客観性と独立性を手放す勇気──Dr. Lenzが説く内部監査5つの転換
こんにちは、「IA Insight Lab(IAラボ)」管理人のHIROです。私は現在、米国のシリコンバレーで「世界の内部監査のベストプラクティス」や「内部監査における生成AI活用」の研究とコンサルティングに取り組んでいます。このシリーズでは、日本の内部監査人が普段触れる機会の少ない「世界の内部監査」の動向を、最新かつ分かりやすくお届けすることを目指しています。
実は先日、私のもとに一通のダイレクトメッセージが届きました。差出人は、内部監査の世界で知らぬ者はいないソートリーダー、Dr. Rainer Lenz(ライナー・レンツ博士)。「ガバナンスの庭師(The Gardener of Governance)」という概念の生みの親であり、私はご縁あって、彼の著書の日本アンバサダーを務めさせていただいています。
そのDMで彼が教えてくれたのが、今回ご紹介する1本の動画です。「日本で紹介してほしい」と頼まれたわけではありません。けれども観終えたとき、「これは日本の内部監査人にこそ届けたい」と強く感じ、こうして筆を執っています。この記事を読むことで、内部監査という仕事の前提そのものを問い直す「5つの転換」を理解することができます。
記事全体のサマリー
本文を読み進める前に、まずは本記事のサマリー画像を掲載しますので、全体の理解促進にお役立ていただければ幸いです。

1. 解説:なぜ今、内部監査は「庭師」になるのか
1-1. AIが要約した、ある講義の物語
今回のソースを少しだけ紹介させてください。2026年5月29日、Lenz博士はマレーシアのマラヤ大学(University of Malaya)が主催する「Elite Fellow Session」に登壇しました。テーマは「守護者と庭師が手を組むとき(Guardians and The Gardener of Governance join forces)」。この講義をもとに、同大学で内部監査教育プログラムを統括するDr. Suhaily Shahimi(スハイリ・シャヒミ博士)が、わずか8分の解説動画にまとめてくれたのが、私が受け取った動画です。
興味深いのは、この動画がGoogleのNotebookLMという生成AIを使って作られている点です。AIが人間の講義を要約し、その中身では「人間ならではの知性を取り戻せ」と説いている。この入れ子構造そのものが、これからお話しするテーマを象徴しているように、私には思えてなりません。

1-2. 「鎖につながれた象」が映す、私たちの宿痾(しゅくあ)
動画は、いきなり挑発的な問いから始まります。「これだけ監査のフレームワークがあり、無数のルールがあり、チェック&バランスが整っているのに、なぜ企業の不祥事はなくならないのか?」
ここで登場するのが「鎖につながれた象」のたとえです。サーカスの象は、地面に打たれた小さな杭と、細いロープ一本でつながれています。大人の象なら、その気になれば簡単に引きちぎれるはずです。ところが象は逃げようとしません。なぜか。子象の頃、まだ力のなかった時期につながれ、「どうせ逃げられない」と学習してしまったからです。
内部監査を縛っているのは、物理的な制約ではない。「どうせこういうものだ」という、古い思い込み(レガシー思考)そのものである。
Lenz博士の指摘は痛烈です。私たちを杭につなぎとめているロープは、とっくに引きちぎれる細さになっている。にもかかわらず、私たちは「内部監査とはこういうものだ」という学習性無力感の中で、いまだ立ち止まっている、というのです。
1-3. 守護者(Guardians)と庭師(Gardeners)という構図
では、つながれた象がロープを断ち切った先には、どんな姿があるのか。それを理解する鍵が、本記事のタイトルにもある「守護者」と「庭師」という二つの言葉です。
「守護者(Guardians of Governance)」とは、取締役会や上級経営陣を指します。これは、コーポレートガバナンスの世界的権威であり、南アフリカの『キング・コード(King Report)』を生んだMervyn King(マービン・キング)教授に由来する概念です。彼らは高い視座から、いわばバルコニーの上から組織全体を見渡す存在です。
一方の「庭師(Gardener of Governance)」が、内部監査人です。Lenz博士いわく、どれほど優れた守護者がバルコニーから見下ろしていても、それだけでは庭は育たない。土に近いところで実際に手を汚し、根の状態を確かめ、水をやり、雑草を抜く存在──すなわち庭師がいて初めて、庭は健全に育つのだ、と。
