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国立大学は、誰の人生を実験にしているのか――東京藝術大学に見る国家不作為と構造的不正義を、憲法から静かに問う


序:「芸大は学費が高い」という違和感から

 以前、「芸大に行くには、東大に行く以上の学費を要する」と聞いたことがある。
 この素朴な違和感から、本稿は始まる。ここで問題にしたいのは、金額の単なる「高い・安い」という感覚的評価ではない。問われるべきなのは、国立大学として設置された東京藝術大学(以下、芸大)が、その教育制度を通じて、どのような構造的負担とリスクを学生個人に課しているのか、そしてそれが日本国憲法及び国際人権条項上、公共教育として正当化できるのかという点である。

第1章 学費という入口――しかし問題は「総コスト」にある

 東京藝術大学の公式サイトで閲覧可能なPDF「2026年度 東京藝術大学学生募集要項」(音楽学部・別科)のp,77によれば、2026年度の入学料と授業料は予定額ではあるが、以下のように記載されていた。

・入学料:338,400円(予定額)+諸経費
・授業料(年額):642,960円(予定額)
・授業料×4年間:2,571,840円(予定額が変動しないという前提で)

 本稿では、
* 4年間:257万円
* 年間:約64万円

として議論を進める。
 しかし、ここで直ちに指摘しなければならないのは、音楽教育において、学費はコストのごく一部にすぎないという事実である。

 第1節 音楽学部生に構造的に課される追加コスト

* 生活費(長時間練習を前提とするため、就労制限が生じる)
* 楽器購入費・維持費・修理費・定期調律費
* 学外レッスン費(事実上必須とされる場合が多い)
* コンクール・演奏会・遠征費
* 楽譜・資料・録音・伴奏費
* 留学が事実上前提とされる分野では
 * 渡航費
 * 留学先学費
 * 留学先生活費

これらを含めれば、年間100万円で足りると考えるのは現実的ではない。楽器の種類によっては、維持コストや身体的負荷、盗難リスクまで大きく異なる。
 重要なのは、これらのコストが学生個人の贅沢や選択の結果ではなく、専門教育の性質上、回避不能な構造的費用であるという点である。

第2章 文化資本と教育の実質的不平等

 この構造は、フランスの社会学者ピエール・ブルデューが指摘した文化資本の問題と深く結びついている。

* 幼少期からの専門教育
* 楽器・レッスンに投資できる家庭の経済力
* 音楽界の慣行や暗黙のルールへのアクセス

これらを前提にしなければ、そもそも芸大受験に至ること自体が困難である。
 日本国憲法26条は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定める。
 また、国際人権基準である社会権規約(ICESCR)13条も、高等教育は「能力に応じ、すべての者に対して平等に開放される」べきだとする。

この規約の締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。

社会権規約第13条第1項

高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。

社会権規約第13条第2項c

 世界人権宣言でも同様の条文がある。

1. すべて人は、教育を受ける権利を有する。教育は、少なくとも初等の及び基礎的の段階においては、無償でなければならない。初等教育は、義務的でなければならない。技術教育及び職業教育は、一般に利用できるものでなければならず、また、高等教育は、能力に応じ、すべての者にひとしく開放されていなければならない。
2. 教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない。

世界人権宣言第26条:教育の権利


 形式的に受験の門戸が開かれていても、実質的に文化資本と経済力が参入条件となっているならば、この「平等」は空洞化していると考えざるを得ない。

第3章 高額投資 × 不明確なリターンという構造

 芸大の制度構造における、より深刻な問題はここにある。

* 投資額は極めて高い
* しかし職業的リターンは、原理的に確定不能

音楽家として生計を立てられるかどうかは、

* ポスト数の少なさ
* 評価基準の不透明さ
* 人脈・時代・運といった偶然要素

に大きく左右される。
 ここで問題なのは、「結果が保証できない」ことそれ自体ではない。結果が保証できないことを前提にした制度設計と説明がなされていない点である。
 仮に、「芸大で研鑽を積めば、望む道が開ける」という趣旨の期待が、明示的であれ暗黙的であれ示されているとすれば、それは不可逆な人生を対象にした実験を、必要な情報提供なしに個人に強いる構造となる。
 そして、リターンが得られなかった場合、その結果は「自己責任」として処理される。
 これは、

* 成功は「実力」
* 失敗は「自己責任」

という、構造を不可視化した不正義の語りを生み出す。

第4章 国立大学であるという決定的意味

 ここで見落としてはならないのが、芸大が国立大学であるという点である。つまり、芸大は、税金によって運営され、公共教育を名乗り、国家が設置主体となっている。
 にもかかわらず、極めて高額な総コストを個人及び家庭に負わせ、リターンは原理的に確定できず、回収不能時の救済制度を設計していないとすれば、これは単なる教育方針の問題ではない。
 国家が、自ら設計した制度によって生じるリスクを、学生個人に一方的に転嫁している状態、すなわち国家不作為の問題である。
 社会権規約第6条は、労働の権利について、国家が職業教育と就労機会の整備に努める義務を負うことを明記している。教育と職業の接続を制度的に放置することは、この趣旨と緊張関係にある。

この規約の締約国は、労働の権利を認めるものとし、この権利を保障するため適当な措置をとる。この権利には、すべての者が自由に選択し又は承諾する労働によって生計を立てる機会を得る権利を含む。

