アメリカ某州高校留学体験記・前編:ドラムライン、スクールカースト、忘れられない恋の記憶
彼女のバスの中の服装は、恐らく誘惑だったと今も信じたい。
黒歴史?いや、それでも出す。
個人的に小っ恥ずかしいアメリカ某州での高校生活・前編。
友情、スクールカースト、ドラムライン、バスの中で交わした何か。
「自由の国」だと信じて飛び込んだその社会は、実はもっと複雑で、もっと人間臭かった。
思春期の視点と、大人になった今の自分の分析。 ふたつを交錯させながら振り返る、私なりの留学体験記。
※最重要人物は本文の #3 から登場します(あからさまに意味深)。
※本編は前・中・後編の3部作。また別途、複数の外伝(衣・食・住などの各編やプチエピソード)を執筆予定。
※個人名は特定のリスクを避けるためイニシャルで記載します。大体のエピソードは事実に基づいていますが、念のためフェイクも入れ、時系列の意図的な再構成も行なっていますので、半分ノンフィクション、半分思い出補正としてお読みくださいませ。
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#0:私は南部訛りの英語に苦戦し、何故かマーチングバンドに入っていた
“One Japanese Kid Struggling with the Southern Drawl and the Bass Drum”
舞台は米国南部α州の一角、隣街の映画館とモール、ガソリンスタンド近くのタコベルやマクドナルドがデートスポットの、典型的な片田舎。17歳の私は高校留学生としてそこにいた。
英語は得意と自負していたのと、洋楽も好きなので歌詞を翻訳なしで理解できるようになりたい、というごく浅い理由で。
世はミクスチャー・ロック全盛期。
Linkin Parkが全世界を席巻する少し前ぐらいの季節だったかと思う。
留学初期、日常会話も怪しい私は、無謀にもマーチングバンドクラスへの所属届を出した。「留学したからには積極的にならなきゃ!」という、強迫観念にも似た感情に駆られての行動だった。
学校の事務員は明らかに不安がっていたが、何とかねじ込めたのは「ドラム叩けますけど!」と必要以上に自信ありげに宣言したのと、「留学生という名のお客さん」だったから、というのもあっただろう(そして、結果的にこの行動は「正解」となる。計算などしていなかったのだが)。
学期最初の全校集会にて衆目の前に立たされ、自己紹介は済んでいたので私の存在自体は既に認知されていた。
かくして「あの異分子の日本人がバンドに所属したらしいぞ、なかなか面白そうな奴だ」という噂は、日本人どころかアジア人種も殆どいない高校中を席巻したのである。
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#1:パーカッションチームという愚連隊
“Punks in the Drumline: Found New Home in Noise”
アメリカの学校社会の文化上、マーチングバンドに所属するような生徒は通常 “Band Kids” のカーストにカテゴライズされる。もちろん王者たる “Jocks” (体育会系)ほどの権力は持たないが、決して負け組ではないぐらいの中庸〜上の下くらいのポジションで、偶に “cute” といったイメージも持たれるらしい(なおうちのマーチングにはアメフト部とバンドでトランペットを掛け持ちする、驚異的なワーカホリックJockもいた)。
その中でも、パーカッションチーム(ドラムライン)はある種特別なイレギュラー感があった。他の楽器の連中が真面目に練習している中、ふざけ、茶化し、でも演奏だけは真面目にやるといった “punks” (やんちゃなクソガキ)達。吹奏パートが演奏にダメ出しされている最中、バックで静かにふざけ合ったりゲームしたりする「騒げる特権」を持った集団。
その性質上、校内の王者Jocksと敗者Nerds(文化系)の橋渡しにもなりやすく、言ってしまえば「快適な」階層であった(※)。
※なお、後で調べてみると、「マーチングバンドの中でもパーカッションセクションの雰囲気が特に陽キャっぽくなりがち」なのはアメリカ共通の文脈らしい。
アメリカ史の授業が「マジで何を言っているかひとつも分からず、絶望していた(※)」時期だっただけになおさら、そんな状態の私に曲がりなりにも居場所ができたことは、留学初期の大いなる救済となった。
