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アメリカ某州高校留学体験記・中編:プロム/「期間限定の身分」が参加するという意味

ここで行かなきゃpimpが廃る。ダンスの素養なんてない私。どう乗り切る……。

映画などでもお馴染み、アメリカのハイスクール最大の祭典、プロム。
それは単なる舞踏会ではない。

「アメリカのエリート式教育要領」「スクールカースト」「期間限定の身分」という文脈の中で、留学生にとっては自分の位置をまざまざと可視化させられるイベント。一夜限りの幻のような日を、恥ずかしくも赤裸々に書いてみる。

※本編は前・中・後編の3部作。また別途、複数の外伝(衣・食・住などの各編やプチエピソード)を執筆予定。

【前編】↓

※個人名は特定のリスクを避けるためイニシャルで記載します。大体のエピソードは事実に基づいていますが、念のためフェイクも入れ、時系列の意図的な再構成も行なっていますので、半分ノンフィクション、半分思い出補正としてお読みくださいませ。


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#5:人生の花盛り/夢の終わりの予感、そしてプロム

“My Flower of Life, Shall We Dance? ”

英語に “flower of life” という表現がある。
直訳すると「人生の花」。慣用句では「人生の絶頂期」という意味もあるが、どちらかと言うとスピリチュアルや幾何学的な意味で使われることの多い言葉だ。
だが、私にとってのLはまさにその象徴だった。

彼女がガールフレンドになった頃の私の人生はまさに「華やかな薔薇色」だった。いや、言葉を飾らずに言おう。かなり調子に乗っていた。
日本にいる両親に書いた手紙の内容は(よく覚えていないが)凄まじく浮ついた内容だったような……。完全に若気の至り、ああ黒歴史よ。

ともかく、「バンドクラスで居場所を得る」→「面白い日本人と思われたのがきっかけで友達もできる」→「授業にもなんとか着いていけるようになる」→「可愛いガールフレンドができる」という流れは、今考えても出来過ぎな、それこそ「ゆめまぼろし」のような生活だったと、今振り返っても思う。

ちなみに、アメリカにおいて「そういった関係」になるのは、日本と比較してかなりカジュアルだったように感じる。平均的な日本のティーンの恋愛は、だいたい「告白」という儀式を経て正式な「お付き合い」が始まるものだが、米国の場合はそうではなかった。フィーリングが合った者同士が自然と接近し、いつの間にかパートナーになる。それが当たり前だった。

Lの車の修理が終わったら、(もちろん彼女の運転で) “hang out” も楽しんだ。モール、映画館、マクドナルド、タコベル、クラブ、彼女の家……田舎なので選択肢は少なかったが、そんなことは当時の私にはどうでもよかった。

「何をするか」よりも「誰とするか」のほうがよっぽど大事だという真理を学んだ10代である。もちろん「軽くとディープ、両方の」キスもしたし、彼女の柔らかい身体を触って、共犯者めいた「楽しい背徳感」を共有もしていた。

ただ、ティーンエイジャーにとって至上命題ともいえる「性欲」に関しては、当時の私の最大の悩みだった。州や地域によっても差は大きいだろうが、少なくとも私のいた地区では、いわゆる「セックス」に対しての考え方は(日本とは比較にならないぐらい)保守的だ。
「道徳装置としてのキリスト教」の考えが根強いのがその理由のひとつだろう。何せCreedやP.O.D.といった「クリスチャンロック」なるジャンルがヒットチャートの上位に来る国である。

日本人がステレオタイプ的にイメージする「性に奔放なアメリカ」と、実状はかけ離れていた。

友人のJ(繰り返し紹介するが、以前のチアガールデート事件の発端)も彼女のDとは「一度もしたことがない」「彼女がそれを許さない」とのことで、彼の家で夜通し「どうやったらヤレるのか」を語り合ったこともある。あんなに人前でキスやハグは躊躇もなく行なうのに不思議なもんだと常に感じていたのが、あの頃の「自称哲学者」な私だった。
つくづくティーン男子は愚かである。これも生きた異文化交流と言えば聞こえはいいが。そう、「生殺し」というやつだ。

α州の冬は寒い。Lはショートパンツを履く日もあったが(寒いのによく我慢できるな、こっちは眼福だけど。などと私は思っていた。ティーン男子は愚かである)、さすがにジーンズも多くなっていた。

