世の中の「違和感」に氣付く
母の日について思っていることを氣軽に綴ったつもりが、思いのほか多くの方に読んでいただき、驚くと同時にホッとした。なぁんだ、そう思ってるのは私だけじゃないんだ、と(読んでくださった方、本当に感謝しています♡)。
「母の日について思うこと」という記事で、「イベント化」された母の日に感謝を伝えることへの疑問を書いたが、母の日に限らず、私は「○○の日(○○デー)」に「ギフトという名の物品」を贈る行為が嘘くさすぎて本当に嫌だ。
しかし周りを見渡してみれば、一年中、何かのイベントで溢れている。それに参加しなければいけないように仕向けられてさえいる。
わたしはそんな世の中を冷めた目で見ているが、まだまだ多くの人が外側から与えられた「イベント情報」に踊らされ、その通りに動いては主催者側を喜ばせている。それを、「経済活動をしている良い人たち」と表現することも出来るだろうが、私は昔からお金自体に興味がないので、経済活動を促されるたびにうんざりしてしまう。
結局、そういう人たちは自分の頭で考える力が弱まってしまっている。自発的に行動できなくなっている。問題はここにある。
私の母や妹はテレビが大好きで、見ていなくてもつけっぱなしにしている。「音がないと寂しい」と言うのが理由らしいが、私に言わせれば、自己対話が出来ないから寂しく感じるのだ。
音のない部屋で一人きりになれば、必然的に思考が始まる。内なる問いかけ、真理の追究はどんなテレビ番組よりも面白い。しかしそれが出来ない人(思考停止の人)は外からの刺激を得るしかなく、「○○の日」と言われてはじめて「ああ、そういえば最近あの人に連絡してなかったな」などと思い出す。そしてスマホで「○○の日特集」を見つけ、ギフトを注文するのだ。
それがビジネスというものなのだよ、と言う方もいるだろう。しかし私は本当にそういうのが分からない人間なのでご容赦願いたい。
子供がいる方は分かると思うが、どんなに下手クソでも子供が自分のことを思いながら作ってくれたもの(絵でも折り紙でも何でも)って、捨てられない。なぜって、そこに想いがずしーっと乗っかってるのが無意識レベルで分かるから。自分の親を見ても、子供時代にプレゼントしたものを後生大事に取ってあったりしないだろうか。本当にもらって嬉しいのは、イベント化された日に贈られたギフトじゃなくて、相手のことを想って手作りしたもの、あるいは行動だと思う。
…………
こんなふうにしか世の中を見ることが出来なくなった私。サラリーマンの夫と話が合わなすぎて困る💦
もっとも夫自身、今の世の中に違和感はある様子だが、多くの人がそうであるように、外側から情報を押しつけられ、違和感と向き合う時間すら奪われてしまっていることを思うと居たたまれない。みんなで一斉に「こんな窮屈な生き方、やーめた」って言って、自分の頭で考えるようになったら世の中、変わるのかな……。
ここまで読んでくださった方はきっと自己対話が出来る「目覚めた」方。そんなあなたとこれからの時代を一緒に生きていきたいと切に願う。
5/19追記:コングラボードをいただきました!

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