エレナ婦人の教え 第三話「源三 語らない姿」第10章~第13章
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〃 第4章~第9章
第10章 舵取り
「自分の力を過信しちゃあいけねえ。自分の力量、自然への畏(おそ)れ、そういうものがいるんだ。謙虚さを持ちながら、体で覚える。それしかねぇんだよ。泳ぎの知識がいくらあったってダメだ。泳いだことのねぇヤツにゃあ」
まるで自分のことを言われたようだった。と同時にゆきえのことばを思い出した。
<あん人は、ウチの気持ちをわかってくれるの>
すねるように甘えて語るゆきえの表情と源三の笑顔がダブって観えた。
「目を見りゃあわかるんだよ。人の気持ちってもんは。目の奥はウソをつかねぇ。そういうもんだ」
源三の気持ちがつかめた気がした。天然まぐろのような強さとしなやかさを――。
「アンタも一本、筋が入ってきた。逆境に強くなった。舵取りができ始めたんだ。自分という船のな。そろそろここを出てもいいときだ」
何か言いたくなった。僕は、胸につかえていた想いのたけを彼にぶつけた。
「源三さん。僕はあなたに助けられた。最初は帰ろうかって何度も思った。
けど源三さんといるうち何か感じた。だから残った。ここには学ばないといけない何かがある――そう思ったんです」
源三は黙ってうなずいた。ずっと言えなかった、そのことばをようやく口にできた。失った息子のことで心を閉じた彼に、僕のことばは響くだろうか――そう思いながら想いをぶつけた。
「源三さん、もう自分を責めるのはやめてください。息子さんは、息子さんは……、仕方なかったんです、死んじゃったのは。そうなるのは避けられなかったんです。
源三さんが、連れ出さなくたって同じだったんです。源三さんの血が流れてりゃ、いつかは息子さんも嵐の海に出かけたはずです。もう自分を責めないで――息子さんがここにいれば、きっとそう言いますよ」
「うるせぇ。オマエに何がわかるか!」
源三は激昂(げきこう)した。痛い所を突かれたのか、いつになく興奮していた。それでもよかった。そう言い放ったとき、自分の中に筋金が入った気がした。
そろそろ船出だ。オーストリアへの旅立ちだ。
第11章 筋金
自分に足りなかったもの。それは、逆境にも倒れないはがねのような強さだった。何を言われても倒れず、荒波がきてもじっと耐える。流れに身を任せ、自分の足で立ち続ける――そんな筋金入りの強さだった。
体で覚える――その本当の意味がわかった気がする。アクの強い男源三。眼光鋭く、吠える男に試されていた。源三の強さが乗り移り、自分を見失わない強さを持ちはじめた。
「ようやくわかったようだな」
「えぇ……。まだ一人前とはいえないかもしれませんが」
「いや、そう言えるなら十分だ。芯のあるいい目をしている。ほんとうの強さが身に付くのは、冬の厳しい海を乗り越えたときだ。これまで、逆境の海を乗り越えてきたアンタだ。もう教えるモンはねえ。後は自分で立つだけだ」
ふと浜辺にある納屋に目をやると、ゆきえが影から現れた。髪はこぎれいにまとめてある。和服の似合うゆきえの濡れた口元から、ことばが漏れた。
「ヒロさん。私も応援しているわ。あなたは、私から見ても魅力が出てきたわ。男の色気が出てる。海の塩味のような色気がね、香るのよ」
「ありがとうございます」
熱い吐息でゆきえは語った。そのことばに火を灯されたように、僕のからだはほてった。
ゆきえは目を細め、すねるように甘えた口調で続けた。
「女はねぇ、いいなりになる男には、色気を感じないものなの。どこかクセがあってどうしようもない男。そんな男に惹かれるの。着いて行きたくなる。それが大変な道だとわかっていてもね、守ってあげたくなる。男って女なしには生きていけないから……」
それが源三のことを指しているのは明らかだった。ゆきえは源三をちらりと見た。すると源三は、笑みをたたえていた。
「ヒロさんよ、オレはアンタのおかげで自分を許すことができた。息子を失ってオレは自分を責めていたんだ。だがな、そんなオヤジを天国にいる息子は決して喜んじゃいねぇ。それをヒロさん、アンタが教えてくれたんだよ」
源三のことばに、胸のつかえが取れた気がした。
第12章 海へ
別れの日がやってきた。屋久島にきて1ヶ月。ぶっきら棒で、どうなることやら……と思っていたここの人たちとも仲良くなれた。旅の荷物をまとめていると、涼太が話しかけてきた。
「行くんだね」
「うん……」
「僕も、ここじゃ年が一番若かった。だから肩身の狭い思いをいつもしていたんだ。でもヒロがきて変わったんだ。いい話相手ができてうれしかった。オーストリアへ行っても応援すっからね。手紙出すよ。いつ出せるかわかんないけどさ」
日頃、涼太が筆不精で、手紙など書いたことがないことを知っていた。だから手紙を出そうとする気持ちだけでうれしかった。
「ありがとう。僕も涼太がいなかったら、ここに居続けられたかどうか。涼太のおかげだよ」
涼太は泣いていた。思わず僕も涙があふれた。その涙には、なんともいえないさわやかさがあった。
「ありがとう。ありがとう……」
固い握手をし、抱き合った。力強い抱擁は、離れても強い絆になると感じさせた。同じ宿で寝泊まりした住人からは、まるでこの日を待ちわびたように熱い視線が集まった。男たちは足で地を鳴らし、雄たけびのように叫んだ。女たちは拍手をしながら大声で笑った。
――難しくなかったんだ。僕は僕でいればいいんだ。
うるさいぐらいのその大きな音に、力がみなぎる思いだった。ふだんぶっきら棒でも、いざというときは応援してくれる――かつての職場の送別会で祝福される自分をダブらせ、喜びをかみしめた。
第13章 門出
「今日は、お祝いや。酒をもってこい」
源三の口調は荒々しかった。そこにはいつもの厳しさはなく、やさしさがあふれていた。山小屋を取り囲み、くり広げられる別れの集いに、言葉では言い尽くせない幸せを感じた。
これが家族――仲間と言えるのかもしれない。いろいろ人がいて、勝手なことを言う。それでいいんだ。皆どこかでつながっている。ふだんはけんかをしていても、いざというときは助けてくれる。ここは本当にいい場所だ。
正直自分の居場所なんてわからないものだ。ここじゃないと思った場所――その場所こそが自分の居場所だったんだ。
「いまのアンタならどこに行っても大丈夫だ――」そう太鼓判を押す源三に、ひと際勇気づけられた。
翌朝、目が覚めると、まだアルコールが残っていた。そこで出発時間を少し遅らせることにした。空は旅の門出を祝うかのように青々としている。綿菓子をちぎったような雲が、晴れやかな僕の気持ちを代弁していた。
1ヶ月をかけ船を整備してくれた地元の人たちにお礼を言い、港を出た。
デッキに立ち後ろをふり返ると、人影がみるみる小さくなっていく。そこで僕はもう一度、大きく手を振った。
ありがとう……。屋久島は僕に、真の強さとは何かを教えてくれた。
いよいよ異国の地、オーストリアへの旅立ちだ。
(エレナ婦人の教え第三話「源三 語らない姿」おわり)
続編 エレナ婦人の教え2「エリック 優雅なる生活」第1章はこちら
