小説「LOVERS」星の欠片編③ 名乗る姓を「じゃんけん」で決める芸術家の決意
本作は、これまで芸術だけで繋がってきた画家のさくらとピアニストのリオンが、真に魂を一つにする試みの中で生まれた「地上での奇跡」を描く物語です。
<リオン> 賢く生き抜くための「一時的な」結婚
福岡の田舎町にあるアトリエで、夜風に吹かれながら月を見上げる――。
今、おれとさくらは幸せの絶頂にいる。二人でいる時は誰の邪魔も入らない。ひたすらに心地よい空間に身を置ける。それはもう、天国にでもいるような感覚だ。
ただ、二人の魂の結晶がさくらのお腹に宿ったとなれば、話は大きく変わる。社会的な責任、立場が必ずついて回るからだ。
そう。人間社会は、その昔においても権力者が土地や人を支配、管理してきた。権力者に逆らえば殺される。従えば生き延びられる。そのような環境の中で、多くの人々は自由よりも命を選択。その結果、今日まで生きながらえてきた。
そしてそのような忍耐強い人々によって作られているのが今の社会。この国では、誰もが衣食住に困ることなく生活しているし、娯楽も溢れている。これが幸せだと誰もが信じて疑わない。
そう、それが「普通」だ。
でもおれたちは、その「普通」の世界から抜け出してしまった。一歩その外に出て世の中を見てみると、そこがいかに管理された場所であるかが分かる。そして芸術と呼べるものが僅かしか存在していないことも。
ここで言う芸術とは、魂を震わせる作品――誰にも媚びず、ひたすらに自分と向き合って生み出された、その人の分身とも言えるような創作物――のことだ。多くのアーティストは、この世界で生き延びるために、そのためだけに魂を売り渡し、作品を金と交換している。さくらにそのことを教えてもらわなかったら、おれも今頃はそっち側の人間だったわけだが、もしそのままの道を歩んでいたら……と思うと空恐ろしい。
おれの指先から生み出される音はどこまでも現実を震わせ、変化させる力がある。これは昔から感じており、だからこそ、メジャーデビューすることさえできれば、向かうところ敵なしだという自信があった。しかしそれは、使い方次第では悪用することも可能であることをも意味する。
実際、いま巷に流れている音楽が似たりよったりなのは、単にそれが流行りだからではなく、人々の心や意識をコントロールしたいと考える人間が作り出している音楽だから……。おれはそのように考え、遠巻きに現状を眺めている。
***
そんな思考のおれたちのもとにやってきた「星の欠片」とも呼べる新たな命。この純粋な魂を純粋なまま育てたい。それがいまのおれたちの願いだ。
とはいえ、だ。
おれたちが意地を張って子供を隠したり、社会から隔絶して育てることは全く現実的ではない。純度を保ったままにしたいとの思いは強いが、それではこの地球に生まれ落ちる意味がなくなってしまう。この星にやってくるものは皆、この肉体、この人間社会で様々な困難を経験しに来ているのだから。
二人で一晩中話し合った末、とりあえずいまは、この社会のシステムに従っておくのが賢明だという結論にいたった。つまりは、婚姻届と妊娠届出書を出す、ということだ。
◇◇◇
二人の答えを出して数日が経ち、心身ともに回復した朝。爽やかな初夏の日差しで目を覚ましたおれたちは、ようやく「結婚」に向けての現実的な話し合いを始める。
「なんてったって、一番悩ましいのがどちらの姓を名乗るか、だよな」
「そうね。私はどちらでも構わないけれど」
「それはおれも同じ」
「だよね……。でも、それだと決まらないわね」
さくらはそう言うなりおかしそうに笑い、口元を抑えた。
「……じゃあ、こうしない? じゃんけんで、勝った方の姓を名乗るというルールにするのは? 天に任せるの」
「じゃんけん……!」
その提案に、今度はおれが大笑いした。自分の一生を決めるであろう氏名を「じゃんけん」で決めるなんて、フツーの人が聞いたらひっくり返るに違いない。でも、さくらが微笑みながら言う場合、その意味は変わる。じゃんけんだろうが何だろうが、天に運命を委ね、その決定に従うことは宇宙の風に乗るということ。さくらは信じているのだ。これが、幸ある未来のための選択になるということを。
「わかった。それじゃあ……最初はグー。じゃんけんぽん!」
それぞれ手を出した。
おれがパー。
さくらがグー。
「うん。それじゃあ私、音村さくらになります。……って、なんか口に出すと恥ずかしいね」
それはきっと、プロポーズを受け、夫の姓を名乗ろうとする女性なら誰しもがする、正常な反応なのだろう。顔を赤らめる姿を見るこちらも恥ずかしくなって目を伏せる。
あまりにもあっさり決まったが、かえって困惑する。
「……ほんとに、これでいいの?」
「うん。私が言い出したことだし、私が音村姓を名乗ることが、いまはベストなんだと思うし」
「そんなふうにはっきり言えるなんて……。その前からも強いと思ってたけど、赤ちゃんがお腹に宿ってからのさくらは、ますます強くなったと感じるよ」
「そうかなぁ……? 私は何も変わらないよ?」
その微笑みは、やっぱり以前よりも強い光を放って見えた。
<さくら> 条件で結婚したカップルに、幸せはあるのか?
