【演目編】マレーシアのMAP FESTに出演してきた話③
マレーシア、マラッカで開催される国際的なパフォーミングアーツのフェスティバル「MAP FEST」に出演してきた。
🪷A vessel for flower-人は花のうつわ-
— アメミヤユウ/体験作家 (@amemi_c5) September 2, 2025
という #RingNe の世界観をベースにしたパフォーミングアーツ作品の世界初演をマレーシアで行いました🇲🇾
コンセプトや日本での開催情報はリプ欄へ。
「傷(wound)」を超えた私たちの答えは」#mapfest #melaka pic.twitter.com/35ZetfWClB
前回の記事ではマレーシアやマラッカについて、「MAP FEST」についてそれぞれ書いたので、興味ある方はこちらへどうぞ。
今回は企画演出、パフォーマンスした演目『A Vessel for flower(人は花のうつわ)』について、そもそもどんな演目にだったのか、本番に至るまでの制作プロセスなど、パフォーミングアーツ演目の演出についての失敗や狙ってきたことなど、できるだけ網羅的に書いていこうと思う。
まず自分について
はじめまして。アメミヤユウと申します。
体験作家といって、自身で書いた小説の世界を、現実に体験できるように開くまでを1つの作品として創作しているものです。
体験は、音楽フェスティバルをベースに、イマーシブシアターや、展示など幅広い形で発表してきました。
企業やプロダクトの世界観を小説として物語に起こして、それを現実に体験できる”仮想的な世界”としてフェスティバルをつくらせていただくことなども。


パフォーミングアーツという形式との関わり方でいうと、自身の手がけるフェスティバル内での演目をつくったり

今回「MAP」に出演するきっかけを作ってくれて共に出演したメンバーでもあるパフォーミングアーティストの「Yuki Oshida」さんの海外公演の演目をつくらせていただいたり

演出家として関わらせていただくことが多かった。
なので海外公演に自身も(演出しつつ)出演するのは今回が初めて。
そもそもパフォーミングアーツって?
日本語にするとたぶん「舞台芸術」。自身の身体をメディアとする舞踏、ダンス、音楽など、さまざまな表現形態の総称。

パフォーミングアーツといえばMarina-Abramovićというアーテイストが浮かぶ。上記の写真は恋人のUlayと共に1980年に行った約4分間のパフォーマンス『Rest Energy』解説するのも野暮なくらい、見ればすぐ分かるシンプルさと新しさと危うさが共存する作品が多い。
前回の記事で「MAP」出演者の多様な演目を見てきたように、その幅はとても広く、自由で、命そのものをメディアにするからこその美しさと危うさがある。
出演のきっかけ
『A Vessel for flower(人は花のうつわ)』は今回の「MAP」のために集められたメンバーのために書き下ろした。
出演に至る経緯としては、今回のメンバーで昨年オリジナル演目をパフォーマンスしたことがきっかけとなる。
自身のリレーショナルアート作品であり、バー、逃げ場としても開き続けてきた「逃げBar White Out」という場所で、そのコンセプトを身体的に体験できる機会として『Escape to Light』というイマーシブシアター型の体験小説をつくった。
そして昨年も「MAP」へ出演していたYukiさんから、この出演メンバーへお誘いがあり、プロデューサーのサカキさんが舵をとってプロジェクトを進めていくこととなった。
企画〜制作編
通常、体験小説の制作プロセスは参加者と共にある程度の時間をかけて、共に作品制作をしていく。

ところが今回は短い時間のショーであり、事前に交流することは難しい。ましてや、小説を読んできてもらうこともできない。英語圏なので前作のように台詞を交わす演劇的なアプローチも現実的でない。日本から持ち込めるものも最小限。空間、文脈的な演出もできない。
以上のような制約から、これまでよりパフォーミングアーツ(身体のメディア化)に寄ったノンバーバルな演出が必要だろうと考えた。
そしてパフォーミングアーツにおいて最も重要なのは、表現者自身の内発的なエネルギーであり、解釈だと思うので、最小限のコンセプトと構成だけ作って、あとはひたすらプラクティスを繰り返して演者それぞれから内発的に生まれるものを活かしていく制作プロセスを取る。
作品のコンセプトと大まかな構成は最初のオンラインミーティング中に5分で作った。

