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小説「LOVERS」サクライロ編 #6 古きものを、新しき時代に再生するためのピアノ演奏『エリーゼのために』


第六話: 新時代の前奏曲プレリュード



<リオン>

 今おれは、自らの指先から生まれるピアノの音を空間に響かせることで、一つの宇宙を形成している。

『エリーゼのために』――。

 この、多くのピアニストによって弾きつくされたベートーベンの名曲をおれは今、全身を使って解体、再構築しようとしている。

 なぜ、この曲なのか。

 それは、誰もが知っているこの旋律、つまりは「古きもの」をこれからの時代へと編み直す必要があると直感したからだ。

 既存のシステムは、これまでおれたちの生活や命を支えてきてくれた、いわば安心材料だった。けれどそれが老朽化し、膨れ上がり、もうどうにも立ち行かなくなった今、この状態を維持すること、ましてや一層膨張させることは土台どだい、無理なこと。

 ならば、一掃してしまえばいい。そういう極端な発想に至る人は多いだろう。でもおれは、一氣に壊したり、なかったことにしたりはしない。丁寧に解きほぐし、これからの時代にふさわしい形に組み直す。それができれば、過去は、負の遺産は、この先も美しく生き続けることができる。そう考えているからこその、再構築なのだ。

 それは、蚕が繭を作り、その中で自らの体をイチから作り直すのに似ている。素材は古い体。手も足もない、無骨な姿。だが、それがなければ羽を持ち、飛べるようにはならない。新しい世界を見て回るためにはどうしても変化を受け入れなければならない、ということだ。

 それを怖がり、古い体に固執し続けることが何を意味するか、容易に想像できるだろう。

 もし、この曲を聴いて少しでも魂が震えたのなら、その「魂の声」に耳を傾けてみてほしい。そして、おれたちと一緒に新しい時代に移行するための一歩を踏み出してみてほしい。それが、こうして『エリーゼのために』を編み直している最大の理由だ。

 


<さくら>

 星屑が夜空から降り注ぐような音色。そこから始まるリオンくんの『エリーゼのために』。それは、これまで誰も聴いたことのない旋律だ。

 私を含め、いまこれを聴いている多くの人が耳を疑い、戸惑い、圧倒されていることだろう。しかしこれは、古きものを新しき時代に再生するための、いわば、儀式のようなもの。育ちすぎた樹木は朽ち果てて倒れ、しかし新しい生命の源になる。それと同じことを、リオンくんはピアノを演奏することで成し遂げようとしているのだと感じる。

 その隣で、私もその一役を担う。

 絵筆を動かして描くのは、深い森の中に差す一筋の光。それはまさに、これから訪れる時代へと続く、虹の架け橋。

 その橋を、弾むような足取りで軽やかに渡っていくのか、それとも天空に続くそれを壊して地上にとどまるのか。どちらを選ぶかは、あなた自身に委ねられている。

 そう、私たちにできるのは、きっかけを与えることだけ。

 宇宙はすべてを受け入れてくれるが、そこへ向かう船の存在に氣付き、乗ろうと決めて動き出さない限り、そこにたどり着くことはできない。

 本来、私たちはどこまでも自由だ。その自由を封じているものの正体を知れば、多くの人が言葉を失い、くずおれるだろう。けれども、私たちの芸術作品に触れれば立ち上がることができる。そう信じているからこそ、私は、そしてリオンくんは、こうして人々の前で「ライブパフォーマンス」をし続けるのだ。



◇◇◇


 時を遡ること、2か月前。私たち『サクライロ』が所属する音楽事務所『ゆうび奏社そうしゃ』社長からこんな司令が出された。

 ――福岡から全国に『サクライロ』らしい音楽を発信しなさい。

 社長は、私たちのやろうとしていることには理解がある。けれども社に属している以上、ある程度は稼いでもらわないと困る、ということらしかった。

 その話を受けて、リオンくんはすぐにこんなことを言った。

「ちょうどいいじゃん。おれたちの存在も少しずつ認知されてきたし、ここらで一発、デカイことをやれば、アトリエのワライバ化計画もすんなり行くってもんさ。ワライバ化計画から少しずつ手を広げていこうかと思ったけど、社長がそう言うんなら、『ゆうび奏社』の名を利用して『サクライロ』の活動を世に知らしめようぜ」

 こうして、福岡市からウェブ配信で、全国に向けてライブパフォーマンスを披露するという一大プロジェクトが実現したのだった。


***


 私たち自身は市内にある小さなコンサートホールで実演し、多くの聴衆に足を運んでもらった。ここで知り合った多くの友人――画家の美絵さんやそこに集うアーティスト仲間、そして未だ名前を知らない「小父おじさん」――にも声をかけ、私たちのパフォーマンスを生で見てもらった。