社会権規約第6条第1項

この規約の締約国が1の権利の完全な実現を達成するためとる措置には、個人に対して基本的な政治的及び経済的自由を保障する条件の下で着実な経済的、社会的及び文化的発展を実現し並びに完全かつ生産的な雇用を達成するための技術及び職業の指導及び訓練に関する計画、政策及び方法を含む。

社会権規約第6条第2項

 文化的生活への参加について述べた社会権規約第15条では、すべての人は文化的生活に参加する権利を有することと、国家は文化の保存・創造活動の促進・芸術活動への条件整備を行う義務を負っていることが述べられている。

1. この規約の締約国は、すべての者の次の権利を認める。
 a. 文化的な生活に参加する権利
 b. 科学の進歩及びその利用による利益を享受する権利
 c. 自己の科学的、文学的又は芸術的作品により生ずる精神的及び物質的利益が保護されることを享受する権利
2. この規約の締約国が1の権利の完全な実現を達成するためにとる措置には、科学及び文化の保存、発展及び普及に必要な措置を含む。
3. この規約の締約国は、科学研究及び創作活動に不可欠な自由を尊重することを約束する。

社会権規約第15条

ここで重要なのは、「文化を享受する権利」だけでなく、文化を担う人間の生活条件を整える義務が含意されていることである。つまり、「音楽を消費する社会を作りながら、音楽家が生活不能に陥る構造を放置する」、これは、文化権の一面的理解である。
 補助的に、理念的基盤として、世界人権宣言(UDHR)の関連条文も載せておく。

すべて人は、勤労し、職業を自由に選択し、公正かつ有利な勤労条件を確保し、及び失業に対する保護を受ける権利を有する。

世界人権宣言第23条:労働の権利

1. すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する。
2. すべて人は、その創作した科学的、文学的又は美術的作品から生ずる精神的及び物質的利益を保護される権利を有する。

世界人権宣言第27条:文化生活への参加

特に第27条は、芸術の成果を享受する権利と芸術創作に従事する者の利益の保護という二面構造を示しており、本稿の議論と完全に一致する。
 国際連合の専門機関であるユネスコ(UNESCO)は、繰り返し、芸術家の社会的地位・創作活動の持続可能性・文化労働の不安定性を問題化している。
 特に、「芸術家の地位に関する勧告」(1980)は、「芸術家が尊厳ある生活を維持できる条件を国家が整えるべきである」と明確に述べている。

文化的な労働に積極的に従事する者としての芸術家の地位を認めることは、決して芸術家の創造、表現及び伝達の自由をそこなうものであつてはならず、逆に、彼等の威信と尊厳を確認するものでなければならないことを考慮し、
 芸術家がその才能を発展させ、開花させるために必要な条件並びに芸術家が地域社会や国における文化政策や文化発展活動の計画と実施及び生活の質の向上のために果たしうるその役割にふさわしい条件を整える見地から、特にその人権、経済的及び社会的環境並びに雇用条件に関連し、多くの加盟国において芸術家が置かれている不安定な状況を是正するため、当局による対応が必要かつ緊要なものになりつつある

芸術家の地位に関する勧告前文

 これらの条文は、「(芸術分野は)才能があれば、あとは自己責任で何とかなる」という日本的通念と真逆である。

第5章 構造的不正義としての芸術教育

 以上を総合すると、芸大の現行構造は、

* 教育へのアクセスにおける実質的不平等
* 高額投資と不確定リターンの非対称性
* 失敗時の自己責任化
* 国家による制度設計の不在

という要素を併せ持つ。
 これは、誰かの悪意を断定するものではない。しかし、結果として、特定の人々にのみ過大な負担とリスクが集中する構造的不正義が生じている。
 さらに、芸術を享受する社会全体が、その不正義から距離を取り、知らぬ間にそれを支えてしまっているという点で、問題は国民全体に及ぶ。

おわりに:静かな問いとして

 本稿の目的は、芸大や芸術教育を否定することではない。むしろ、芸術という公共的価値を真に守るために、この制度構造は、国立大学として、憲法と国際人権基準に照らして正当化できるのかという問いを、静かに可視化することにある。
 夢や才能という言葉の背後で、誰の人生が、どのような条件で賭けにさらされているのか。
 この問いから目を逸らさないことこそが、公共教育と文化を支える社会の成熟を測る基準ではないだろうか。


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読者へのお願い

 どうか皆さん、日本国憲法を読んでください。私が所持し、座右に置いている童話屋発行の日本国憲法は、文庫本の大きさで、厚さは0.3mmしかありません。どこにでも持ち運びができます。ここに、読みやすい字の大きさで、憲法全文全てが入っています。

 特に、前文と第二・三・十章をお読みください。第三章は、国民生活に関わる全てがあり、とりあえずここだけ熟読しておくだけで大丈夫です。
 なお、「教会での人権侵害」第3章第3節4で述べた、人権侵害を指摘・報告する文書の作成・送付は、第16条(請願の権利)の行使によるものです。これを行うのに、特別な資格は不要です。法律条文がわからなければ、AIに教えてもらい、自分で確認すれば、良いのです。
 憲法は、政治家だけのものではありません。むしろ、本来は権力を縛るという点で、国民のものなのです。これを読めば、誰にでも“社会を変える力”が芽生えます。

※以下のマガジンに以前の記事があります。



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jacob_truth369 ( ´∀`)サポート本当にありがとうございます!!😭😭😭🥰🥰🥰 (  ・ ∀ ・)ご恩返しするためにも、今後も一生懸命頑張ります!!😊😊😊