やむなく実験室でみつけた紙製のぞうきんはふきんとしてけっこうくり返し使える
はじめに
だれがこの部屋へ持ちこんだかわからないままの使いかけの品。職場の実験室にはそんなものがいくつかある。もちろん個人の所有物でない。みずから買わないし、使わないまま処分するのはなおさらムダになる。やむなく使う。
そんなものたちがひきだしのなかにいつのまにか増えている。今回は紙製のぞうきんを見つけた。なんのことはない不綿布の形状。じょうぶなようで1度きり使うだけで捨てるには惜しい。そこでつかったあとよく洗い、干してみた。なんのことはない実験台を拭く程度ならば布製と遜色なく、けっこうながもち。
きょうはそんな話。
さずかりもの
いつからここにあるのかわからない品物が収納や引き出しを占めている場所がある。この部屋をしごと場として4年。なにぶんモノを消費しないほう。じぶんで言うのは何だがモノもちはかなりいいほうだと思う。したがってこうした以前からあるいつ出番があるかわからないものたちが、貴重な収納スペースをわがもの顔で占めてしまう。
たまに気づいて使わなくちゃととりだす。紙製ぞうきんはそんなもののひとつ。使い残しはこのまま朽ちていくだけ。布製のほうがいいのにと思いつつ、しかたなく袋からとりだすと何枚か重なっていた。複数枚入っていると知る。
つかってみると
てっきり「使い捨て」と思いこんでいた。ここでふと考えた。商品名は「紙ぞうきん」。実験台を拭いただけの手もとの紙ぞうきんを見る。布ぞうきんならば1度で使い捨てはしない。洗ってつかうのがふつう。そこで洗えばもう一度使えるかもしれないと台所用洗剤で洗い干す。
乾いて手もとにとると元とさほど変わらない。何だそういうことかとひとり納得。つまりは布製のふきんとおなじ使いかたができるということ。くりかえし回数は少ないかもしれないが、きちんと洗いながら干してつかうとくりかえし使えるとわかった。
布製のように
どうやらこの製品は、本来、そんな使いかたを想定しているのではと思った。もちろん布製にまさるものはない。じょうぶさはおそらく布製のほうが上だろう。見わたすと実験室には「使い捨て」商品が多い。実験の経験のある方ならばご存知かもしれない。キムワイプやキムタオルなどその代表格だろう。わたしはもったいなくて年に数枚つかうかどうか。テッシュがわりとして鼻をかむなどしない。
もちろん「滅菌済み」など特殊な用途によってはディスポーザブルのプラスチック機材も多い。これらもやむなく使うがやはりもったいないなあと思いつつ専用の処置をしつつ処分。なにがしか後ろめたい気分になる。それらすら用途(安全性や使用目的など)によっては洗って再利用することも。
布製
学校で「明日までにぞうきん1枚もっておいで」というときに、布の持ち合わせがなくやむなく新品の布製タオルをぞうきんにしたことがあった。使いふるしの洗いざらしのタオルをぞうきんにして持参した身なので、新品タオルをつかうのはなんとも惜しい。そんなわりきれないきもちのまま本来のタオルの役割を担えなかったぞうきんを学校にもっていった。
ちょうどそんなきもちがこの紙製ぞうきんでも湧いた。紙でありながらタオル的使いかたを経ないで、いきなり「紙ぞうきん」と名づけられて…とむかしの経験が思い浮かんだ。
本来の目的
こういうことはよくある。使い古しの自転車を修理しながら乗る。具合が悪くなるとみずから修理する。そんなときになぜか新品のボルトとナットは使いたくない。むしろ何らかのべつの中古のモノを修理したときに出た品をあてがうときもちいい。なぜだろう。使い古しに新品が似つかわしくない見ためだけでない。
むしろ使える中古部品がべつの用途として役に立った、よみがえったというほうが大きい。お役に立てたというか、そんなふうにあてがいリユースやリサイクルがうまくいったときの満足感はちがう。
おわりに
ふだん腰をおろすいすはある方からのいただきもの。事業所の廃棄品。その方も修理しさえすれば使えるかもと廃棄処分手続きのあと手もとに置いていたという。着座位置のからだを支える重要な部品が折れて、いすとして致命的な故障。代わりの部品はもうないという。わたしのふだんのちまちました修理のようすをたまたまご覧になり、「もしよろしければ…」と声をかけていただき、「それならば。」といただいた。
いただいていながらあてがあったわけでない。あらためてそのいすの状態をたしかめる。やはり思わしくない。ただし、たまたまいすとは無関係なべつの廃棄品の部品とりをしたばかり。もしかしたらとおもむろにその部品のひとつを手にとり、当該のいすのその部分にあてがうとなんとぴったり。こんな偶然はそんなにあるものでない。それから10数年、ふだんづかいとしてこのいすを愛用している。
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