 少人数でおこなったのは、聴衆のリアルな声や反応を直接見聞きしたかったから。そしてその、生々しい反応を、社長にも体験してほしかったから。

 ステージにいても、招待した友人たちの感動している様子が伝わってきた。ある人は涙を流し、ある人は深くうなずいた。

 ライブが終わったあとも、彼らは自分の思いを我先に伝えようと私たちのもとに駆け寄ってきた。その一連の様子を、社長はただひとり座ったまま、じっと見つめていた。

 人々が散開したあと、ようやく社長が私たちのもとにやってきた。

「『サクライロ』のパフォーマンス、見せてもらったわ」
 社長はいつもと変わらぬ、凛とした表情で言った。続く言葉が少し怖くて身構えたけれど、直後、彼女は穏やかに笑った。

「さくら。リオン。あなたたちの『魂』が以前にもまして輝いているのを見て私は嬉しいわ。実は、新しい環境でうまくやっていけるのか、ちょっぴり心配していたの。だけど、杞憂だったようね。
あなたたちが、なぜこの地を選んだのかもよーくわかった。ここの人たちは、あなたたちのような、前衛的な考えの人間を受け入れてくれる。だから、“ここ” なのよね? すでにたくさんのファンがいるのを見て安心したわ。
今日のライブはオンラインでも流れていたから、今日を境に多くの人々があなたたちの芸術に触れて目覚めたことでしょう。
……あなたたちのユニット結成を承認したときから半分覚悟はしていたけれど、もうあなたたちに『稼ぎなさい』とは言わないわ。もはやあなたたちは、新時代を作る使命を担っている。このままどんどん突き進みなさい。ゆうび奏社としても全面的にバックアップします」

「社長……。ありがとうございます」

「さくら。礼を言うのはこっちの方よ。ありがとう。リオンと二人、手を取り合って高みを目指しなさい」



<リオン>

 社長のお墨付きをもらったおれたちは、心地よい疲れを感じながらアトリエに戻り、今日のライブについて語り合うことになった。

 社長から話をもらったときにはまだ夜風が心地よかったのに、今ではすっかり生ぬるい。けれど、明け切らない梅雨の、じめじめした暑さの中で汗をかきながらピアノを弾くというのもなかなか乙なものだ。

 アトリエのピアノでも、今日演奏した『エリーゼのために』を弾く。楽譜なんてないから、昼間に演奏したものの再現はできないが、それに近い旋律を奏でる。

 さくらが氣付いたかどうかはわからないけれど、おれはこの曲を、古いものの象徴として弾いたと同時に “さくらのために” も弾いた。これからは、さくらが輝ける世界をおれのピアノで創り上げたかったから。

 春に桜が美しく花開く、そのためには厳しい冬の寒さを経験しなければならない。だけど、ただ冬の寒さに耐えるだけでは足りない。太陽の光をその枝いっぱいに浴び、大地からたっぷりと栄養を吸収して初めて、春に咲き誇ることができる。その、自然の恵みの役割を担うのがおれのピアノというわけだ。

 もちろん、おれがいなくたって、目の前にいる “さくら” は花を咲かせることができる。でも、おれたちは『サクライロ』という、二人で一つのユニットであり、1✕1いちかけるいちを無限大にすることが出来る二人だ。

 『サクライロ』自体は以前から存在していたし、活動もそれなりにしていたが、今日この福岡の地から全国に発信したことで、これまで届かなかった人のもとにもおれたちの想いが届いた。これは非常に大きな一歩だ。

 演奏を終えたとき、さくらがポツリと言う。
「ありがとう、リオンくん。『サクライロ』のためにこの曲を選んでくれて」

「さくら、おれは……」

「リオンくんの想いはちゃんと受け取ってるよ」
 彼女はそう言うなり笑ってみせた。それを見て安堵する。

 多くの言葉はいらない。おれのピアノと、さくらの絵、そして笑顔がすべてを物語っている。

 今、さくらが満面の笑みを見せたことで、この世界に鳴り響いていた不協和音は鳴り止み、調律された。だが、現状はマイナスがゼロに戻っただけ。平らかになった世界の上に立ったおれたちは、ここから歩み出すのだ。

「さくら。おれたちの仕事はこれから始まる。忙しくなるぜ?」

「わかってる。でも、なぜだろう。とてもワクワクしているの」

「そりゃあ、そうだろう。なにせ、おれたちの手で新しい世界を創造していくんだから。芸術家にとって、こんなにもワクワクすることはない」

「そうだね。頑張りましょう。新世界を創造するために」
 さくらが握手を求めてきた。おれはその手を握り返しながら言う。

「頑張る必要なんてないさ。もう、息をするように作品を生み出す、それだけでいいんだ。そしたら勝手に世界は美しくなっていく」

「きっと素敵な世界になるね。楽しみだわ。……ねぇ、ちょっと外を散歩しない? 星空を眺めながら一緒に歩きたくなっちゃった」

「もちろん、いいよ」
 アトリエを出たおれたちは、自然と手を取り、歩き出した。今日の夜空は、まるで冬の只中のように澄み切り、満天の星が輝いて見えた。





第7話:頑張って生きてきたあなたに贈る詩歌
「おさらばしよう、古い時代に」
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