守護者はマンデート(権限)を与える。庭師は現場の目と手と記憶を提供する。両者が手を組んで初めて、ガバナンスという庭は花開く。
この「守護者と庭師が手を組む」という主旋律を、私は本記事で「内部監査・5つの転換」として整理し直してみました。順に見ていきましょう。
2. 内部監査・5つの転換
2-1. 転換①:「客観性」から「多面性」へ
一つ目の転換は、内部監査人が長年、聖域としてきた「客観性(objectivity)」に関するものです。
Lenz博士は、「監査人だけが客観的な真実を独り占めしている、というフリはもうやめよう」と言います。現代のビジネスは、白か黒かで割り切れるものではありません。事実と解釈が入り混じった、複雑なグレーゾーンの連続です。そんな世界で「私は完全に客観的だ」と言い張ることは、むしろ現実から目を背けることになりかねません。
真実をつかむには、最低でも二つの視点が要る。
だからこそ、目指すべきは純粋な客観性への固執ではなく「多面性(multi-perspectivity)」だと博士は説きます。複数の立場・複数の視点を意図的に集め、そのぶつかり合いの中から「実際に何が起きているのか」を立体的に描き出す。一人の監査人が「正解」を握っているのではなく、多くの目を束ねることで真実に近づく。そういう発想の転換です。
2-2. 転換②:「独立性」から「相互依存(Ubuntu)」へ
二つ目の転換は、客観性と並ぶもう一つの聖域、「独立性(independence)」に切り込みます。これは、日本の内部監査人にとって、特にドキッとする指摘かもしれません。
Lenz博士は、「完全な独立性などというものは幻想だ」と言い切ります。すべてが相互に絡み合った現代の組織で、内部監査人だけが孤島のように独立していられるはずがない。なぜ内部監査人が、法務部長やリスク管理責任者よりも孤立していなければならないのか、と。動画の中で、私が最も膝を打ったたとえがこれです。
厳格な独立性にしがみつくのは、雨を防ごうとして庭に木の柵を立てるようなものだ。
柵をどれだけ高くしても、雨は降り注ぎます。組織から自分を切り離すことではなく、組織との「相互依存(interdependence)」を認めることこそが、これからの監査人の姿だというのです。
この思想の背骨にあるのが、南アフリカ生まれの「Ubuntu(ウブントゥ)」という哲学です。「I am because you are(我あるは、汝あればこそ)」──私が私であるのは、あなたがいてくれるからだ、という意味です。これは前述のキング教授が手がけた南アフリカのガバナンス・コード『King IV』にも組み込まれた、由緒ある考え方です。Ubuntuは、ガバナンスを孤立した「私(me)」の発想から、協働する「私たち(we)」の発想へと転回させます。ガバナンスとは一人の英雄が成し遂げるものではなく、エコシステム全体で共に成功させるものだ、と。
2-3. すべての土台にある「5つのP」
では、この「私たち」の発想を、具体的に何へ向ければいいのか。ここでLenz博士が示すのが、彼の代名詞ともいえる「5つのP」フレームワークです。本記事の「5つの転換」とは別物なので、混同しないように整理しておきます。
5つのPとは、組織の内なる人材である「People(人)」、社会からどう見られているかという「Public(公衆の認識)」、何を成し遂げるかの「Performance(業績)」、なぜ存在するのかの「Purpose(目的)」、そして「Planet(地球)」の五つです。最後に「地球」が入っているのが、この枠組みの先進性です。動画はこう例えます。どれほど手入れの行き届いた美しい庭でも、隣を流れる川を汚しているなら、それは失敗だ、と。サステナビリティを欠いたガバナンスは、長期的には必ず破綻する。内部監査の視野は、組織の塀の内側だけでなく、地球規模の外部性にまで及ぶべきだ、というメッセージです。
なお、この5つのPは、Lenz博士とJeppesen博士が2022年に発表した論文『The Future of Internal Auditing: Gardener of Governance』が出発点になっています。専門誌EDPACS史上、最も読まれた論文となり、25以上の言語に翻訳され、累計2万回以上読まれている、いわば現代内部監査の古典です。今回の講義は、その思想の最新アップデートだと捉えると、位置づけが分かりやすいと思います。
2-4. 転換③:「番人」から「庭師」へ
三つ目の転換は、いよいよ内部監査人の役割(アイデンティティ)そのものです。もし私たちが「コンプライアンス警察」でないとしたら、一体何者なのか。
