闇 636(秋葉原失敗の構造編)
闇 636(秋葉原失敗の構造編)

2026/08/09 sun
※人気も無く金にもならず、ひたすら己の信念だけで毎日素振りを続ける行為。この型が自身へ何を及ぼすのだろうか。
前回の章

二千二十四年二月十九日、月曜日赤口、雨水。
今日はインカジ『レディ』の仕事が終わったら、そのままうな鐵で食事会。
大場系列のいきたりで度々このように行われる儀式。
単純に高級で美味しいものにありつけるのは有難い。
酒を飲みながら目の前のうな重にかぶりつく。

肝焼きなどの串焼きなど様々なものが出てくるが、個人的希望をいえばうな重三人前のほうが正直嬉しかった。

うな茶漬けという焼きおにぎりの上に鰻が乗った贅沢な一品。

白焼きなど普段じゃ食べらないようなものも、美味しい事は美味しいがやはりうな重を腹一杯という野望には勝てない。

それでも目の前にあるこのようなご馳走を振る舞ってもらえるような店で働けている俺は、かなり幸せなほうなのだろう。
久しぶりに女を抱きたくなり、大久保駅北口にある洗体エステのラブリーハートへ行き、中国人のリオを抱く。
彼女は俺の顔を見ながら何度もプレゼントはと繰り返すが、正直一緒に住む予定も付き合ってもいない女に対し、二万円はするミラノコレクションをあげたところで何の意味もないなと思った。
食事の約束をしても事前にキャンセルして埋め合わせさえしていない。
この女は金を払って抱きに来るだけ。
そう割り切る事も、今の俺にとって大事な事なのだ。
引越しをしてからもうそろそろ一ヶ月経つ。
河本マンションで暮らしていた時のような理不尽さや、騒音被害も何もなく平穏無事に過ごしている俺。
そういえば自称俳優若菜龍平が何度も言っていた駅前のケバブ屋であるが、これまで一度も騒音など気になった事がないぞ?
あの馬鹿は何度も百十番通報をしたと言っていたが、それじゃただの嫌がらせなだけじゃないか。
三階のベランダでセブンスターに火をつけながら、斜めに見える小汚い河本マンションのほうへ顔を向けて、大きく煙を吐き出した。
二千二十四年二月二十日、火曜日先勝。
九州のでったんよりメッセージが届く。
『秋葉原にある「万世」の本店ビルが、三月末で閉店なんだって。あそこ好きだったんだよねー。大学の頃、輸入クラシックCDを石丸電気に買いに行った時によく寄ってた。好きなモノ、コト、場所が無くなるってのは、僕らが歳をとったからかもねー。独り言でした。 出口貴行』
秋葉原というキーワードで決まって思い出すのが、裏ビデオ屋『アップル』である。
あの時ほど不公平さを実感した事はなかった。
きっかけは歌舞伎町で知り合い仲良くなった長谷川昭夫が、俺と組んで一緒に仕事をしたがったところからである。
秋葉原のあの二階の物件を押さえる。
しかし裏ビデオ屋をやる以上、名義人が必要だ。
俺や長谷川が店に立って売るわけにもいかない。
「長谷川さん、新店の名義は決まっているんですか?」
「うーん、それが名義人の宛てと言ったら、横浜の時のに声を掛けるくらいしかいないんですよね……」
「え…、横浜で一ヶ月の売上一万二千円しか作れなかったって奴ですか?」
「仮にここを押さえるとなると、名義人の名前で借りるようじゃないですか。なので急ぎとなると、その横浜のになりますね」
そんな駄目人間を名義にしたら、うまく行くものも行かなくなる。
かと言って誰か名義をやる人間となると……。
俺がやったと仮定する。
歌舞伎町浄化作戦の時に俺は捕まっているのだ。
不起訴という判決は出たにせよ、また裏ビデオの猥褻図画で捕まったら、累犯になるから執行猶予など絶対につかず、刑務所行きは決定になるだろう。
それにおじいちゃんに対し、そういった負担は掛けられない。
「長谷川さん、とりあえず管理会社へ連絡だけ入れて、形式上でも保留しておいたほうがいいですよ」
「そうですね、岩上さん」
この辺りを探索してみて分かった事。
もしこの物件を借りた場合、秋葉原駅からは徒歩五分程度。
大通りから少し入った位置にある為、目立ち辛い利点。
大通りを秋葉原と逆に行けば、二分程度で地下鉄の末広町駅もある。
立地的に裏ビデオ屋やるには都合がいい。
近くに飲食店もあるし、人通りもある。
家賃も安い。
店内も余裕を持ったスペースで経営できる。
「不動産には連絡しますけど、実際に契約する人間がいないと話にならないので、とりあえず横浜の時の名義人には連絡して今度事務所へ顔出すよう言っておきます」
まずはここを借りないと何も始まらないのだ。
店の売り子など誰がやっていても、俺が分かり易く作ればいいだけか。
真面目にさえ仕事をやってくれるなら…、そう教育を施せばいい。
優先順位。
物件を借り、次に店のレイアウト、そして売り子の教育。
そう考えれば、最悪横浜の時の名義でも仕方ないか……。
長谷川に頼み、一週間以内に契約に行く約束を不動産へ取り付ける。
この期間内に誰かしらもっと有能な名義人が見つかれば、それで良し。
いないようなら、横浜の駄目名義で契約。
時間との勝負なので、それしか道は無い。
自分の欠点が完全に露呈したのは、あの時が一番だと思う。
自身の人の良さを全開に出すのはいいが、相手を考えて動かないと最終的に自分の首を絞めてしまうだけという典型的な愚直なケース。
組織の為と思い、必死にスキルや経験を使いこなし身を粉にして働く。
半年で数千万円という利益を生み出したところで、それがイコールという訳ではなかった現実。
あれは自分の物差しで物事を測り、自己都合な解釈をして淡い期待をしていたからこその失敗だった。
二度とあのようなくだらない目に遭ってはいけない。
今一度、過去を振り返り自身の欠点を埋めるべく考えたほうがいいだろう。
運命の悪戯か、当時ゲーム屋『ワールドワン』でクビにした山下哲也との再会。
そして風俗『ガールズコレクション』時代での和解。
あれがすべての歯車を狂わせた原因だったのか?
