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ラサフラメナ 〈5. 憎めない〉

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アグニア文殿に差し込む朝の光は美しい。
グル・ユラは祈祷用の灰を整えていた。その隣でジェイドが静かに座している。彼は封書を開いたばかりだった。差出人は、ザフール星天都市――主星学院長からのものだった。

「彼らはまた、条件を聞き入れなかったか?」
グル・ユラが問うた。声は静かだが、香の影が一瞬揺れた。
「はい。『フラメナの巫女の夢見には、学術的裏付けが乏しい』とのことでした」
ジェイドは封書を畳みながら苦笑した。

だがグル・ユラは眉ひとつ動かさずに言った。

「彼らにとって、火も香も"測れるもの"ではない。だから、信じない。
⋯⋯いや、正確には"下に見る"。それが、ザフールだ」
ジェイドが目を伏せたまま口を開いた。
「師も、あの都市に留学していたと聞いています」
「そうだ。若かった私は、最先端技術の装置たちで確認する、星々の光に酔った。星々、すなわち神々が送る信号に、夢中になった。だがある日、教授にこう言われた。『君たちの霊火は、演出が巧みだねぇ』と」
「⋯⋯酷いですね」
「いや、酷くはない。それが彼らを彼らたらしめる態度だ。神域の池に静かに佇む蓮と、庭園で咲き乱れ香る薔薇は同じ場所に咲けない。事実、我らの火は"意味"がつきすぎてしまうことがある。こちらが意図せずとも。だがな、ジェイド。香は、計測できない深さで漂うから、香なんだ。夢は、手に触れることができず、距離が測れないからこそ、夢なんだよ」
「⋯⋯ザフールからは、こちらに留学生はあまり来ません」
「彼らは下りてこない。"燃える"ことを怖れている。だから、君が向こうに行ったとき、彼らを少しでも灯してくれるのでは?と、私は少し嬉しかった」
ジェイドはその言葉に返さず、ただ深く一礼した。

「前に話した通り、今回の留学生は計九名。そのうち男が四名、女が三名、申告なしが二名だ。八歳から十三歳。まだまだかわいい、子供だよ⋯⋯。ジェイド、どうか半年間、よろしく頼むよ」

香は言葉の隙間をすり抜け、若き火の名を知る者たちの間で静かに揺れていた。



「ジェイド様、ちょっと⋯⋯」
フラメナール見習いが、カーサプリアンカの書斎ドアをノックする。
「どうした、入りな」
「あの、今度の初火の儀でアーシャ様の男火となられる、ルベルアティア王国のミカール様から小包が届きまして」
「小包?」

小包は、銀だろうか。金属製のものに厳重に入れられている。

ーー断りの伝言か?こんな、直前に?

ミカールには何度もルベルアティアの領域に足を運び、直接顔を合わせて夢見の結果も伝えているし、なにより確かにアーシャを好きそうだった。顔を合わせて伝えるのが、憚られるような内容⋯⋯。だとしたら、断りの伝言くらいしかないだろう。

(まあいい、アーシャの初火が欲しいやつはいくらでもいる)

ジェイドは小包を受け取ると、封切りのマントラ『親愛なるあなたからの秘密を覗かせていただきます』と短く唱え、開き、きつく巻かれた手紙に目を落とす。

—親愛なる、ラサフラメナのフラメナール ジェイド様------------------------
こんなことをお伝え⋯⋯するのは大変無礼なことと承知しておりますが、アーシャ様の、儀当日の髪型なのですが、もし⋯⋯可能であれば、可能であればですが⋯⋯アーシャ様と私が、初めて出会ったときの、「フワッとしたお団子、そして耳の付け根やうなじから、柳のように髪筋が美しくなびいているスタイル」にお願いできないでしょうか?先日の夢見通達の際に、ジェイド様に面と向かってお伝えすればよかったのですが、どうしても⋯⋯恥ずかしく。可能であればで⋯⋯どうかお願いいたします。この手紙はラサフラメナの聖なる火の力をもって既読後、すぐさまお燃やしいただけますと幸いでございます。

尚、銀の小包に関しましては、お戻しいただかなくて結構でございます。
お納めくださいませ。

ルベルアティア王国 ミカール・ラ・ディ・ルベルアティア=ナスル=アル=イル =ファリディーン—------------------------------------------

ジェイドは手紙を読み終えた後、丁寧にきつく手紙を巻き直すと、香油に浸した。そして"聖なる火"を着けて一気に手紙を灰にした。

まるで最初から手紙など存在しなかったかのように。


――――アーシャの初火を競り落としたのは、隣の国のルベルアティアの王族、ミカールだ。

ミカールは三年ほど前、アーシャがまだフラメナーラ見習いだったとき。
プリアンカ庭園で炭占いを受けた。

アーシャは夢見の精度も長けてはいたし、外界に夢を伝えるためジェイド他、優秀なフラメナールの力も借りてはいたが、それでも「夢の像を自ら言の葉にする」という行為は、フラメナーラとして将来立派に立つためには必要なことだった。ラサフラメナの炭占いとは、炭の色、音が鳴るタイミングから、インスピレーションを得る占いだ。

ミカールの相談は、《飼っている猫たちが次々と突然死してしまう。少し前には三匹目が死んでしまった。何が原因か?》であった。

「みんな、突然いなくなってしまったんだ。まばゆい宝石も、贅沢な食事も、もうなにも、私に喜びを与えてはくれない⋯⋯。父上はね、『猫なんていくらでもいるだろう。また連れてくればいい』って、言うんだ⋯⋯。でも、私にとってはあの天使たちの代わりなど、どこにもいない」

