試験が終わってすぐにいつもどおりに勉強できたらそれは学生にとり自らの目標のアドバンテージになる

はじめに
型をつくることはどんな分野でもたいせつだと思う。スポーツでも学問でもおなじ。それを習慣にしてしまえばそんなに苦にならないし、むしろやらないでいるほうが苦痛に感じる場合すらある。多少の予定外や体調のちがい、さらに飛びこみの案件があってもなんとか「ふだんどおり」を型どおりにやり遂げられるか。
身のまわりの些末なことにすぎないが記しておきたい。
きょうはそんな話。
noteだって
ひとつのことをたんたんとやる。それは型ができるまではなかなかたいへんかもしれないし、意外とたやすいかもしれない。大層なことのように見えて、予想外にかんたんかもしれない。noteへの投稿の継続ですらそうだろう。
ほかでもそう。毎週たんたんとすすむ学習がつづけられるか。大学の学生たちは1時間半の講義に3時間分ぐらいの予習や復習をする想定のシステム。そのようにアナウンスされる以上は、それを自らに課して実践していく。
一方で、習慣になってしまうと、そのことをやらないままでいると気分がどうにもバランスが取りづらくなるもの。わたしでも新しい研究テーマに関しては時間をわすれて、食事すらうっかりわすれておなかがグウと悲鳴をあげてようやく気づくぐらい没頭してしまうこともある。これを学びの時間に繰り入れていいものかどうかは知れないが。
やっただけは
この年齢でもやればやっただけ身につくし、要領はたしかに若い頃よりもよくなっている。かたやエネルギーに満ちあふれているはずの学生さんたちはどうだろう。高校生でもいい。もちろんしたいことは山ほどあるだろうから、それらを順番にやりながら、並行して学びにも時間を充ててほしい。その指標はたとえば試験後。
いまボランティアでサポートしている学生さんたちはすでに後期の試験後、つまり2週間先のわたしとの自主講座のスケジュールを提案してきている。わたしのほうがびっくりするほど意欲的。それだけの熱意でやり切ろうとしているので、それには確実に応じたい。それぞれ目標をぜひとも成就してほしい。
試験ののちに
そんなふうに試験の終わるのが待ち遠しいのは久しぶりのこと。以前は学生さんたちの補習がようやく終わり、解放されるきもちで春休み期間を迎えたものだった。それがことしはどうだろう。学生さんたちの意欲に押され気味。もちろんよい意味で。
試験ののちのしばらくは羽を休めよう、好きなことだけしようと思うのはヒトならばだれでも思うもの。だがこうして試験後の学びについてただちに、「いつもどおりお願いします。」と連絡があるのはなかなか。
ことしは目標を明確にしたのがよかったのだろうか。ふだんの大学での講義とそれまで(たとえば高校まで)の未修部分を埋めようとか特化した。どちらにしても現在の事態によく適合するからこそつづくのだし、前向きに捉えて意欲を示しているにちがいない。
おわりに
やはり学びには機会とタイミングが合致するといい。動機づけも必要。いままでの対応がいまひとつだったようだ。今回はたまたま学生たちの求めや意欲に合致し、それをようやく実行したにすぎない。貴重な若い時間を割いているからにはそれに見合うものを用意したい。
同時に習慣となるように仕向けるのも必要。まだ高校を出たばかりでいきなり放り出すのではなく、その点ではまだまだ案内がいる。学びの型をいいかたちで整えて「自主的に」進めて習慣化するまでの支えがあっていい。
大学のしごとを「サービス」とするのはどこか違和感があるが、当然備えるべきものを提供しただけだろう。ただしそれは正規のものではなくたまたまボランティアで無償でやったなかに見い出せたこと。こうしてスキマを埋めて充実させるしごとはやっていてこちらもたのしくなる。
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