当時東通りにあったゲーム屋『サン』で働いていた山下は、仕事を辞めたいと俺に泣きついてきた事から始まる。
長谷川が前に雇っていた一ヶ月で売上一万二千円しか作れなかった名義。
俺から見たら、仕事をサボっていた以前の問題である。
それを使うぐらいなら、気心してた山下を使ったほうがいいと判断してしまったのだ。
スペックのいい自作パソコンを作り、事務所で様々なシステム構築をしていく過程。
商品管理から商売に関わるすべてのシステムを一新させ、利便性に富んだ新しい形の店を作り上げた俺。
綺麗な水の中で活発に生き生きと泳ぐ魚のように、自身の持てるスキルの全開放、そして人脈を駆使して毎日必死だった。
「いいか、山下? 俺の言った通りに働け。おまえは工夫したり何も考えず、言われた事だけやればいい」
狙いは的中し、素人の山下を使った秋葉原の裏ビデオ屋『アップル』は、爆発的な利益を生み出す。
家賃十万円の物件で、平日平均売上が一日五十万円。
裏ビデオの原価率は一割も掛からない。
こうしてお決まりの過程の金錬術を作った俺は、長谷川の組織へ莫大的な金をもたらした。
当時の時代はまだ二千五年。
世の中にDVDが当たり前のように普及しだした時期でもある。
裏ビデオ業界では、パソコンのDVDドライブだけを切り離し、ドライブをコピーする事だけに特化したディプリケーターという機械があった。
三連と呼ばれるものは、一番上のドライブに元のDVDを入れ、下にDVDドライブが三つ付いている。
ボタン一つの操作で元のDVDを三枚同時にコピーできる優れもの。
他に五連、七連などもあるが、余程の人気作品でない限り三連でだいたい事足りる。
以前俺が先輩の坊主さんから教わったやり方はパソコンを使ったもので、元のDVDのコピーガードを外しつつISOイメージで一旦中のハードディスクへ落とす。
それを空のDVDを入れて、片面二層で焼いていく方法。
ディプリケーターなら約三十分程度でコピーが作れるが、俺のやり方は一度パソコンへ落とすようなので約一時間と倍掛かってしまう。
現在六百枚くらいの作品があるので、それの三倍の量をこれから作るようだ。
売れ筋の人気作品はさらに三枚または六枚…、ある程度の読みをしながらストックのDVDを作っていく。
歌舞伎町の裏ビデオ屋は、商品のDVDをケースに入れて渡すだけのところが多い。
俺は作品のDVDジャケットまで印刷したものをドールケースに入れて売るようにしていた。
買う客側にしたら、普通の売り物のようにケースに入っているほうを好む。
なので印刷するインク代やトールケース代は掛かるが、客の満足度を優先した。
この頃のディプリケーターの相場は三連で十五万とやや高め。
しかし五枚を一万円で売れるのだ。
三十分で三枚を量産するディプリケーターは裏ビデオ屋にとって必須である。
DVDのメディアは国産だとマクセルが良かった。
欠点は値段が高いところ。
DVDプレーヤーの需要が増え、最近安くなってきたが、俺が坊主さんから教わっている頃は一枚三百五十円もした。
最近でようやく二百円台に。
海外メディアはとにかく安い。
一枚数十円で手に入るが、欠点はエラーが多い事。
ディプリケーターでコピーが終わっても、DVDプレーヤーで見ようとすると、エラーで見れない場合がある。
要は不良品というわけだ。
いちいち一枚一枚チェックする店など無いので、購入した客が見れないとクレームが来て初めてエラーだったのかと分かるくらいである。
経費をケチり海外メディアを使う裏ビデオ屋もあるが、今後に繋げ客の信用を得るなら当然国産メディアのほうがいいと思う。
売る作品はどの店も同じ。
なのでこういった細かい部分がとても大切になってくる。
長谷川はディプリケーターを使いコピー作り。
俺はデータでもらったDVDジャケットデータをトールケースピッタリになるよう印刷して、各作品を出していく。
新作が週に二回入り、だいたい二十作品くらいが来る。
その都度俺は作品を管理していかなければならない。
長谷川を喜ばせようと本当に頑張って努力した。
だが、俺の甘さがすべての失敗を招いてしまったのだ。
一日二十万売上があるとしたら、それに掛かる原価は二万程度。
秋葉原の物件で考えると、平均日に二十万だとして、月で六百万。
原価の経費が六十万。
家賃十分万。
山下の名義料込みの給料が五十万。
俺が週一で休みを取ったとして三十万。
ざっくりとした計算であるが、総経費百五十万。
月で四百五十万の利益となるのだ。
俺は山下が名義で売り子をする際、歩合の条件もお願いする。
前の五店舗の統括をしていた時同様、一日の売上が二十万いったら歩合で五千円。
そこから二十五万、三十万といく度に五千円ずつ歩合をつける方針。
これは従業員の売上を誤魔化す行為の防止、そして仕事意欲を促す事に繋がると説いた。
歌舞伎町のオレンジでもそうそう二十万の売上はいかなかったようだ。
横浜など一ヶ月で一万二千円の売上。
長谷川は少し怖い考えつつ、「そこまで売上が作れるのなら構わないですよ」とゴーサインをもらう。
自分に関しての給料については、特に言及しなかった。
上を太らせれば、勝手に金はこっちまで回ってくるだろうと思っていたからだ。
始めに見立てた売上よりも倍以上の活躍を見せた『アップル』。
だが、あの時俺が言い出した山下への歩合精度が思わぬ軋轢を生むきっかけになってしまう。
店が流行るという事は、当然歩合の入る山下の給料も増える。
俺の生み出したシステムは、月で百万円近い金を山下へ払うようになっていた。
当初俺はいつまでも続けられる仕事でないから、ちゃんと貯めておけと口を酸っぱくしながら言い続けた。
オープンから三ヶ月で、約三百万円の金を手にした山下。
だが俺の給料は日給一万二千円のままだった。
違和感を覚えつつも変わらず淡々と業務をこなす日々。
大いに秋葉原の客へ受け、どんどん飛躍的に向上していく売上。
これを維持する為に、始めから俺は山下へ制約を課していた。
昼の十一時から夜の八時までの九時間が営業時間。
終わったらその日の売上は必ず新宿の事務所へ持ってくる事。
朝、秋葉原のアップルへ出勤したら、俺に電話を一本入れる事。
これは遅刻防止の為である。
山下の性格を考えると、楽な環境たとどんどんそちらへ流れるのは読めた。
俺が四六時中傍にいる訳にもいかない。
三月初日のみ俺も確認ついでにアップルへ向かう。
新宿の一番街通り入口で待ち合わせ、東新宿駅から広末町ルートで行く予定だ。
「いいか? 分からない事だらけだろうけど、今日は俺も店にいながら色々アドバイスや指導はする。素人でも売り子が務まるような店作りにしたんだ。本当に頼むよ」
「分かってますよ。自分もあそこ辞めて、あとが無い状態ですからね」
『アップル』を開始する前の段階を思い出していた。
「おーい、大山ちゃん」
俺が手を振りながら声を掛けると、大山はこちらに気付き笑顔になる。
しかし横にいる山下を見て、大山の表情が突然曇った。
「何だ、あいつ? おい、山下、大山だぞ」
「……」
山下も大山と顔を合わせないようそっぽを向いている。
