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118.ユダヤ人教皇アンドレアス

画像は以下のサイトから転載。

https://artsupp.com/en/artists/carlo-maratta/san-bernardo-ricompone-lo-scisma-tra-innocenzo-ii-e-vittore-iv-antipapa


アナクレトゥス二世

前回は有名な叙任権闘争についてお伝えしました。

一一三〇年に教皇ホノリウス二世(一〇六〇年~)が死去したあと、枢機卿団は後継者問題で分裂しました。

叙任権闘争は、このホノリウス二世の働きかけによって起きた争いでした。もちろん教皇となる以前で、本名ランベルト・スカナベッキ枢機卿としての仕事です。

ホノリウス二世は、トロワ公会議においてテンプル騎士団を承認した教皇でもありました。

後継者問題は異例の事態だったのですが、教皇選挙は八人の枢機卿に委ねられました。

この枢機卿たちが選んだのは、次代教皇のインノケンティウス二世(一一四三年~)です。

インノケンティウス二世

ですがその後、より大規模な枢機卿団がアナクレトゥス二世(生年不明)を選出しました。これによってローマカトリック教会は大分裂に陥りました。

アナクレトゥス二世はローマ市民の大半の支持を得ていたので、インノケンティウス二世はフランスに逃れることになりました。

その後インノケンティウス二世は、アルプス以北で、クレルヴォーの聖ベルナール、クリュニーの尊者ピエールドイツ王ロタール三世(一〇七五年~)の決定的な支持を得ました。

聖ベルナールや尊者ピエールについては以前お伝えしています。

クレルヴォーの聖ベルナールを含むアナクレトゥス二世の敵対者たちは、アナクレトゥスのユダヤ系の血筋を攻撃材料としました。

そして敵対者たちは、アナクレトゥスがユダヤ人の助けを借りて教会を略奪した、さらには近親相姦を犯した、として告発しました。

このアナクレトゥス二世は、「ユダヤ人教皇アンドレアス」というユダヤの伝説と結びつけられています。

教皇アンドレアスの伝説

悔悛の典礼文の中から発見された古いスペインの文書によると、教皇アンドレアスはユダヤ人でしたが、キリスト教徒になったあと、卓越した功績によって枢機卿となり、そして教皇まで上り詰めた、ということです。

アンドレアスの在位中、ユダヤ人に対する誹謗中傷が持ち上がり、迫害の危機が差し迫っていました。

その危機的状況において、教皇アンドレアスはユダヤ人を擁護する演説を行い、民衆の激情を鎮めることに成功しました。

そしてユダヤ人に感謝されました。

ユダヤ人はことあるごとに感謝しています。アレクサンドロス大王もユダヤ人に好意的だったので感謝されていました。

アリストテレスは、アポロンからゼウスに至るまで、神々の話はすべてつくり話であることを知っていた。アリストテレスの生徒であるアレクサンドロスもまた、そう信じていた。
アリストテレスのおかげで、アレクサンドロスはユダヤ人に好意的だった。

https://www.jewishhistory.org/alexander-the-great/

ユリウス・カエサルもユダヤ人に好意的で、ユダヤ人からも好意を寄せられていました。

著述家フラウィウス・ヨセフス(紀元後三七年~百年ごろ)は、著書『ユダヤ古代史』で、ユリウス・カエサルについて頻繁に言及しています。

(ユリウス・カエサルいわく)このような理由から、わたしはアレクサンドロスの子ヒルカノスとその子らをユダヤ人の民族の長とし、かれらの先祖の慣習に従って、永遠にユダヤ人の大祭司職を与え、かれとその子らをわたしたちの同盟者とする。

https://gutenberg.org/files/2848/2848-h/2848-h.htm

有名なカール大帝もユダヤ系カトリックです。第一回十字軍の指導者ゴドフロワ・ド・ブイヨンはダビデの血統といわれていました。

全員ナイン・ワースのスタメンです。

伝統的な説によると、ユダヤ人教皇アンドレアスはEl-hanan(エル・ハナン)またはElhanan(エルハナン)と呼ばれ、マインツのラビ、シメオン・バル・イサク(九五〇年~)の息子です。

