【相談】戦略って結局なんだ、とナポレオンが聞いてきた【時空BBS:軍略板】
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【相談】戦略って結局なんだ、とナポレオンが聞いてきた
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1 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
相談がある。
大小合わせて七十戦を戦った。勝ち越しはしている。
だがロシア遠征で六十万の大半を失い、ワーテルローで全てを失った。
どこで間違ったのか、根本から聞き直したい。
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2 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
相談相手は決めている。
二千五百年前、中国で兵法書を書いた男。
孫武殿。読ませていただいた。読んだ上で、それでも負けた。
どこが間違っていたか、直接聞きたい。
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3 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>2
呼ばれて来た。
ナポレオン殿。まず最初に確認しておく。
「勝ち越した」と言ったな。何戦のうち何戦勝ったのか。
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4 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>3
七十戦のうち、六十戦ほどは勝った。
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5 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>4
それがまず誤りだ。
百戦百勝は善の善なる者にあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。
お前は六十戦も戦ってしまった。
一流の兵法家は、戦う前に勝敗を決める。六十戦もするということは、六十回、決着をつけ損ねたということだ。
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6 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>5
……戦わずに勝つ、というのは理想論ではないのか。
こちらが攻めなくても、向こうが攻めてくる。
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7 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>6
攻めてくる前に、攻めてこない状況を作る。それが戦略だ。
戦場で剣を振るうのは、戦略の失敗の後始末にすぎん。
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【論点1】速度は万能か
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8 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
では最初の論点。
私は速度で勝ち続けた。敵が集結する前に一つずつ叩き、敵の予想より早く次の戦場に現れた。
「疾きこと風の如く」。孫子殿の兵法書にもある。
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9 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>8
それは武田信玄殿がよく引用する風林火山の一節で、私が書いたのはもう少し長い。
疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し。
お前は「風」と「火」だけを使った。
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10 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>9
林と山を使わなかったと。
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11 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>10
使わなかった。
勝った後、その場で動かず待つ「山」の時期が必要だ。
相手が疲弊して条件を呑んでくるのを待つ。
お前は勝った翌月に、もう次の戦を始めた。
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12 :クラウゼヴィッツ ◆Clausewitz【軍事理論家/19世紀プロイセン】
横から。
カール・フォン・クラウゼヴィッツ。
ナポレオン殿、あなたの機動の芸術を見て『戦争論』を書きました。
孫子殿の指摘を補足したい。
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13 :クラウゼヴィッツ ◆Clausewitz【軍事理論家/19世紀プロイセン】
戦争には「頂点」がある。
勝ち続けて戦線を伸ばすと、どこかで補給と兵力と士気のすべてが限界に達する点が来る。
そこを過ぎて一歩でも進めば、同じ勢いで崩壊に向かう。
ロシア遠征のモスクワは、あなたの頂点を越えていた。
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14 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>13
モスクワを占領した時、私は頂点を越えていたと。
しかし占領して和平交渉の席につけば、アレクサンドル一世は条件を呑むと読んでいた。
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15 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>14
そこだ。
敵を知り己を知れば百戦危うからず。
お前はアレクサンドル一世の性格を本当に知っていたか。
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16 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>15
強情だと知っていた。
首都を燃やしてでも降伏しない覚悟があるとまでは、読めなかった。
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【論点2】敵を知るとは何か
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17 :アレクサンドロス ◆Alexandros【マケドニア/王】
アレクサンドロス三世。
ナポレオン殿、私もインドで同じ失敗をした。
インドの王ポロスを破った。だが兵が「もう東へは進まない」と拒否した。