微妙な空気の中、俺たちは道を進み、結局山下と大山は一言も交わさない。
二人の様子を見てすぐ理解した。
「おい、山下! おまえ、ちゃんと辞めろと言ったのに、あの店飛んだろ?」
「言おうとは思っていたんですよ」
うちに来た時の期間がどうも短過ぎると違和感を覚えた。
あれだけ遺恨を残さないよう綺麗に辞めろと伝えたのに……。
「もう過ぎた事だから仕方ないけど、おまえはこれからうちの裏ビデオの名義をやるんだよ? そんな嘘つくようなら、悪いけど他の売り子探すよ」
「待って下さい! ちゃんとやりますから」
「ちゃんとやってないじゃん。いいか? この稼業、信用とか信頼が第一なんだよ。何で綺麗に辞めたとか嘘ついたの?」
「いや、ですから……」
「悪いけど、警察に捕まってからじゃ、そういうの通用しないから」
「これからはちゃんとやります!」
必死に弁解する山下を無視して、俺は長谷川へ連絡を入れた。
状況を簡潔に話し、山下を入れずにとりあえず売り子が見つかるまで俺が入る事を伝える。
最悪警察に俺が捕まったら累犯で下手したら刑務所へ行く可用性があるが、山下を紹介したのは自分なのだ。
「岩上さん、怒る気持ちは分かりますが、山下に一度チャンスをあげてもいいんじゃないでしょうか?」
「長谷川さん、こいつに甘い処置して捕まった時謳われたんじゃ、話にならないですよ」
山下の気軽な感覚での嘘。
こんな状態のまま売り子をやらせるのは危険過ぎる。
「ちゃ、ちゃんとやりますから……」
「おまえさ…、いつまで適当に生きてくつもりなの? 俺はキチンと筋通して辞めろって、何度も言ったよな? ヘラヘラ適当に仕事してりゃあ給料もらえる一従業員って立場じゃないんだよ」
「す、すみません……」
「あやまって済む話じゃないんだよ。おまえが秋葉原入りました。あのゲーム屋がムカついて警察にチクったら、どう責任つけんの?」
「い、いえ…、あの……」
「今日は帰っていいよ。別の奴使うから」
「岩上さん! とりあえず事務所へ来ましょうよ。山下も一緒に」
長谷川の声が受話器から聞こえ、若干冷静さを取り戻す。
オープン初日からのゴチャゴチャ騒動。
俺が厳し過ぎるのだろうか?
いや、山下の甘さが残った状態で始めるのは本当に危険だ。
しかし司令塔は長谷川なのである。
俺は暗い顔をした山下を連れ、事務所へ向かった。
「長谷川さん、俺から紹介しといて何ですが…、こいつは駄目です。今日から売り子が入るまで、俺が秋葉原行きますので……」
「岩上さんをそれで失ったら、うちのグループはどうなるんですか」
「……」
確かに感情的になり勢いで言ってしまっている。
「山下もこれで懲りたというか、充分分かったと思うので、一回だけチャンスあげてもいいんじゃないでしょうか? な、分かったよな、山下?」
「は、はいっ!」
これだけ怒れば、事の重大さを理解してくれただろうか……。
秋葉原の店舗アップルへ行く前に、俺は再三口酸っぱく山下へ注意した。
物事には気を緩めていい部分、駄目な部分がある。
本来なら名義人自身が、身元引受人だって用意するようなのだ。
こうして擦った揉んだありつつも、山下名義のアップル初日が始まる。
夜八時になり、山下から連絡が入る。
オープン初日の売上二十四万三千円。
初めての途中、初めての店で考えると中々の売上。
長谷川の優しい考えで名義人としてのクビが繋がった山下。
どうやら真面目に仕事へ取り組んだようだ。
「山下、歩合出るから売上の中から五千円取っていいぞ。あと七千円あれば、歩合一万円になったのにな。まあいいや、とりあえず新宿の事務所に売上持ってきて」
「分かりました」
歩合を引いた売上二十三万八千円。
もし平均このくらい毎日売上が作れるなら、裏ビデオ屋としてはそこそこ成功したほうだろう。
注文を受けて無くなったDVDの枚数を事務所でコピーして作った。
翌日の売上は三十二万。
徐々にではあるが上がっている。
山下は歩合で一万円を給料とは別途にもらえるのだ。
オープン間もなくいきなり数字が出るとは、嬉しい誤算である。
三日目は十七万五千円だが、充分及第点。
俺たちはいいスタートダッシュを飾れた。
秋葉原の裏ビデオ屋アップル。
三月の初月売上六百七十二万円。
名義である山下は給料五十万の他に歩合でプラス十九万円。
これまでやった事のない裏ビデオの仕事で、一ヶ月六十九万円を山下は手にした。
片や週に一度ペースで休んでいる俺は月に三十万程度。
倍以上の金を後輩の山下ごもらっている点を百合子はおかしくないかと話してくる。
「智ちんがいなければありえない状況なのに、後輩の山下さんのほうが二倍以上給料高いって、普通に考えておかしいでしょ」
確かに一般社会で考えたら百合子の言い分は正しい。
しかし俺がやっているのは裏稼業なのだ。
名義人が名義料込みで月に五十万もらうのは、業界の常識である。
捕まる商売をして、捕まった際全責任を負うのだ。
俺よりも給料が高いのは仕方ない。
だが、俺が行くまで横浜で月に一万二千円しか作れなかった状況を思うと、俺が一日一万二千円しかもらえていない事実に、百合子が不満を覚えるのも当然だろう。
「まあまだオープンして一ヶ月なんだ。実績積んで初めてだろ?」
「うーん……」
俺の言い分に対しいまいち納得いかない表情の百合子。
皮肉な事に、俺がアップルを売上を増やそうと頑張る度に山下の給料も跳ね上がる。
二ヶ月目の売上は一千万を突破。
山下の歩合は月で二十七万。
月に七十七万稼いだ計算になる。
俺は変わらず三十万程度。
ちょっとしたジレンマを覚えるも、俺自身通常の仕事では楽しながら日々をこなしているのだ。
金が少ないと文句を言うのは簡単だが、それによって長谷川との関係がこじれるのは嫌だった。
給料が歩合込みで九十七万の金をもらうようになった山下。
俺は変わらず三十万前後。
いくら名義を張り、俺が歩合条件つけたとはいえ、三倍以上の給料の開きは何とも言えない気分になる。
これまで手にした事のない金額を持った山下は、変に増長してきた。
丸々三ヶ月間一日も休んでいない自分を「俺は可哀想ですよ」とか言い出す。
百万円近い給料をもらっておきながら、何が可哀想なのかまったく理解できない。
要は金を手にして図に乗っているだけなのだ。
厳しく接する俺とは反比例し、長谷川は甘かった。
俺がシステム化したからこその成功だという自負はあったが、長谷川は山下の人懐っこい性格も味方しての売上だと言う。
ジレンマが溜まる日々。
確かに新作が出た時の作業くらいしか俺はしていない。
風俗のガールズコレクションの時や北中のメロン同様、俺のスキルをうまく利用されただけなのかと思うと自分の馬鹿さ加減が阿呆らしくなってくる。
俺は確かに大切には扱ってもらってはいた。
しかし馬鹿でいい加減な山下と給料の開きが三倍以上あるのだ。
会う度その辺を百合子に責められる。
それはワインの底で静かに蓄積していく澱のように、ストレスとして溜まっていく。
今でも働きやすい職場な事は間違いない。
ただうまく利用されているだけなんじゃないのか?