彼女は5本指ソックスが好きで、よく「快適だよ、君も履いてみない?」と勧めてきた。

大人になった今でも、「一度でも借りて履いておけばよかった」と思っている。

余談。カリフォルニアに留学していた友人から南部訛り(southern drawl)は聞き取りにくくなかった?ガールフレンドとのやり取り大丈夫だった?と帰国後に言われたことがある。

正直そこまで苦労はしなかった。コックニーとかリヴァプール英語に比べれば、殆ど標準英語のようなものだ(英語にある程度堪能になった今でも、あれは本当に聞き取れない)。

むしろ南部訛りの特徴である、 “pen” と “pin” の発音が一緒になるのを意識して真似してたくらいだ(もちろん、アメリカ史の授業が理解不能だったのは訛りのせいじゃなく、私の基礎知識のなさが原因であることは言うまでもない)。

やがて春が訪れ、学校全体に浮ついた空気が蔓延してきた。4年生の卒業を数ヶ月後に控え、バンドクラスは卒業セレモニーで演奏する曲の練習を中心に行っていたが、皆の関心は明らかにその他にあった。

プロム。アメリカの青春映画などでもよくテーマになる、高校生活における一大イベント。卒業間近の生徒向けに開かれるダンスパーティーのことだが、3年生以下でもパートナーがいれば参加可能だった。
男はタキシードやスーツ、女はドレスと、フォーマルな服装で参加するのが通例。……映画の世界のフィクション、都市伝説みたいなもんと思っていた存在が、厳然たる現実として目の前にある。

そしてそれは、私の留学生活ももうすぐ時間切れになることを示していた。

彼女もそれを分かっていながら、私とつるんでいたと思う。プロムに赴くのは既定路線だった。まさか自分が参加する側になるなんて。この「期間限定の異邦人」の身分の、自分が。

ある日、「もちろん一緒に行くよね?」と「念のため、保険のように」言い始めたのは、確か私のほうだ。
私の頭の中には傑作邦画『Shall We Dance ?』のあのフレーズが脈絡なく鳴り響いていた。「終わり」へと向かう悲しさよりも緊張のほうが精神を支配していた。スーツは持っていたのでまだよかったが、もっと重大で、もっと致命的なことに、私は ーー

……気付いてしまった。

ダンスってどうやりゃいいんだ?

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#6:プロム当日①/レストランのテラス席にて

“Pimp : What Does That Mean ? ”

思えばプロムというのは華やかなようでいて、実に残酷な「アメリカ式教育制度」の一環だ。
かの国はスポーツエリートを筆頭に、音楽・IT・勉強・芸術など「才能を持つ者」には惜しみなく投資を行なう一方、「何も持たざる者」に対しては誠に冷淡な、「過酷なエリート式サバイバル指導要領(※)」が基本である。

一例だが、アメリカの高校においては、体育の授業すらJocks(運動部エリート)とそれ以外で「授業内容・枠そのもの」が分かれる。授業後にシャワールームを使えるのもJocks枠の生徒だけ。もちろん、その権利は「結果を残す」という名の、多大な義務・責任と引き換えだ。

「意見の主張」という名のコミュニケーションスキルに関しても同様で、「男の子が好きな女の子を誘って二人組を作る」という指導が、小学生時代から教育現場では当たり前のように行われる。

プロムとは、そんな教育方針の集大成なのだ。
できない奴は去れ。参加資格はない。良くも悪くも「横並び」を重視する日本の指導要領とは真逆の価値観。

というわけで、私の「英語も不自由なうちからマーチングバンドに入るという主張」も、結果的には「アメリカ社会においてサバイブするうえでの正解」だったと言える。

などと分析できるようになったのは現在、私が大人になったからであって、あの頃のティーンの私には、そんなことははっきりどうでもよかった。友人とパーティーなどに参加した経験はあったし、そこで「ダンスのつもりの奇妙な全身運動」を披露したこともあったが、今回は格が違う。

なんせプロムである。映画の『キャリー』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でも描かれた、あの美しくも残酷な陽キャ用イベント。当時、YouTubeのような便利な教材などない。私は学校のカフェテリアでJとDに相談した。泣きついたと言ってもいい。

前編で書いた、チアガールとのhang outでの惨敗が頭をよぎった。
あの冷え切った空気を二度と味わいたくない。そんな思いから。

ふたりの反応?
もちろん笑われた。大爆笑された。
Dのほうは私に対し “You're so cute ! ” なんて言ってくれやがった。
馬鹿にしてんのかこいつ。

