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闇 637(29歳と52歳編)

闇 637(29歳と52歳編)

2026/08/09 sun
※人気も無く金にもならず、ひたすら己の信念だけで毎日素振りを続ける行為。この型が自身へ何を及ぼすのだろうか。
前回の章


二千二十四年二月二十一日、水曜日友引。

フェイスブックの二年前の思い出
ビストロ岡田のロールキャベツとサーモンクリームコロッケが表示され、去年の九月に亡くなってしまったマスターを偲ぶ。

2022/02/21 川越市仲町 ビストロ岡田

もうこれが食べられないなんて哀しいなあ……。

でもマスターさ…、俺実はこっそりパクって作っているからね。
デミグラスソースのロールキャベツを。

すっかり再現できている訳じゃないけど、自分なり努力して改良に改良を重ねているんだ。

元々料理人でも何でもないけど、若い頃から慣れ親しんだ味をいつか、きっとね。

そしてエスカロップも必ず再現するから。

数々の美味しくて素敵な料理をずっとありがとう。


二千二十四年二月二十二日、木曜日先負。

一年前、河本マンションでの異様な光熱費。
過去の思い出を見て、様々な後悔が湧き出てくる。


光熱費、先月四万超えたから料理もしなくなり節約してるのに今月も約四万。

これって戦争がやっぱ原因?
ほんと勘弁して。



この時もっと早く気付いていればなあ……。

そもそも一人暮らしで四万なんて金額が、行くわけがないんだから。
浅はかだった自分を呪う。

もう同じようなミスはしない。
物事の本質を見極めるようにならないと。


二千二十四年二月二十三日、金曜日仏滅、天皇誕生日。

池袋のちかが、王子のほうへ引っ越すという連絡が来る。
俺もここ数年で、アパホテル暮らしからラッキーホステル。
そしてアスクルームから河本マンション、自称俳優マンションとここ四年間でこれだけ移り住んでいる。
彼女の大変さが身に染みて分かった。

そしてやり取りの内容は俺の小説の話題になり、当時熱狂的だったファンに話になる。
当時の記憶で一番恐ろしかった事を出してみた。

『引っ越しはほんと面倒だよね。新たな何かが始まる幕開けでもあるけど。小説のファンです!から来て、その内どんどん面倒な事に巻き込まれそうになって、下手したら第一死体発見者になるところだったよ。 岩上智一郎』

ひだまりのプロフィール上の住所は、隣の県になっていた。
俺の小説の読者というのもあり、怖いけど邪険にはできない。
一定の距離を保ちつつ、適当にコメントがくれば返事をする。
そんな感じで俺はいた。
とある日、ひだまりからメッセージが突然届く。

『トモさん、川越に住んでいるのですよね?
新河岸って近くですか? できたら私のマイミクの黒龍さんがその辺に住んでいるんですが、様子を見に行ってほしいのです。 ひだまり』

「……?」
何だ、このメールの内容は……。
一瞬寒気が身体を貫いた。
ひだまりのマイミクである黒龍という男とは、まるで面識も何もなく、ただ住んでいる場所が同じ川越市というだけだったので……。
だが無視するのも失礼かと思い、俺はとりあえず差し障りないような形のメッセージを返す事にした。

『確かにその場所は隣の駅なんで、近くといえば近いですね。ただ、私とはまったく無関係の人のところへ何故行かないと行けないんですか? 岩上智一郎』

上記のようなメッセージを返すとすぐさま返事がくる。
『三日間連絡がまるでつかず、私がいくら連絡しても返事がない状態なんです。 ひだまり』
『まだ三日でしょ? それなら体調崩しているだけかもしれないし。そう神経質にならなくてもいいんじゃないですかね。 岩上智一郎』
『彼、持病があって、ひょっとしたら大変な事になっているんじゃないかと思うんです。 ひだまり』

「……」
ぶっちゃけるとこの時は、そんな事どうでもいいよという気分だった。
ひだまりの顔だって俺は知らないし、ましてやそのマイミクの黒龍なんて何の関わりもない。
それにひだまりは、自分で彼氏と半同棲みたいな感じで暮らしていると自ら書いているのに、何故離れた場所にいる黒龍の事をそうまで気にするのか?
そして何故、俺まで巻き添えにしようとする?
あまり関わりにならないほうがいいな……。