そういった疑念も産まれつつあった。
百万円近い給料をもらう山下。
八時になり売上報告の電話が入る。
「今日の売上は?」
「四十三万です」
「じゃあ歩合の二万五千円を抜いた四十万五千円を事務所持ってきて」
「あ、岩上さん」
「何だよ?」
「うちの店の近くでオープンしたビデオ屋の誠也さんいるじゃないですか」
「それが何だよ?」
「親睦を深める意味合いで、これから飲みに行く約束をしてしまったんですが……」
「はぁ? おまえ、何を言ってんの?」
「いえ…、事務所へ売上持って行くの、明日じゃ駄目ですか?」
何を図に乗ってんだ、このクソガキめ……。
「ふざけんなっ! 売上とっとと持って来い!」
俺が山下へ怒鳴っていると、横から長谷川が状況を聞いてくる。
俺は簡単に説明すると、「まあ山下も頑張っているんで今日くらいいいじゃないですか」と電話を代わり、「あ、山下? 売上は明日と一緒に持ってくればいいよ」と笑顔で話していた。
嫌な前例を作ってしまった。
いや、俺はもうそんな必要とされていないのかもしれない……。
わざわざ地元まで行き先輩の岡部さんに身元引受人のお願いをした事。
一から秋葉原の店舗を成功させようと、精力的に動いた事。
持てるスキルフル活用した事。
「……」
俺がした事など、この程度なのだ。
遣る瀬無い気持ちで一杯になる。
「そろそろ時間来たんで、俺は帰ります……」
「あ、岩上さん。今日の日当です」
手渡される一万二千円。
うん、これが俺の価値なんだよな。
別の仕事を探すか……。
そろそろここも潮時かもしれない。
百合子が部屋に来るというのを疲れているからと断り一人でいた。
これ以上給料の件で、百合子から責められたら頭がおかしくなりそうだ。
長谷川のところを辞めようか……。
辞めてどうする?
あれ以上に好条件で働きやすい職場があるのか?
無いよな……。
ただこれまで尽くしてきて、現状の疎外感が溜まらないのだ。
俺と山下…、明らかにどっちが組織に対して尽くしてきた?
山下など名義の替えなどいくらでもいる。
月に百万円近くの金をもらえるような店なら、誰だってやりたいだろう。
山下のガキ…、何を図に乗っているのだ?
苛立ちを抑えられない。
秋葉原のアップルの成功で、歌舞伎町で店を構えていたオーナーたちは真似をしてこちらに出店してくる。
アップルオープン当初は三軒しかなかった裏ビデオ屋も、今では十店舗ほど増えた。
情報の共有で他の店の人間と仲良くするのはいい。
ただ飲むに行くから売上を明日に回すのは絶対に違うだろ?
三ヶ月ちょい一日も休みが無いのは、確かに大変である。
ただそのおかげで百万円近い給料を手にしているのだ。
「あの馬鹿、何が俺は可哀想だよ」
ポツリと口に出る愚痴。
俺はウイスキーのグレンリベット十二年をラッパ飲みしてふて寝をした。
いい感じで寝ていた時だった。
携帯電話が鳴っている。
百合子か?
眠いので目が開かない。
切れた電話はまた鳴り出す。
誰だよ……。
目を開け画面を確認した。
山下からだった。
時間を見ると夜中の二時過ぎ。
何だよ、あの馬鹿。
こんな夜中に……。
「もしもし……」
眠気を我慢して電話に出る。
「あ、岩上さん! 何か知らないんですけど…。俺、起きたらキャバクラのソファーで寝てて……」
「だから何なんだよ!」
思わず怒鳴りつけた。
「いや…、俺…、いつも売上は、穴ポケットに入れてるじゃないですか?」
「知らねえよ、そんなの」
「それが今…、無くなっていまして……。ど…、どうしたらいいのか……」
ほら、言わんこちゃない。
大方金があるから調子に乗って、キャバクラで豪遊して寝てしまったのだろう。
その際お尻のポケットに入れていた売上の封筒を誰かに盗まれた。
そんなところだ。
「確かに自分、売上は穴ポケットに入れてて……」
「知らねえって言ってんだろ!」
「いえ、だから自分はどうしたらいいのか……」
「だから店終わったら事務所へ金ちゃんと持って来いって言ったろうが!」
「いや…、あのですね…。だから俺はどうしたらいいのか……」
「そんなの知らねえって何度も言ってんだろ!」
「いえ、岩上さんなら……」
「甘えんじゃねえって! 自分の仕出かしたミスだろ? それ以上の金はやってる。自分で埋めろ!」
「いや…、あのですね……」
「うるせえよ、言い訳なんか知らねえって。埋めないなら、長谷川さんにそのまま報告するだけだ」
「え、待って下さい! それはちょっと……」
「だから…、四十万と五千円。自分で貯金から下ろしてでも埋めろ。それなら長谷川さんには報告しないでやる」
「え、岩上さんは……」
「何でテメーのミスに俺が金出さなきゃいけねえんだよ? おまえ舐めてんのかよ? おいっ!」
俺が怒りだして初めて山下は正気を取り戻したようだ。
「す、すみません…。深夜にすみません…。自分の責任なので、自分で埋めます…。なので長谷川さんには内緒でお願いします……」
「当たり前だろ、馬鹿! 図に乗ってるからだ」
それだけ言うと、電話を切る。
山下が売上を明日と言ってきた時点で嫌な予感がした。
馬鹿が図に乗ると碌な事にならない。
「まだ三時にもなってねえじゃねえかよ……」
せっかく寝て静まった苛立ちが再燃していた。
翌日昨日の売上と一緒に事務所へ持ってきた山下の表情は暗い。
だが同情など微塵も無かった。
長谷川に事実を伝えないだけありがたいと思え。
秋葉原で無駄に増えた裏ビデオ屋。
細々やっていたからこその利点が、それで台無しだ。
明日辺り秋葉原の現状を把握しておかないと……。
過当競争になるのは避けたかった。
だいたい同じ商品で同じ商売をした場合、フライングしてくる店は多い。
歌舞伎町でもそれは凄かった。
幸い秋葉原の土地のヤクザは〇〇組一本で済んでいるので話は早い。
ケツモチへ料金変動をする店が無いよう目を光らせなくてはならないのだ。