プロデューサーから「MAP」についてや今回の与件を伺いながら「それならこんな感じか」と書いていった。
出演者のことは比較的知っている関係性であったので、この人たちがMAPで公演するなら、こういう必然性から、こんな表現になり、それはこう届くというビジョンが浮かび「華道」「禅」「パフォーミングアーツ」を組み合わせた同時並行する演目の構成を組み立てる。制限が多いほど企画は演算的になるので答えまでが早い。
企画背景としては、まず5人が共有できる今回の公演に適したコンテクストを探した。それに全員が以前から関わっていた『RingNe』という体験小説作品を採用した。この作品をベースにすることで、ある程度共有された世界観を出発点にすることができた。
今回の公演に適したコンテクストという点においては、多文化のオーディエンスに対して普遍的かつ個人的で、ノンバーバルでユニークで、オリジナルな衝撃のあるものが良い。それは端的にいうと「日本的」ということでもあった。
それはいわゆる伝統的な、クールジャパン的な表現で使われる日本というよりも、もっと日常的に染み付いていて、自分たちも自覚できない、言語化できていない(けれど海外から見ると特殊)現代的なナショナリズムのようなものが自然だと思った。
『RingNe』はそもそも「人が植物に輪廻する世界」をテーマに書いた作品で、そこには輪廻転生という仏教的思想が介在しているが、本作はSF小説で量子力学をベースにした飛躍科学であるため、思想は”遍く物体の属性は流動的で、レゴブロックのパーツのように組み替え可能なもの”であり、更には”「時間」や「祈り」といった物理、抽象的観念すらもその哲学に包括できる”まで至る。
この『RingNe』という作品自体が日常的な東洋哲学、無為自然観、SFやアニメなど、日本的なものを通過してきた結果生成された作品であると感じるし、その表現は時代や文化的文脈、空間に頼ることなく、タイムレスでサイトスペシフィックでない演目にできるという直感があった。
初めての海外公演で会場のことも、現場にある機材のことも知らない変数だらけの段階で”タイムレスでサイトスペシフィックでない”ことは企画を進めていく上で必要な強度だった。
その予感材料としては
・既に本作の世界観を身体的に伝えられる演目を作った経験があったこと
・同一地平面上に別の世界観を部分的に展開する術を作風として持っていること
・参加メンバーのポテンシャル
以上のような要素から得たのだと思う。
つまりは異なる世界がその場その時間に展開されていることが分かる演出、パフォーマンス強度及び観客がその世界を覗く際のフィルターを渡す機会さえつくれれば、時間、文化、空間の制約を超えて、いつでも、どこでも、一定の異なる世界の顕現が可能になる。
自身のつくるリレーショナルアート作品においては、フィルターは呪文で、演出は作品そのもの。更に鑑賞運動としての儀式も加わる。
(この手法については書くと長くなるので下記記事で割愛)
今作においては1人1枚の文章を書いた紙と、結界を可視化する円状の何かがあれば、あとはパフォーマーとの今後のプラクティスにより、これから起こり得る変数によらず実施できる強度(つまり”タイムレスでサイトスペシフィックでない”)が獲得できると思った。
そうして具体的な展開、演出の企画案を仕上げていく。

実は今回の「MAP」のテーマ「WOUND」は骨子となるコンセプトを作った後に知ることになる。
とはいえ「WOUND」について考えていくと、現在のコンセプトと自然に接続可能な物語だったので、数文字取り入れるだけで良かった。

