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日本の「空気のような多様性」は、なぜ成り立ったのか:ゲームやアニメ・漫画などの創作物に見る、日本の多重宗教観と欧米的多様性の違い

※さて、今回は音楽ではなく日本文化論です。ゲームや漫画についても語ります。

先日投稿した「不自由の国アメリカ論」に続き、今回は日本の宗教道徳観から生み出された日本の「空気」について書いてみる。

↓↓↓【不自由の国アメリカ論】↓↓↓

現代の日本社会は、宗教を道徳装置として強く意識せずに暮らす国としてしばしば語られる。
しかしその実態は「atheism(無神論)」ではない(※)。
「multi-religionism(宗教多様性主義。筆者の造語)」とでも呼ぶべき、寛容で混沌とした宗教的・文化的共存の精神が根底にある。

※atheism は本来「神を信じない立場」を指すが、歴史的に共産主義国家などで国家政策として宗教を排除する無神論(state atheism)と結びつけて用いられることも多く、日本的価値観とは異なる。

例えば日本人の多くは、
●初詣で神社に訪れ、
●葬式は仏教の儀礼に則り、
●ハロウィン(ケルト文化起源)で仮装やコスプレを楽しんで、
●クリスマスやバレンタイン(キリスト教文化圏の祭礼由来)を当然のように祝う。

さらに節分、七夕、ひな祭りといった古来の年中行事も継承する。

これほど宗教文化が混在しながら宗教紛争とは無縁の社会は、むしろ世界基準では異例とも言える。例えばアメリカが「人種のるつぼ(melting pot)」を標榜する以上に、日本の文化は無意識の宗教的・文化的るつぼなのだ。

本稿では、神道に始まるこの多様性の精神的基盤、明治維新や戦時体制・GHQ改革を経た変容、そしてそれが芸能・ゲーム・漫画・小説・アニメなど創作物にどう表れているかを論じたい。


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#1. 神道と日本的多様性の原点

神道は、厳格な教典も戒律も基本的には持たず、異教を排する概念も希薄なアニミズム的宗教だ。

神羅万象すべての概念に神を見つつ、性的にも寛容で、他宗教の神や儀礼をも自然に受け入れてきた歴史は、日本の文化的寛容性の基盤となった。

こうした土壌では宗教は道徳の絶対装置となる必要がなく、「空気を読む」「場の調和」「周囲への配慮」という無意識の社会規範こそが道徳そのものとなっていく。

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#2. 宗教の国家装置化とその揺り戻し

明治維新以降、日本は外国の列強に対抗する必要に迫られ(※)、欧米の近代国家モデルに倣い、宗教を統治装置として急造・制度化しようとした。天皇家のルーツとしての、いわゆる国家神道がその試みだ。結果、日本の宗教観は一時的に変質を余儀なくされた。

※江戸時代以前は「藩」が実質的な国家の枠となっており、「日本」という国家意識はほぼ皆無。その状態では西欧に対抗するなど不可能であった。

さらに太平洋戦争期には、国家神道は全体主義的な色合いを強め、「天皇万歳」「進め一億火の玉だ」などの絶叫とともに、狂的な国民統合のイデオロギーとなる(※)。

※「原理主義(fundamentalism)」は言葉の字義通りには「基本原則に立ち返ること」だが、現代の社会学・宗教学で使う際は
「主に一神教的文脈において、教義の文字通りの解釈に固執し、結果として過度に排他的・全体主義的・思想統制的になる傾向」を指す用語として定着している。

従って、
●異なる価値観や解釈を排除する排他性
●社会に対する強制的な思想統制・支配志向

という社会的・政治的な側面にポイントを置けば、「多神教の日本における原理主義」の到来はまさにこの太平洋戦争期、という見方もできる。

しかし敗戦後、GHQの神道指令により全体主義的宗教装置は解体。神道は寛容な土着宗教としての性質に回帰し、宗教的価値観は再び「空気」と「慣習」に溶け込んでいった。
またGHQの思想教育も絡んだ結果として、日本人の(良くも悪くも)愛国心や帰属意識が希薄な原因はここに由来する。

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#3. 日本の「空気の多様性」と現代社会

欧米が多様性を理念や法制度として意識的に追求したのに対し、戦後日本では「異質なものを異質と意識しない」多様性が当たり前のように存在してきた。

★性的少数者スターの例

例えば美輪明宏、ピーター、マツコ・デラックスらが社会で広く受容され人気を博してきた事実は、法制度による権利保障以前に、日本社会の無意識の寛容性を物語っている。

もちろん差別や偏見はあり、苦しめられる人々の事例も多いが、それは欧米的な「異物を排除する正義」というよりは「同調圧力の空気」の問題として表れることが多い。

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#4. 創作物に具現化した「日本が積み重ねてきた宗教・道徳観」と他国との違い

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★日本の創作物

●『エルデンリング』(ゲーム)
多神教的、相対主義的な世界観。宗教的絶対性を否定し、プレイヤーに「自らの律」を模索させるアクションRPG。

●『ファイナルファンタジータクティクス』(ゲーム)
身分制度が固定化した世界で、「家畜に神はいない」という強烈な台詞に象徴される階級社会の問題・宗教支配の虚構を、苦悩する貴族出身の主人公ラムザの視点を通して描く壮大な歴史劇。