大人になった今述懐すると、日本人(というよりアジア人)である私に、Dのような白人の異性は “cute” と言うことが多かった。“cool” よりも遥かに頻度は高い。アジア人はやはり少数派なので(住んでいた地域では特に)、一種のフェアリー的な見方をされる側面があったように思う。何せ、日本人の私に対し「ジャッキー・チェンに会ったことある?」と聞いてくるような連中である。彼らの日本人への解像度、推して知るべし。

なお、擁護しておくが、Dには全く悪気はない。彼女はとてもいい娘で、初対面からとてもフレンドリーに「エイリアン」の私に接してくれていた。パーソナルスペースも最初から近かった(なので、未だにJへ「身体を許していない」という事実がとても信じられなかったのだが)。
彼氏の「希少な日本人の」友達というスパイスもあっただろうが、それを差し引いても。

さて彼氏のJはというと。ひとしきり笑った後、こうアドバイスしてくれた。

「ダンスって言ったって、正式にソーシャルダンスみたいなのを習ってる奴なんて殆どいないよ。リズムに合わせてステップ踏んどけばいいんだ、プロムでもそれは変わらない。というかお前ドラマーじゃん。リズムに合わせてキックする(=バスドラムを踏む)なんてお手のものだろ。Take it easy, dude.  あ、ただ、女の子を楽しませるってことは忘れないように!」

おお、持つべきものはアメフト部・陽キャ(ただし隠れ日本のアニメ&漫画オタク)の友よ。パートナーのことにまで言及した、完璧な回答だった。彼は真の「いい男」だったと、今でも心から尊敬している。

要は日本でいう運動会のフォークダンスみたいなもんか、と自分で自分を納得させつつ、貴重な友人のアドバイスを胸にピン留めし、Lに楽しんでもらえるように頑張ろうと誓ったのである。折角のイベントだ、写真もいっぱい撮ろう。「期間限定の私」には、なおさらそうする義務がある。

そんなこんなを経てプロム当日。ホストブラザーのJAは参加するのか否かのゴタゴタもありつつ、あっという間にその日を迎えた。伝統的に、プロム前にはグループで集まり、レストランで食事をするのが様式美である。まずはそこで各々のファッションのお披露目となるのが通例だ。

私は自前のスーツを着て、ほとんど金に近い茶に染めた髪もムースで整え、Jの車が迎えに来るのを待っていた。
鏡に映る自分はそれなりにいい感じだと思った。本来は「男が車で女性をエスコートする」のがクールとされるが、異邦人である私には法律がそれを許さない。少しばかりの後ろめたさがあったが、普段はあまり関係のよくないホストマザーが、その日ばかりは誇らしげな表情をして写真も撮ってくれたので、やはりプロムというのは「ステータス」なんだなと、妙に冷静に考えている自分もいた。

予約しているレストランはテラス席らしい。二度ほど、JやDとhang outしたこともある場所。
だがその日、ハロウィンやクリスマス以上に、レストランは非日常の色に華やいでいた。学生たちの服装によって。プロムというのがどれだけ特別な一日かというのを、その時私はようやく、真に自覚したのだ。

多くの男はタキシードを着ていた。一部自分と同様のスーツもいたが、身体のラインがよく分かる服装が揃うと、「白人とアジア人」の差は顕著だった。みんな大人っぽく、まるで普段着慣れているかのように、フォーマルな服装がなんと似合うことか。肩幅や脚の長さが全く違う。鏡の前で「いい感じじゃん?」と思っていた自らを思わず殴りたくなった、その瞬間。

Lが私の肩を叩いた。普段は肩までの金髪を丁寧にカールしてアップにまとめ、淡いイエローベースのドレスを身に纏っている。
いつもは子どもっぽい表情を見せることも多い彼女だが、その日は異様に大人に見えた。いや違う。とても綺麗だった。

彼女の姿を見てどのように声を掛けて褒めるか、脳内で予行練習は行っていた。だが、あまりの衝撃を受けた時、人は語彙を失う。絞り出した私の言葉はアホなほどベタであった。もし今あの場面にタイムスリップしたら、確実に自分をはたき回すであろう。

“You're …… so beautiful ! ”

その言葉を聞いたLの顔は、タレ目がキュッと細くなる、いつもの可愛らしい笑顔に戻った。知ってる彼女だ。緊張がふっと解けかけた。そして、彼女はこう言ったのである。

“You look like a pimp ! ”

ピ ン プ ? 

