しいの。そんなときには、人のぬくもりほど温かく感じるものはないわ。源三さん、口数は少ないけど優しいの。ウチをすぐ受け入れてくれたの」
 
「ゆきえさんは、一人身ですか?」
「ウチには、酒癖の悪い旦那がいてね。その人を置いて、アタシ一人飛び出してきたの。でも源三さん何も聞かないのよ。傷ついた女にはね、そこがいいの」
 
彼女のことばは新鮮だった。ちゃんと言わないと伝わらない――そう、いつも思っていたからだ。
 
「源三さん、人一倍、気持ちがわかる人なの。あん人の目を見れば、わかるの。わかってくれてるってね」
 そう言われ、源三と初めて逢ったときの鋭い目つきを思い出した。
 
源三さんとゆきえさん、お互いが引き寄せたのかな……ぼんやりとそんなことを考えた。

第9章 愚直

屋久島にきて3週間が過ぎた。源三は、早朝からき続ける若者を見つめ、問いかけた。
 
「ヒロさんよ。最初は、青っちょろい奴だと思ったが、ここでの暮らしもちったぁ慣れたか。いっちょ、海に連れ出してやろうか」
 
「え? いいんですか」
思いがけない源三の誘いに、甘く見られていると思っていた僕は、驚いた。
 
「だがな、船に乗せっからといって、一人前だと思ったら甘っちょろいからな」

 ゆるんだ僕の口元を源三は見逃さなかった。
12月を迎えると、屋久島の海もさすがに寒い。強い潮風がほほに痛かった。
 
源三の誘いから2日後、船に乗せてもらった。クルージング用の船と違い、漁船の揺れは大きい。船に乗るのは慣れていたはずが、すぐに酔ってしまった。
 
3日乗り続け、ようやく酔いは収まった。今日は漁を教えてくれる約束だ。暗闇の中、沖へと出かけた。そこで2時間ほどじっとし、かけていた網を引くと、次から次に魚がかかった。
 
「どうして魚がいるところがわかるんですか」
「勘さ、長年の勘がモノをいう」
 
「いまは魚群探知機だってあるのに、なぜいまだに勘に頼るんですか」
「ボケないようにさ」
 
源三は、笑った。
 
その後も漁につきあった。荒れる海は怖かった。それでも船に乗り続けた。ときには“度胸だめし”とばかりに、海に突き落とされた。
 
救命胴衣は付けていたし、波の静かな時を選んではくれた。ただ、そうは言っても大海原が相手では、その怖さも半端じゃなかった。
 
海に出て10日を過ぎた頃、源三は切り出した。
 
「そろそろいいだろう。勘に頼るわけを、からだで覚えるそのわけを教えてやろう」
 そこが一番聴きたかった。何か特別な理由があるに違いない――そんな気がしていた。それこそ自分に足りないものだと感じていた。
 
「人はやる前から余計なことを考える。こうなったらどうしよう、ああなったらどうしようと。そう考えているうちに日は暮れる。だがな、そんな心配はいらねぇんだ。そんな暇があったら、ハラを決め、慣れた漁師と海に出る。そうやって海を読む――。船を操る力量だけが頼りだ。あとはいらん。
 
ただ、いつまでもビクビクして海に出ねえのも話にならんが、自分を過信するのはもっと怖い。やれると思って、何人命を落としたか……」
そう言いかけたとき源三の口の動きが止まった。何かを思い出したようだった。沖の海を見ながら、浮かんだ映像を振り払うかのように続けた。
 
「ここじゃ、バカのひとつ覚えのように、真っ直ぐ観ねぇとダメなんだ。どんだけ用意したって失敗するこたぁある。それが海ってモンだ。男はな、そうやって、学ぶのさ」
 
源三のいさぎよさをかいま見た気がした。僕はうぬぼれていた。何でもできると思っていた。だから源三のことばに目の覚める思いがした。気づくと、いつしか朝日が昇りはじめていた。日に焼けた源三を朝日が照らし、ほほはオレンジ色に輝いていた。
 
「オレの息子は、たけしっていってな、オレが二十五のとき、海に連れ出した。そのときのオレは未熟だった。自分の力を過信していた。親父らしくいいとこを見せてやろうと思い上がった。カミさんが止めるのも聞かずに……。それが間違いの元やった」
 
源三の目がうるみ、その目は遠くを見つめていた。
 
 第10章「舵取り」につづく


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