エレナ婦人の教え 第一話「ふしぎな出逢い」第10章~第11章
第1章からの話(あらすじ・目次含む)はこちら
第2章~第4章
第5章~第9章
つづく第二話「見えてきた日常」はこちら
第10章 夕暮れ
しばらくカレンと浜辺で過ごした。空を見ると、夕陽で雲がオレンジ色に染まっていた。
「そろそろ帰りましょう」
もう少しここに居たかった。だがそういうわけにもいかない。波の音に引きずられながら、エレナさんの家に戻ることにした。
家ではエレナさんが、夕食の準備を終えたところだった。
「せっかくだから夕食も一緒に食べていらっしゃい」
「はい。そうすることにします」
彼女は作っていたシチューの味を見ながら言った。
「あなたのその素直さがいいわ。どう思われるか気にしたり、うまくいくか不安になり過ぎると動けない。うまくいったらもうけもの、くらいの感覚でやってみること。どうなるか心配してもなにもはじまらないから。
人と話すときや仕事するとき、新しいことをやってみたいって空想はする。けれども皆同じことしかしない。それって何も変わらないし、退屈。すぐそこに幸せが観えていても行ったことがない道だと怖いのよ」
「僕もそう思います。だけど“ヘタに足を踏み出すと失敗するゾ”とオドされる。新しいことをして失敗した人を見たりすると、自分もそうなるんじゃないかって思うんです。失敗したら終わりだって。だから足を踏み出せない」
「そうね」
エレナさんはそう言って、しばし黙った。そして続けた。
「たしかに、うまくいかなかった人や、逆にうまくいき過ぎた人しか知らないと自分には当てはまらない気がするでしょう。関係ない話に聴こえる。だから怖いとかできないって気になるの。
でも、周りに合わせてばかりいると息苦しくならない? 自分らしさが失われる気がして……。それってもったいないわ。自分を生かせないまま終わる、なんていうのは……。後悔するくらいなら、どんなことでもいいからはじめればいいのに。
それに人はどこかで自分を出そうとするものよ。飲み会じゃみんな解放的になって騒ぐでしょう? あれなんかがいい例。みんな自由になりたいのよ。
でも解放的になれる人はいいほう。一方で割り切れない人もいる。そういう人が苦しくなるの。
周りに合わせてばかりいると、自分が誰かわからなくなる。でもそれはあなただけじゃないわ。私を訪ねる人はみんなそう。同じところで悩むの」
聴けば、有名女優、俳優、芸術家、大企業の社長でさえもエレナさんを訪れるという。
自分だけが悩んでいるわけじゃない、と知ると、仲間と出逢えた気がした。僕は、内心ほっとした。
気づくと時計の針は夜の9時――。はじめての団らんを終え、エレナ邸を後にした。
またここへくることを約束して……
第11章 日常の風景
あれから何日経っただろう……
これまでの日々は、ただただ慌ただしかった。だがエレナ邸を訪ねたあの日から、なにかが変わった。それが何なのかうまくは説明できない。ただ何となく落ち着いてきた。自分だけ時間が止まったような、一人だけポツンと浮いたような、そんな感じだった。
もちろん忙しく動き回る日もある。そんな日でもあせらず、落ち着いて対処できた。せわしく動く周りの人たちを見ても、流れる景色のように観えた。
「人はなかなか目の前のことを味わおうとしないものよ。忙しい忙しいって言って時間だけが過ぎていく。そうやって人生が終わっていくのよ。
早くしなきゃって急いで目先のことに追われる。かえってその方が遠回りになるのにね」
エレナさんから言われたことを思い出した。
次から次へと慌しく動いていた日々……。あれは一体何だったのだろう。問題が山積みに観えた仕事。そのどれもが“急ぎなさい”と訴えかけてきて、追われるように片づけていた。
それがエレナ邸を訪ねたあの日以来、なにかが変わった。胸の奥にしまい込んでいた、淡い想いが目覚めはじめた。
これまでの僕は、役立たずだと思っていた。自分に価値がないと思っていた。仕事ができない代わりに、せめて人の悩みくらいは聴かなきゃと思っていた。悩みを聴いて役に立つ人間だと証明したかった。
だから悩みを聴かされるとなんだかうれしかった。一緒になって悩んだ。自分で役に立つのならと走り回った。たしかに相手はスッキリして感謝してくれる。けれどこっちはヘトヘトに疲れた。
人が怒っていると“自分のせいかもしれない”人が嘆いていると“自分が聴かないといけない”――そう思い、自ら首を突っ込んだ。
だが本当は、やりたくてやっていたわけではない。止むに止まれずやっていたのだ。人に嫌われたくない、好かれたい、「あいつも少しは役に立つじゃないか」そう思われたい一心でやっていた。
だけどその仕事、僕がやらなくたっていい。困っているからといって、何でも僕が助けなきゃいけないなんて道理はない。
人は勝手なものだ。自分の都合で良く言ったり、悪く言ったりする。機嫌がいいかと思えば、急に悪くなったりする。それはこちらのせいではなく、相手のせいなのだ。仮にこちらが言ったことで相手が怒ったとしても、怒るのは相手の都合だ。
自分のせいだと気にしなくてもよかったのだ。
そう意識が変わると、仕事に集中できた。自分のせいと思わなくなると、人に構わなくなった。
こちらが助けに行かなければ人は自ら動き出す。困ったらほかの人に尋ねてもらえばいい。自分が相手をしなくても悪く言われることはなくなった。
とはいえ、何事もなく進むとかえって落ち着かないものだ。安堵感と違和感が交互に現れては消えていった。
これが何を意味するのか? まだ答えは見つからない。そこで休みの日、気分転換を兼ね、自然の中を走ることにした。
(「第一話 不思議な出逢い」 終わり)
「第二話 見えてきた日常」に続く
