手放すとその半年以内には必要になる本の不思議さ
はじめに
本に関してはくりかえすことがある。どうもまちがいなさそう。手元に残すことはないとヒトにあげたり、処分するととたんに必要になる。どうもこれは間違いないようだ。今も大学生たちに示したい本や必要な中学校・高校用のテキストがなくて困っている。
きょうはそんな話。
あげる本
教室に訪れるこどもたち(小学生~高校生)に読んでほしい本はわりとかんたんに貸してしまうほう。そのため手元にほしいときにない。たとえば「窓ぎわのトットちゃん」、「ハッブル宇宙望遠鏡が見た宇宙」、「最長片道切符の旅」、「こころ」などはそう。星新一のショートショートのいくつかの短編集や「ハリポッター」のシリーズもそう。何巻かをやりとりするうちいつのまにか欠けてしまい、中古本の店に駆けつける。
そんな本たちはおとなのわたしが読み直してもやはりおもしろいし、ためになる。むしろおとながおもしろくないとこどもはおもしろがって読んでくれないかも。たとえある時期は読んでもよくわからないこともある。高校生の頃に読んだ志賀直哉。「城の崎にて」や「暗夜行路」などは当時はよくわからなかった。時が経ち目を通すと納得。そんな本たちもいつのまにか手元から離れていった。
処分する本
こどもたちに教えているとやむなく手元から離れて処分されるものも。これはわたしのせいではない。教科書の何年かごとの改訂によるもの。参考書類もそれに合わせて改訂される。古い内容のままではこどもたちに迷惑がかかる。そこでそのたびに思いきって処分することに。
ところが古いもののなかにはたいへんわかりやすく書かれているものも。手放すのが惜しいときもあるがいたし方ない。ところがそうして手放したときに限って、あの単元のいくつめかにわかりやすいまとめがあったはずと手元に残るテキストから探そうとするが見つからない。そうそう、あの処分した古い参考書に記されていたんだったと思い出す。もはや時すでに遅し。
くりかえす
生徒に貸したり、処分したりは上記のようによくある。たいてい時をおかずして必要になることが。一度や二度でない。先日などは処分して2週間もしないうちにそれが起きてしまった。
そんなだから学習サポートの教室を開いていた頃には、わたしの背とおなじ高さの書棚4つ、自宅のクローゼットの片隅にひとつ、別室にふたつほどの書棚に「処分してはならない本」がぎっしりならんでいた。
そこで
当時借りていた学習サポートの教室は、戦後まもなくの築70余年の医院のあと。床は高く造作はしっかりしていたが、学習サポートのわたしの事務室は本の重みですこしばかり歪んでいた。それでも生徒に紹介したい本は数しれず。買うのも古本をおもに探す対象にしていたが、それもままならず、結局は地域の図書館を巡るように。
わたしが借りて、目を通したうえでその中身について生徒たちに紹介。そのあとどうしても欲しい場合には古本から気長に探す。図書館に寄るついでに自分用に森鴎外、太宰治、川端康成、三島由紀夫、遠藤周作、大江健三郎、小川洋子などをあるだけ読み直し認識をあらたに。そのついでに生徒たちに紹介したくて、北杜夫、椎名誠、恩田陸、川上弘美、森見登美彦等など…。こちらも地域の図書館にあるだけ楽しみつつ目を通した。
おわりに
図書館通いのおかげで欲しい本をあらかじめ選べるように。なにもかも新刊でいきなり購入することはなくなり、きっとくりかえし読みたくなりそうな本だけ厳選して手元に置くために購入。これだけで本の増殖をある程度抑えられた。
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