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世間に対して演じている自分と地のままのわたしと


はじめに


 こちらをたてるとあちらがたたずという場面は、ふだんの生活や仕事場で起こりがち。さてどうしたものか。たいてい打開するにはもうひとつちがうアイデアを引き出さねばならない。おたがいの役回りをすりあわせ、それぞれのよいところを温存しつつ、よりましなほうへともっていく。どうやらそんなさまざまは、きっと本音とたてまえ、そんなことばかりかもしれない。

きょうはそんな話。

仕事に就いて

 学生の身分から職に就いて真っ先に経験したできごと。着任したその日に事務の方からいきなり先生と呼ばれ、自分のことかと我に返った。そうか今日から「先生」かとあらためて立場の変化に気づかされた。もちろん身が引き締まる思いがした。

やはり日々「化粧」を施しつつ、教室に向かっていた。地域のみなさんもわたしのことを先生と呼ぶ。そう呼ばれる職業をいくつか思い浮かべる。それにいい気になってしまってはよくない。

先生役(学習サポートで)


 昨春までの本業だった学習サポートの教室では「先生」の役まわり。児童・生徒たちは頼って来てくれていた。それなりにこちらは応えたい。なるべく迷いの数々をこどもたちがみずからの力で解けるようにそんなきもちで接した。

しごとをつうじてある程度、その職業に応じたふうにヒトがつくられる面があると思う。時とともにその役回りにふさわしくなっていくのかもしれない。もちろんもともとの自分があって、それに上乗せするかたちで。なにも仮面をかぶっているわけでもいきなり別人格になるわけでもない。化粧をする程度といってよいかもしれない。

多少の上乗せ


 「化粧」をしたところで地のままがところどころに顔を出すものだし、児童・生徒はむしろわたしを「おとな」のひとりでありながら、こどもたちのまわりの得体のしれないおとなとの仲立ちをしてくれる存在だとわたしに接する。

それをわたしは心得て、着々とおとなへとむかうこどもたちにさまざま案内役としての役まわりを演じる。ここに来ているこどもたちは、わたしが想像し得ないほどの人物にいずれはなるかもしれない。そんな潜在力をぜひとも発揮してもらいたい。願わくはこどもたちの可能性をおとなたちの協力やバトンタッチによりともに育んでいきたい。  
     

ありのまま(大学で)


 現在、ボランティアで大学で学生さんと接するなか、わたしはなるべくありのままでいようと思っている。なにも取り繕ったり、よく見せようとしたりせずとも相手は若いとはいえすでに成人の方々。そのままで問題はない。したいようにしているだけ。むしろ自分のいごこちがいいように学生さんたちに余計に気をつかわせているのかもしれないが。

必要に応じて学生さんから声がかかるし、見知っていればなるべくていねいに応対し、抱えている問題が解決の方向にすすむかどうかをそのあともそれとなく確認する。こちらも知ったかぶりせず、わからないことは正直にわからないとこたえる。世代はちがってもこの場ではおたがいさまで、おなじ目的の達成にむかうなかまどうし。         

おわりに


 こうしてある程度「化粧」ほどの自分を上乗せしつつこどもたちに接してきた。ときとしてへまをするありのままの自分をみせてきた。こどもたちはおとなにはそんな両方のあることを敏感に感じとり、おとなってこんなものなんだと学んでいたのかもしれない。そのこっけいな「おとなの仮面」は敏感なこどもたちによってあっさり剥がされていたのだろう。

それでもいい。それこそおとなという顔をしていればいい、それ自体がひとつの役回りなのだと最近になって気づいた。そんな経験から大学ではいまこうしてありのままでいるようにしているつもり。


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