いや、意味は知っている。原義では「ポン引き」や「売春斡旋業」を表す名詞だが、スラングでは褒め言葉的に「色男」「色っぽいイケメン」的な意味として、話し言葉で頻出することは。

以前、学校にベージュのタイトジャケット、胸ポケットには赤黒いフレームのサングラス、下は細身の黒いパンツという “イキった” 格好で登校した際、周囲(主に男ども)から「ピンプやん!」と冷やかされたことがある。
アジア人だからといって舐められないよう、精一杯のお洒落をしていた私にとって、そう呼ばれるのはなかなか誇らしいことでもあった。

だが、その時周囲にいたのは、スーツ&タキシード姿の「絵に描いたような」正統派の白人イケメンたち。そんな彼らを前に自信を失いかけていた私には、“pimp” という言葉が英語ですらない未知の言語のように聞こえた。

一瞬の後、褒められていることに気付き、ありがとうと述べた後、私は芸もなくbeautifulを繰り返した。よく覚えていないが、JやDはニヤニヤしていたかもしれない。

今思えば、あれはLの、私への「好意と気遣い」を最大限に込めたジョークだったように思う。

“cute” ではなく “pimp” 。

日本人という異物の立場に緊張するボーイフレンドを、際どい褒め言葉で喜ばせ、「ちゃんと異性として見てるよ」とメッセージを込め、かつ和ませようとしてくれたのだ。Lは確かに可愛い。だが、それが本質ではない。
たぶん彼女はとても、優しかった。

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#7:プロム当日②/ふたりの写真とパーティー本番

“Difference : But You Wear It So Well”

今でも、その写真は手元にある。
レストランのテラスで撮った、Lと私の仲良く肩を寄せ合ったツーショット。ドレスとスーツ、非日常。フォトジェニックなテラス、背景の光。そしてドヤ顔。

私はレンズを見据え、ほんの少し顎を上げている。Lに言われた通り “pimp” たろうと心がけつつ、カメラに視線を向けた結果である。

時系列は前後するが、ホストブラザーにして友人、偉大なるサブカルの師でもあったJAに教えてもらったことを思い出す。

ある日の下校時、車の中で私は、英和辞書で覚えたての “swinger” なる単語を披露した。「クールなやつ」って意味らしいから、次から使ってみようかなと。

彼は運転席で笑いながらこう言った。

“That works, but we don't really use ‘swinger’ anymore. That's quite old. Say ‘pimp’, man.”
(うーん、意味は通じるけど、もうswingerは使わない。それは死語だな。pimpのほうがいいぜ)

あの時の彼の言葉は一種の啓示だった、というと大袈裟か。

pimp。決して品のいい言葉ではない。だけど、あの国のティーンたちにとっては「ちょっと悪くて、色気のある男」の称号。それをLは私に贈ってくれたのだ。

撮られるのは嫌いじゃないが、異物である自分がこの空間に溶け込めているかは分からない。でもあの一枚の私の表情には、「その瞬間だけは溶け込めていたかもしれない」という願いが透けて見える。

JAが教えてくれた「生きたスラング」に、Lの気遣いと好意混じりのジョークが、背中を押してくれていた。
だから私は、私の考える “pimpっぽい” ポーズを、精一杯に演じた。

他の州がどうなのかは知らないが、私のいた地域の場合、プロム会場はハイスクールではなく、公民館?のような、とにかく別の建物だった。
プロムは「ティーンが大人になる通過儀礼」的な意味もあるので、レストランでの食事も、高校とは別の場所でのパーティーという形式も、何か「あの国の教育要領」に根ざした意味があったように思う。

私は「紳士であれ」と頭の中に言い聞かせながらLへ左腕を伸ばした。彼女はとても自然に腕を掴み、絡ませ(いくら自称Nerdだろうと、やはりアメリカ人である)、彼女の歩幅に合わせ会場入りを果たした。

そこはまさに映画で見た世界だった。煌びやかな装飾、ライティング、ステージ、DJ。レストランで感じた以上に「大人っぽい」世界。見知った顔も大勢いた。パーカッションセクションの先輩であるMやAも。当然だ、彼ら4年生が主役のパーティーなのだから。

当然、Aは私とL、両方を知っている。バンドクラスの仲間にして、何しろ以前の「バスでのキス事件」の目撃者だ。彼もパートナーと腕を組みながら、私たちを見てウインクしてくれた。「頑張れよ」とでも伝えるかのように。凄まじく格好良かった。日本人にウインクの習慣がないことを、恨めしく感じたことを覚えている(※)。