オンラインでmtgを重ねながらも実際に初めて会ってプラクティスをしたのは本番約1ヶ月前。


まともな写真は残ってないけれど、何度も繰り返しながら、それぞれ思ったことやアイディアをシェアしていき、演目を形作っていった。


パフォーマーにアサインした役柄はどれも極めて抽象的なものだった。
人 - Yuki Oshida
花 - Yuu Amemiya
時 - Sawa Iwasaki
空(Kuu) - Mutsumi Takeda
祈り -Miyako Sakaki
以上の5つ。
それぞれのイメージや、立ち居振る舞い、最適限のことは伝えつつも、基本的には演者それぞれから「自分だけの解釈」が生まれるまでプラクティスを続ける。
本番〜演目解説編
そして皆バラバラに、それぞれのタイミングでマラッカに集合する。

それぞれMAP主催のWSに参加したり、他の演目を見たり、備品を揃えたり、観光したりしながら過ごし、前日には運営側のご厚意で会場でリハーサルの機会をいただき、当日に備えていく。

そして本番。
急な機材トラブルなど想定外の事態が直前でたくさん起きる。
どれだけ備えても、必ず何か起きてしまうのは技術的挑戦をすればデフォである。
乱れはするが、今できるベストを尽くしかない。
これも必要があって与えられた流れなのだと、静かに受け入れる。
来場者には、受付でコンセプトシートを渡す。
客入れ中「時」が結界を時計回りに掃除して周り、場を整える。

「時」が戻る。板付きで5人、それぞれ異なる姿、異なる世界で居る。
観客はコンセプトシートを読みながら、この舞台の世界観を装着する。
演目前の雰囲気 pic.twitter.com/Yl0tGYGjNc
— アメミヤユウ/体験作家 (@amemi_c5) September 14, 2025
「花」は卓上、人の頭部を模った器に活けられた花に触れる。自らの生体電位を花を媒介にMIDI信号に変換し、花を舞台とした際に集まる風、鳥、雨などの音が流れる。
別の花に触れると、アンビエントで空虚な音が流れ始める。
「人」が生まれ、愛を知っていくまでのパート。
同時に「空」も立ち上がり「花」の卓上の花を抜き取る。

花は結界の三点に配置された土と石に時計回りに1本ずつ活けられていく。
原初の華道とはこのように、花を1本、土や意識にまっすぐ立てることから始まったとされる。
「人」は愛を知ったあと「祈り」の膜を開く。
「祈り」は鋏を持って立ち上がり「空」が活けた花を逆回りで、切っていく。
鋏は鉄でできている。
鉄は、星々が赤色矮星となり白色矮星となり運動が停止して最終的に残る素材であることから、この宇宙は鉄をつくるための工場だという仮説もある。
各国の祈りの所作の多くは両手をあわせる。鋏を切るようにして。
華道は、花を鋏で切ることから始まり、活けるのだ。
始まりなのか、終わりなのか、縦の時間軸ではもはやなく、同一地平面にその両方が存在している。

