採用書類中心主義の根本的誤謬――人間を紙切れに還元する非科学的・非人権的慣行への批判――
問題提起:なぜ「採用書類中心主義」が問われなければならないのか
日本の採用慣行はいまだに、履歴書・職務経歴書(以下「採用書類」)といった書類情報を中心に人を評価・選別する方式を前提としている。この慣行は一見、合理的・効率的に見える。しかし、その前提を精査すると、極めて脆弱で、非科学的かつ非人間的な手法であることが明らかになる。
採用書類中心主義は、単なる運用上の問題ではない。それは、どのような人間観・科学観・憲法観に基づいて社会を運営するのかという、根本的な問いに関わる問題である。
第1章 採用書類中心主義が依拠する前提の脆さ
採用書類中心主義は、暗黙のうちに次の前提を置いている。
* 人の能力・価値は、学歴・職歴・資格・空白期間といった形式情報から把握できる
* 私生活・病・信仰・被害体験・回復過程は「ノイズ」であり、評価から除外してよい
* 人間は、紙切れ1〜2枚の情報に還元可能である
しかし、これらの前提はすでに、実証的・臨床的・哲学的に否定されている。
(1) 実証的否定
心理学・組織行動論・人材研究の分野では、履歴書情報と実際の職務パフォーマンスの相関は低いことが繰り返し示されている。
(2) 臨床的否定
精神医療・トラウマ研究・リハビリテーション研究は、人間の能力が環境・回復過程・支援の質によって大きく変動する可塑的なものであることを明らかにしている。
(3) 哲学的否定
人間を形式情報の集合として扱う発想は、人格の尊厳・物語性・関係性を捨象する還元主義的人間観であり、現代哲学・倫理学においては明確に批判されている。
第2章 採用書類中心主義は「非科学的」である
科学とは、本来、
* 対象の全体性を捉えようとする態度
* 仮説を常に更新し、反証可能性を重視する姿勢
を含む営みである。
にもかかわらず、採用書類中心主義は、
* 人生の大半を占める私生活・病・暴力・回復・信仰・内的成熟を評価対象から排除する
* 形式情報のみをもって「他者がわかった気になる」
という、極めて非科学的な方法を採用している。これは科学ではなく、「紙切れ信仰」「書類占い」に近い擬似合理主義である。
第3章 採用書類中心主義は「非人間的」である
誰の人生も、実際には
* 私生活(出会いと別れ、ペットとのふれあい、多様な思い出、興味・趣味・関心の揺れ動き等)
* 病や障害
* 被害体験
* 回復と試行錯誤
によって大きく形づくられ、彩られている。しかし、採用書類中心主義は、こうした人間の基本的事実を「どうでもいいもの」として切り捨てる。
その結果、高度な潜在力・専門力を持つ人が 低レベル業務に押し込められることにより、自己効力感・自己評価が損なわれる。結果として、社会全体として、人材資源が浪費されるという構造的不正義が生じている。これは応募者だけでなく、組織・社会にとっても重大な損失である。
第4章 憲法13条・国際人権基準に明確に抵触する慣行
日本国憲法13条はこう定めている。
すべて国民は、個人として尊重される。
「個人として尊重する」とは、人を形式情報の集合ではなく、全体としての人格として扱うことを意味する。よって、採用書類中心主義は、人を紙切れ1枚に縮減し、人格の全体性を評価対象から排除するという点で、憲法13条の精神に明確に反する慣行である。同様に、国連人権規約・障害者権利条約などの国際人権基準とも整合しない。
われら連合国の人民は、
われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、
基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、(太字は筆者)
第5章 代替はすでに存在する――総合的評価アプローチ
今までの批判を受けても、まだ採用書類中心主義に固執し続けるのだろうか。どんな理由でそうするのだろうか。もっと重要なのは、「理想論だから無理」ではなく、代替手法はすでに存在するという点である。
例:
* 構造化面接
* ワークサンプルテスト
* ナラティブ評価(人生史・回復史を含む)
* 多面的アセスメント
* AIによる偏見低減型マッチング
* 長期的ポテンシャル評価
これらはすでに、諸外国で実践・検証されている。採用書類中心主義からの脱却が世界的な潮流である。特に企業が競争力や自社の能力を高めたければ、非科学的な慣行をなくし、自社の能力を飛躍的に高め得る潜在性を持った人材を発見・発掘することは、不可欠かつ急務ではないだろうか。以前の複数の論考でも述べたように、人間側のAIの運用思想を拡張すれば、採用書類に書き得ないが、高度な能力を備えた人を発見できる可能性はある。
※以前の論考
第6章 制度是正されないこと自体が「制度の怠慢」である
だが、これほど多くの知見が蓄積され、代替手法も存在するにもかかわらず、日本の採用慣行がいまだに採用書類中心主義に固執していること自体、制度の怠慢であり、惰性による不正義の温存と言わざるを得ない。
結論:採用書類中心主義は即刻やめるべきである
採用書類中心主義は、
* 非科学的
* 非人間的
* 憲法13条に反する
* 社会的損失を生む
という点で、正当化不可能な慣行である。
立憲主義に照らせば、即刻廃止し、人間を総合的に見る制度へ移行することこそが正しい。これは「理想論」ではない。人権・科学・社会合理性の観点から見た、最も現実的な選択である。
エピグラム
ヴィスワヴァ・シンボルスカ「履歴書を書くこと」
必要なこと?
申請書を書くことだね
申請書には履歴書を添える。
生きた長さと無関係に履歴書は短く書く。
必須なのは簡潔と事実の選択。
風景の変化は各住所の形で
揺れ動く思い出はそれぞれ不動の日付として。
一切の恋愛遍歴は結婚相手で十分
子どもは出産の場合のみに。
身元を知る人が本人の知人よりも重要。
旅行は外国旅行の場合に限る。
所属は団体名だけで、その動機は不要とし、
受勲にも功績の中身は無用。
自分と対話したことなど一度とてなく
遠くで擦れ違った人のように書くこと。
触れずに省略するのは犬、猫、小鳥などペット
思い出のがらくたの品、親友や夢のこと。
書くのは売り値のほうで真価ではなく
肩書のほうで実質ではない
靴のサイズは記入しても、行く先は不問です
本人として通用している以上。
貼付の写真は片耳が見えるように
大事なのは耳の外観で、聞く内容ではない
何が聞こえます?
機械音、紙を細かに断裁する音が。
(ヴィスワヴァ・シンボルスカ『橋の上の人たち』書肆山田、1997所収)
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