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なぜアメリカ人はアルデンテを知らないのか:文化人類学的に見た “デロデロ茹で過ぎ” 大国の謎【ひとりごと】

#0. はじめに:あたしゃね、デロデロの麺が嫌いなんじゃい!

アメリカへの高校留学時代、提供される麺類は、いつでもどこでも何でも、例外なくデロデロに茹であげられていた。
パスタだろうがマッケンチーズだろうがカップヌードルだろうが。

フォークで持ち上げると、まるで博多うどんの柔らかさすら凌駕した何か。
いや、もはや麺のミイラである。

なのでカップ麺(ミートボール入り)を推奨時間より短く食べ始めたら、友人たちは驚愕の目で私を凝視するのだ。

彼らは言う。
「カップヌードルの食べ方知らんのか」と。

バカ言うでねえ。
カップヌードルの発祥は日本じゃ!

アメリカの人々は「これをアルデンテだと思っている」というより、どうも「アルデンテ自体を不快なテクスチャー」だと感じているらしい。

なぜアメリカ人は、わざわざ麺の食感における「抵抗感」を消し去るのか。
なぜ彼らは麺の歯ごたえを快楽としないのか。
個人的に考え始めたら、文化人類学の沼にハマってしまった。

ここからは、私の妄想に近い見解である(なお、ラーメン啜りながら思いついたテーマですのでそこまで深くないかもです)。


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#1. 食文化と「噛む」ことの関係

パスタの聖地に住まう人々、イタリア人にとって「噛む」は楽しみである。

麺を歯で切ることで麦の甘みを感じ、噛みしめるほどにソースとの一体感が増す。
アルデンテは「調理法」であると同時に「文化的態度」だ。
彼らに一度デロデロの麺を提供してみるとよい。
アイデンティティの否定だとばかりに傷つく。

一方、アメリカ人に「噛む」は苦痛である。
ベビーフードの延長かのように。

歯ごたえの残るステーキはあらかじめナイフで切り裂き、柔らかくする。
ピザのクラストもイタリアのそれに比べて遥かにふわふわ。
マカロニはチーズの液体に沈めて飲む
(すなわちこれがアメリカの国民食、マカロニ・アンド・チーズ)。

そこにあるのは「咀嚼の楽しみ」ではなく、「いかに素早く飲み込めるか」という快適さ。そのためにソースが主役になることを優先し、より柔らかく茹でる傾向があるのだ。

つまり

イタリア=「抵抗を楽しむ文化」
アメリカ=「抵抗を嫌う文化」

とまとめることもできる。

そして日本は、ラーメンなどで「抵抗を翻訳」してきた文化。
歯ごたえと出汁の融合で、「噛む楽しみ」と「飲む快適さ」の両方を体現している。

日本にアルデンテという概念が入ってきたのは1990年代のことで、それまでは日本人も「パスタに限っては」デロデロに茹でていた。
どうも「スパゲティは啜って食べるものではない」というマナーが先行輸入されたがゆえに、「啜ることで生じる喉越し」を軽視していたように思う。

だが、「どうも本場にはアルデンテという概念があるらしいぞ」という説が国中を席巻して以降、パスタは讃岐うどんや蕎麦などと同じく、「噛み応えと喉越し」を重視する食物へと咀嚼された。

つまり「あらゆる食文化をほぼ抵抗なく呑み込む」日本の文化的態度と、「炭水化物は主食」という概念のハイブリッドこそが、日本でアルデンテが受け入れられた背景だ、とまとめられないだろうか。

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#2. 麺は「主食」か「付け合わせ」か

日本人やイタリア人の麺は「主役」だ。
ラーメン、蕎麦、パスタ……いずれも麺そのものが「食べる対象」であり、噛み応え・舌触り・喉越しが評価基準になる。

だがアメリカ人(そしてイギリス人にもしばしば当てはまる)は、麺を「主食」ではなく「ソースや具材の運び屋」、つまり付け合わせ or 野菜の一種として見ている。
だから彼らにとってアルデンテは「バランスを壊す異物感」であり、むしろ「ソースとの同化」こそが理想的な調和になる。

ここに「メルティングポット(人種のるつぼ)」の価値観が顔を覗かせる。

個々の文化的要素の個性がカオスを形作っているこれらの国々では、各々の主張をいちいち立てているだけの調和性も、治安的余裕もない。
文化的摩擦は放っておけば雨後の筍のようにあちこちから芽を出す。

結果、せめて食べ物だけでも、「全体として混ざり合い、調和している」ことに重きが置かれる。
麺は主役を張らない。むしろ自己主張せず、溶け合うことに意味がある。

つまり、「麺デロデロの肯定」は 「安全志向」 とも言えるかも知れない。
固い=危険、柔らかい=安心。
この辺りは、ミルクでふやかす前提で設計された朝食のシリアルや、歯ごたえ皆無のオートミールのポリッジ(粥)にも同じことが言える。

ちなみに私はオートミールのお粥、好きです。
ハチミツをかけると意外と合います。

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#3. まとめ:噛み応えひとつにも人類学的態度がにじみ出る

まとめるとこうだ。

●イタリア=「抵抗を楽しむ」文化(アルデンテ=噛む抵抗感)
→ 彼らの恋愛態度にも代表される、「抵抗されても主張すること」という価値観の体現

●アメリカ=「抵抗を嫌う」文化(食べやすさ・スムーズさ重視)
→ 文化的摩擦が起きやすい環境での、「コミュニケーションのスムーズさ」の体現

●日本=「中間を翻訳して取り込む」文化(和風パスタやラーメンで消化)
→ 文化的に理解不能なものでもなるべく咀嚼して、「理解可能なもの」へと変貌させる文化の体現(「ナポリタン」「納豆スパ」「明太子クリームパスタ」などは全て「世界のどこにもない謎和風パスタ」である)

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……前述の通り、これはかなり筆者の主観が入った、妄想に近い論だ。

もし間違っていたり、追記できる事項があれば、ぜひご意見をお寄せいただきたい。

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