いや、関わらないほうがいい。
そう判断した俺は再びメッセージを打った。

『もし何日も連絡が取れないようなら、彼の家族が捜索願出すなり、直に部屋へ来るだろうから、放っておけばいいんじゃないでしょうか。 岩上智一郎』
『こんな事今までなかったんです! 三日も連絡ないなんて……。私、心配で心配で……。 ひだまり』

そもそも半同棲の彼氏いると堂々と公言しているのに、この女は何を言っているのだろうか?
今回のケースでいえば、ひだまりとハーフの彼氏、それに黒龍の三人。
何で俺がこんな関係に入らなきゃならないんだ。
やり取りをするのもうんざりだなと思い、少し厳し目のメッセージを打つ。

『確かに連絡つかず、心配する気持ちは分かります。ただ、見ず知らずの私が、何故そこへ行かないければならないという理由とは別のはずです。 岩上智一郎』
『トモさんしか頼れる人いないんです! 住所も書くのでお願いします! ひだまり』
そういって彼女は、黒龍の住む住所を書いたメールを送ってきた。

いや、だから何でそこに頼れるのが俺しかいないとなるわけ?
絶対におかしいでしょ?
確かに車で十分もあれば到着できるような場所ではある。
仮に俺がそこへ行った際、何をどう伝えればいいのか?
黒龍というハンドルネームしか知らず、ひだまりのマイミクというだけの俺が、そんな彼のところへ行ってどうするの?
メリットデメリットを考えるような性格ではないが、この件に関してだけは厄介な事しかない。
あとあと面倒なのはごめんである。

『ひだまりさんとはマイミクかもしれませんが、私とはまるで面識もないし、黒龍さんのところへ行く意味合いが見出せないでいます。私自身そんな暇して過ごしているわけではないですし、日々の生活もあります。執筆する事が私にとって第一の事なのです。なので申し訳ありませんが、お力にはなれません。 岩上智一郎』
まだ何かしらのメッセージがひだまりから来たものの、俺は返信するのをそれでやめた。

翌日になりミクシィを立ち上げた際、画面を見てドキッとした。
ミクシィというSNSは、マイミクが日記なり画像を更新すると、最初の画面に最新情報が提示されるシステムになっている。
ひだまりの書いた日記が、異様な数でアップされていたのだ。
あまりの多さに、俺は日記の一つを押し、内容を見てしまう。

すぐ理解できたのが、ひだまりのマイミクである黒龍は亡くなってしまった事。
部屋で病死していたらしい。

全身に鳥肌が立った。
もし昨夜、俺がひだまりに言われるまま黒龍宅へ向かっていたら、見ず知らずの男の死体と遭遇した事になるからである。
ひだまりの言う直感のようなものは正しかったわけであるが、それを拒絶した俺の本能も正しかったわけだ。
深く考えず新河岸へ行っていたら、俺が死体の第一発見者……。

『そなのよねえ…、楽しみと大変が。今週引っ越し終わったら来週バースデーもあるしメンタルやばい。え、どゆこと? ちか』

さすがにちかが混乱しだした。
無理もない。
分かり易く説明するようか。

『三十になる前の貴重な一年だから、悔いのないようにね! 小説のファンで応援してます→ ありがとうございます。彼氏がいるんですが、結婚願望ないんです→ うーん、それに関しては内々の話なので相談には乗れません
岩上先生、川越にいるんですよね? 新河岸って知ってますか?→ ええ、川越の次だから知ってますよ。今から言う住所に行ってほしいんですが、私のマイミクで数日連絡つかないんです…→ は? 俺に関係ないですよね、申し訳ないけど力になれません。数日後、その新河岸に住んでいる知り合いが病死で発見される→ 俺が行ってたら第一発見者になるところ。その後ミクシィでその女は、「私の事を好きって言ってくれましたよね。私もあなたの事好きでした」といった内容の日記を日々更新。関わりたくないなと無視していたら、何故かその女の行為が俺に向う……。ミクシィ放置。 岩上智一郎』

あれって何年の話だよ?