Lenz博士の答えが「庭師」です。チェックリストを上から順に潰し、粗探しをして「ほら見つけたぞ(gotcha)」と指を差す──そんな番人(watchdog)としての役割は、もう終わりにしようと言います。庭師の仕事は、まったく性質が異なります。組織という庭を能動的に「耕す」こと。育つべき良いものが育つように環境を整え、必要なところでは雑草を抜く。受け身の検査官ではなく、極めて能動的で、手を動かし、成長にフォーカスした存在です。
私たちの存在意義(USP)は、もはや「箱にチェックを入れること」ではない。組織を「育てること」だ。
2-5. 転換④:「統制」から「耕作」へ
四つ目の転換は、監査人がどこにエネルギーを注ぐべきか、という時間の使い方の話です。
ここで動画は、有名な「緊急度×重要度」の2×2マトリクスを持ち出します。経営者は、日々の火消しに追われ、どうしても「緊急」の象限に囚われがちです。動画の言葉を借りれば、「昨日のことの後始末(the stuff of yesterday)」に時間を奪われている。これに対し、庭師が最も力を発揮するのは「重要だが、緊急ではない」象限です。こここそが、長期的な価値が実際に育つ「耕作」の領域だというのです。
博士は、内部監査の成果を3つの段階で捉えます。一つ目は、人々が「正しくやっているか(do things right)」をただ確認する番犬の段階。これは孤立した「私」の発想に基づく、統制の幻想にすぎません。二つ目は、物事を「責任を持って」行う段階。ここでUbuntuのガバナンスが芽生えます。そして頂点である三つ目が、ビジネスが「より良く(do things better)」なるよう能動的に手助けする段階──すなわち耕作です。
「正しくやらせる」統制から、「より良くする」耕作へ。これが内部監査の成熟の道筋である。
2-6. 転換⑤:「孤立した第三線」から「守護者とのパートナーシップ」へ
そして五つ目、最後の転換です。これまでの内部監査は「3つのディフェンスライン」の第三線として、独立した立場を守ることに重きを置いてきました。しかしLenz博士が描く未来像は、守護者と肩を組む「パートナー」です。

動画では、ある経営幹部が自社の内部監査チームに宛てて実際に書いたという、一通の手紙が紹介されます。そこに込められた要求が、これからの監査人への期待を、見事に言い表しています。
まず幹部が求めるのは「勇気」です。手紙にはこう書かれています。「壊れているものだけでなく、君に見えているものを話してほしい(Tell me what you see, not just what is broken)」。割れた破片を指摘するだけの監査人には、もう疲れた、と。土の状態も、天候も、生態系全体を見渡したうえで、大局を助言してくれる勇敢な庭師を求めているのです。
次に求められるのが「データドリブンであること」。「意見ではなく、証拠を持ってきてほしい。自分自身のAIエージェントになってほしい(Be your own AI agent)」。勘や感覚ではなく、テクノロジーを駆使して庭の「いま」をリアルタイムで見せてほしい、という要求です。ここは、私が日々向き合っているAI×内部監査のテーマと真正面から重なる部分なので、後ほど改めて触れます。
三つ目が「徹底した透明性」、そして独立性についての実に示唆深い再定義です。幹部は言います。「独立性とは、出たり入ったりする”役割”だ(independence is a role you step into and step out of)」。ある時は助言し、ある時は保証する。大切なのは、いま自分がどちらの”帽子”をかぶっているかを、常に透明にしておくこと。そうである限り、この柔軟さは弱さではなく、むしろ職業としての成熟なのだ、と。
そして何より、彼らが切望しているのが「真のパートナー」です。守護者はボードルームでマンデートを与えるが、現場の目、手、そして「物事が実際にどう動いているか」という組織の記憶は、庭師に全面的に頼るしかない。だからこの手紙は、忘れがたい一文で締めくくられます。
No gardener, no garden.(庭師なくして、庭なし)
どれほどの権限を持つ守護者でも、手入れする者のいない庭は、いずれ必ず荒れ果てる。私たちは完全に相互依存している。だから、共に耕そう──それが、この講義の結論です。
3. 日本の内部監査への適用:明日から何を変えるか
3-1. 「独立性」を捨てるのではなく成熟させる
ここからは、内部監査の専門家として、この5つの転換を日本の現場にどう活かせるかを考えてみます。