例えば現状ではDVD五枚で一万円という価格。
自分のところだけ六枚一万円にするとか、出し抜いて売り出す店は出てくるだろう。
自分のところさえ売れればいいという自己本位な考えの店。
そういうのを許すと、いくらでも脱線するところは増える。
だからこそのケツモチなのだ。
この地域の価格はこれで決まりという取り締まりが必要になるのである。
山下も近隣の同業者とただ親睦を深める為に飲みに行くというのではなく、他はどのような売り方をしているかとか、そのくらいの頭は欲しい。
しかし馬鹿なのは分かっているので、そこまで期待しても無駄だろう。
秋葉原のアップルのケツモチ料は月に五万円。
よくニュースで暴力団の資金源にとか大袈裟に言っているが、十店舗でようやく五十万程度だ。
そんなもんで国民を洗脳するようなニュースは、見ていてどうも好きになれない。
他のところへ職場変えようかと思っているのに、こんな事を考える俺もお人好しだな……。
「……」
俺はあの場面で抜けるべきだったのか?
もしくは始めから長谷川へ、協力などすべきではなかったのか?
五十二歳になっても答えの出ない俺。
だが金の生る木を作れた事だけは事実なのだ。
問題は根っこの構造の部分。
俺が自分で金を貯め、それをはなっから一人で人間を使いやれば良かっただけなのである。
つまり初動からミスっていた。
組織というものはどんな世界でも一定の歯車によって循環している。
一つのもつれが、その動きを台無しにするケース。
そこを本能的に見抜けないと、全部が破綻する。
俺はそれを肌で…、本能的に分かっていたのに止められなかったのだ、あの時……。
山下が昼の十一時にアップルへ出勤したら、電話連絡しろという決まり。
その連絡が無い時、店の電話へ掛けると何コール鳴らしても出なかった。
今までではありえない金額を持つようになった山下。
深夜飲み歩いているのか、遅刻が多くなっている。
九時間勤務のあと新宿の事務所へ売上を持って来るだけ。
それで約百万の給料をもらう。
そんな状況の中、遅刻をする。
しかも相変わらず「俺は可哀想ですよ、休みなんて一日も無くて」と未だほざいていた。
そこへ長谷川が「岩上さん、一日くらいお店入ってあげて、山下を休み取らせたらどうですか?」と言ってくるものだから、余計山下は増長する。
一度山下を休ませ、俺が秋葉原のアップルへ売り子として入った。
「あれ? いつもと違う人ですね」
そう言ってくる客は多い。
確かに山下の人懐っこい性格で、数名の客は掴んでいた。
しかしここまで売上が出せたのは、データ管理して調べやすく作った俺のアイデアだ。
決して普通の裏ビデオ屋に山下が入ったら、こうはなっていない。
もうこんな組織辞めてしまおうかと思う。
俺がいなくなってから、大いに困ればいいのだ。
いや…、前もその先どうするのか考えたろ?
抜けたところで俺はまた一からスタートするのかよ?
前のガールズコレクションよりはマシな環境。
文句があるのは山下が俺より三倍以上の金を多くもらっている部分だけなんだ。
この媒体を作り上げたのは俺。
だが給料で見たら、長谷川は俺より山下を評価している。
やっぱり辞めるか……。
最近こう自暴自棄に考える事が多い。
ストレスが溜まっているのだ。
事務所にいると息が詰まる事が増えた。
長谷川はアップルが好調なので仙台のオーナーから違うエリアでもう一店舗出すよう指令が出たと言う。
また新店舗用に俺が色々データを用意して、ほとんどの準備をするようになるのか……。
その前に山下をクビにして、後釜に石黒を使う考えを伝えてみよう。
「最近弛んでいる山下は遅刻も多いし、そろそろ別の名義に変えませんか? もっと真面目で一生懸命やる奴いるんですよ」
「いや、岩上さん…。売り子を代えてもし売上が落ちたら、僕は仙台のオーナーに何も言えなくなってしまいます。やっぱり山下だからこそ、あそこまでの売上になったと思いますし…。その石黒という子には、隣の神田辺りで物件探して二店舗目を任せてもいいんじゃないかと」
また山下山下か……。
「長谷川さん……」
「ん、どうしましたか、岩上さん」
「俺、少しこの仕事休みもらいます……」
「え! どうしたんですか? 岩上さん来なくなったら……」
「火曜と金曜の新作入った時だけは来ますよ。あとは少ししばらく休みます」
これまで頑張っていた糸が切れてしまったようだ。
まだここで話し合っても、俺の精神的にいい方向へ行かないのは自覚していた。
俺抜きでどこまでできるのか……。
いや、俺抜きでもできるよう色々整え過ぎたのだ。
一度頭を空っぽにして休もう。
ゆっくり過ごしてそれから考えればいい。
一週間に二回だけの出勤。
一日一万二千円だから、二万四千円の収入。
しかも電車賃が別途に掛かる。
このままでいいわけがない。
百合子に自分の腑に落ちない部分を正直に話した。
自分が長谷川のところでこれまでやってきた行動。
しかしそれに伴う給料の格差。
すべて放り出して、新たに普通の仕事を探してもいい。
振り返ると裏稼業として順調だったのは、ゲーム屋のワールドワンまでだった。
北中のメロンに、五店舗の統括という立場。
そして俺と百合子の子供をおろす羽目になってしまったガールズコレクション。
先輩の坊主さんに教わったパソコンスキルを都合良く利用され、金などほとんどなっていない。
今の長谷川のところもそうだ。
俺がいなかったら、横浜の時のように何もできずに撤退しただけだろう。
名義人として警察に捕まった際、全責任を負って大変なのは分かる。
だが、その現状で三倍以上の給料の開きがあるのはおかしい。
確かに山下の今の給料は俺自身が設定し、長谷川に頼んだものだ。
それが無かったら、山下はどんなにDVDを売ったところで一か月五十万円だけだった。
始めに伝えた時、何故俺は自分の給料の部分を言わなかった?