十数年前なのに、今思い出しても鳥肌が立ってきた。
時計を見ると、もう少しで十二時になろうとしている。


二千二十四年二月二十四日、土曜日大安。

『ありがとう。まじで一日一日噛み締めて生きていかんとなあと思うよ。それやばいね。恋愛相談もまずおかしいし、なんでそんなおかしなお願いしてくるんやろ…。勝手に向こうの脳内で変換されて彼氏になっちゃってたんかもね。それは放置するわ…やばすぎる。 ちか』

『思い返すと俺の強さでの全盛期って、二十九歳の頃なんだよね。一番いい時期だったと今でも思ってる。ちかも時間経って後悔のないよう頑張って下さい。応援してくれるファンは丁重に対応してたつもりだけど、さすがに怖かった。 岩上智一郎』

『そうなのか…! 二十九歳って一番輝く時期なのか…まじで噛み締めて生きんとなあ。アンテナはって意識せんとね。怖いよね。マジで虚言とゆうか妄想癖ある人怖すぎる…。ゼロを百にしちゃうよね。 ちか』

自分がちかの年齢の頃を振り返ると、ジャンボ鶴田師匠の訃報のあと、総合格闘技の試合へ出て暴れた最も勢いのある時期だった。

あの時中国人の蛇頭の集団に囲まれた時の胆力。
命を懸けて身体を張ったのは、あの時ぐらいだろう。

俺が食事休憩から店に戻ると、島村が困った顔で近寄って来る。
「岩上さん、川端が間違って入れてしまったんですけど……」
十四卓の台に一人の中国人が座っていた。
何度言いに行くもゲームをやめる様子がない。
「いいよ、俺が行ってくる」
「岩上さん気を付けて下さい。アイツ、確か蛇頭の一味ですよ」
蛇頭ってチャイニーズマフィアだったよな。
気にせず席へ向かう。
「お客さん! 申し訳ないけど、当店は日本人しか入れないお店なんですよ」
俺の声を無視したまま、ゲームを続ける中国人。
何度声を掛けても無視をするので、俺はOUTボタンを押し強制的にクレジットを0にした。
クレジット分のお金を渡し「これ持ってお帰り下さい」と伝えると、もの凄い形相で睨みを利かせ凄んできた。
「オマエ、歌舞伎町何年いる?」
「そんなの関係ないですよね? 日本人だけの店なので帰って下さい」
中国人は黙ったまま入口へ向かうがその先にトイレがあり、そっちへ入る。
出てきてまた席に行こうとしたので、身体を張って行かせない。
「おしぼり」
言われるまま推しウォーマーから取り出して渡す。
するといきなり俺の顔面目掛けて投げてきた。
「おい! おまえ何をしてんだよ?」
手でキャッチしたものの、その行為に感情的になる。
中国人は早足で出口へ行き、急いで階段を上がった。
あとを追い掛けて肩を掴む。
「歌舞伎町何年いる?」
気付けば中国人らしき集団に囲まれていた。
十人はいる。
「オマエ歌舞伎町何年いる?」
仲間が来たからか男はイヤらしい笑みを浮かべ、何度も同じ言葉を言ってきた。
俺を囲む全員がニヤニヤしながら片手をポケットに入れる。
武器も持っているぞというジェスチャー。
正直怖かった。
この人数で襲われたら絶対に勝てない。
「オマエ歌舞伎町何年いる?」
例の男はまた同じ質問をしてくる。
総合格闘技の試合まであと一週間。
何で俺は強さを目指してきた?
ここでへこたれたら、今までの事がすべて意味無くなる。
「そうっすよね、師匠……」
俺はそう呟いてから揉めた男だけ見て言った。
「やるならやれよ! ただな…、おまえの顔面だけは俺の拳で絶対に砕いてやる」
この男一人やれるなら、あとはどうなってもいい。
捨て身の覚悟。
これからプロレス界を少しはマシな方向へ持っていくんだろ?
それなら絶対に引くな。
引くくらいなら潔く死ね。
鶴田師匠に恥をかかせられない。
これまでの情念を目に込め、拳を握り近づく。
気付けば集団は男の命令で目の前から去っていく。
姿が見えなくなると、俺は一番街通りの道路で力無く座り込む。
これが腰が砕けるというやつか……。
島村が心配で駆け寄ってくるまで、俺は起き上がれなかった。
生きてる……。
店の階段を降りる時、全身に震えが走る。
武者震いというやつか。
俺はビビりながらも無事助かったのだ。