※2代目大統領の名前なんて普通の日本人高校生は意識しないだろう。知るか。あと、南北戦争の英語がThe Civil War、人種のるつぼの英語はMelting Pot。ますます知るか。
パーカッションチームのリーダーはMという、穏やかで大人っぽい一個上の男性(もはや大人っぽすぎて少年とはとても呼べない)で、その人柄とは裏腹に、全米のドラムコンペで上位を獲得するような猛者。
もうひとりのリーダー格のAは、私がジョークを言う機会も多々設けてくれたり、Mが不在の時に練習曲のスネアを叩く機会を譲ってくれるような「気遣いの陽キャ」で、彼もまあ凄まじく上手かった。
あと同い年のNは物静かな音楽オタク、特にプログレ好きだったが、こいつも超絶上手い。彼は自宅のガレージに高校生とは思えないような多点ドラムセット(Pearlのラックで組んだ1バス、3タム、2フロア、シンバル10数枚、更にサイドスネア)を置いており、スタジオなど借りなくても演奏がいつでもできる環境であった。
この3人が、マーチングにおいては花形のスネア担当(ちなみに私はバスドラ)だったが、「何でこんな片田舎なのに、こんな高レベルの奴が3人もいるんだ」という疑問は、その広い土地とガレージを見てすっきり解消されたわけである。「ああ、そりゃ日本の環境ではこんなにレベルは上がらんわ」という納得感、アメリカの音楽レベルが高い理由の自己回答、若干のジェラシーと共に。
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#2:Hang Outの意味、スクールカーストの意味
“A Legal Alien Noticed What ‘Hang Out’ Really Means”
といった具合にバンドクラスへ救いを求めつつ、(アホの人種差別的嫌がらせはたまにあったものの)周囲が味方という状況を構築でき、私はなんとか徐々に、スピーキングとアメリカ史の授業についていけるようになっていた。
そんな中、バンド外の友人J(数学のクラスで仲良くなった、アメフト部にして日本のアニメ好きという文化的奇行種。剽軽で超いい奴。なお、彼のガールフレンドのDも超絶可愛く、私にもフレンドリーな、まさに理想のアメリカンカップルだった)が私にこう言ったのだ。
「結構お前のこと気になってる女の子いるっぽいけど、hang out(デート)しないの?何ならセッティングしちゃろか?」
青天の霹靂である。そもそも「居場所の構築」「授業理解」に必死だった当時の私に「恋愛」など考える余地は1ミクロンもなかった。とはいえ折角の申し出なのでとある女の子を紹介してもらったが、よりにもよってその娘は「チアガール」だったのだ……。
分かるだろうか、この意味が。愚かにも当時の私は、そのイベントがどれほどの重大性を持つのか、微塵も想像しなかったのである。
チアガールとは名実ともに「女の子のJocksの頂点」、陽キャ中の陽キャ、勝ち組中の勝ち組。一方私はどちらかと言えばアングラやサブカルの文化領域に属するBand Kids、しかも「根っからのエイリアン」。
※比較的有名な話だが念のため。男のアメフトプレイヤーと女のチアガールは、文字通り「アメリカ学校社会の絶対的象徴」である。当然ヒエラルキーは最上位。
hang outとは英会話で頻出する「ブラブラ遊びに行く」という動詞だが、男女が「初めて同士」で行く場合は文脈が異なってくる。つまり、「異性としてアリかどうかの品定めをするためにデートする」という意味に変化する。
そんなアメリカ式恋愛通過儀礼を、よりによって英語がまだ不自由な私が、よりによってチアガールと行なう。「恐怖」以外のどんなワードで、この状況が語れるだろうか。
「おいJ、なんでチアガールなんだ……お前なら俺の趣味とか好きなもの知ってるだろ!」事の重大性にようやく気付いた私の訴えも虚しく、映画デートは実行された。なお、音楽などの話題のことごとくが合わず、撃沈したのは言うまでもない。
冷えきった会話、車を運転するチアガールの退屈そうな顔。……今も、「チアガール」と聞くと汗が出る幻覚に襲われるぐらいにはトラウマだ。
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#3:フルートの女、Lとスクールバスで出逢う