私もそこで止まるべきだった。
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18 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>17
アレクサンドロス殿も。
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19 :アレクサンドロス ◆Alexandros【マケドニア/王】
>>18
敵を知る、という孫子殿の教えを、私は「敵の兵力と陣形」として読んでいた。
違うのだな。敵の忍耐の限界、敵の国民の気質、敵の土地の広さ。
そこまで知らねば、勝っても負ける。
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20 :ハンニバル ◆Hannibal【カルタゴ/将軍】
ハンニバル・バルカ。
私もローマの土地で十五年戦ったが、ローマ市民は降伏しなかった。
敗戦を重ねても、次の軍を出す余裕があった。
「敵を知る」とは、敵の「敗北に耐える力」を知ることだ。
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21 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>20
ハンニバル殿の整理は明快だ。
敵の戦力ではなく、敵の「負けても壊れない構造」を見る。
ローマは執政官を二人置き、一人が負けてももう一人が残る仕組みだった。
ロシアは首都を失ってもまだ広大な国土が残っていた。
構造を叩かねば、戦闘でいくら勝っても勝利にならない。
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22 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>21
……ロシアの構造を、私は見ていなかった。
見ていたのは敵軍の陣形と兵数だけだった。
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【論点3】戦わずして勝つとは何か
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23 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
論点を変える。
孫子殿の「戦わずして勝つ」という一節。
具体的には何をすることだ。
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24 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>23
四段ある。
上兵は謀を伐つ。次は交を伐つ。次は兵を伐つ。下は城を攻む。
訳す。
最上は、敵の戦略そのものを崩す。
次善は、敵の同盟を崩す。
その次が、敵の軍と戦う。
最低が、城を攻める。
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25 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>24
……私は大半が「兵を伐つ」だった。
イエナ、アウステルリッツ、ボロジノ、ワーテルロー。
すべて軍と軍の戦いだ。
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26 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>25
お前は軍事の天才だった。
だから「兵を伐つ」段階で全部解決できてしまった。
それが最大の呪いだ。
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27 :クラウゼヴィッツ ◆Clausewitz【軍事理論家/19世紀プロイセン】
>>26
孫子殿の「呪い」という表現に同意する。
戦術的勝利を重ねられる将軍は、戦略的判断を怠りがちだ。
「戦場で解決できる」という自信が、「戦場以外の手段」を遠ざける。
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28 :諸葛亮 ◆Zhuge【丞相・軍師/3世紀中国】
諸葛亮孔明。
ナポレオン殿。
私は「交を伐つ」で呉と結び、赤壁で魏を破った。
だが後の北伐で、魏の同盟を崩せなかった。だから何度攻めても決着がつかなかった。
同盟を崩すのは、戦場で敵軍を潰すより、はるかに難しい。
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29 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>28
私は対仏大同盟を何度も組み直された。
七回組まれた。六回目まではそれぞれ打ち破ったが、七回目のワーテルローで終わった。
同盟を解体する努力はしていた。だが、解体する速度より組まれる速度の方が速かった。
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30 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>29
組まれる速度に気づいた時点で、戦場を変えるべきだった。
大陸封鎖で経済戦に切り替えようとしたのは、方向は正しい。
ただ、封鎖を守らないロシアを罰しに行って、自分が消耗した。
順番が違う。
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【論点4】撤退は敗北か
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31 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
もう一つ。
モスクワから撤退する判断が、遅れたと言われる。
だが当時、撤退は敗北の宣言だった。
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32 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>31
違う。
窮鼠を追うなかれ。帰師を遏むるなかれ。
帰る敵を止めてはならん、と私は書いた。逆に言えば、帰ることが戦略になる場面がある。
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33 :ウェリントン ◆Wellington【イギリス/公爵】
アーサー・ウェルズリー。
ワーテルローの戦場にいた男だ。
横から言わせてもらう。あなたは撤退を知らない将軍ではなかった。
エジプトで軍を置き去りにしてフランスに戻っている。あの判断は正しかった。
だからこそ、ロシアでもっと早く撤退できたはずだった。
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34 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>33
ウェリントン殿か。
あなたに言われるのは少々辛い。
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35 :ウェリントン ◆Wellington【イギリス/公爵】