経験も知識も何もなく、己の肉体と勢いだけで突っ込んで行けたあの頃がとても懐かしく感じる。

極限まで覚悟をしたのは、そうそう人生でもない事だった。

あ…、あの恐ろしい事まで記憶が蘇ってしまったぞ……。

『肉体的には一番油が乗っていい時期だと思うから、あとは精神をそこへいかにうまく乗せていくかが鍵のような気がするね。前、夜中に執筆してたら部屋のドアをノックされたのね。夜中の二時くらい。しばらく様子見していたら、またノック。「……。は…、はい……」と声出してもまったく反応ないの。怖くて当時それをミクシィで書いたら、すぐコメントで例の子から「それ、私かも…。今思っていたから……」って来て、怖くて同級生にそれ知らせてる間に、そのコメントは削除されてたんだけど、思念と言ったらいいのかな。ほんと怖かった。 岩上智一郎』

『三十前後って焦燥感?が凄いってゆうから精神面がかなり重要そう…。不思議な体験やねえ…。それ怨念ならまだいいけど、その女の人が部屋に来てたらまじやばくない? うわ、書いてて鳥肌立ってきた。 ちか』

気付けば眠っていたようだ。
変に怖い夢を見た感じがしたが、何だったかよく覚えていない。

ちかへ返信しようとしてそのまま睡魔へ引きずり込まれたのか。
もう彼女は寝てしまっただろう。

俺はもう一度ゆっくり睡眠を取り、インカジ『レディ』の出勤まで寛ぐ。
仕事を終えて風呂に入ってから、ちかへLINEを打った。

『ちかは芯があるからそのまま時流の流れに沿って気負いなく行けばいいと思うよ。最近だとね、去年俺心筋梗塞で死にかけたでしょ? そのあとフェイスブックのメッセージで来てたけど、気づかないふりして現在に至る。 岩上智一郎』

『岩上さんに言ってもらえると凄い自信持てる…。ありがとう。ずっと見てるんやろうね…。それ何年くらい続いてるの? ちか』

えーと…、何年になるんだ?
本を出して試合に復帰したのが二千八年でしょ?

あの辺ってとにかく忙しかったから、細かい記憶が定かじゃないんだよな。

『どこかで変な流れになって困難な状況になっても、芯があればブレずに済むからね。本出したのが二千八年だから、それくらいからだと思う。 岩上智一郎』

さて、明日は休みだし、どう過ごそうかね。


二千二十四年二月二十五日、日曜日赤口。

今年に入って三回目の休み。

海外のサウジカップに中山記念。
オマケに阪急杯とすべて外れたので部屋で大人しく過ごす羽目になる。

玄関からの通路に、百円ショップでたくさん買ってきたジョイントマットを並べ、軽く掃除をしていると、ちかからLINEが届く。

2024/02/25 自称俳優マンション 玄関

『仕事終わりからずっと起きっぱなしで引っ越ししてた…。疲れ果てたけど早めに池袋向かう。もうHPゼロすぎてこれで家出てきた。もう十六年…怖すぎるね。もう執着しちゃってるんやろうなあ…。 ちか』

彼女は一緒に新しい引越し先の室内の写真を送ってきた。

2024/02/25 LINE ちかの部屋

こんな写真を俺に送ってきて、ちかは一体どういうつもりだろう?
いや、変に取り過ぎだ。
深い意味も何もないのだろう。

『お疲れ様。随分広そうな部屋だね。ちかはパンダ好きだったんだね。元から何もないんだから、このまま静かに余生を過ごさせてくれって感じ。 岩上智一郎』

『広いかな…? モノがないから広く見えるんかも。かなり大型家具捨てたから…。サカイ引越センター信者なのよ。やばいねえ…、マジで乗り込んでくる可能性とかあるから気をつけてね。何するかわからんでそゆタイプ…。 ちか』

少しだけ見栄を張ろう。
まだ俺が全日本プロレスを目指し、協同商事で働いていた頃住んでいた馬鹿デカいあの部屋自慢を。

『俺、実家の時は部屋二十八畳あったから業務用換気扇三つついてたの。トレーニング室込みで、若い頃中で木炭使ったバーベキューやって、消防車呼ばれた事あるよ。ほんと心筋梗塞やってから身体ガタガタだから、静かに過ごさせてって感じ。 岩上智一郎』