言わずとも成果を出せば、勝手に分かってくれると思っていた……。
自身がそう思うだけで、俺は自分で自分の首を絞めていたのか。
変に金に対してガツガツしているというのを見せたくないという美意識はある。
裏稼業にいながら俺は何でこんな風に妙に格好をつけるのだろう。
どんな状況にいようとも、俺はあの当時の全日本プロレスにいて、今は亡きジャンボ鶴田師匠の弟子という誇り…、その為に俺は生き方を自分で模索しているのだ。
だから総合格闘技でPRIDEの誘いあった時、金でなく誇りを取ったんじゃないか。
鶴田師匠にもう恩返しなどできない今、俺は生き方で示すしか方法が無い。
「智ちんはね…。本当に不器用だなあって、いつも思う。でもね、あなたは本当に優しいの。私はそんな智ちんを見ているのが好きだし、うちの娘たちもそんなところに惹かれているんだと思う」
百合子は笑顔でそう言ってくれた。
俺はこの三人を養っていかなきゃいけない。
どうする?
またどういう扱いを受けるか分からない知らない職場で、一から始めるのがいいのか?
給料格差はあろうとも、働きやすい環境の長谷川のところでまだ頑張るか……。
「あ……」
「どうしたの、智ちん?」
「ごめん…、百合子……」
「どうしたの?」
「俺さ…、山下の馬鹿の身元引受人で、先輩の岡部さんを絡ませちゃっているんだ……」
「この間連れてってくれたお店の先輩?」
あの時はオープン準備で色々必死だった。
自分の身元引受人すら用意できない山下に対し、誰かいないか考え、自身の持つ人脈の中から岡部さんを頼り、今の仕事に間接的とはいえ関わらせてしまったのだ。
秋葉原の裏ビデオ屋連中は、いずれ警察に捕まるだろう。
もちろん山下もである。
その時初めて岡部さんは裁判に行く。
俺が紹介しておいて、先に抜けるなんて義に反するんじゃないか?
もう長谷川や山下の事はどうでも良かった。
昔から関係があり、ずっと信用を築いてきた岡部さんだけには不義理な事をしたくない。
「百合子…、本当にごめん……。俺さ…、岡部さん巻き込んじゃってるからね…。やっぱ俺だけ先に抜けるなんてできないよ……」
「うん、ほんと馬鹿だなあと思うけど、あなたらしいなって思うよ」
百合子に肩をポンと叩かれて、俺はその場に突っ伏して泣いてしまった。
本当に考え無しに動く自分の馬鹿さ加減が嫌だった。
翌日から気持ちを切り替えて、また長谷川の事務所へ顔を出すようにした。
結局俺がいなくては、どうする事もできない案件があるのだ。
俺は感情を持たず、マイペースで金を稼ぐ事だけ考えればいい。
もう山下がどうとか気にしないようにした。
遅刻しようが図に乗ろうが、俺の手は離れている。
長谷川もどう考えているのか分からないが、この給料格差に気付き、ひょっとしたら俺に払う金額を上げてくれる可能性だってあるのだ。
まあ変な期待はするな。
それと捕まる恐れあるから、山下を休ませる為に俺が秋葉原のアップルへ入るのだけは、キチンと断ろう。
あんな馬鹿のせいで警察に捕まるリスクなど、一ミリも侵したく無い。
勝手に数日休んだ非礼を詫びて、俺は日常業務に戻った。
そんな俺に長谷川は、第二店舗目の話を持ち出してくる。
ワールドワン時代の石黒の事を考えると、あいつを名義人として出店してやりたかった。
だがまた俺の労力や責任も出てくるのだ。
とりあえず長谷川に石黒を合わせ、二人でどうしたいのか勝手に話し合いをさせる。
俺は機械的にやる事だけをこなせばいい。
秋葉原の裏ビデオ屋状況は、徐々に増えていく。
道端の露店で売っている原のところでさえ、そこそこの売上が出ているようだ。
山下には新しいビデオ屋が近隣にできたら、チェックして報告するように指示した。
アップルは相変わらず好調な売上。
石黒のパイナポーは人がいないので中々の苦戦。
場所を神田でなく秋葉原にしたほうが良かったと思うぐらいだった。
夏も終わり秋に差し掛かる頃、テレビで秋葉原の裏ビデオ屋特集のニュースが流れる。
露店から店舗借りた原の店…、あの時の舎弟が映像に映っていた。
他にもロリータまで販売している裏ビデオ業界などと、大袈裟に放送している。
裏ビデオは捕まったら最後。
山下が事務所へ来た時、今後の営業の仕方を教えた。
「いいか? アップルの客はおまえしか顔分からないんだ。今までみたいに十一時に秋葉原行ってすぐ店を開けなくていい」
「え、休みでいいんですか?」
「違うよ、馬鹿! 店は開けないで店の外に立ってろ。そしたらアップルに来る客の顔分かるだろ? その客が買うという明確な意志があったら、初めて店へ一緒に入って鍵を閉めてから売る。金を受け取ったら、一緒に出て鍵は必ず閉める。これだったら警察にも捕まりづらいから。明日からはそういう風にやってよ」
「分かりました」
長谷川にはこの方法で売上は落ちても、店がやられないのを第一にと説得する。
今まで歩合で数万もらえていた山下は、明らかに不服そうな顔をしながら事務所へ来た。
一日の売上が二十万行かない日が多くなっている。
それでも捕まるよりはマシだ。
消極的な営業をしながら様子を見ていると、とうとう秋葉原で初の摘発があった。
「岩上さんの言う通りでしたね。あのまま山下の店を普通に開けていたら、やられていたかもしれませんね」
摘発されるテレビ画面を眺めながら、長谷川はホッと胸を撫で下ろす。
たまたま捕まらなかっただけで、秋葉原もそろそろ撤退時期に差し掛かったのかもしれない。
俺も俺もと多方面から秋葉原へ集結した裏ビデオ屋。
派手にロリータを売る馬鹿もいれば、値段を安くして売り出す店もある。
こうなるの分かっていたから、秋葉原のケツモチに忠告したんだけどなあ……。
「長谷川さん、秋葉原のアップル…、撤退しますか?」
「うーん…、まだ一応売上はあるから勿体ないなあと……」
ここで一旦引くのも英断だと思う。
しかし長谷川は秋葉原当初の成功が忘れられないし、まだ美味い汁が残っていると思っているのだろう。
今なら山下もパクられる事は無いし、岡部さんだって無関係でいられる。
神田のパイナポーはまだ大丈夫だろうが、秋葉原はその内歌舞伎町浄化作戦に近い取り締まりがあるはずだ。
秋葉原へ向かう。
あの辺り一帯の空気を見ておきたい。
警戒して閉めている店が多数。
中には売上至上主義で堂々と開けている店もある。
山下のアップルへ向かった。
一階のパソコンパーツショップは当たり前だが営業している。
あれ、山下の姿が見えないな。
辺りを見回し、二階へ上がった。
アップルのドアは閉まっている。
すぐ外へ出て、目の前の道路でしばらく待つ事にした。
タバコを三本吸ったくらいで、ようやく山下の姿を発見。
