「やめなよ」が、言えなくなった ─朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』と、のめり込む人がそばにいるあなたへ
※この記事はネタバレあります
一年前、僕はこの本を読む前に、こんなことを書いた。
47歳の主人公は、心の隙間を埋めるためにアイドルの追っかけをして、娘の留学資金をそれに費やしちゃうのかもしれない——と。読んでもいないのに、勝手に妄想した。
読み終えた今、答え合わせをすると、半分当たって、半分は見事に裏返っていた。
お金は確かに推し活へ流れた。でも、流したのは父ではなく、娘のほうだった。留学のためと嘘をついて、父から金を引き出し、自分の推しに注ぎ込んでいく。僕が父に押しつけた「のめり込み」は、そっくり娘に宿っていた。
この裏返しが、いきなり僕の浅さを突いてくる。
僕は無意識に、「のめり込むのは、心に隙間を抱えた中年のおじさんだろう」と決めつけていた。違った。国際的な大学に通い、留学を志す、いわば「視野を広げる側」にいたはずの娘が、いちばん深くのめり込んでいく。
視野が広いことは、のめり込みへの免疫にならない。
狭める人と、広げる人
この本がうまいのは、正反対の二人を並べて見せるところだ。
娘の澄香は、意識の高い学生たちに囲まれながら、推しに没頭することで視野を狭めていく。一方、推していた俳優を突然失った絢子は、その死を受け入れられず、陰謀論へと視野を広げていく。
狭める人と、広げる人。逆の方向に進んだ二人が、結局は同じ「のめり込み」の沼に沈んでいく。
僕は、視野を広げるのは安全な行為だと思っていた。俯瞰して、世界を見て、本質を考える。間違えにくくなる、賢い態度。でも澄香に気づかされる。
広げた視野は、いつか元に戻さなきゃいけない。そして「広げた」という満足感そのものが、ひとつの心地よい物語になってしまう。
つまり、狭める側も、広げる側も、どちらも安全地帯には立っていない。
アルゴリズムは、数を撃っている
そう思うと、急に優しくなれる。
僕はアルゴリズムのことをよく考える。SNSも動画も、僕らに向かって毎日、数えきれない物語を撃ち続けている。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、というけれど、あれは本当にそうだ。毎日撃たれていれば、いつか必ず、自分がいちばん弱っているタイミングに、ちょうど”その物語”が刺さる瞬間が来る。
悲しい日。孤独な夜。何かに裏切られた朝。
それは、騙されやすい人の話じゃない。タイミングが合っちゃった人の話だ。確率の問題なら、いつか誰の身にも起こりうる。——たぶん、僕の身にも。
のめり込む人が、そばにいるあなたへ
だからこの本を、僕は「のめり込んでいる本人」より、「のめり込んでいる人が、そばにいる人」に読んでほしいと思った。
アニメでも、漫画でも、アイドルでもいい。家族や兄弟に、何かに夢中になっている人がいる。傍から見ると「それに何の意味があるの」と言いたくなる。やめなよ、と言いたくなる。
でもこの本を一度通過すると、その「やめなよ」の前に、一拍置けるようになる。
あれは単なる浪費じゃない。孤独を埋める連帯だったり、現実から目を逸らしていられる時間そのものに、価値があったりする。それが、頭じゃなく、体でわかってしまう。
否定しなくなるわけじゃない。仕掛ける側の搾取の構造は、この本にちゃんと書いてある。見える。見えたうえで、それでものめり込む人の気持ちを切り捨てない。「心配」と「理解」を、同居させられるようになる。
それが、この本が僕にくれた優しさだった。
でも、ここまではまだ前半だ。
僕の中には、もうひとつ別の問いが残っている。のめり込むこと、視野を狭めて何かに自分を注ぎ込むこと。それは、本当にただ危ういだけのことなんだろうか。
次のイン・ザ・メガチャーチから「自分を使い切る」ことについてはこちらをどうぞ!
この”のめり込み”の話、別の場所からも書いています
そもそも、推し活をしたことがない僕が、なんでこの本を手に取ったのか。きっかけは、生まれて初めてアイドルのライブに行った日のことでした。👇
想像してなかった場所で、想像してなかった熱に飲み込まれた日。“のめり込む側”を、僕は一度だけ、体で知りました。👇
推し活をしたことがない僕は、今日も自分を推しています。
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