今ある実家の部屋は四畳もない小部屋であるが、当時あそこへ住んでいた事には変わりない。
現在弟だった貴彦たちの新居になってしまったが……。

『やば! 凄い広いね…。めっちゃ危なくない? 無事でよかった…。楽しみながら自殺するところやったよね。私が面倒見てあげる🥹とか思ってそう。 ちか』

『広過ぎて冬は寒く、泊まりに来た友達、数日で風邪を引いてたよ。換気扇三つあったから、外に出た大量の煙見た近所のおばさんが勝手に消防へ通報されたの。目の前に現れたら、全力でダッシュして逃げるよ。 岩上智一郎』

当時毎日のように泊まりにきていた坊主さんを思い出す。
あの人体力無いから、一週間持たずに風邪引いては弱って帰っていたもんなあ。

そういえばしばらく坊主さんの顔を見ていない。
今度時間作って千葉にでも行ってくるか。


二千二十四年二月二十六日、月曜日先勝。

インカジ『レディ』の業務中、自称俳優からLINEが届く。

『岩上さん! お疲れ様です。河本屋に最近ゴミ捨ててます? 若菜龍平』

はあ?
何をいきなり抜かしてんだ、コイツは?
あんな小汚いマンションへ、何故俺がわざわざゴミを捨てなきゃいけないんだ?

ただあえて連絡してきたという事は、河本マンションの大家サイドが何か自称俳優ファミリーへ関わってきたのだろう。

一月の終わりであのマンションを出てからこの一ヶ月。
思いつくのはあの嫌がらせくらい。

自称俳優若菜龍平からLINEが届く。
内容は、河本マンション大家の不法投棄嫌がらせ写真の報告だった。
自称俳優マンションの栄福不動産がしたのか、龍平の叔父がしたのかは分からないが、俺に一言の断りもなく、郵便ポストから部屋の表札まですべてに
『岩上智一郎』と勝手に表札を出した自称俳優ファミリー陣営。
そのお陰で河本マンション大家にすぐ居場所がバレて、嫌がらせでポストにゴミを置かれた事案。
ちなみに一月三十一日分まで河本マンションには家賃を払ってある状態。
部屋を引き払った翌日、早速このような嫌がらせをするような性格の持ち主のメガネザル大家。
人の郵便ポストへゴミ袋をぶら下げていくなど、頭に蛆虫でも湧いているのだろう。
『キチガイ大家からの仕返しですか? 岩上智一郎』
『ですね。住居及び建造物侵入、そして営業妨害、廃棄物投棄で被害届出す旨言ってやろうと思います。 若菜龍平』

2024/02/01 LINE 若菜龍平

コイツ、小難しい事を言っているだけで、実際に行動するのは真面目に働いているケバブ屋の百十番通報ぐらいだからな……。

あっち側が持ってきたゴミをそのまま河本マンションのゴミ箱へ返しただけ。
それは龍平も目の前で見ていたはずなのに。

『一回だけ捨てました。何か言ってきたんですか? 岩上智一郎』

『その一回でおあいこですよね。バカワ本のババアと息子が、ウチのかぁちゃんに、防犯カメラに映ってると言ってきたらしいです。 若菜龍平』

何なんだよ、あの台湾人夫婦。
本当に暇人だな。
自分が他人の郵便ポストにゴミをぶら下げといて、それをゴミ箱へ捨てたからとキレているのか?

本当に頭が悪いというか、自分本位というか……。

『一回やられたから、やり返したって、会ったら言っときます。前のは一月末ので、まだゴミをやられましたからね。 岩上智一郎』

河本マンションゴミ捨て問題。
誰がどう見ても非は向こうにしかないだろう。

2024/02/26 LINE 若菜龍平

『ポストにゴミ掛けられた以外に、またやられたんですか? 若菜龍平』

『いえ、それの事です。 岩上智一郎』

『そゆことですね。 若菜龍平』

『若菜さんたちに迷惑を掛けるから、河本マンションにはもう捨てません。 岩上智一郎』

『バカワ本はシカトしましょう。 若菜龍平』

『ほんとそうですね。 岩上智一郎』

返事をしつつ、そもそもおまえが俺に河本マンションのメガネザルが、ポストにゴミを捨てていると騒いできたんじゃねえかよと思った。

上記のゴミを返した件で、一ヶ月ほど時間経ってまた蒸し返してくる河本マンション陣営。

その後若菜が部屋まで来て、状況を語ってきた。
本当にこの地域の人間は面倒臭い。

「そもそも先に向こうが嫌がらせをしてきて、そのゴミを返しただけじゃないですか。それを監視カメラに映っているから苦情って、頭おかしいんですか?」
「バ河本はキチガイで、ゴミ外人ですからね!」

おまえもゴミ俳優だろうが、いちいちウザいなあ……。

自称俳優の高慢ちきなあの叔父は「ゴミを捨てたのは事実だろ」と何故か向こうの肩を持った発言をしたと自称俳優がわざわざ報告。
馬鹿なんじゃないか、この百人町のこの辺りの住民は?