“The Girl with Curvy Legs and Foxy Eyes on the Yellow Bus”
案の定、アメリカでの初めてのデートは歴史的大敗に終わり、Jも「こいつに体育会系をあてがうのは失策だった」と悟った頃。私はある女の子とよく話すようになっていった。同じバンドのフルートセクションにいた、同学年のLである。
さて、彼女との出会いを話すには、アメリカの学校制度、そしてそれに伴う「登下校における勝ち組・負け組文化」を知っていないとなかなか文脈が理解しづらい。説明パートになるが、少しお付き合いいただきたい。
米国の高校は4年制で、日本でいう中3〜高3までが通う「義務教育」となる。
●1年生(中3)= Freshman
●2年生(高1)= Sophomore
●3年生(高2)= Junior ※私の学年
●4年生(高3)= Senior
さらに圧倒的な車社会でもあり(田舎に電車なんてもんはない)、国土の広さや治安の面から言って、徒歩登校など狂気の沙汰である。アメリカの自動車免許は16歳から。
つまり、「Freshmanや自動車免許を持たざる者はスクールバス、Sophomore以上は自ら車を運転しての登下校(※)」となる。ここにも「米国の見えない階級社会」が存在することになる。
すなわち「スクールバス登下校はLosers(負け組)」。
※余談だが、当然ハイスクールには巨大な駐車場が存在する。当時は(州によって異なるが)おおむね煙草は16〜18歳からOKだったので、駐車場の離れた場所に半公然の喫煙所が設けられることもあった。
日本のサラリーマンのような喫煙コミュニケーションが高校の敷地内で発生するのだ。
これは日本人の私にとってカルチャーショックであると同時に、まさに「生きた異文化体験」でもあった。
日本の高校2年生である私には当然車の運転などできるはずもなく、普段は同い年のホストブラザーであるJA(私などより遥かに日本のサブカルに詳しい、尊敬すべきオタクであった)の車に乗って学校へ向かうか、たまに他の友達の車に乗せてもらっていたが、JAがバイトの時などはスクールバスで帰ることになる。そこで出会ったのがLだった。
思えば、不思議とLとはバンド以外の授業は一緒にはならなかった(なお、バンドクラスは1日置きの1時間目。結構頻繁である)。スクールバスの出発を待つ私の隣に彼女は突然座り、「一緒のバンドのフルートのLだよ、こうやって話すのって初めてだよね?」と言ってきた。
おしゃべりな娘だった。「普段は車があるんだけど故障しちゃって、久々にスクールバスに乗ったわ。Nerdな私にはお似合いだけど(笑)」。何故スクールバスに乗っているのかの言い訳にも聞こえたが、慣れてきたとはいえ未だ英語ペラペラとは言い難い私に対し、向こうから話題を振ってくれるのはありがたい。
「Nerd ? Are you ? そうは見えないけどね」
私の言葉に彼女は(たぶん嬉しそうに)笑った。タヌキにも似た、美人というよりはキュートな顔。肩まで伸ばした金髪。笑うとタレ目がきゅっと細くなり、それがまた印象的だった。
実際Jockには見えない娘だったが、たぶん自信はあるのだろう、よくショートパンツを履き(冬でも)、程よくムチっとした脚を惜しげもなく見せるファッションを好み、身長は低く(150cm半ばぐらいだった)、それがコケティッシュな魅力を振りまいているように見えた。しばらくの会話で、なぜ私に話しかけてきたかの理由はほどなく判明する。
曰く。スクールバスの中には知り合いもいないし、マーチングバンドの練習中、後ろでパーカッションを叩く「愉快な異分子」とはずっと話してみたかったのだとか。また(詳細は後述するが)アメリカ史の授業で私が巻き起こした爆笑の噂も知っていて、その真偽も聞きたかったらしい。
その時期、私にとって鬼門だったアメリカ史のクラスも、何とか「その時の授業で30%、帰宅して、辞書を引きながらの復習でプラス30%」ぐらいは内容に着いていけるようになっていた。そんな中、授業でとある実習が行われることになる。
「第二次世界大戦後のベビーブーム時代。政府の広報担当になって、国の宣伝キャッチコピーを考えてみよう!」
元々文章を書くのは好きだった私である。意気揚々と次のフレーズを発表した。
Don't get sweat on the battlefield.