淡々と営まれていく生(立てること)と死(切ること)の両在に「人」はつれもなしに、人生の悲喜交々を送り続ける。時が流れる。

人生は悲しい、苦しい、痛い、絶望的で、やるせなく、怠惰で、怒りに満ちて、呪術的で、裸足で逃げ出したくなるほど、意味がない。

人生は喜ばしい、楽しい、気持ちいい、希望的で、力に満ちて、欲望に溢れで、朗らかで、祝祭的で、狭い枠の中で立ち止まってしまうほど、意味など必要ない。

本演目の1部ではこのようにそれぞれの役割が別の世界を独立して生きるように自律分散的な時間が流れる。
1つの結界のなかに、更に5つの結界があるかのように、視線を交わさず、独自の世界線の運動をしてもらうことで、まずはコンセプトシートに記載されている概念と目の前の演者たちの役割を重ねてもらう。
🪷A vessel for flower-人は花のうつわ-
— アメミヤユウ/体験作家 (@amemi_c5) September 2, 2025
という #RingNe の世界観をベースにしたパフォーミングアーツ作品の世界初演をマレーシアで行いました🇲🇾
コンセプトや日本での開催情報はリプ欄へ。
「傷(wound)」を超えた私たちの答えは」#mapfest #melaka pic.twitter.com/35ZetfWClB
音は徐々に『ボレロ』に近づいていき、循環と上昇、スパイラル構造に終わりに向かっていく本演目のコンセプトが現れていく。
『ボレロ』のアレンジはサカキミヤコ氏の作品。
本演目では「花」と「時」が音を奏でている。
「花」はボレロに合わせた規則的なリズムで無常な自然を表し、はなから何もなく、全てがある「空」と同期する。
「時」はボレロに合わせず、人が人によって生み出した悲喜交々の乱数的な波と同期する。
何もない無常の世界で人が生み出す情念、概念。
その傷は人が人であることのレゾンデートル(存在証明)ともなる。

音が歪みはじめ、エントロピーが増大し、概念間が関係するようになる。
すべてが完全な無という散逸に近づいていく。
「人」は壮年、運動量も弱まり、諦念するように「祈り」に包まれ「空」と交わっていく。
「空」から花を受け取り『ボレロ』という1つの世界のクライマックス。
傷つきすぎた人生の解として「人」は花になっていく。
何も望まず、中枢神経を持たず、季節になれば咲き、散るだけの花になる。

すべては終わる、が「花」だけが『ボレロ』のリズムを奏で続けている。
終わりは、時は、世界は、空は、祈りは、すべて「人」がつくった概念だった。
「花」はつれもなしに何も変わりのない、ただそこにあるリズムを奏で続ける。
”花びらは散る、花は散らない”
「花」つまりこの”舞台”は永遠に終わることがない。それは命よりも長い。
そしてやがてその静寂のなか「花」になったはずの「人」が静かに『ボレロ』のメロディーを微かな声で細々と歌い始める。
「人」は「花」にはなれなかった。
その舞台との間に美をつくる器にしかなれなかった。
その美もまた人、固有のものである。
人は自然と「世界」を再びはじめてしまう「物語」を続けてしまう。
”花びらは散る、花は散らない”
私たちは傷つき合うことを越えられない。
世界はまた、輪廻していく。

結局自分も、直前のアクシデントもあって「花」になりきることができなかった。花に憧れるけれど、届かない。
私たちは悲しみ、喜び、失い、怒り、蝕み、生成し、有り難がって、傷つけあって、癒しあって、寂しがって、愛し合って、共に生きる花びらだ。
散るべく時に散っていく。
けれど散らないものもある。
それは知恵とか、物語とか、芸術とか
私たちの花、それは散らない。
というようなコンセプト、物語で作ったのが本作「A vessel for flower」でした。
日本では今作のコンセプトのベースとなった体験小説作品『RingNe』の最終章の最終日の最後の演目としてご披露する予定。
普段別々に生きているのでメンバーは変わるかもしれないけれど、国内外問わず「本演目を観たい!」という方がいれば、ぜひお声かけください。
条件が合えば出張でパフォーマンスさせていただきます◎
パフォーミングアーツや舞台、イマーシブシアターなどのコンセプト設計や演出のご依頼もお待ちしております。
何かあればアメミヤのHPからお問い合わせください。
【次回作のお知らせ】
次回はパフォーミングアーツではなくエンターテイメントイベントですが、神奈川県の大和市立図書館でサイレントフェスを開催します。
その名も「踊れる文学」
文学や読書の持つ身体性をDJライブと併せて味わう、エクストリームな読書エンタメイベントです。
当日のカメラマンには「MAP FEST」で出会ったマレーシアの青年TOPを日本に招待して撮影してもらう予定。
TOPの撮影した「MAP FEST」最後の合同演目の様子はこちら。ぜひみてみてください!
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