事前に婚姻届の用紙を受け取り、ワライバで懇意になった磐田夫妻に証人となってもらった私たち。すべての欄に記入を終え、最寄りの役所に二人で足を運ぶ。
自動ドアを通って中にはいると、役所独特の “ひんやりした空氣” を感じて、訳もなく小さくなる。朝早くなら空いているだろうと高をくくったがそんなことはなく、マイナンバーカードの更新や、住民票の発行を求める人が多く順番待ちをしているようだ。案内板はあるが、職員に尋ねる人があとを絶たず、玄関近くの職員は忙しそうに行ったり来たりしている。
婚姻届を出すための窓口も、もれなく混み合っていた。その待ち時間に、比較的空いていた保険課の窓口に妊娠届出書を出すことにする。
ちいさな紙を見せると、役所指定の紙に記入するよう促され、その後、母子健康手帳と産婦人科の診察無料券を受け取った。なるほど、医師が母子手帳を受け取るよう言ったのはそのためだったのかと納得する。このように公共のサービスを無料、もしくは安価で受ける。そのために名前や住所を提供する。それで社会が回っているのだと改めて知る。
“今だけのサービス” ということで、マタニティーマークのストラップももらった。描かれているのは、赤ちゃんを大事そうに抱える、可愛らしい女性のイラスト。これを身に着けていれば「私は妊婦です」アピールができ、周囲の人に親切にしてもらえるようだ。
「なんか、妊婦だからって特別扱いされるのも嫌だなぁ、私」
そんなことをつぶやき、待合のソファでストラップをしげしげ眺めていたら、前の席に腰掛けた人も妊婦らしく、同じストラップをかばんにぶら下げていた。よく見ると、いじっているスマホケースにもつけている。そうかと思えば、大きなお腹を抱えていても、それらしき印をもっていない女性も見られる。いろいろな考え方の人がいると分かり、勉強になる。
取得した受付番号の呼び出しがあった。リオンくんと二人、婚姻届の紙をもって窓口に向かう。
「記入漏れがないか、確認しますね。少々お時間がかかりますので、お掛けになってお待ちください」
窓口の人はそう言うと、慣れた手付きでチェックを始めた。
さっき座っていた席に戻ろうとすると、既に別の男女が腰掛けていた。残る空席は一つしかなく、リオンくんに促されて彼らの隣に座る。
ゆっくりしていたかったが、隣の男女は何やら言い争っている。
「ここまで来て、何をためらうことがあるのよ? ここに名前書くだけじゃない。そんなに結婚するのが嫌なの? それとも、愛してるって言ったのは嘘?」
「嘘じゃない。愛してるのは本当だよ。だけどさ、何度も言うようだけど、おれの氣持ちも考えてくれよ。なんで27歳までに結婚したいの? 意味がわからないよ」
「それが、ワタシの母親が結婚した年齢だからよ。それより遅く結婚したくない。子供だって欲しいもん。もしここであなたと別れちゃったら、その計画が狂っちゃう」
「は? その発想、おかしいだろ? それって要は、相手がおれじゃなくてもいいってことだろう? そんな女だとわかったら、尚更結婚なんてできやしないよ」
「じゃあ、別れましょ。役所で婚姻届を見たら氣が変わるかも……と、期待したワタシが馬鹿だったわ」
「あぁ、願ったり叶ったりだ。こっちも、今ので一氣に目が覚めたぜ。どんなに綺麗な顔してたって、スタイルが良くたって、性格や考え方がこれじゃあ、大事にする氣にもならねえや」
男性は女性から婚姻届をもぎ取ると、大きな音を立てて破り始めた。破れた紙を、女性が更に小さく破り、筆記台の下のくずかごに放り込む。二人は “仲良く” 役所の自動ドアを出ると、別々の方向に歩き出したのだった。
「……すっごい喧嘩だったなぁ」
空いた席に座りながらリオンくんが言う。
「おれ、男だから今の人に同情しちゃうよ。あんな人がパートナーだったら、おれだって別れるわぁ」
「……色んな人がいるわね」
そんなことを語り合っているうちに名前を呼ばれる。
「音村さま。お待たせしました」
リオンくんが立ち上がる。数秒後に、自分も「音村」になったのだと氣づいて慌てて腰を上げる。
「不備はありませんでしたので、受領します。ご結婚おめでとうございます。よろしければ、あちらに記念撮影用のブースがありますので、近くの職員にお声がけください。お写真をお撮りします」
指し示されたほうを見ると、遠巻きに見ても恥ずかしいオブジェが置かれたスペースが見えた。職員の一人と目が合うと、「こちらへどうぞ!」と手招きされる。
「……帰ろっか」
「あぁ、そうしよう」
そもそも、この結婚は生まれてくる子供を守るための、一時的な選択にすぎない。あんなところでニコニコ笑って写真に映るなんて、私にはできない。
(もし、さっきの女性が別の男性と結婚して子供が生まれたら、どうなってしまうんだろう……?)
何をもって幸せというのか。今夜はそのことについてリオンくんと語り合ってみようと思った。
第4話「新しい時代の幕開けを告げる彗星と、神の啓示」はこちら
↓ 二人が福岡で「ワライバ」を作り上げるまでのお話。
前作「LOVERS」サクライロ編はこちら ↓
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