Just do it in your bed.
(戦場で汗をかくな。ベッドでかけ)
アメリカ文化の象徴たるNIKEの企業フレーズ“Just Do It” に適度な下ネタを織り交ぜつつ、ベビーブームにおける国の目標(多産の奨励)を啓蒙する。この試みは大成功した。
“Awesome ! ”
響きわたる(主に男子生徒の)大爆笑、苦笑する教師。「存在が面白い異分子」から、「笑わせることもできる異分子」に昇格した瞬間だった。
Lもその噂を聞いてcoolだと思ってくれたらしい。「またバンドでね!」これを機に、嘘みたいな、だが実際に私の記憶に存在する「異国での青春」が始まることになる。負け組の象徴、スクールバスをきっかけに。
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#4:バンドコンペイベントへ向かうバスとL
“Kiss on the Bus, Was It An Illusion, or Not”
さて、何とか「英語ペラペラの直前までは行けたかな」と自信を持ち始め(大人になった今思い出すと、恥ずかしいほど「まだまだ」であったが)、友人からの「badassって日本語でどうやって書くんだ?タトゥーにしたいから書いてくれよ!」というお願いに頭を悩ませていた(※)、そんな時期。
※badassに対応する、「タトゥーにできるような」適切な日本語はぶっちゃけ「ない!」。
直訳すれば「悪いケツ」だが、まさかそう書くわけにもいかんだろう。
badass=「強くてクールなタフガイ」といった割と厨二な意味(東京卍リベンジャーズを読んだ中学生がマイキーに憧れるようなもんか)なので、現在の私の知見があれば「鎧袖一触」とか提案できたんだけどな……。
ちょっぴり心残りではある。
私はホストブラザーのJAとは良好な関係(同居している友人みたいなもん)だったが、ホストマザーとの関係値は微妙で(よくはしてくれたが、なかなかヒステリックな部分のある女性でもあった)、家ではJAとゲームするか、自室にこもって音楽を聴きながら勉強するか、ドラムの練習(Mに教えてもらったスティックワークだけ)をするか、たまに友達のJ(前述のチアガールデート事件の発端)と遊び、泊まりに行くという生活が続いており、正直学校の空気のほうがよほど解放的であった。
秋のアメフトシーズンが終わり、マーチングバンドは「応援」という役目を終え、活動の中心はコンサートバンドに移行する。私は数個のメロディックタム、銅鑼、ゴングバスをあてがわれ、マーチングバスドラのように汗を流しながらそれを抱えて歩き演奏しなくてもよいこと、「おいしいアクセント」を担う楽器を叩かせてもらえることに、ますますテンションが上がっていた。
その時のバンドクラスの活動は主に2種類。学校の行事で演奏することと、各地で開催されるコンペに参加すること(バンド全体のコンペと、各セクション単体のコンペ。私の場合は当然パーカッションチーム)。
なお、日本でも吹奏楽部のコンテストはあるが、アメリカにおいては、比較してもかなり盛んな「競技」である。当然遠征も多くなる。バンドクラスは全員で大型バスに乗り、遠足気分でコンペ会場まで向かう。
Lとはバンドでよく話すようになり、休み時間に廊下やカフェテリアで会った時も雑談して、別れ際に手を繋いだり、たまにハグもする、という関係になっていた。米国の文脈では割と親しい友達なら(性的な目的でもなく)ハグはするので、そんなに異質な光景とは周囲からは受け止められていなかった。
が、その時の思春期ど真ん中の日本人童貞の心境、多分想像いただけるだろう。
「え、この娘、俺のこと好きなんじゃね……?」ティーン男子はいつの時代も愚かなものなのだ。
コンペの際、さすがにカジュアル過ぎる普段着は忌避され、我々は「高校生の範囲での」ある程度丁寧な服装を推奨される。私はネクタイを着けながら、ある程度カジュアル寄りのモッズっぽい服装で臨んだ。ちなみに一度、念のため持参していた日本の高校の制服(ブレザー)で行ったら “What's up, catholic school boy ! ”(※) とからかわれたので、二度と着ないと心に固く誓った。