またしても余談だが、Aはバンドクラスのスネア・エースのひとりにして、一般的に「Jocksに近いカースト上位」とされる演劇クラスの主役級を兼任していた(一度JAと観に行ったことがある)。彼の陽気な振る舞いや色気のあるウインクなどは、明らかにそこに起因していたと考えている。

Lと初めてのキスを交わした時と同じく、プロムの記憶はなんだかフワフワしていて、詳細は記憶の霧の奥にうっすら見える程度だ。なのでこれからは「思い出せる範囲での」描写になること、ご了承いただきたい。
「今年のプロムキング&クイーンの発表!」みたいなイベントもあったが、殆ど覚えていない。知らないカップルだったし、何より大事なのは目の前の女の子なのだから。

MCのアナウンスと共に最初の曲とダンスが始まった。フォックストロットだったかエイトビートだったか、ドラマーの私には「リズム」単位でしか思い出せない。
というかJのアドバイス通り、「ドラムセットのキックみたいなもん」を意識していたからしょうがない。まずは4年生が踊り始め、その後を追う形で私たちもフロアへ足を踏み出した。

遥か昔に日本のテレビで見た社交ダンスを意識した真似事で、私はステップを踏み始めた。周りなんて気にする余裕などあるはずもない。彼女の足を踏まないように、(ドラマーの意地として)決してリズムを外さないように、マルチタスクをこなしていたから。

「踊れてる。さすがドラマー」

Lが私の耳元で囁いた言葉(突然のことだったのでビクッとなったのは秘密)にありがとうと返しながら、私も「君も。さすがフルート」と返した。「いつも綺麗だけど、今日はもっと綺麗だ」とも。私がこんなに気障な台詞を吐けるとは。
……書いていて、小っ恥ずかしくてたまらん。鳥肌が立っているが、書かないとその空気が伝わらないだろうからしょうがない。

場の空気にあてられて、いよいよ “pimp” も板に付いてきたかと思い始める。というより、今までのアメリカ生活の積み重ねによって、私はひとつの解に到達していた。

感じたことは正直に、大きな声で主張せよ。まるで演じるように。人(特に異性)を褒める時は、思ったことの百倍の言葉で飾れ。

もし読者の中にこれからアメリカに留学する方がいるとしたら、上記は絶対に意識することをお勧めする。その生き証人が私だ。

やがてDJがもっとアップテンポなナンバーを流し始めた。Janet JacksonやDaft Punkがその中にあったのは確かに記憶している。

One more time, we're gonna celebrate
Oh yeah, all right, don't stop the dancing

確かに Daft Punkの《One More Time》はこの場にふさわしい。2000年代初頭の大ヒットダンスチューン。松本零士が手掛けたMVも相まって、私も大好きな曲だった。青春の象徴である。
周りの踊りも狂熱を増してくる。もはやリズムやムードを気にする段階ではない。踊るというよりも暴れ回って、汗だくな私たちは笑いながら、飲み物を確保しようといったんフロアを離れた。

JとDはまだ踊っていたと思う。目線に気付いたのか、Jも私たちのほうを見てウインクしてきたので、私は間抜けにも手を振った。
Aといい、なんでこいつらはいちいちジェスチャーが格好良いのか。羨ましいぞ、白人め。目標にするにはあまりに遠く、明らかに眩しかった(※)。

※なお、JとDの板挟みになるゴタゴタ話もあるので、それはまた外伝など別の機会に。……友情とは、かくも面倒で、かくも美しい。

pimpと異物の境界線を行き来していた私は、曲が落ち着いたchillyなナンバーになったのをきっかけに、Lを誘って再びダンスフロアに戻った。

アメリカにも同調圧力は存在すると強く悟ったのは、もしかするとこの瞬間が一番だったかもしれない。スローなリズムとライティングによって、周囲には明らかに今までとは違う、“love” なムードが漂っていた。
「空気を読む」という日本語が流行るのはこの時代より未来の話だが、「無理やり」英語にするならこうだ。私だって成長していた。

After struggling through school life,
I finally learned how to make a difference,
and how to “read the atmosphere”.
(学校生活にもがきながら、他人との違いを作ること、「空気を読む」ことを私はついに習得したのだ)

Lがもっと近く、甘えるように身体を擦り寄せてきた。
私は選択を間違えなかった。

長いキス。
周りの目なんて気にしてたまるか。ここはふたりだけのステージだ。

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📝 次回予告

後編は、帰国が迫ってきた私の「終活」、Lとの関係をどうするのか、そして獲得した、とある「アワード」を中心に描きます。

⇒後編(本編完結)投稿しました!

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