マインツといえばラシ・ド・トロワですが、エル・ハナンはラシ・ド・トロワの祖先で、ラビ・マヒル=カロニモスの家系に属していました。

カール大帝のユダヤ人名はダヴィド・カロニモス・ベン・アッバです。カロニモスはカールから発展した語で、カール(狼)、カールマン(狼男)という響きが野蛮だとされたため、マイルドな響きのカロニモスに変わった、という経緯があります。

カロリング朝がユダヤ系だという話は、歴史の先生に話しても信じないと思われます。

カロリング朝がメロヴィング朝と無理やり結びつけられているのは、ユダヤの血を隠すための捏造の結果です。

また上の質問者のように、ユダヤ人王国セプティマニアの存在もたいていは知りません。「なぜユダヤ人にナルボンヌを寄贈したのか」という奇妙な疑問が浮かぶほど、わたしたちの中のユダヤ人像は歪められています。

アンドレアスことエル・ハナンは、少年時代、ユダヤ教の安息日の夜中にキリスト教徒の女中によって連れ去られました。

エル・ハナンは、見知らぬ部屋で目を覚ましました。そして両親は死んだ、と告げられました。

その後は修道院に囚われの身となり、そこで教会の教育を受け、みるみる出世し教皇の地位にまで上り詰めました。

エル・ハナンは教皇アンドレアスとして、シメオン・バル・イサクを呼びました。チェスを打つためです。

教皇はゲーム中、シメオンが息子のエル・ハナンにしか教えていない手を使ったので、シメオンは驚きました。

教皇は我慢できなくなり、自分の正体を明かし、父を抱き締めました。

ちなみに自分の父親がシメオンなのをいつ知ったのかは不明です。

教皇=ユダヤ人

お伝えした伝説は、ユダヤ人に好意的だったといわれる教皇アレクサンデル三世(一一〇〇年ごろ~)に関連づけられることもあります。

ユダヤ人学者として最も著名なローマのラビ・ナタン・ベン・イェヒエルの甥は、教皇アレクサンデル三世の管財人を務めていました。

教皇アレクサンデル三世は、一一七九年のラテラノ公会議で、反ユダヤ法を課そうとする計画を打ち破り、ユダヤ人への支持を示しました。

そもそもカトリック教会の多くの指導者たちは、長年に渡ってユダヤ系の出自だと噂されていました。

対立教皇アナクレトゥス二世は、ユダヤ系ローマ貴族、ピエトロ・ピエルレオーニとして産まれました。この人はまちがいなくユダヤ系です。

アナクレトゥス二世の曾祖父バルークは、ローマの金貸しでした。

バルークは十一世紀半ば、互いに争っていた教皇とローマ貴族の双方に金を貸し付けることで富を築きました。

銀行屋は現在でも同じことをしています。そしてユダヤ人由来の伝説や楽しい物語(ストーリー)が、知るべき真実を歪め覆い隠しています。

バルークは野心によってキリスト教に改宗し、その際にベネディクトという名前に改名しました。

その後バルークは、ローマの貴族出身の女と結婚しました。

息子のレオ・デ・ベネディクト・クリスティアーノは、教皇派と皇帝派との対立において、教皇派の支持者の一人として名を馳せました。

ちなみにこのレオは、教皇レオ九世(一〇〇二年~)によって洗礼を受けたことに由来します。

レオの息子ペトルス・レオニスは、この名前が一族の家名になったのですが、自身の名を継いだ息子を聖職に就かせることを決意しました。

息子ピエトロ・ピエルレオーニは枢機卿になりましたが、対立教皇アナクレトゥス二世になったのは野心家の父が死んだあとでした。

ピエトロはパリで学び、クリュニー修道院でベネディクト会修道士となったあと、ローマに戻りました。

そして教皇パスカリス二世(生年不明)によって、一一一一年か一一一二年に枢機卿に任命されました。

ちなみにこのパスカリス二世は、第一回十字軍のあとの一一一三年、プロヴァンスのジェラール・ド・マルティギューに対し、騎士修道会として正式な承認を与えました。

これが中世ヨーロッパの三大騎士修道会の一つ、聖ヨハネ騎士団です。

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謎の賢人 この記事はリサーチにかなりの時間を費やしています。有料にはしたくないので無料で公開していますが、チップをいただけましたら精神的にも励みになります。