「マンション管理収入で叔父は働いた事がないから、社会というか世間知らずなんですよね。地下に韓国人のダンススタジオあるじゃないですか?」
「よく分かりませんが、若い子がたくさん出入りしていますね」

「あそこもスピーカーは駄目だと言っているのに、無断で取り付けようとしていたから、自分が注意したんですよ。叔父はイヤホンをするからと上手く言いくるめられて。本当働いていないから、どこか浮世離れしたところあるんですよね」

そう身内を小馬鹿にする自称俳優もほぼ無職同然で、その叔父にタカって寄生して住んでいるのだから、尚更質が悪い。

狂人一家…、そんなフレーズが頭の隅に思い浮かび吹き出しそうになるのを懸命に堪えた。

「岩上さん、どうします?」
「どうしますって何をです?」

「飲みに行きますか?」
「行きませんよ、これから仕事なんだから」

まだ出勤まで一時間余裕があったが、面倒臭いので俺は龍平を追い払った。


二千二十四年二月二十七日、火曜日友引。

教訓その一。
河本マンションとは関わらない。

教訓その二。
自称俳優とは絶対に飲みに行かない。

これは俺が大久保でこれからも住んでいく以上、身に付いた不文律である。

今日も無事仕事を終え、部屋で寛いでいると、ちかから連絡が来た。

『昨日丸一日起きてたからか、今日半日ぶっ通しで寝てしまった…。休み無駄にした感。広いと確かに寒いよね。そゆことか。でも部屋の中で出来るの凄すぎひん? その人の顔は知ってるの? ちか』

知らないし、知りたくもない。
ちょっと彼女をからかってみるか。

『おかげで精神的にも肉体的にも鍛えられたよ。顔は知らないけど、もし今度何か来たら、ちかの写真見せて「大切な人がいるから俺に関わらないで」とか言ってみようか。 岩上智一郎』

『顔知らへんかったら怖くない? 家とかバレてたら怖すぎる…! 撃退用で使って。 ちか』

え?
そう返してくるの?

『家なんて実家はグーグルで調べたらすぐ分かるしね。俺いないからいいけど。ちかをそんな事に使えるわけないでしょ。 岩上智一郎』

まったく張り合いがないな。
携帯電話を放り投げ、風呂でゆっくり身体を温める。

ベランダで涼み、そういえばでったんがいつ九州から来るのか確認しておこうと思った。

『でったん、三月いた頃か決まった? いつ頃か。 岩上智一郎』

返事を待ちながら横になっている内に、そのまま寝てしまう。


二千二十四年二月二十八日、水曜日先負。

インカジ『レディ』へ出勤して業務中、でったんから返信があった。

『十三か十四で、どうですか? 出口貴行』

チラッとシフト表を確認する。
十五から十八日が片屋敷の連休。
考えてズラしてくれたのか。

『了解、十四日で休み取れば、十三日の十五時から空いているよ。十四日休み取ったから、十三日の夜なら川越行けるよ。 岩上智一郎』

『ありがとうね! 十三日の水曜日、川越、了解致しましたー。 出口貴行』

『阪尾には連絡しといたよ。 岩上智一郎』

『おー 阪尾ちゃん! 焼き鳥食べてみたかったなぁ。阪尾のお父さん、富士見中バレー部出身らしい。うちの母も富士見中バレー部。 出口貴行』

『阪尾の親父さんは随分前に亡くなってるよ、それで焼鳥屋閉めたんだから。 岩上智一郎』

あいつの親父さんが亡くなったのを聞いたのが、確かラッキーハウスにいた頃。
一度も会った事がなかったけど、俺たちもそういう年代へ突入したんだろうな。


二千二十四年二月二十九日、木曜日仏滅。

今年はうるう年で二十九日まである。
来月もこのまま早番継続だが、本当に月日が流れるのが早く感じた。

二月最後のシフトを終え、こなもんで飲んでから帰って来る。
部屋でゆっくり過ごしていると、ちかからLINEが届く。

『実家おらんと言えども特定されてたら怖いよね…。本気でやばい時は使ってね。私やることあったからマックで済ませちゃったや。今週はバースデーで気持ちが落ち着かん…。 ちか』