山下は俺の存在に気付き、ギョッとしている。
「おまえ、何やってんだよ? 店の前にいなきゃ、せっかく来た客だって逃すだろうが!」
「いや、聞いて下さい。喉乾いてジュース買いに行ってただけなんですよ」
その割に山下の手にジュースは無い。
嘘なのは分かったが、今が正念場なのだ。
「今日の売上は?」
「まだ二万です」
「こっちはちゃんと給料払っているんだから、ちゃんとやれよな」
「はい、分かってます!」
「客は通っているのか?」
「そうでもないですね」
「ほんと頼むよ。店やられたら終わりなんだから」
しばらくアップルの前の道路で山下と立ち話をした。
「お兄さん、今日は店開けてないの?」
五十代のしょぼくれた中年オヤジが山下へ声を掛けてくる。
「あ、佐藤さん。やってますけど、買う時だけ一緒に店に行って、鍵閉めるのでそれから選んでもらってます」
「ほんと! じゃあ買うよ、買う」
山下と客の佐藤は二階へ上がっていく。
十五分ほどして二人は出てきた。
佐藤の姿が見えなくなると、山下へ声を掛ける。
「そう、今みたいな感じで頼むよ。徹底してれば、警察にも捕まりにくいだろうから」
「分かりました!」
「じゃあ八時になったら、事務所へ売上持ってきてね」
「はい」
俺だけ一足先に新宿へ戻る。
本当に今なら撤退するならしたほうがいいだろう。
長谷川に状況を伝えた。
しかし店はまだこのまま続行したいようだ。
調子良かった時の一日平均五十万として、一ヶ月で千五百万。
三月からオープンして九月まででの約半年間で五、六千万円くらいの売上。
もちろん給料や歩合を引いた上なので、オーナーサイドからしてみれば笑いが止まらないのは分かる。
今の検挙騒動が収まればくらいに思っているのだろう。
物事には何事にもいい潮時というものがある。
いくら俺が警告を言ったところで、上の目線は違うところを眺めているのだ。
帰ったら山下には捕まった時のシュミレーションを再度しとこう。
そのくらいしかできる事は思いつかなかった。
一軒、また一軒と秋葉原の裏ビデオ屋が摘発されていく。
山下のアップルは一応対策を練り、外で客と話し買う時だけ店へ入る方針を取っていたので何とかまだ無事だった。
まあ摘発される前に警察は客のふりして買い物をし、その買ったDVDを元に逮捕状を作ってから捕まえに来るのだ。
内偵が入っていたら、何をしたところで時間の問題である。
撤退の意思は無い長谷川。
俺は通常営業時間の十一時をさらに遅くし、昼の一時頃秋葉原へ山下を行かせ、一時間ほど周りの状況確認、それから店を開け…といってもまた同じよう外で客と話してからでどうかアドバイスしてみた。
それでも長谷川はイエスと言わない。
ここ最近の売上が落ちているのが気になるのだろう。
こればかりは仕方がない、今は我慢の時と諭すもいまいち伝わらない。
そんな日々を過ごしている内に、原の舎弟の店が摘発された。
原不在の中、そこの組員がわざわざ俺に教えてくれたのだ。
そんな状況も踏まえ、俺は長谷川へ忠告する。
やられてからでは遅いのだ。
渋々営業時間を遅くする事を了承する長谷川。
気持ちは分かるが、パクられないようにするのが現状では第一。
山下には再三口酸っぱく辺りの様子を見て、それから外で客を待つようにと命令した。
神田のパイナポーは通常営業できているので、売上は前より若干良くなっている。
秋葉原での摘発で少しはこちらへ客が流れているのだろう。
「石黒、警戒だけは忘れないようにね」
「ええ、できるだけ最新の注意を計っています」
パイナポーは多い時で、一日三十万を超える売上を出す事もあった。
これは日頃の石黒が努力してきた賜物。
山下は当たり前のようにもらっていた歩合が出るほどの売上を出せなくなり、若干不貞腐れた感じが見える。
それでも月に五十万の給料を払っているのだ。
これまですべての手柄が自分一人でできたものじゃないだろうと怒鳴りたかった。
俺はずっと月三十万程度で働いているんだぞと殴ってやりたい。
昼の十二時になり、新宿の事務所へ山下が来る。
「いいか、何度も言っているけど一時間は秋葉原の様子を見て、それから外で客を待ってくれよ。くれぐれも店の中で待機とか絶対にやめてくれよな」
「分かってますよ…。いつまでこんなのが続くんですかね」
「しょうがないだろ。警察だってあんなニュースで騒ぎになれば、万世橋警察署の刑事だって躍起になるさ」
「休みも無く、外に立たされっ放しで、本当俺は可哀想っすよ……」
「あ?」
「たまには岩上さんも店に入って下さいよ」
瞬間的に俺は山下の胸倉を掴んでいた。
「おい、テメーの寝言聞いてる暇なんてねえんだよ? それなら今までの給料返して辞めろ。お願いしてやってもらってんじゃねえんだよ! おまえ、何か勘違いしてねえか?」
「す、すいません……」
「分かったらとっとと行って来いよ」
何でこんな危険な状況で俺がわざわざアップルで店番なんぞしなきゃ行けないんだ。
金を手にしてから山下は本当に図に乗っている。
石黒へ電話を掛けた。
十一時から開けてまだ客はゼロ。
まあ開けて一時間だし、神田ならしょうがないか。
自分のやりべき作業を終える。
こんな状況下でも週に二度新作はキッチリ入ってきた。
群馬の先生の元へ。
俺は本にした新宿クレッシェンドと、でっぱりの二冊を持って中へ入る。
「先生お久しぶりです」
早速小説を見てもらおうとすると、先生は口を開く。
「あなた…、今のところは早く辞めたほうがいいですよ」
前回、裏ビデオ屋の裏方作業をしている事は伝えていた。
「確かに今出している秋葉原で警察の動きが厄介なんですよね」
「そういう事でなく、今一緒に仕事をしている人…、前世から変な因縁を引きずっている人です。あまり長い期間仕事とかで、一緒にいないほうがいいですよ」
長谷川の事を言っているのだろう。
そこで百合子が横から口を挟む。
俺が主体で店の成功をさせたにも関わらず、給料が名義の山下よりもかなり少ない事。
自由に仕事はやれているようで、そこに不満は無いけど俺の扱いに対しては不満を持っている事。
日頃俺が思っている不満などを先生に説明する。
「お金の問題というよりも、できるだけ早く今のところは辞めて下さい」
裏ビデオの仕事を早く辞めろと一点張りの先生。
確かに給料面で不満はある。
しかし気楽な性格の長谷川の元で働く事に関しては、楽なのでここまでズルズルきていた。
俺は不満だけでなく、いい部分もキチンと説明する。
「そうでなく…、このまま働いていたら、あなた、命まで取られますよ?」
「え…、命まで取られる?」
さすがにこの言い方には恐怖を覚えた。
あそこで働いていて命まで奪われる?