●『ゼノギアス』(ゲーム)
ファンタジー+ロボットというジャンルの皮を被った思想劇。宗教支配の構造そのものを深く抉り、一神教的神の欺瞞と人間の自由意志を主題としている。

●手塚治虫『火の鳥』(漫画・アニメ)
輪廻転生、命の連環、宗教や民族を超えた普遍的テーマを「過去と未来」の両視点から扱い、多元的価値観の可能性を示す。

●田中芳樹『銀河英雄伝説』(小説・漫画・アニメ)
「最悪の民主政治」と「最高の独裁政治」という二国家間の宇宙艦隊戦争と二人の主人公を通して、政治体制のパラドックス、正義も悪も立場に依存することを重厚かつ冷徹に描写。国家・個人の正義が衝突する物語。

●中村光『聖☆おにいさん』(漫画・アニメ・実写映画)
キリストとブッダという一神教・多神教(※)の世界代表がアパートに同居。「普通の日本社会」に溶け込む姿をユーモラスに描き、宗教の仲違いの無意味さ、共存の可能性を示唆する。

※仏教が多神教かどうかは議論の余地があるが、ここでは掘り下げないことにする。
それだけで長文記事が連載できてしまうので……

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★欧米の創作物

●『アイアンマン』/『スーパーマン』/『キャプテンアメリカ』
(いずれも漫画・アニメ・実写映画)

絶対的善の象徴として、スーパーパワーで悪に立ち向かう。
基本的には、キリスト教由来の「宗教的道徳の明確な善悪二元論」が基盤にある。

●『アサシンクリード シャドウズ』(ゲーム)
織田信長に仕えた黒人の弥助を「Samurai(本来の「侍」ではなく)」として描いた作品。
戦国時代の日本を舞台にしつつも、その眼差しは「かつてのイエズス会的な、傲慢な文明化の論理」を無意識に再生産している。
異文化の矯正・支配・救済という善意の装いの介入が構造に刷り込まれており、日本文化を舞台装置化する限界も見える。

●近年のディ〇ニーの実写化(例:ゼグラー版白雪姫)
「多様性」を理念化し、無理にも思える少数人種のキャスティング、理念の押し付けが逆に物語の整合性を損ねてしまった事例。
善意の暴走の現代版とすら言える。

※ただし、『X-MEN』(超能力を「排除対象の病気」として描き、アメリカの差別の病理を浮き上がらせる「ヒーローもの」)を始め、近年のスパイダーマンやジョーカーの実写映画など、ヒーロー側にもヴィラン側にも正義があり、苦悩する主人公像を描く、二元論ではない相対主義的な創作物は欧米にも少なからず見られる。

またゲームにおいても『ゴースト・オブ・ツシマ』のような、侍や時代劇などの日本文化への深い理解と敬意を感じる相対論的傑作もアメリカは作り出している。

近年のアメリカの映画監督には日本のアニメ(『AKIRA』『A KITE』(※)など)に影響を受けたと公言している人たちも見られるので、少なからず「日本的価値観」が影響を与えているのかもしれない。

※余談だが、『A KITE』は元々ポルノアニメとして制作された作品である。
本来表に出にくい成人向けコンテンツからすら、スタイリッシュさ・暴力美学・社会風刺・退廃的詩情といった高い芸術性を宿す作品が生まれる事実こそ、日本創作文化の幅広さを物語っている。

ポルノやエロゲーなどの成人向けジャンルが(比較的)「禁忌」や「恥」とされすぎず、そこからも芸術が生まれるという文化土壌も、神道の土着的影響、日本の無意識の多様性、価値観の相対主義的な姿勢の現れと言えるだろう。
欧米ではなかなかそうしたジャンルの作品が「文化的誇り」として語られることは少なく、まさに日本特有の現象だ(※)。

※欧米には『チャタレイ夫人の恋人』などもあるが(イギリスにて刊行)、あれは元々はポルノではない。魔女狩り的に「ポルノ・猥褻文学とされてしまった」事例である。

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#5. 結論:日本人自身が誇るべき「異様性」

日本の「空気のような多様性」は、神道の寛容性、国家宗教化の揺り戻し、戦後の宗教中立主義的教育の積み重ねの産物だ。
それは「多様性は本来、声高に主張するものではなく、自然にそこにあるもの」という思想に結実している。

そして日本のゲーム・漫画・アニメ・小説は、無意識にその思想を体現し、世界に「相対主義の寓話」を送り出している。
それは単なる娯楽ではなく、現代社会に必要な思索の装置であり、芸術である。

相対的に対話相手の立場を慮り、単純な二元論に帰結しない。太平洋戦争などの歴史的悲劇や犠牲を礎にようやく獲得したこの希少な国民性、およびそれによって生まれてきた多様な創作物のクオリティは、改めて世界的にも稀であることを強調したい。

今後も絶対に守るべき、得がたく、尊いものだと筆者は考える。

皆さまはどうお考えだろうか。ぜひコメントなどでご意見をお寄せいただきたい。

※なお、筆者は思想をジャッジする、または偏る立場にはなく、「どう見えるか」を客観的に観察・考察する派です。
本稿も「ひとつの見え方」として思って読んでいただければ幸いです。

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