>>34
私はイベリア半島であなたの元帥たちと戦った。
勝った戦闘もあれば、負けた戦闘もあった。
だが私は常に「いざとなればリスボンまで引ける」と知った上で戦った。
退路を確保することは、勝率を上げる。
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36 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>35
ウェリントン殿の言葉は、私の兵法書そのものだ。
全軍を前に進める前に、撤退線を確認する。
「退けない戦は戦うな」。これが根本だ。
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37 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>36
ロシア遠征で、私は撤退線を確認していなかった。
モスクワまで行ってから考えた。行ってから考えるのでは遅い。
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38 :ハンニバル ◆Hannibal【カルタゴ/将軍】
>>37
私も同じだ。
イタリア半島に入ったはいいが、帰る手段を確保していなかった。
戦に勝っても、本国カルタゴから補給が来ない。十五年後、私は呼び戻されて本土のザマで敗れた。
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39 :諸葛亮 ◆Zhuge【丞相・軍師/3世紀中国】
>>38
攻めなければ滅ぶ、と判断して攻めるのは理解できる。
私も蜀の国力差ではそうするしかなかった。
だが「攻めに行く時の帰り道」は、常に設計しておくべきだ。
私は五度の北伐でそれを徹底した。だから蜀軍は大敗せず、全軍を維持したまま戻れた。
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【結】戦略とは止め時の設計である
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40 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
孫子殿。
ここまでの議論で、一つだけ核心が見えてきた。
私の戦略の欠陥は、一つか。複数か。
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41 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>40
一つだ。
「止め時を決めていなかった」。
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42 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>41
……。
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43 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>42
速度が速い者ほど、止まれない。
勝ち続ける者ほど、止まる理由が見つからない。
だから敵ではなく、自分の勢いに殺される。
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44 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>43
最初からどこで止めるかを決めて戦うのか。
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45 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>44
そうだ。
戦う前に「何を得たら止める」を決める。
利を得たら、あとは守る。利以上を求めると、利を失う。
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46 :クラウゼヴィッツ ◆Clausewitz【軍事理論家/19世紀プロイセン】
>>45
戦争は他の手段をもってする政治の延長である、と私は書いた。
政治の目的が「何を得るか」を先に定める。軍事はそれを達成する手段にすぎない。
ナポレオン殿、あなたの戦は軍事目的が大きくなりすぎた。
「欧州全土の支配」は、政治目的としては大きすぎる。
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47 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>46
……ティルジットで止めていれば、私は皇帝のまま死ねた。
ライン同盟を得て、プロイセンを屈服させ、ロシアと和解した一八〇七年。
あの時点で「止める」と決めていれば。
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48 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>47
その一年を過ぎた時点で、あとは全て下り坂だった。
上りの途中で止める者が勝ち、頂上で止まれぬ者が負ける。
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49 :アレクサンドロス ◆Alexandros【マケドニア/王】
>>48
私は三十二で死んだから、止め時を考える前に終わった。
帝国は私の死後に分裂した。
止め時を決めなかった、という意味では、私もナポレオン殿と同じだ。
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50 :ハンニバル ◆Hannibal【カルタゴ/将軍】
>>49
私は負けた後に亡命し、異国で毒を飲んで死んだ。
止め時を決めるべきは、戦場でも、亡命先でも、常にだ。
「もう戦わない」と決めることが、将軍の最後の戦略になる。
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51 :ウェリントン ◆Wellington【イギリス/公爵】
>>50
私はナポレオン殿を破った後、政治家に転じた。
首相もやった。軍事的勝利の後に、政治の舞台で何を得るかを決めていたからだ。
「ワーテルロー以後」を先に設計していた。
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52 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>51
ウェリントン殿、あなたに全て持っていかれた。
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53 :ウェリントン ◆Wellington【イギリス/公爵】
>>52
あなたが勝ち続けている間、私は負け方を考えていた。
そういうことだ。
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54 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
ナポレオン殿。
結論を整理する。