どうやってそんな危険な目に遭うと言うのだ?
辞める事については別に構わない。
しかし山下、石黒を始め、身元引受人として岡部さんと有路まで組織に関わらせてしまっている説明をする。
先生はしばらく黙って聞いていたが、「とにかくずっと働く場所ではないですからね」ととにかく辞める方向へ導こうとした。
季節は十月に入った。
秋葉原は相変わらず寒い状況が続いている。
アップルへ行く前に山下には、必ず新宿の事務所へ顔を出させるようにしていた。
本人はちゃんと時間通り行っていると言うが、昔から彼を知る俺はまったく信用していない。
店にいる訳じゃないので、電話をしたところで確認も取れないのだ。
給料は変わらず勤務時間だけは短いので、絶対秋葉原へ行く前にまず事務所へ来る。
これを徹底させた。
「同じ事を言うけど、くれぐれも気を付けて。まず周りの状況確認、それから外で待機して客を拾う。今までこれで警察の手を逃れてきているんだから、今日も頼むよ」
「分かりました」
昼の一時過ぎに山下は新宿の事務所を出ていく。
石黒は神田のパイナポーで通常通りの営業。
俺は入ってきた新作の整理を始める。
長谷川はディプリケーターを使い、DVDの補充。
もくもくと作業をして時間が経つ。
長谷川の携帯電話が鳴った。
知り合いの多い長谷川である。
いつもの世間話かなと思っていると、血相が変わり「岩上さん! みたいです!」と大声を上げた。
山下が捕まった?
まだ秋葉原へ行かせて一時間も経っていない……。
「間違いなんですか?」
「ええ…、僕の知り合いが今、秋葉原にいるようでアップルへ警察が入って行ったと……」
あの馬鹿…、まずは秋葉原の状況を確認しろと何度も言っているのに、横着していきなり店でくつろいでいたのだろう。
とうとう来る日が来てしまった。
今さらあいつの不手際を責めている場合ではない。
長谷川は弁護士の手配で動く。
俺は早めに支度をし、川越へ向かう。
山下の身元引受人を頼んでいた地元の先輩である岡部さん。
彼にとりあえず報告し、今後どのように動いてもらうかを説明せねばならない。
あれで秋葉原の『アップル』は崩壊し、すべては無に帰した。
十年ほど昔の事であるが、一体俺のどこがいけなかったのか?
ここを自覚しておかないと、俺はまた何度でも同じようなミスをするだろう。
あ、でったんへ返事をしていなかったな。
先にしておこう。
『俺も秋葉原の万世行った事あるよ。ファミレス系で言ったら高めの店だけど、いい店だよね。俺も地元の洋食屋とかどんどん無くなってすごい淋しいもん。 岩上智一郎』
彼に返信をすると、過去の秋葉原『アップル』問題を振り返り、難しい問いだが、いくつかの分岐点があった事を分析する。
まず一番早い段階、名義人の話を持ち出された最初の時点。
俺が全部設計する代わりに、固定給ではなく利益の歩合を自分にも組み込むといった契約段階で言うべきだったのである。
山下の事を先により、まず自分の立ち位置を踏まえた条件。
言わずとも成果を出せば分かってくれると思っていたという一番いけない甘い部分。
ここがすべての間違いだった。
報酬の取り決めは口約束や暗黙の期待ではなく、最初にはっきり言語化しておくべき。
山下には歩合を提案しておいて、自分の分は言わなかったというのが一番の構造的なミス。
次に初月の六百七十二万という数字が出た時点。
この時点で山下との給料差にまだ違和感が薄かったとしても、「実績が出たから、俺の給料体系も見直してほしい」と早めに交渉すべきだったのである。
「長谷川との関係がこじれるのは嫌だった」で先延ばしにし続けた。ここが二つ目の分岐点。
三つ目は、山下がキャバクラで売上をなくした夜の電話のあと。
俺は山下の底の浅さを完全に見抜いていたはず。
『アップル』で使うより前に。
だからこそ『ワールドワン』の時にクビにしたのだ。
あの時点で長谷川に「山下はもう危険水域だ、名義を変えるか、俺の待遇を見直すかどちらかにしてくれ」と最後通牒…、つまり交渉の打ち切りと最終的な要求を突きつける行為をしなければならない土壇場だったのである。
あそこの俺の判断が、のちのほらいわんこっちゃないと確実に読める展開の崩壊へ繋がっていたのだから。
そもそも他人の組織のシステムを無償に近い形で作り続けるより、自分がオーナー側に回る決断を早めにしていれば、この構造そのものから抜け出せていたはず。
これは二度目の横浜の〇〇〇〇組若頭三田のインカジ『ハッピー』でも、似た構造の失敗を俺はしている。
何だか三十代でも四十代でも、俺はまるで成長していなかったのか……。
そして五十代になった今、腐れ縁だった山下哲也との縁を切って数年経つ。
もっとしっかりしないと本当に駄目じゃん、俺。
まあ現時点で長年の膿だった神田と河本マンションを切れているのだ。
あとはこの平穏無事な日常をどう生きていくか。
それにしても本当に寒いなあ。
俺は風呂場へ行き、湯船へ熱いお湯を溜めだした。

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