この子も根性があるというか、肝が据わっているというか。
まあミクシィでしつこかったあのひだまりも、さすがに俺の存在などとっくに忘れているだろう。
仮にまた来たところで、ちかを人身御供などできるはずがない。

『そんなヤバい相手にちかの名前出すなんてしたくないよ。俺はもう特に失うものはないし、これからの人間でもないから、今後何が来てもそんな被害ないけどね。 岩上智一郎』

『てか力的に、岩上さんに勝てる女の人って中々おらんか…! ちか』

力的にか…、もう今の俺など心筋梗塞から身体などガタガタだというのに。
あのカテーテルの手術のあと、初めてベッドから歩けるようにあの時の感覚。

看護婦の加藤綾子が集中治療室へ入ってくる。
本当に望に似ているよな。
アヤパンは俺の顔を見ながら口を開く。
「では管のほうをお取りしますので、これからは四階のおトイレだけは、自分で行けますので」
そう言っていきなり布団をめくる。
またこの子に股間を見られるのかよ……。
こんなところで本当に会いたくなかったぜ。
アパヤンはチンコの管を抜き、用件を済ませると出て行く。
そういえばもう点滴もしていない。
ようやくトイレへ一人で行ける許可をもらったし、早速行ってみるか。
今日で入院二日目になるんだもんな。
ベッドから降りて地面へ足をつける。
もう息苦しさも何もない。
背中の違和感もなければ、左腕の痺れもない。
「あれ?」
歩き出して初めて気付く。
何故、俺はびっこのように右脚を引き摺っているんだ?
心なしか右脚だけ痺れている感じ。
きっと寝たきりだったからだろう。
まあ歩いていればその内勝手に治るさ。
集中治療室を出た左手にはナースセンター。
その先にトイレがある。
今の俺の行動範囲は、たったこれだけか。
トイレへ行き、小用を済ますと再びベッドへ戻る。
足は相変わらず痺れ、引き摺ったままだったが、寝て体力を回復すればいつも通りになるだろう。

あれからもう三年近く一向に回復しない右脚。

痺れだけでなく麻痺まである状態。
何故こうして普通に歩けているのか不思議でしょうがない。

コロナウイルスに感染し、品川プリンスホテルへ隔離されたあの時のこの脚の異常性は自分でも怖かった。

脚の痺れは一向にとれる様子がない。
俺は湯船に湯を張り、指先を入れるとすぐ引っ込めるほど熱い温度のバスタブへ右脚を入れた。
「……」
おそらく五十後半から六十度近い熱さなのに、そのまま入れていられる状況。
再び指先で湯を確認すると、あまりの熱さに手を引いた。
これって動くけど、どこかの神経が麻痺しているのだろうか?
痺れと麻痺の状態なのだけは分かる。
いつになったら正常に戻るんだろうな。
そんな事を考えながら、浴室でセブンスターに火をつけた。

本当にこの痺れや麻痺は、放っておけばいつか勝手に治る類いのものなのだろうか?

いつこうなったのか定かではない。
でも、心筋梗塞で死に掛けたあとからの話なのは確かである。

『右脚がガタ来て痺れっ放しだからね。身体は衰えてくだけだよ。 岩上智一郎』

『薬飲んでても痺れ続けてる? ちか』

『ずっとだよ。酷い時は足が冷たい水に浸かってるような感じで冷えているように思える。だから普通じゃ熱い風呂なのに、足だけあまり熱く感じていなかったりね。俺は何をしても報われないタダの中年ってだけに過ぎないよ。 岩上智一郎』

自分で文面を打ちながら、酷く自虐的な気分になる。

思えば入ると思っていた新宿クレシェンドの印税が入らず、生活苦から裏稼業へ戻った俺。

あれが二千十一年だから、もう十三年…、小説を執筆しなくなってからずっと裏稼業の世界にいる状態だ。
金を稼ぎに来たはずなのに、極限まで無くなった状況が二回。

ひょっとしたら、この生活自体が問題あったのではないだろうか?

すると、五十二歳になってしまった俺は、もう取り返しのつかない状況になっているじゃねえかよ……。

先の未来を想定する。
全身に鳥肌が立った。





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