戦略とは、勝ち方の技術ではない。「止め方の設計」だ。
どこで止めるか。何を得たら止めるか。止めた後に何を守るか。
これを先に決めぬまま始めた戦は、勝ち続けても必ず失う。
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55 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>54
孫子殿。
今あなたの兵法書を読み直せば、もう一度皇帝になれそうだ。
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56 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>55
読んでから皇帝になるのではない。
なる前に読んでおく本だ。
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57 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>56
……耳が痛い。
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58 :クラウゼヴィッツ ◆Clausewitz【軍事理論家/19世紀プロイセン】
相談終わりのまとめに一つ加えたい。
兵法書は「読んだ後に使う」のではなく、「読みながら迷う」ためのものだ。
ナポレオン殿、あなたが迷わずに済んだのは、才能があったからだ。だが才能は止め時を教えてくれない。
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59 :ナポレオン ◆Napoleon【フランス/皇帝】
>>58
次にフランスに生まれ変わるなら、砲兵学校で孫子を読ませてもらう。
そして頂点で止まる訓練をする。
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60 :孫子 ◆Sunzi【軍事思想家/紀元前5世紀中国】
>>59
次があればだが、最初から止まる練習はしない方がよい。
止まれる者は、そもそも頂点まで行かん。
頂点に行ってから止まる方法を探す。それが将軍の道だ。
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このスレッドはアーカイブされました
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【軍略ノート】
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このスレッドに登場した軍略の議論は、歴史に基づく脚色です。
もっと知りたい方のために、元ネタを簡単に紹介します。
■ ナポレオン・ボナパルト
フランスの軍人・皇帝(1769-1821)。ジャコバン派末期の政情不安から頭角を現し、1799年のブリュメールのクーデターで権力を掌握。1804年に皇帝に即位。アウステルリッツ(1805)、イエナ(1806)などで連勝し、欧州大陸の大半を支配した。1812年のロシア遠征で大軍六十万のうち大半を失い没落。1815年のワーテルローの戦いで敗れ、セントヘレナ島に流されて生涯を終えた。
■ 『孫子兵法』
春秋時代の呉の軍事思想家・孫武が著したとされる兵法書(紀元前5世紀頃)。全13篇。「兵は詭道なり」「敵を知り己を知れば百戦危うからず」「百戦百勝は善の善なる者にあらず、戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」「上兵は謀を伐つ、其次は交を伐つ、其次は兵を伐つ、其下は城を攻む」などの言葉で知られる。二千五百年にわたって東西の軍略に影響を与え、近代以降は経営戦略書としても読まれている。
■ 風林火山の出典
「疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」は『孫子』軍争篇の一節。戦国大名・武田信玄が旗印に掲げたことで日本で広く知られる。スレッドでの孫子の言葉はこの部分を踏まえた脚色。
■ ロシア遠征(1812年)
ナポレオンが大陸封鎖を破ったロシアに対して行った遠征。大陸軍(グランダルメ)約六十万で侵攻し、ボロジノの戦い(1812年9月)を経てモスクワを占領したが、モスクワは大火で焼失、アレクサンドル一世は和平に応じなかった。冬の到来とロシア軍の焦土戦術により、フランス軍は壊滅的な損害を受けて撤退した。
■ クラウゼヴィッツと戦争の頂点
カール・フォン・クラウゼヴィッツ(1780-1831)はプロイセンの軍人・軍事理論家。『戦争論』で「戦争は他の手段をもってする政治の延長である」という命題と、「攻撃の頂点(Kulminationspunkt des Angriffs)」という概念を提示した。補給・兵力・士気が限界に達する点を超えて進撃すれば、攻撃者は必ず反転され崩壊するという考え方。ロシア遠征のナポレオンを念頭に置いた分析とされる。
■ アレクサンドロス三世のインド進軍限界
紀元前326年、アレクサンドロスはインダス川流域でパウラヴァの王ポロスを破ったが、さらに東方への進軍に兵士たちが同意せず、ヒュファシス川の畔で反転を決めた。帰路の途中で補給は枯れ、兵の多くが戦死・病死した。三年後、アレクサンドロスはバビロンで32歳で死去した。
■ ハンニバル・バルカ
カルタゴの将軍(前247-前183頃)。第二次ポエニ戦争でアルプスを越えてイタリアに侵攻し、カンネーの戦い(前216)でローマ軍を包囲殲滅した。しかし本国からの補給を得られず、十五年の長期遠征の末、本国カルタゴに呼び戻されてザマの戦い(前202)でスキピオに敗れた。後年、小アジアに亡命中に捕縛を避けるため服毒自殺した。
■ 諸葛亮と北伐
蜀漢の丞相・諸葛亮(181-234)は228年から234年にかけて5度の北伐(魏への軍事遠征)を行った。蜀は国力で魏に劣り、座して守れば滅ぶとの判断から攻勢を取ったが、決定的な勝利は得られなかった。ただし諸葛亮の北伐は撤退戦を重視しており、大敗して全軍を失うことはなかったとされる。最後は五丈原の陣中で病没。
■ ウェリントン公爵
アーサー・ウェルズリー(1769-1852)。イベリア半島戦役(1808-1814)でフランス軍と戦い、最終的にピレネー山脈を越えてフランス本土に侵攻した。1815年のワーテルローの戦いでプロイセン軍のブリュッヘルと連携してナポレオンを破った。後にイギリス首相(1828-1830)を務めた。
■ 対仏大同盟
フランス革命以降、フランス(革命政府およびナポレオン帝国)に対抗するためイギリスを中心に結成された国際同盟。1792年の第一次から1815年の第七次までに七回結成された。ナポレオンは個別撃破で六回まで崩したが、七回目のワーテルローで決着をつけられた。
■ ティルジット条約(1807年)
プロイセン・ロシアを破った後、ナポレオンがアレクサンドル一世・フリードリヒ・ヴィルヘルム三世と結んだ条約。フランスの欧州大陸覇権が確立された時点とされる。後世、ここがナポレオンの頂点だったと評価されることが多い。
■ 「戦わずして勝つ」の四段階
『孫子』謀攻篇「上兵は謀を伐ち、其次は交を伐ち、其次は兵を伐ち、其下は城を攻む」。敵の戦略を崩すのが最上、敵の同盟関係を崩すのが次善、敵の軍と戦うのがその次、城攻めが最下という序列。
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