ミカールの目はまっすぐだ。
しかし、深く沈殿するような哀しみが滲んでいた。

アーシャはじっと炭占い用香炉の様子を観察する。
(今日の炭は⋯⋯やけに白い)
耳を澄ませ、炭の中に潜む火の声を聴く。
香木が、熱によりギュッと縮む音の中にかすかに、

「花⋯⋯」「水⋯⋯」と囁く声が聴こえてきた。
アーシャは頭の中の映像を、糸を紡ぐように繊細に唇から紡ぎ出していく。

「ミカール様⋯⋯猫ちゃんがいる部屋⋯⋯の中に、白い―――花―――?しら、ゆり⋯⋯?白百合は⋯⋯ございませんか?」

その瞬間、別の幼巫女が給仕中にバランスを崩し、アーシャの炭占い香炉の中に水をこぼしてしまった。

ジュー⋯⋯

火が、急速に死んでいく音がする。

「猫ちゃんたちが天に行ってしまう理由、白百合!白百合そのものと、白百合を生けている水が原因です」
「白百合!生けている」

アーシャは風の強い日、長い髪をゆるくお団子にした。その日はおくれ毛が、柳のようにしなやかに風に揺れ、アーシャの肉付きの良い唇と白い歯をいじらしく隠していた。プリアンカ庭園の白百合と同じ、白。

ミカールは、その時から「必ずやアーシャの初火を手に入れる」と決めていた。

――――――――――――――――――――――――――――――――

「ミカール⋯⋯君はどこまでも礼儀正しくて、憎めないやつだな。困るよ」
ジェイドは誰に聞かせるでもなく、静かに独り呟いた。

廊下から、聞き慣れた足音が聞こえてくる。

「ジェイド〜!焼き立てのカルダモンのロールパン食べようよ」
いい匂いをさせながら、アーシャが書斎のドアを威勢よく開けて入ってきた。

「ありがと、うまそ」
「ミントティーも淹れようよ」

「⋯⋯アーシャ、これ。お前の儀式の時間、出しておいたぞ」

ジェイドは机の上の棚から手帳を取ると、四角いマスと斜線が特徴的なページを開いた。占星術のホロスコープだ。

「あんまり陰湿だったり、乱暴な男火の相手は今後したくないだろ?まぁ霊火がそんなやつの侵入は拒否するから、大丈夫だと思うけど⋯⋯。だから、取引相手を表す七室にラーフ・ケートゥとか土星とか、特に火星とかの影響が少ないように調整しておいた。あと、「稼ぎ」な?収入のハウスである二室の良さは絶対だ。だからここに木星の影響も月の影響も入るようにもしておいたから。お前はよく食う。ここが充実してれば食いっぱぐれることはない。上品さも色気も、どっちも使って頑張るんだぞ。ミカールにはこのホロスコープが形成される時刻に、祈祷室に入ってもらう」

ジェイドは照れているのか、サラっと早口で目を逸らしながら言ったが、アーシャはこの占星術による時刻の選定がどれだけ難しく、どれだけ神経を使う繊細な行いなのかをよく理解していた。

「⋯⋯ジェイド⋯⋯ありがとう」
アーシャはジェイドに抱きついた。
(いい匂い)
ジェイドからはベチベルの香りがする。深くて、ほろ苦くて、根を張るような力強さを感じる大地の香り。

「ああ、それから初火の儀のときの髪型なんだけどさ。髪結って、アップにしたほうが"巫女感"出ていいぞ」
「?⋯⋯ふわっとお団子にして⋯⋯一部耳の付け根やうなじから柳のように、髪筋を垂らすやつ?なんだっていいけど?」
「よし。じゃあ、それで行こう」
「おっけ〜!わかったわ」

アーシャは初火の儀までとにかく女体を磨く。
この季節限定、五惑星パンチャ・グラハ温泉の、薔薇づくしになった金星シュクラ湯に向かっていった。


—ルベルアティア王国—―――――――――――――――――――――――――――――――――
ルベルアティア王国はラサフラメナから西に位置する山岳地帯に広がる貴石と美の王国である。国土のほとんどが鉱脈と貴金属の加工職人の村々で構成され、王宮は鉱石そのものの輝きを封じ込めた建築美を誇る。

国民は宝石の色、形、カット、組み合わせによって、あらゆる感情や想いを伝える術として誇っていた。

ルベルアティアにおいての美とはすなわち、"誰の目にも明らかに見え、手で触れられるもの"であり、時間と技術を尽くして加工することが神性に近づく手段とされてきた。

この思想はラサフラメナの霊山霊火文化とはある意味正反対に位置している。ラサフラメナでは目に見えない手に触れられない香と夢、そして自然そのままの霊草や火の在り方を愛しており、人工的に磨かれた装飾は"霊性を濁らせる"ものとされているからだ。

特に巫女〈フラメナーラ〉は、加工された宝石を身につけることで体調を崩したり、夢見の精度が下がったりするとされるため、基本的に研磨前の原石に近い状態のアクセサリーして原則として身につけない。

そんな文化の壁を知りながら、ラサフラメナに強い関心を抱いたのが、ルベルアティア王族の一人—— ミカール・ラ・ディ・ルベルアティア =ナスル=アル=イル=ファリディーンである。

彼は王族の中でも異色の存在。

贅を尽くす国にあって、装飾を身につけない時間が長く、自ら原石を観察し、鉱石の"未加工の魂"を愛でることを好んでいた。
礼儀正しく孤独を愛し、ラサフラメナの霊的な香や夢の世界にも強い関心を寄せていた。

アーシャの初火の儀が告知されたとき、ミカールは自らが持てる財産、高額な捧げ物を惜しまず差し出し正式に競り落とした。しかしその態度は、欲望や征服のためでは到底なかった。彼はアーシャの夢見や香りに「宝石より透明で澄んだ輝き」を感じていた。
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