日本の読者の中には、「客観性と独立性を手放せ」という主張に、強い抵抗を覚えた方もいるでしょう。それは、とても健全な反応だと思います。独立性は、新しい内部監査基準(GIAS)でも明確に求められる、職業の根幹だからです。
ただ、Lenz博士の真意は「独立性を捨てろ」ではないと、私は理解しています。捨てるべきは「独立性という名の孤立」です。手紙の言葉を借りれば、独立性は”出入りする役割”。日本でもしばしば論争になる「アシュアランス(保証)」と「アドバイザリー(助言)」の両立問題に、これは一つの実務的な答えを与えてくれます。すなわち、両方やってよい。ただし、いま自分がどちらの立場で発言しているのかを、経営層にも被監査部門にも透明に開示する。この「帽子の掛け替えの透明性」こそが、独立性を形骸化させずに成熟させる鍵になります。
3-2. 「Be your own AI agent」をどう実装するか
五つ目の転換で経営幹部が求めた「自分自身のAIエージェントになれ」は、私が最も日本の監査人に伝えたいポイントです。
これは「AIツールを導入しましょう」という浅い話ではありません。意見ではなく証拠で語るために、自らデータを取りに行き、自ら分析し、リアルタイムで組織の実態を可視化する。その能力を、監査人一人ひとりが身につけよ、という要求です。幸いなことに、生成AIの登場で、この敷居は劇的に下がりました。膨大な議事録の要約、規程と運用実態の突合、異常検知の初動。かつて専門チームを要した作業の多くが、いまや個人の手の中にあります。
皮肉にも、この記事のもとになった解説動画自体が、AIによって生成されたものでした。だからこそLenz博士は、書籍の中で、言葉遊びを込めてこう訴えます。
求められるのは、Artificial Intelligence(人工知能)のように振る舞う人間ではなく、Authentic Intelligence(本物の知性)を持つ人間だ。
AIに定型作業を任せれば任せるほど、人間の監査人に残るのは、問いを立て、文脈を読み、人の心に寄り添うという、最も人間的な仕事です。AIを使いこなすことと、人間らしさを取り戻すことは、決して矛盾しないのです。
3-3. 庭師になるための、明日からの小さな一歩
とはいえ、「明日からあなたは庭師です」と言われても、現場はそう簡単には動きません。最後に、私なりの小さな一歩を三つ、提案させてください。
一つ目は、次の監査報告書で「壊れているもの」だけでなく「見えているもの」を、一段落だけ書き加えてみることです。指摘事項の羅列の最後に、生態系全体を見渡した所見を添える。それが、勇気ある庭師への第一歩になります。
二つ目は、被監査部門との関係を「検査する/される」から「共に耕す」へと、言葉の使い方から変えてみることです。報告会の冒頭の一言、メールの一文を変えるだけでも、相手の身構えは確実にやわらぎます。
三つ目は、自分の監査テーマを「緊急度×重要度」のマトリクスに当てはめ、「重要だが緊急でない」象限の仕事を、年間計画に意図的に一つ組み込むことです。火消しではなく、種まきを。
内部監査を縛っていた細いロープは、もう、とっくに引きちぎれる細さになっています。あとは、私たちが一歩を踏み出す勇気を持てるかどうか。Lenz博士のこの問いかけを、日本の仲間たちと分かち合えたなら、アンバサダーとしてこれほど嬉しいことはありません。それでは、あなたも一緒に──Keep cultivating(耕し続けましょう)。
この記事は、私個人の専門家としての継続学習のため、また内部監査業界の発展のために投稿しています。「いいね」や「フォロー」で応援いただけると励みになります。それでは、次回の記事でお会いしましょう!
引用元
Suhaily Shahimi, "The Gardener of Governance: Guardians and The Gardener of Governance Join Forces"(解説動画/2026年5月30日。Dr. Rainer Lenz のマラヤ大学講義〔2026年5月29日〕をもとに Google NotebookLM で作成)
Rainer Lenz & Barrie Enslin, "The Gardener of Governance: A Call to Action for Effective Internal Auditing"(CRC Press / Taylor & Francis, 2025)
Rainer Lenz & Kim Klarskov Jeppesen, "The Future of Internal Auditing: Gardener of Governance" EDPACS, 66(5), 1-21(2022)
