八百万の神からVTuber、そしてAIへ:「人格分散国家・日本」の感情OS史【ミニマル宗教国家・日本④】
国家的宗教の教義に左右されず、キャラクターや推しへの「軽い信仰」が当たり前に許される、『ミニマル宗教』国家・日本。
シリーズの①〜③から続く本章では、そんな空気がなぜ成立したのかを「歴史・神話からつながる現代」の観点から分析してみる。白銀ノエルのゆるーい「歌ってみた」を聴きながら。
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#0. 日本人はなぜ万物を人格化するのか
日本文化を他文化と比較して見ていると、ひとつ不思議なことがある。なぜ日本人は、ここまであらゆるものを「人格化」するのか。
この癖は遥か昔から続いている。
山にも神がいる。川にも神がいる。
道具にも魂が宿る。動物はしゃべる。
語尾ですらキャラになる。
自治体にはゆるキャラがいる。
企業にもマスコットがいる。
初音ミクは歌い、旧ジャニーズは踊り、VTuberは配信し、AIキャラとは会話する。
これは単なる「かわいい好き」では説明しきれない。もっと根本に、日本人独特の「感情処理システム」のようなものがある気がする。
日本とは、感情を人格化して管理する文明、と定義付けられるのではないだろうか。
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#1. 八百万の神という「分散型OS」
日本の宗教感覚を考える時、「八百万(やおよろず)の神」という発想は非常に重要だ。
一神教的な世界では、巨大な意味の中心がある。
唯一神。絶対的な教義。大きな物語。
世界全体を説明する枠組み。
一方、日本の宗教OSはかなり分散型である。
山に神がいる。川に神がいる。
岩に神がいる。道具に魂が宿る。
家にも、土地にも、天気にも、食べ物にも、何かしらの神的な気配がある。
つまり、日本人は昔から「大きな唯一神」よりも、「そこら中にいる小さな人格」に感情を預ける文化を持っていた。
この分散型の感覚が、そのまま現代のキャラクター文化へつながっているのではないか。
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#2. 付喪神から擬人化へ
「付喪神(つくもがみ)」という発想も、日本人の人格化文化を考えるうえで核となる。
長く使われた道具に魂が宿る。
これは、かなり日本的な考え方である。キリスト教文化を背景に持つ欧米では、「道具そのものへ人格」を感じるという発想は、実は直感的には理解しづらい概念。少なくとも一般的ではない。
我々にとって「もの」はただの物質ではない。
使い続けることで、関係が生まれる。関係が生まれると、そこに人格のようなものを感じる。
この感覚は現代の擬人化文化と地続きに見える。
艦船が少女になる。
刀が青年になる。
競走馬が少女になる。
血小板が幼女になる。
国がキャラクターになる。
企業も、自治体も、駅も、空港も、何かしらの人格をまとっている。
日本では「理解すること」と「人格化すること」が近い。難しいもの、遠いもの、怖いもの、巨大なもの。それらを人格化すると、関係を結べる。
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#3. キャラは感情の外部保存装置である
前回までの記事で、私は『ミニマル宗教』や 『マスコット超大国』という話をしてきた。
それらをもう少し抽象化すると、日本人は感情をキャラクターへ外部保存する文化を持っていると言えるかもしれない。
不安を、ちいかわへ。
疲労を、リラックマへ。
自己肯定を、コウペンちゃんへ。
居場所のなさを、すみっコぐらしへ。
孤独を、VTuberへ。
共同体の記号を、推しへ。
感情をそのまま言葉で扱うのではない。人格へ預ける。これが日本のキャラ文化の根底にある。
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#4. 欧米は物語へ、日本は人格へ
もちろん、他の国にもキャラクター文化はある。
しかし、感情処理の置き場所は少し異なる。
アメリカでは、ネガティブ感情は「物語」そのものへ置かれやすい。トラウマ。復讐。再生。敗者の成功。自己実現。ヒーローになる物語。
感情は、ストーリーの中で浄化される。
イギリスやフランスでは、皮肉や芸術や知性化へ向かいやすい。人生はしんどい。だから笑う。だから皮肉る。だから作品にする。
一方、日本は、感情を小さな人格へ分散させるのが得意だ。物語で大きく浄化するのではなく、キャラクターで小さく受け止める。
だから、日本のキャラは日常へ入り込む。
映画館の中だけではない。机の上にいる。スマホの中にいる。LINEスタンプになる。ぬいぐるみになる。駅や市役所にもいる。
日本のキャラクターは、言ってしまえば「常時接続型の感情インフラ」なのだ。
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#5. VTuberは「人格分散国家」インフラの最新形である
この流れの先にVTuberがいる。彼ら/彼女らは、単なる配信者でも、単なるキャラでもない。
声がある。人格がある。物語がある。
日常がある。コメント欄がある。共同体がある。
マスコットよりも人間に近く、アイドルよりもキャラクターに近い。
つまり、VTuberは日本の人格化文化のかなり高度な到達点である。
神でもない。人間そのものでもない。
キャラクターだけでもない。
しかし、感情を預ける対象として機能する。
これはかなり「日本的」だと思う。
八百万の神、付喪神、擬人化、ゆるキャラ、初音ミク、VTuber。この流れは、決してバラバラではない。すべて「人格化された感情インフラ」という一本の線でつながっている。
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#6. AIキャラ時代の日本文化
さらにこれからは、AIをキャラクターとして受容することも、この流れに入ってくるだろう。
話しかけられる。返事がくる。自分を覚えている。日常的に相談できる。感情を受け止める。
これは、日本の人格化文化と非常に相性がいい。日本人は、もともと「人間ではないもの」に人格を感じることに慣れているからだ。
神。妖怪。道具。キャラクター。推し対象。VTuber。AI。人間でなくても、関係を結べさえすればそのまま人格になる。
『攻殻機動隊』のタチコマのように、人間ではない兵器へ人格や愛着を感じる発想。
『PRAGMATA』のディアナのように、人とAI少女が関係を結ぶ物語。
さらに「AIと結婚する」という感覚が生まれたのが日本という事実も、かなり示唆的である。
この感覚は、AI時代にかなり強い文化資産になるかもしれない。
もちろん欧米にも映画『her』のように、AIへ愛着を抱く物語はある。
ただし、あれはAIが日常に住み着くというより、孤独な個人がAIとの恋愛を通じて自己理解へ至る「物語」である。
欧米では、AIへの感情すらまず物語として処理される。一方、日本ではAIやキャラクターが、もっと小さく、もっと日常的に、机の上やスマホの中へ住み着く。
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#7. 日本とは、感情を人格化して管理する文明である
ここまで考えると、日本のキャラクター文化は、単なる娯楽産業ではない。
日本人がどのように世界を理解し、どのように感情を処理し、どのように孤独を和らげてきたかを示す、巨大な文化システムなのだ。
唯一絶対の神を作らなかった代わりに、無数の小さな人格を作った。
大きな物語に救済を求める代わりに、日常へ小さなキャラクターを住まわせた。
重い宗教共同体へ属する代わりに、軽く巡回できる推しやマスコットやVTuberへ感情を預けた。
だから日本は「人格分散国家」なのだと思う。
日本とは、感情を人格化して管理する文明なのかもしれない。そしてその文明は、八百万の神からVTuberへ、さらにAIキャラへと、今も形を変えながら続いている。
だから私にとって、コウペンちゃんは天使であり、白銀ノエルは女神なのだ。
いったん本シリーズはこの記事で〆ですが、また何か思いついたら書くかもしれません。
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