労働・採用環境を変えずに、国を良くできるはずがない――日本社会における「能力破壊型設計」について
序:賃上げ・減税の手前の話を言わない国
日本では近年、「手取りを増やす」「減税を行う」「賃上げを促す」といった議論が盛んである。もちろん、不合理な税や不透明な徴収は是正されるべきだ。しかし、これらの議論には、決定的に欠けている視点がある。
それは、人間の能力が、そもそも適切に発揮される労働・採用環境になっているのかという問いである。
第1章 高能力者が壊れる社会設計
日本の労働環境を見渡すと、奇妙な現象が常態化している。
・高度な思考力や統合力を持つ人ほど、裁量のない低レベル業務に押し込められる
・形式・前例・同調が優先され、改善提案は歓迎されない
・能力を発揮しようとするほど、摩擦と疲弊が増える
その結果、多くの人が、自己効力感を削られ、「考えないほうが楽だ」という学習をし、最低限の行動しかしなくなる。
これは個人の資質の問題ではない。制度設計の問題である。
高性能なエンジンを積んだ車を、一速固定・ハンドル操作禁止で走らせておいて、「なぜスピードが出ないのか」と問うようなものだ。
第2章 採用書類中心主義という思考停止
日本の採用は、いまだに次の三点を重視している。
・書類が形式通り整っているか
・「ちゃんとした」服装ができるか
・指示に従い、問題を起こさなそうか
これらは能力評価ではない。既存システムを摩擦なく通過できるかどうかの検査である。
ここでは、神経特性・回復力・思考の深度・持続可能な稼働条件といった、本来、最も重要な要素が、完全に無視される。
その結果、能力はあるが形式に適応できない人が排除され、形式に適応できるが能力を活かさない人が残る。これは国にとって、明確な損失である。
第3章 「怠けている」のは誰か
こうした構造の中で、「自分の神経特性を考慮した上で、能力を最大限発揮できる形で働きたい」と述べる人は、しばしば「怠けている」「働く意欲がない」と評価される。
しかし、これは完全な倒錯である。非科学的・非人間的な評価軸に安住し、人を理解する努力を放棄している側こそ、最もラクをしている。書類と服装で足切りすれば、人を見る必要がないからだ。むしろ、非科学的・非人間的な採用書類中心主義に安住している側こそ、批判されるべきではないだろうか。
第4章 分配より、設計を変えよ
ここで強調すべきなのは、これは「手取り」や「分配」の問題以前の話だという点である。
労働・採用環境を変えるだけで、多くの人が自然に、持って生まれた能力を発揮し、無理な我慢や消耗をせず、結果として、必要な収入を得られる状態は十分に実現可能である。
逆に言えば、設計を変えないまま、・国際競争力・生産性向上・成長戦略を語ること自体が、空虚である。
第5章 国家が本当にやるべきこと
本来、国家や社会が問うべきなのは、次の点である。
・人間の能力は、どの条件で最大化するのか
・どの条件で壊れるのか
・どうすれば、持続可能に回るのか
これらを無視し続ける社会は、静かに衰退していく。まさに今の日本がそうである。
日本の停滞の正体は、人材不足でも、努力不足でもない。人間を粗雑に扱う国家設計そのものにある。
結論:国家は労働・採用環境を変えよ
労働・採用環境を変えずに、国を良くすることはできない。
人間の能力を信じ、その発揮条件を整えること、それこそが、最も確実で、最も持続可能な成長戦略である。
そして、この視点を欠いたままの改革は、どれほど耳触りがよくとも、根本的な解決にはならない。
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