※catholic school boy=カトリック系の学校に通う生徒のこと。たいていブレザーの制服を着用。余談だが、catholic school girl はチアリーダーと並んで「典型的なアメリカ人のフェティッシュの対象」でもある。
さて、件のLである。彼女は前述の通り、魅力的な脚を惜しげもなく見せる服装が多かった。だが、コンペの際には、上半身は薄めのピチッとした長袖ニット、下半身はグレーかブラックのタイトミニスカートに薄めの黒いストッキング、といった装いが多かった。
……はっきり言おう。思春期の高校生視点では、完全に目に毒だ。こいつは分かってやってるのか、それとも天然なのか。しかもバスでは平然と?私の隣の席に座ってくる。私は内心の動揺を悟られないよう必死である。いつものような会話を装い、彼女の蠱惑的な、ストッキングに包まれた太ももをしょっちゅう盗み見ていたこと、ここに深く懺悔したい。アーメン。
以前のチアガールとは異なり、文化圏が似通ったLとは趣味も合った。バンドはIncubusが好き(※)、激しいディストーションのあるラウドロックも聴くが歪み過ぎているのはさほど好まない、アニメは観ないが日本には興味がある、キリスト教徒だがクリスチャンロックは嫌い。特にCreedがMTVで流れるとウンザリする。
※当時、アメリカの10代の間で流行していたバンドの中で、Limp Bizkitは「DQN(Jock)過ぎて知的ではない」、Linkin Parkは大ヒットしたあたりから「大衆的過ぎる」扱いを受け始めていた。
その中でも Incubusは都会的で、アレンジも歌詞もクールな「洗練されたはみ出し者」という位置を保っていた。ブランドン・ボイドのルックスや哲学的なリリック、楽器陣の知的な演奏など、「洒落た非メインストリームの象徴」として、一部の感性が早熟なティーンにとっては憧れだった。
とあるコンペに挑む時のこと。彼女はフルートの競技会、私はパーカッションのそれに分かれて向かう、バスを降りる直前、その瞬間。「また後でね!」彼女は私の頬にキスをした。あまりの衝撃に呆然とする私。しかも間の悪いことに、その場面はAにばっちり目撃されていたのだ。
「うおー、Lがキスしたぜー!今日からお前、顔を洗わないだろうな!」
などと言いながら、ナーサリーライム(童謡)のメロディを模して “L is kissin’ you〜 ♪ ”と楽しそうに歌い、バスを降りていった。
その後のドラムセクションのコンペは、正直言ってあまり思い出せない。ただ、ゴングバスの連打が譜面では「弱く」だったのに思い切りフォルテで叩いてしまい、審査員に苦笑混じりで指摘されたことだけは覚えている。
その帰りのバス。当たり前のようにLと私は隣に座っていた。車内はコンペの疲れで静かな者もいれば、Nのようにイヤホンで音楽に没入する者もいる(あれだけ音楽漬けの一日だったのに。これはこれで驚異的だ。だからあんなにドラムが上手いのか)。Aはまだまだ元気でエミネムの The Real Slim Shady を流しながら、“Please stand up” の歌詞の部分で起立と着席を繰り返す、みたいなことをやっていた。さすが陽キャ(※)。
※今考えると、あんなネイティブでも難儀するような超絶ライムを諳んじていたAは凄い奴だったなと思う。
「A、なんであんなに元気なんだろ」「Aだからでしょ」そんな会話をしながら、私と彼女の身体の距離は徐々に近付いていた。
いや、近付いて「いった」のか、どちらかが。あるいは、どちらも。
彼女と私、どちらが先にトリガーを弾いたのかは分からない。思い出したくとも、奇妙にピンク色の靄が記憶をかすませている。ただ、これだけは確かだ。沈み行く夕陽、コンペが終わった安心と高揚が充満するバスの車内。A周辺の騒がしいエミネムの真似をBGMに、私たちはキスをした。今度は正真正銘、唇だった。
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📝 次回予告
この前編は、まだ序章にすぎません。
Lとの関係がどう動き、異文化の中で自分がどう揺れたのか。その続きは中・後編で描いていきます(中編は「プロム」イベントもございます)。
⇒中編投稿しました!
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